忘憂之物

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             渋沢栄一

朝日川柳が物議「コラかと思った」「ビックリ」7本全部が安倍氏国葬皮肉る

2022年07月18日 | 忘憂之物





2013年に平田博之という人が沖縄国際大学と、そこの教授を「名誉棄損」で訴えた裁判があった。この平田という御仁は当時34歳で同大学の4年生。学生自治会会長で反戦運動家というアレだが、訴えた内容は川柳だった。

大学教授は講義の中で「平和とか 言ってるくせに 火炎瓶」という秀逸な川柳を紹介したとか。これに「オレのことか」と怒ったのが平田博之とのことだった。地裁での判決は、なんと「名誉棄損を認める」だった。つまり、そうだ、おまえのことだ、と言われたに過ぎないのだが、大学側と教授は33万円支払うように命じられている。「売国無罪・愛国有罪」は以前からだった。

安倍さんの暗殺事件を受けてまた、朝日新聞が川柳で遊んでいる。




酷いものだが、これに対して朝日新聞、仙台総局長の岡本峰子とやらが「今日の朝日川柳がすごく読まれています」と嬉しそうにツイートしていた。さすがは朝日新聞の人間だと感心するほかない。

そういえば毒餃子のときは「そのうちに 所詮ギョーザと 首相言い(さいたま市 脇田徹)」とか「毒物が 浸みる袋で 売っていた(横浜市 平松基)」などがあった。たかが餃子じゃないか、そんな騒ぐな、と言いたかったのと、中国共産党が言う通り、メタミドホスは日本で混入された可能性がある、を言いたかった。書いて出すほうもアレだが、それを選ぶのもアレだし、いちばんのアレは金払って読んでいる人か。

2009年8月には「政権交代」にうずうずする川柳が懐かしい。「待ちきれず 期日前 投票に行く私」だ。読んでいて気づいた人もいるだろうが、どれもが駄作である。川柳としてたいした出来ではないことがわかる。毎年発表される「サラリーマン川柳」とか、巧いなぁ、なるほど、と感心するものは少なくないが、この朝日新聞の大好きな川柳募集にて選定される「作品」には、先ず、程度の低さに呆れる。センスがないし、下手糞だ。ふだん、日本語を解しているのかどうか疑わしいのもいる。送るほうも選ぶほうも。

いずれにしても、安倍さんの「国葬」とか、最近なら「献花台には長蛇の列が」などという報道にも拒絶反応を示す「アベガ―」がいる。涙に暮れて並ぶ国民をして「ほとんどがサクラ」と言い切るのもいる。とりあえず、我ら家族は全員がサクラではないと言っておく。秋の国葬にも必ず行く。

橋下徹氏など、安倍さんの「国葬」について反対するだけのために、まだ絶賛存命中の菅直人や鳩山由紀夫まで出して、この元総理が死んでも国葬するのか、と小学生レベルのイチャモンをテレビでやったとか。橋下氏のお陰様で本当にテレビ自体を見なくなった。不快だからだ。その部分には敬意だ。



―――ところで、話はまったく変わるが、人間の本能というのは素晴らしいと思うときがある。例えば「警戒臭」などもそうだ。我々は誰に教わるでもなく、腐敗臭がする食べ物を口にしない。うっかり口に放り込んだら「嘔吐反射」で外に出す。それを近くで見た者には「行動感染」が発生しやすい。尾籠な話で恐縮だが「もらいゲロ」だ。一緒にいたなら口にしたかもしれない、という警戒心から自然に発生する行動で、10人にひとりは「もらってしまう」らしい。上手くできている。

また、燃焼臭にも敏感だ。「なんか焦げ臭くないか」「ん?ガス臭い?」なども察知すると原因を特定するか、火元を確認して安全を確保するかしないと、安心して行動できないようになっている。つまり、防御本能のことだ。

国や地域の慣習や風習にも影響されるが、基本的に人体はある程度の「有害」や「危険」を察知する。「ゴミ屋敷」などをみると不快に思う人も少なくない。あれは「有害」だし「危険」だと判断されることになっている。


この安倍さんを皮肉る川柳などをみて、我々が受け取る感覚はこれに近い。無条件で「有害」であり「危険」だと頭が判断しているのかもしれない。ビジネスホテルに泊まると、他の新聞は有料なのに「朝日新聞」だけが「無料」の看板と共に積んであるのをみると、先ず、軽い不愉快を感じる。それを「タダじゃん、これでいいや」と持っていくサラリーマンを見ると、お近づきになりたくないと本能で受け取るのも自然なことだ。ましてや、好んで選んで読んでいるとなれば「警戒臭」がするはずだ。距離を取るのは当然だ。

ちなみに厚生労働省の「廃棄物」の解釈は「占有者が自ら利用し、又は他人に有償で売却することができないために不要になった物」(環境衛生局環境整備課長通知)とある。つまり、朝日新聞のことだとわかる。また、広辞苑によると「ごみ」とは「ものの役に立たず、ないほうが良いもの 」とある。これも朝日新聞のことだとわかる。

また「くず」とは「パンくず」などのように、なにかを削って出るものではある。すなわち、ゴミクズとは「ゴミを削って出たカス」のことだ。「パンくず」は鳩が喰うが、ゴミを削って出たカスは集めて捨てるしかない。


潮目は変わっている。ゴミクズの「アベガ―」はいままで、どこまでいっても「アベガ―」だった。安倍さんには何を言っても許されると甘えていた。安倍さんを模した人形やお面をブルドーザーで引き潰しても、数年以上、しつこく調べて追及して、捜査関係者が動いても起訴すらできない「案件」で夫人まで叩いたりもした。「アベガ―」は安倍さんを攻撃するものであり、安倍さんだけが憎いのだと、我々は勘違いしていた。「警戒臭」を嗅ぎ取れていなかったのか、ポリコレやらSDGSの消臭効果で気付かなかったのか不明だが、いま、はっきりと嗅ぎ取れた人は少なくないのではないか。

反日左翼は日本を攻撃する。反日国家は日本を敵対視する。朝日新聞は、いわゆる「従軍慰安婦」により、日本国を侮辱して多大なる損失を出した。その他諸々、アザミサンゴだけではなく、常に日本と日本人を腐すためだけに活動してきた。その落とし子のような「アベガ―」とは「日本国民」を攻撃する。なんら根拠もなく、国際社会から「偉大なリーダー」と呼ばれた日本国の偉人の死を悼む国民の姿に対して攻撃している。

マスコミはカルト宗教と安倍さんを結び付ける報道に余念がない。いま、実行犯のカスに対する「同情論」まで出てきた。もう、放擲してはいけない。

とはいえ「ゴミ屋敷」に火をつけるのではない。住人を捕まえてリンチするのでもない。それなら「アベガ―」と変わらない。ただ、いままでと違うのは積極的、且つ、能動的に「苦情」は入れる。いま、テレビCMは「AC」が増えているだろう。堂々と意見を言う国民が増えている。見るに見かねて、ではなく、明白な怒りの行動だ。

「アベガ―」の中に「安倍元総理は分断を煽った」みたいなコメントがあった。違う。「アベガ―」の好きな言葉で言うと、だ。

「アベガ―」は日本のゴミだ。だから分断ではなく、持続可能的に「分別」する必要があるというだけだ。




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