忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2010.11.16

2010年11月16日 | 過去記事
今さら反省? 「政治主導とうかつなこと言った」民主・枝野氏

<民主党の枝野幸男幹事長代理は14日午後、さいたま市内の講演で、菅政権の支持率が低迷している状況について、「与党になって、こんなに忙しいとは思わなかった。『政治主導』とうかつなことを言い大変なことになった。今、何よりも欲しいのは、ゆっくり考える時間と相談する時間だ。ゆっくり考え相談して、皆さんの声に応えないといけない」と釈明した。

 枝野氏は「(菅)政権は拍手喝采(かっさい)してもらえる状況ではない。今の状況は、本当におわび申し上げたい」と陳謝>


今月の6日、岡山県に二代目弥右衛門氏と勉強会に行った。その帰りに京都で食べたのは「うどん」だ。私が家族でよく行く安くて美味い店に行った。ふたりで大盛りを食べた。ちなみに「うどん」は漢字に変換すると「饂飩」となる。何かで読んだ記憶があるが、江戸時代より前は「うだん」と発音していたらしい。ウソだったらすまん(笑)。日本に伝わったのはもちろん、中国からではなく、中国大陸からである。大陸では小麦粉をこねて団子にしたものを汁で喰っていたわけだが、これを細く切り出してアレンジし始めたのは日本人とのことだ。今も昔も同じようなものだ。日本人は日本人だ。

ま、しかし、饂飩は美味くてよろしいのだが、もうひとつの「うどん」はよろしくない。

それは「迂鈍」だ。辞書を引くと<愚かで役に立たないこと>だとあるが、この民主党の前幹事長のぷんぷくりんは、自らの党をして「迂闊」だと評している。この言葉はよく使うし、ちなみに「うっかり」の語源ともされているから、なんとなく「うっかりしちゃった♪」という軽さと可愛げがあるが、意味を調べるとそれは「迂鈍」よりも悪い。この「闊」とは<間があく・疎い>という意味が含まれている。つまり、「我々の政党はなんて間抜けで役に立たなくて愚かなんだ」と副幹事長が言っているわけだ。また、このぷんぷくりんは「で、でも、ゆっくりと考えて相談して、みなさんの声に応えないといけない」と続けているのである。その「皆様の声」とはどこの皆様なのかは知らんが、少なくとも日本の皆様の過半は「辞めてくれ」と切望している。

評する側の真意を掴めぬなら、偉そうに政治屋なんぞとっとと辞めて、京都の美味い「うどん屋」で働いて学んだほうがいい。京都だけではなかろうが、どこでも外食産業は厳しいみたいだ。「顧客のニーズ」を掴めぬ店はたたむ他ないのが現実だ。貴様らの党なんぞ、マトモな客は一人もいまい。さっさと店を閉めて退散するのがよろしかろう。









ロ、2島返還方針も撤回と報道 56年宣言で日本と交渉せず

< 【モスクワ共同】15日付のロシア有力紙コメルサントは、13日の日ロ首脳会談に関する記事で、北方領土問題についてロシアは1956年の日ソ共同宣言に基づき、平和条約締結後の歯舞、色丹の2島引き渡しに応じるつもりだったが、今後は方針を変更し、同宣言に基づいて日本と交渉することはないと報じた。ロシア側の消息筋が明らかにしたという。

 同筋は、まず2島引き渡しを実現し、残る島も最終的に返還させるとの「アニメ的」な幻想を日本側が抱いていると批判した上で「これらの島はロシア領であり、この問題を協議することはないというのが今のわれわれの立場だ」と強調したという>



ま、こう言うだろう。それに、日本国内においても「あんなところ住めないし、遠いし、寒いし、戦争になってまで取り返す必要ないんじゃね?」という論調はまだある。いや、もしかすると結構ある(泣)。ンで、そういう人に問うてみたい。「どうせ使ってないじゃん」とか「もう必要ないでしょ?」という理由で、あなたは私に何をくれるのか。

「ジュース買ってくれよ」で出した100円が、あっという間に十万円、百万円になると虐められっ子でも知っている。それに「(値打ちが無いから)取り返す必要もない」というのは無知の極みだ。どこにあるのかちゃんと知らないのは自分だけ、どうして実効支配されているのか説明できんのも己だけだ。世の中のちゃんとした人はみんな知っている。







【APEC】菅外交総括、成果なく隠蔽ばかり 鳩山以下との声まで

<政権浮揚の期待を込め、菅直人首相が議長として臨んだアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議はどんな成果を残したか。自由貿易の推進を確認し、政府は「非常に成果があった」(仙谷由人官房長官)と自画自賛するが、日本を取り巻く厳しい国際情勢は何ら改善していない。それどころか、頼み込むようにして実現させた中国、ロシアとの首脳会談をめぐっては、民主党政権の隠蔽(いんぺい)体質ばかりが際立った。

