蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

芳賀留学日誌(四)

2005年09月18日 04時25分33秒 | 黎明記
先ずはごめんなさいの話。前回の終わりの方で「梨園叢書」について触れた。要すればわたしの浅学ゆえこの書籍についてはよく判らないというのが結論だった。しかしこれではなんとも居心地がわるい。そこで芳賀留学日誌(三)の回を公開した後、再度『支那學藝大辭彙』を調べてみると「梨園叢書」ではなくて『梨園集成』が載っていた。おそらく芳賀はこれのことをいっていたのではないか。「【梨園集成】十八巻、清の李世忠編刊、光緒六年成る。皮黄戯四十六種の全本および散齣を集む。概ね當時の新作に係り、其中「魚蔵剣」、「取南郡」、「罵曹」、「探母」、「走雪」等今に行わるゝ齣少からず」(注1)というものだそうだ。光緒六年といえば西暦一八八八年、明治の二十一年にあたる。芳賀渡欧の十二年前だから当時としてはまだ新刊書に属していたこの中国戯曲の叢書を彼は上海の本屋で探していたということらしい。
それにしてもほんの少しの手間を惜しんだばかりに、とんでもなく恥ずかしい思いをする羽目になってしまった。発行年やその内容から勘案すれば桂湖村『漢籍解題』などに出ているわけが無い。『日本文学大辭典』に載っていないのは、国文学に大した影響を与えなかった書物だったからだろう。などとうっかり書くとまたとんでもないどんでん返しに会うとも限らないのでこの辺りで止しにしておくけれども、自分が不案内な分野の事柄はよくよく注意して調べなくてはならない、ということを改めて痛感させられました。
さてここから本題。
「食卓に集まる蠅を見るに太りて頭赤し」(注2)。上海東和洋行に止宿する芳賀たちの昼食のテーブルは、わたしたちの感覚からするとあまり清潔とはいい難い。食後「清人来りて筆墨を購はんことを勧む 夏目氏余と少許を購ふ 懸直の多き驚くに堪へたり」(注3)。まあ中国だからしようがないか。ちなみに「懸直」は「掛け値」と読む。このような用字は広辞苑の第四版にも載っていないので、使われなくなって久しいのだろうと『大言海』を見たらこちらにも出ていなかった。
九月十四日午後三時、一行は再び小蒸気ブレーメンでプロイセン号に戻る。「今夜新旅客本船に入るもの頗多く談話室食堂大に賑う 別を送りて来りし人々七時頃かへりゆくとて接吻処々にておこる 余に取りては一奇観たり」(注4)。芳賀ばかりではない。じつは現代に生きているわたし自身も、目の前で接吻をされると「奇観」だと感じてしまう。これはなにも日本人が行うのが「奇観」だというだけではない。西洋人のそれを見てもやはり「奇観」であり、しかもそれらは欲情の一欠けらも感じられない、おそろしく薄汚く見える「奇観」なのだ。これはわたしの倫理的な見解などではなくて、まったくの生理的な印象だからどうしようもない。
台風到来のため出航が大幅に遅れ、翌十五日土曜日、午後二時に錨を上げたプロイセン号は二時間ほど航行して再び停船するといった状況で、十六日午前二時頃ようやく正常な航行に入ったものの波は依然として高く、みな船酔いに苦しめられながら次の寄港地である福州へと向かったのである。

(注1)『支那學藝大辭彙』1333頁 近藤杢編 立命館出版部 昭和20年6月5日再版
(注2)『芳賀矢一文集』616頁 芳賀檀編 冨山房 昭和12年2月6日(引用にあたっては旧字体漢字は新字体にて表記しています)
(注3) 同上 616頁
(注4) 同上 616頁

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