昭和28年(1953年)の秋。
私の父であり、前芸術教育研究所所長、前おもちゃ美術館館長の多田信作は、早稲田大学の文化祭で、大隈講堂前の広場付近に世界の児童画を並べました。
ビニールのシートに所狭しと膨大な世界の子どもたちの絵が並べられた光景は壮観なものであったそうです。
ところが、驚くことに、今から56年も前のその光景を目撃していた人がいたのです。
「私、見たわよ!」
当研究所の主任研究員であり、幼児画教育の第一人者である松浦龍子先生が、その時の思い出話を語ってくれました。
「大学でどうしてこんなことをしている人がいるのだろうか?」「なぜ、子どもの絵をこんなにも熱く語っているのだろうか」と思いながら、しばし眺めていたそうです。
当研究所や、以前、その付属施設であったおもちゃ美術館のルーツは早稲田大学大隈講堂前といってもよいのではないかと思えてきました。
今年の11月に50周年記念パーティーが開かれます。
多田千尋講演予定
私の父であり、前芸術教育研究所所長、前おもちゃ美術館館長の多田信作は、早稲田大学の文化祭で、大隈講堂前の広場付近に世界の児童画を並べました。
ビニールのシートに所狭しと膨大な世界の子どもたちの絵が並べられた光景は壮観なものであったそうです。
ところが、驚くことに、今から56年も前のその光景を目撃していた人がいたのです。
「私、見たわよ!」
当研究所の主任研究員であり、幼児画教育の第一人者である松浦龍子先生が、その時の思い出話を語ってくれました。
「大学でどうしてこんなことをしている人がいるのだろうか?」「なぜ、子どもの絵をこんなにも熱く語っているのだろうか」と思いながら、しばし眺めていたそうです。
当研究所や、以前、その付属施設であったおもちゃ美術館のルーツは早稲田大学大隈講堂前といってもよいのではないかと思えてきました。
今年の11月に50周年記念パーティーが開かれます。
多田千尋講演予定