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アーティストリレー日記(52)ソらと晴れ女さん

2015-05-07 00:22:18 | アーティストリレー日記
今回は、パントマイム、舞踏、演劇など様々なジャンルで活動する、ソらと晴れ女さんの日記をお届けします。

舞踏との出会い

初めて「舞踏」と言うものを見たのは、早稲田大学在学中、何かの催しで大駱駝艦が演劇博物館前で無料パフォーマンスを行っていたのを興味本位で見に行ったのが最初です。
(調べたところによると演博ではそのとき大駱駝艦ポスター展をやっていたらしい)

私は大学内の弱小演劇サークルの一員で、演劇至上主義真っ盛りな時期でしたが、太い木の棒を肩にかついで首を横に曲げ、重い荷物を背負わされた奴隷のような格好で時折ぶるぶるっと震える白塗りの男たちを見たとき、ものすごい衝撃を受けました。
先頭中央にもちろん麿赤兒(さん)、他に10人弱くらいでしょうか?
ものすごい迫力、威圧感、異様さが忘れられず、その後しばらく劇団内で「大駱駝艦ごっこ」が流行ったものでした(笑)。

演劇は体ももちろん使うけれども、やはり、どうしても、言葉の方を重要視します。
だから言葉を使わずとも、言葉を使う以上に意識の琴線に触れてくるようなパフォーマンスに圧倒されたのだと思います。

大学卒業後、もう一度そのような感覚を味わいます。
それが「汎マイム工房」です。
当時マイムの「マ」の字も知らなかった私が、演劇を志そうと思って劇団の集まるガイダンスイベントに参加して冷やかし程度に汎マイム工房を見てみて、興味本位で若手公演「トライアル」を見に行って、完全にやられました(笑)。
言葉を使わず、身体だけで物語を伝えてくる、言葉を使う以上に濃い感情を流し込んでくるようなパフォーマンス。
今思えば私はその公演を「パントマイム」ではなく「舞踏」に近い目で見たのだと思います。
ストーリーとか、ネタとか、そういうところを超えた「その人自体の存在」がとても面白かった。
あまりに感動して終演後体が躍動して駅まで走って帰りました。
そして「パントマイム」というものを全く知らないまま入団。
挫折を繰り返し、途中逃亡したりしながらなんだかんだと8年くらい在籍していました。

「あらい汎」師の演技論に魅了されて似て非なる「パントマイム」という道を歩いて来ていたけれど、おそらくずっと、私の憧れていたものは「舞踏」でありました。

「舞踏に近いもの」ではなく、「舞踏」を生業にしている方から直接指導を受けたい…という想いが強くなっていましたが、どこで教えてくれるのかわからないのでしばらく独学で
(つまり勝手に)やっていました。
そしたら江戸川橋にある絵空箱の吉野翼さんが、ご自分の企画に私を舞踏家として起用して下さいました。
でも「舞踏家」という肩書きはしっくり来ず、やはり「パントマイマー」としていただきました。
そして私は、岸田理生さんを偲ぶ会が主催する「岸田理生アヴァンギャルドフェスティバル2014」参加作品 吉野翼企画『眠る男』に「パントマイマー」として出演させていただきました。
そのとき「舞踏家」として共演させていただいたのが点滅さんで、この出会いを機に舞踏を師事しています。

点滅さんのご指導は土方巽さんが教えられていたことを忠実に伝えようとして下さいます。
私はまだ始めたばかりで言われたことを懸命にやるだけですが、その方法や精神論は毎回新鮮でたまりません。
ほとんど動いていないのに、ものすごい存在感を持って立っている秘密が少しだけ分かりました。
点滅さんが見本で踊ってくれるのがとても楽しみで刺激的です。
踊りに入った瞬間からこの世のものじゃなくなります(笑)。

舞踏楽しい。
でもパントマイムも楽しい。

「虚構」という言葉がとても好きです。


ソらと晴れ女

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