月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

『パントマイムの歴史を巡る旅』第21回(ヨネヤマ・ママコさん(3))

2014-06-03 01:10:34 | スペシャルインタビュー
(インタビューの3回目は、米国での波乱に富んだ生活のエピソードをお届けします)
佐々木 カリフォルニア大学エクステンションの講師時代のエピソードをお聞かせください。
ママコ 大学の夏休みの時にラスベスカスに歌手の雪村いづみさんが来たんです。プロダクションが大勢の踊り子を連れてきて、そのステージに呼ばれて、マイムを上演しました。20人の踊り子たちは、真珠のようなスパンコールを付けて、ほとんどビキニみたいな格好でした。ある日、私は、顔を白塗りのままレストランで食事をしていたら、(偶然出会った)女優のジーナ・ロロブリジーダさんがキレイですねって話しかけてきて、コミカルな仕草で手を差し出し、大きな指輪を見せながら挨拶して来られました。向こうの人は、非常に気さくですね。
佐々木 何か目に浮かぶようですね。
ママコ 当時のラスベカスでは、ショーは通常1日2回ですが、3回ショーを上演する時もあります。3回目のショーは、遅い時間に開演して、近所のエンターテイナ―が観に来るのです。私たちの隣のホテルでは、(コメディアン・シンガーの)サミー・デービス・ジュニアがショーを上演していて、その時、3回目はバンドと打ち合わせなしで、サービスで突然歌い出すの。後ろのバンドが慌てて譜面を探し始めて(笑)。しかし、また探しながらの演奏も上手く、可笑しい。われわれ日本人はそんなに芸が上手くないから圧倒されて、あまりに自在なので腹が立ってしまって(笑)。キラい、まいった。そういう感じでした。

佐々木 ところで、アメリカの生活ですと、やはり自動車も必要になりますね。
ママコ 大学の時にトヨタの自動車を買ったんです。中古のポンコツですよ。それで、砂漠(ラスベカス)で稽古して、サンフランシスコまで帰るのは大変じゃないですか。皆に色々と教わって、自動車の後ろにニュードライバーを示すステッカーを貼って運転したら、他のドライバーが怖がって、離れていました。交差点を渡るのにすごい時間かかるから、「チキン」って怒鳴られたりして。そんなニュードライバーが竜巻に会っちゃったのです。
佐々木 えっ、竜巻ですか。
ママコ はるか遠くに何か渦巻いていて、遠くだから大丈夫と思うじゃない。天気が大変良くて安心していたら、突然竜巻が近づいてきて。減速したら良いのか分からず、そのまま入ってしまって、そのまま突き抜けてしまいました。
佐々木 事故には会わなかったんですか。
ママコ 運が良かったんですね。

佐々木 カリフォルニア大学の後は…。
ママコ その後、アメリカン・コンサーティブ・シアター(ACT劇団)というところで教えて、次にカリフォルニア・インスティテュート・オブ・アートというところで教えて、また、ACTに戻ったのです。ちなみに、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アートのイニシャルがCIAです。ある時、高速道路のポリスにステッカーが未更新ということで捕まって身分証を出したら、イニシャルがCIAだから、ポリスが一瞬顔色を変えて敬礼をしそうになったのです(笑)

佐々木 ところで、大学や劇団で教えることで、収穫は色々ありましたか。
ママコ そうですね。ACTで初めて私のマイムのメソッドが確立したのです。劇団の先生になるために、大変な忍耐力が必要だったのですが、色々とつらい思いをしながら、先生をやっていました。結果的には、そこに7、8年いましたか。ACTという一つのところに長くいることによって、初めてママコザマイムの基本メソッドが誕生したと思います。毎日色々と試していくうちに、基本メソッドのようなものがそこで出来てきたのですね。
佐々木 ゼロから自分の表現を作っていくということは、大変な積み重ねが必要になるのでしょうね。ところで、1970年にカリフォルニア大学でソロ試演を上演した時はどうだったのですか。