 13日夕、わずか約22分間の首相と胡錦濤国家主席による日中首脳会談。首相は胡主席ではなく、手元のメモを見つめていた。

 「そろそろ首相を代えたほうがいい。メモを見ながらやっているようじゃダメだ…」

 民主党幹部からもこんな声がもれた。これでは首脳会談の体をなさない。ロシアのメドベージェフ大統領との会談開始を15分遅らせてまで押し込んだ日中会談で、首相が沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に抗議した形跡もない

 政府は首相が、尖閣諸島について「日本固有の領土」と明言したかどうかすら明らかにしなかった。

 中国側の反応も極めて冷淡だ。中国外務省の馬朝旭報道局長は14日に横浜市で予定していた記者会見を開始30分前に突然キャンセル。中国外務省は日本が「正式な会談」(福山哲郎官房副長官)とする首脳会談について、「交談(短時間言葉を交わす意味)した」と位置付けた。

 「(日中関係を改善し)首相就任時の6月に戻すことができた」

 首相は胸を張ったが、既視感がある。首相は10月4日にブリュッセルで温家宝首相と約25分間「懇談」した後も、「6月に胡主席と会った時点に戻れた」と安堵(あんど)を表明していた。

 もう忘れたのだろうか。温首相との会談後、中国国内では成都などで大規模な反日デモが頻発。10月29日にはハノイでの温首相との会談が直前に中止された。中国首脳と会えただけで喜ぶのは早すぎる。

 国民への説明責任も果たしていない。首相は8日、日中首脳会談では「必ず尖閣諸島がわが国固有の領土であり、領土問題は存在しないと言う」と明言していた。それなのに福山氏は13日の記者説明で、首相が「日本の確固たる立場」を伝えたと述べただけ。「外交上のやりとりはすぐに全面公開するものではない」と事実関係を秘した。

 隠蔽体質は対ロシアでも表れた。首相は8日、「北方四島がわが国固有の領土であるという主張は明確に伝える」と強調した。だが、大統領との会談では北方領土訪問には抗議したものの、「わが国固有の領土」という表現は避けた

 「大統領は『自分が北方領土に行くのが悪いことなのか。当然のことだ』という言い方をした」

 福山氏は、ロシア側が大統領発言を公表した後の15日になって、NHK番組でこう明らかにする始末だ。

 菅政権の目線は本当に国民に向いているのか。仙谷氏はかつて、著書の中でこう書いている。

 「国民が一番怒っているのは、山県有朋(やまがたありとも)の“”知らしむべからず、依(よ)らしむべし”といったやり方(中略)。国民の戦後の民主主義感覚が、この手法に憤激したのだ」

 自民党への批判だが、そのまま菅政権に対するブーメランとなっている。もはや求心力は失われ、官邸事務方までこう言い放つ。

 「菅さんも早く退場した方がいい。鳩山(由紀夫前首相)さんの方がまだよかった

 首相は「ルーピー(愚か者)」と呼ばれた鳩山氏以下だとの評価すら永田町・霞が関で出ている。(阿比留瑠比、酒井充)>



あまりの「どんぴしゃ!」に思わず全文貼り付けてしまったが、まあ、書いてある通りだ。しかしながら、なんとも、管政権の無能には言葉もない。ンで、思い出したのだが、昔から日本の軍隊には「員数をこなす」という言葉があった。これは「数合わせ」ということで、あまり褒めるときには使わない。「数合わせ」・・・まさにどこかの民主党のことだ。

例えば、管や仙谷が大好きな支那共産党や北朝鮮、あるいはロシアもそうだろうが、ああいう国の中では「ノルマ至上主義」が蔓延る傾向にある。しかし、これは日本などのように責任感からなる考え方ではなく、要するに「出来なかったらどんなことになるか」というリスクと「出来たところでどうせ・・」というモチベーションの破壊からなる悪循環のことだ。すなわち、支那産の物に信用が無いのは必然とも言える。自由経済の国では「出来たあと・売ったあと」のことも考えねばならない。とくに不良品を出しても死刑にはならないが、社会的な制裁は免れないわけだ。無論、その「モノ」が評価されたら、その属する団体や本人は社会から称賛を得ることもできる。

しかし、民主党議員が大好きな国々では、それらの常識が通じない。「やっているが出来ていない」を責められるのは民だけだ。更に普通は「上から責任を取る」ことになっているが、こういう民主党議員が愛する国々では逆のことが起こる。つまり、下から切っていく。

