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『パントマイムの歴史を巡る旅』第24回(ヨネヤマ・ママコさん(6))

2014-10-12 08:43:31 | スペシャルインタビュー
(インタビューの第6回は、ヨネヤマ・ママコさんの作品や表現についてのお話を紹介します)

佐々木 次に、作品についてお聞きしますが、ママコさんの代表作をいくつか教えて頂けないでしょうか。
ママコ 最初に、処女作の「雪の夜に猫を捨てる」を挙げます。その次が「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」です。この作品が最初のパンカゴですね。3番目に「マニュアルウェイター」が来て、4番目が「月に憑かれたピエロ」、5番目が「十牛」となります。「月に憑かれたピエロ」と「十牛」は、原作を基にマイムを振り付けした作品です。6番目には、素朴な小品ですが、「凧を揚げる子ども」を挙げます。これは、ジャン・ルイ・バローと演じた思い出深い作品です。他にも「空を飛ぶ男」も代表作の一つに挙げます。これは、曲は、勿論他の方の作曲ですが、歌いながらマイムになるという「パンカゴ」(パン歌語という意味の造語)の形式を取り入れた作品ということで、入れさせてもらいます。
佐々木 「空を飛ぶ男」は、大人になっても空を飛ぶことを諦められない男のロマンを描いた作品ですね。最近では、「ラスベガスを食い尽くすゴジラ」も音楽と動きを融合させた作品になりますね。
ママコ あれは、引っ越し作業の慌ただしい中で仕事を頼まれたものですから、曲が入っていると、どんなに疲れた時でも自然に動けるということで作品を選びました。音楽が流れているので楽だと思って観ている方もいらっしゃったかもしれませんが、私も楽でした(笑)。
佐々木 そういうふうに聞くと、やはりダンサーとしての血を感じますね。
ママコ あと、初期の頃の「渓流の魚釣り」は、マイムの多様な要素が詰まった作品で、私らしい物の一つです。あと、「二人綱引き」は、6年程かけて生まれた2人綱引きというテクニックを使った作品で、これも入れていいと思います。
佐々木 えっ、2人綱引きですか。
ママコ 2人で綱を引くスタイルは、私が創りました。今は、他の方もやっていると思います。
佐々木 ちなみに、ロープというテクニックは、誰が最初に生み出したのでしょうか。
ママコ ロープを一人でやる形式は、マルセル・マルソーが最初です。1人のロープは、衝立を置いて入ったり出たりするやり方で、マルソーが最初にやっています。

佐々木 話が戻りますが、代表作の2番目に挙がった「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」が、ママコさん独自の「パンカゴ」形式の最初の作品とご説明されましたが、「パンカゴ」は、この当時からあったのでしょうか。
ママコ パンカゴの原型ということです。
佐々木 僕が読んだ資料によると、パリ郊外に滞在中にパンカゴというスタイルを確立したそうですが…。
ママコ ええ、当時所有していたフランスの小さな家で「パンカゴ」はでき上がっていきました。
佐々木 その頃の経緯を少し教えていただけないでしょうか。
ママコ 渡仏する前は、ママコ・ザ・マイムの経営や活動で疲れ切っていました。故郷に帰っていた時に、自分の身心を休めるために一番好きなことをしたいと思っていたら、突然、フランスの景色が心に浮かんできたのです。それで、これは冒険だったのですが、パリ郊外のヴェルヌ―という村に行きましたら、想像していたのと同じ景色に出会いました。セーヌ川のほとりに小さな石づくりの家があって、キッチンの窓からは白鳥が飛んでいて…。そういう時に、自然と昔作った歌がつながってくるのですね。身体もガタがきているから、これなら身体が持つということもあるし、自然にできるということもありイメージが広がっていきました。

佐々木 ところで、ママコさんにとって、パントマイムの表現の中で、一番重要なことは、どういうことでしょうか。
ママコ 私は、社会との関わりですね。
佐々木 といいますと。
ママコ 社会が持っている矛盾というものに対して、反応してそれを表現すること、伝えるということです。
佐々木 並木孝雄先生が、あるインタビューの中で、人間の問題というものをパントマイムの表現の中で表現したいとおっしゃっていたことを思い出しました。ママコさんもそういう視点に近いのでしょうか。
ママコ 社会や人間の問題で言いますと、私が作品を作っている頃はウーマン・リブとの関わりが大変深くて、「十牛」の作品の中にも、女の自立の問題が入っています。その他にも例えば、「主婦のタンゴ」では、女性の立場の問題を扱っています。

佐々木 ところで、マルセル・マルソーの「壁」の表現の誕生に別の方が協力したという話があるそうですね。
ママコ サンフランスシスコの友人が、マイムの批評家ベリー・ロルフのようにマイムの歴史を調べていて、彼女からマルセル・マルソーの壁の創作について聞いたことがあります。カルト映画の巨匠、アレハンドロ・ホドロフスキーとマルソーがパリで一緒に活動していた時期に、ホドロフスキーがマルソーのために壁という一篇の詩を書いたのです。詩の通りにマルソーが動くと、そこに壁が見えてきたそうです。つまり、ホドロフスキーが言葉でマルソーを誘導して、その詩の通りに動くと壁が見えて、そして、それがマルソーの壁になったのです。世間には、ホドロフスキーが壁という詩を書いたことは、あまり伝わっていません。その後、ホドロフスキーは、メキシコに渡り、やがて映画の撮影に専念しました。
佐々木 マルソーが壁という表現を作るのに、それを助ける人がいたというのは大変興味深い話ですね。マルソーの壁が生まれるまでは、壁という表現は…。
ママコ なかったですね。マルソーの壁が最初です。だから、壁という表現は、マルソーの壁と言っても良いくらいです。
佐々木 長時間にわたって貴重なお話を頂きありがとうございました。


6回にわたって、ヨネヤマ・ママコさんのインタビューをお届けしました。当日は、5時間くらいにわたって話をお聞きしましたが、興味深いエピソードが尽きることなく続き、予定していた時間がとても足りない程でした。少しでもその時の興奮をお伝えできていれば幸いです。改めて、長年にわたって日本のパントマイムの草創期を切り開いていったヨネヤマ・ママコさんの歩みに敬意を表したいと思います。なお、取材には、ヨネヤマ・ママコさんのほか、明神伊米日氏にも色々とご協力頂きました。
(了)
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