ママコ 私の前に劇団員総出のパントマイムの発表会があって、ソロについては「十牛」という作品を上演しました。
佐々木 十牛というのは、確か禅の説話にありますね。
ママコ はい、そうです。著書「砂漠にコスモスは咲かない」に書いてありますが、自分が悩んでいたら、(恩師の)青柳日法聖人が十牛の説話を教えて下さったのです。自分の心の中の荒野で欲望が暴れているイメージがあって、その欲望を牛に例えて、10のストーリーの中の一部分ずつを上演しました。
佐々木 反響はどうだったのですか。
ママコ この作品は、ベリー・ロルフという批評家の著書に、エティエンヌ・ドクルー、マルセル・マルソー、チャップリンらの作品と並んで取り上げられました。私が十牛をやるということで、生徒が会場を移る度に私のことを噂にして下さったので、私のイメージが大女になってしまって、初めて会った人にイメージとあまりにも違っていて、小柄なので驚かれることもありました。彼らのイメージの中では、私が大女に想えたそうです。アメリカ人は自分の欲望をコントロールする欲求や方法を学ぼうとする気持ちがむしろ日本人よりも強いと思います。何しろ、劇団で教えていた頃に休暇で遊びに行ったら、その先で公演をやらされたこともありました。
(つづく)
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アーティストリレー日記(41)リオさん

2014-06-03 01:06:10 | アーティストリレー日記
今号では、主に大道芸を中心に活動する、若手パントマイミスト・リオさんの日記をお届けします♪

こんにちは、Bプログラム11日(水)19:30~出演のリオです。
シスター率いるTOKYOマイムカレッジ生ですが最近はすっかり幽霊部員…。
ですが、今回の素敵な舞台出演のチャンスを頂けましたので改めて自分とマイム、そして舞台表現のルーツを振り返りたいと思います。

私は大学入学時、福祉系の職場への就職を考えていましたが「手に職ならぬ、手に一芸」をと考え、加入したのがクラウン(道化師)のサークルでした。実際に各種施設へ伺いパフォーマンスをする機会にも恵まれ、実に様々な体験をすることができましたが、自然と欲が出てくるものです。

『たくさんの道具を用いたパフォーマンスでは自分らしさを表現できているのか?道具に頼って楽をしていないか?』

この疑問にぶち当たり、いつしか練習にも熱がこもっていったのがパントマイム。
在籍4年間、先輩やプロの方々などに学びながら研鑽をつんでいきました。

大学卒業後も自力で練習してはいましたが1人では限界が…そんな伸び悩みを感じていた時に颯爽と現れたのが『シスターひろみ』!
とある舞台の折り込みチラシで目に留まったTMCのチラシ。さっそく伺ったのは、今や懐かしのMAKOTOシアターでのレッスン。そして今まで出会った誰とも違う、パッションに溢れたシスターの姿にすっかり魅了され、TMCの仲間入り。改めてマイムの楽しさむずかしさ、じっくりと鍛える大切さに気付きました。

沢山の仲間たちにこの時期に出会いましたし、MAKOTOシアターで出会ったある先輩に誘われて参加したワークショップがきっかけで、趣味の延長線であったパフォーマンス・大道芸はいつしか立派に「仕事」と言えるような立場に…。
受け売りですが、舞台にはたくさんの「エン」が待っています。この「エン」に支えられて、今の私があるのです。

集う人々と繋がる「縁」が、
成功すれば手に入るたくさんの「円」が、
全てを出し切ったから楽しめる「宴」が。

舞台に来たからこそ手に入るたくさんの「エン」。
演者もお客さんも揃っていなければ生まれないもの達ばかりです。

どうぞ皆様、お互いにとってかけがえのない「エン」を手にするため、6月中旬になったら劇場へ足をお運びください。
そして劇場だから味わえる、最高のエンターティメントをお楽しみください。

リオ
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