蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

百貨店

2005年10月02日 06時19分39秒 | たてもの
スーパーすなわちスーパーマーケットが一般化する前の日本では、いや日本だけではなく西欧諸国においてもデパートメントストアは現代資本主義経済における大衆の消費欲動を充足させる装置として盛んに機能していた。普段はあまり縁の無い高級品でもほんの少々ガンバれば手に入れることができるのだ、という可能性を一般大衆に与えることで、彼らの労働意欲を高めることに貢献していた事実を忘れてはならないと思う。わたしにしてからが日本橋の高島屋の雰囲気は今でも好きだ。
ところが一方でスーパーの隆盛とともにデパートの件の機能が減退しゆく。そしてここで注目すべきはこれとパラレルな形でわたしたちの労働にたいする意識も変化し始めたということだ。すべての消費行為が願望充足から日常的な生理現象処理の次元へと退転し商品フェティシズムも消滅してゆくなかで、労働行為にたいして抱いていた労働者側の幻想も消え去り始めたように思う。さて時は一九二〇年代後半、ところはヨーロッパ文化の中心地ベルリン。教養と娯楽と退廃の大盤振る舞いに多くの人々が魅了される一方、ある人々(例えばヒトラー)からは蛇蝎のごとく嫌悪されたこの街のデパートがN.Israel。この建築を手がけたハインリッヒ・シトラウマーは一九二〇年代の終わり頃までベルリンの穏健なモダニズムを代表する建築家のひとりだった。一八七六年七月十二日ケムニッツに生まれたシトラウマーは一九二九年当時五十三歳だからもう大御所の部類に入ってた。余談になるけれども、彼が生まれた一八七六年は日本では明治九年にあたり、この年札幌農学校にあのクラークが赴任している。
伝統と革新とのバランスが程よく取れているとされていたシトラウマーの才能は、田園風住宅から事務所建築やデパートにまでおよび多様性に富んでいると当時いわれたが、現代の視点でそれらの作品群を改めて眺めてみるとやはり凡庸の感は否めない。まったく評価という行為のなんと難しいことか。そのような彼の代表作の一つがベルリンのシャルロッテンブルク・メッセダム二十二番地に残っている。これは通常の建築物ではなく一九二六年に竣工したラジオ放送用の百三十八メートルの電波塔で、地上五十五メートルにレストラン、そして百二十六6mに展望テラスが設けられたもの。この塔の鉄骨構造はエッフェル塔を参考にしているということですが、しかしやはり本家エッフェル塔の方が断然美しい。ここに才能豊かだったはずの建築家シトラウマーの、美意識についての限界を見て取ることもできるように思われる。
一九三七年十一月二十二日にハインリッヒ・シトラウマーは亡くなっている。この年(昭和十二年)は四月二十六日にドイツ軍によるゲルニカ爆撃、七月七日には日中戦争の発端となった盧溝橋事件が勃発し世界は次第に暗い時代に突入していくのだが、一方ドイツ国内はナチスが政権を掌握して以来失業者数が一九三二年当時の五分の一に減少して、多くの一般大衆は第三帝国に明るい未来を託していた。最近出ている本のなかに、当時のドイツ国民がナチスにたいして今日わたしたちが考えるほどには高い評価をしていなかったと書いているものがあったが、失業を経験した者が雇用状況を目に見える形で改善した政権を高く評価しないということなどあり得ない。ナチスの本質を予感的であるにしろ気づいていた一部インテリゲンチャを除けば、大方の善良な庶民にとっては反ユダヤ主義だろうが反ボルシェビズムだろうが、そんなことは取るに足らない事でしかなかった。明日の食べ物と寝る所が焦眉の急である者にとって、自由、平等、平和などクソ食らえってなもんなのです。
それはさて置くとしても、時は一九二八年ヴァイマール共和国時代のベルリン、破綻的経済状況のドイツではあったのだけれども世の中在るところには在るもので、生活に困窮する人々がいるなか、ここN.Israelデパートで楽しいショッピングのできる人々が厳然と存在していたわけだ。

写真資料:Moderne Bauformen Monatshefte fur Architekutur und Raumkunst  XXVIII. Jahrgang 1929 Verlag Jurius Hoffmann Stuttgart

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