そして、ヒエラルキー型の組織で「下」とは「数」が多いことになっている。これも普通は「支えられている」と自覚すべきことであるが、民主党議員がシンパシーを感じる国々ではこれも逆転現象が起こる。「下」とは「使う」べき対象、代わりはいくらでもいると考える。現在の民主党を見てもそう思われているし、そう思っているはずだ。すなわち、下にいる者とは「その他大勢」のことであるから、個々の責任感など持っていても仕方がない。だから、その場だけ楽をする、その場だけバレなければいい、が横行することになる。あまつさえ、あとのことなど知ったことか、という無謀も起きやすい。

そうしてずっと「使われてきた」だけの人間はどうなるのかといえば、自然と「強力なボス」を求めてしまう。奴隷根性がDNAに擦り込まれる。だから、ロシアではプーチンの人気がある。スターリンが好きなのだ。どうせ怖いなら同民族がいいと、どうせ奴隷の人生なら同じ民族に限りると、だから漢民族も民の時代を懐かしがって辮髪を我慢しなかった。毛沢東の死体を大切に凍らせているから、同じような国家主席ばかりが誕生する。

だから民主党議員は「剛腕」が好きだ。「トロイカ体制」も大好きだ。どんなにふざけた政治でも「自民党がする」よりはマシなのだ。どれほど日本が窮地に陥っても、それを「自民党がやる」ことだけは許せないのである。管が「石にかじりついてでもやる」と言ったのも、総理の責任を果たしたいからだと思っている日本人はいるか?もしくは「民主党を守りたい」と覚悟している、とすら思えないのである。また、ならば「己の保身だけ」というのもどうだろう?自分を守りたいなら、もう少し、なんとかやりようもあろう。

結論は、だ。現在の日本における民主党議員の無様の真因は「自民党に負けたくない」というだけの私念である。身勝手な個人の私的な思念が張り付きあい、実にグロテスクな塊と化している。ある者はそれを利用し、ある者はそれを私的な憤懣を晴らすがために使おうとしている。有権者だけではなく、この政党の人間どもは己すら騙している。政治家たる者、あるいは政治を目指す者でありながら、選挙前の民主党マニュフェストに本気で騙されていた馬鹿がいる。「できる!」と言った。「やれる!」と言った。財源はある!と言った。要するに騙されていたのだ。向いていないのだ、政治家に。

鳩山や管に騙されるレベルの政治家が、どうやってロシアや支那と対応できるというのか。現実を見よ。昨年の夏以前よりも「日本は良くなった」と言える馬鹿は何処にいるのだ?

「政権交代して良かったでしょ?」と言える馬鹿は何処にいる?あれほど公の場所で自民党を罵詈雑言、諸悪の根源のように叩いていたのは民主党議員全員である。それを持ち上げ、そうだそうだとやったのはマスコミ、それに浮かれて票を入れたのは国民である。メドベージェフが「自国の領土に大統領が行って何が悪い?」と言うと知れているではないか。首脳会談における惨めな管の姿を見ただろう。胡錦濤相手に目も合わせず、ウダウダとメモを見ながらモジモジしていたのは紛れもなく、日本の行政におけるトップである。あれは「民主党トップ」の姿ではなく、日本を代表する内閣総理大臣の姿なのである。

あれでメドベージェフが「今後とも協議を続けてまいりたい」といえばプーチンに叱られる。ロシア国民には吊るされるだろう。支那朝鮮もロシアも「自分らの生活が楽になればそれでいい」という国民が過半以上だ。だから独裁がやれる。しかし、日本はもう、そんな国を笑えない。昨年の夏、金くれるなら・・・と投票したのは少数ではなかった。こんな酷過ぎる政党に政権を与えてしまった。リコールは出来ない。国民の声など、届かないのではなく、端から聞いていない。そして、それは民主党内における情勢も同じく、チルドレンもガールズも、結局のところ何もできない。出来ないからやらない。やるつもりもない。長尾敬氏はブログに書いていた。勘弁して下さいと思った。



<我々がブレーキであるという自覚を持っている。我々に離党せよと言わないで欲しい。アクセルだけに任せて国が滅びることがあってはならないと、これでも踏ん張っている>



「任せたら国が滅びる政権与党」とは何なのだ?そこに必要なのはブレーキではなく、即座に停止させるために「エンジンを切る勇者」ではないのか?「離党せよ」ではない。もはや「倒閣セヨ」である。喰いたいだけなら、他に仕事はナンボでもある。優秀な人なら民主党でなくとも重宝される。政治家なら国民を護ってくれ。領土を護ってくれ。国益を護ってくれ。日本という国体を護ってくれ。私や私の家族、愛する友人達を護ってくれ。



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