忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

橋下徹氏安倍元首相〝国葬〟に反対「桜を見る会で反省したはず」「法治国家はルール決めろ」

2022年07月17日 | 忘憂之物





植田まさし氏による「コボちゃん」が40周年だとか。誰でも一度は目にした記憶がある4コマ漫画だが、昨日、今田耕司がMCのテレビ番組で取り上げていた。ほのぼのとはしているが、なかなかシュールな漫画だから、クイズ方式で「4コマ漫画のオチ」を答えるという企画をやっていた。タレント弁護士コメンテーターの橋下徹氏が出ていた。

何問あったかしらないが、私が驚いたのはこの問題だった。描くわけにはいかないから、文字で紹介する。

コボちゃんが玩具で遊んでいる。それを見たおじいちゃんが「コボちゃんの宝物かい?」みたいに問うと「うん」と応える。コボちゃんが「おじいちゃんの宝物も見せてよ」と言うと、おじいちゃんは「隣の部屋にあるよ」。

コボちゃんが隣の部屋に行く。「どこー?」とかやる。おじいちゃんは「そのへんにないか?」「も少し先の左側にないか?」と言う。左側には三面鏡が描いてある。そこにはコボちゃんが映っているーーー。ほのぼのしたオチだ。だから勘の悪い芸人でも「(宝物は)おばあちゃん」と書いていた。コボちゃんの後ろに描かれていたからだ。

結果は橋下氏以外の全員が「コボちゃん(もしくはおばあちゃん)が宝物」だった。番組が言う正解は「コボちゃん」。しかし、橋下氏は本当にわからない様子で、やっつけで出した答えは、三面鏡に置いてあった瓶とか箱をして「制汗剤」と書いていた。酷い有様だった。放送事故だ。

橋下ファンは「論理的な人だから。弁護士だし」と庇いたいところだろうが、それならあの一連の罵詈雑言のツイートの説明はつかない。アレは論理的の反対側にある振る舞いだ。もしくは情緒が安定している状態で、あのレベルの悪罵を吐けるのもどうかと思うが、実のところ、この「クイズの結果」とは矛盾しない。

有体に言うと、彼はたぶん「人の心がわからない」。私なりの「大人の条件」とは「他者を慮ることができるかどうか」であるが、その観点から言うと、まだまだかなり、大人の階段を上る前だとわかる(個人的主観)。

しかしながら、人間誰でも取り柄はあって、例えば「メディアの使い方」などは、有名な小学生ユーチューバーと同じく、どうすれば注目されるか、どう言えば騒ぎになって良い役で立ち回れるか、どこで誰と揉めてどのタイミングでなにをすれば受けが良いか、などには敏感だった。

ずいぶん前になるが、大阪知事選の際、吹田市の選挙演説。通りすがりなのか仕込みなのかは知らないが、女の子を連れた母親を見つけると、その子供に対して「お嬢ちゃん、ボクはキミたちが大変な思いをすると思う。借金だよ、借金。大阪府の借金がぜんぶ、キミたちのところにまわってくる。それで大丈夫?借金だよ、借金」と煽りまくっていたのを思い出す。女の子はトラウマになったかもしれないが、それでもテレビはガンガンやった。当時、どこに行ってもマスコミの取り巻きがいた。

「大阪府は破産会社」もパンチの効いたフレーズだった。知事に当選してからも「破産会社の従業員には給料カット、賞与ゼロも当然」として、臨時部長会議では「死ぬ気でやってください。そして最後には死んでください」と気勢をあげた。マスコミというのは安倍政権や公務員は虐めてもよいと思っているから、連日、テレビで「橋下劇場」で儲けていた。街頭でインタビューを受ける「大阪のおばちゃん」は「なんでもズバズバ言うのがええやんか」と言った。

当時の橋下知事は「大阪を変える気のない職員には府庁を去ってもらう」と就任挨拶している。ふつう「オレ様のやり方に逆らったらクビにするぞ」は民間会社の社長でも口にしたら吊るされる。マスコミは一応「対決姿勢」でやるが、結果的に橋下氏の策にやられることになった。取り上げれば取り上げるほど、保守層も含めて橋下、よう言うた、と盛り上がった。

日本の子供を骨抜きにする日教組にも「クソ日教組」と嚙みつき、日本人が日本の国旗、国歌に敬意を払ってなにがおかしい、と啖呵を切って、多くの保守論者もメロメロだった。ちなみに、私は二階俊博の政治パーティの席にて、サプライズゲストで登場した当時の橋下知事との記念撮影を拒んだ経験があるが、いやはや、自分で言うのもなんだが、私のアンテナはなかなかである。ま、要するに嫌いだっただけだが。


また「人の心がわからない」といえば、そんなものは「わからなくて当然」という事実も否めない。真顔で「人の心がわかる」「人の頭の中が読める」とか言う人がいれば、ふつう、取り急ぎ、距離を置いたほうがいいのも常識ではある。しかしながら、だからこそ「わかろうとする努力」は必要だ。心霊的な意味ではなく、あくまでも通常のコミュニケーションの延長として、推して知るということだ。

その感覚はマスコミ受けがどうか、世間で目立つかどうか、よりも大切なことであり、平たく言えば「人としてどうか」と問われる部分でもある。例えば、在日ウクライナ人に向かって「祖国防衛。そこで命を落とす、それしかないんだって状況にみんななってしまうと国外退避することが恥ずかしいことだ、やっちゃいけないことなんだ、売国奴なんだっていう批判を恐れてしまう 」と言ったりした。これもどこの中共の「受け」を狙ったのか不明だが、いずれにせよ、部外者が当事者に対して言うべきではないとわかる。

しかしながら、策士ナントカに溺れたのか、驕れるナントカは久しからずなのか知らんが、最近はもう、どうにもならないようだ。過日の参院選特番も視聴率が最低だったとか。たしかに辻元清美や山本太郎をして「真面に見える」のも稀有な現象と言える。相手が反日色物であれ、売国政治屋であれ、あんな態度はどうかと思うのが社会の常識だ。あんな彼ら彼女らの後ろにも投票した有権者がいるからだ。ここにこそ「有権者には敬意」と言ってほしいところだが、いずれにせよ、ただただ無礼なだけ、という昨年の爆笑問題の太田と変わらぬ醜態を見た。

また、上海電力の問題もしんどい。手続き論だの法的には問題ないだの、法律がそうなっているとか、いろいろ言い返してはいるが、そんなことは誰も問うていない。ひたすらにシンプルな問題として、日本の基幹インフラに敵性国家の中国共産党が入り込んでいる、という現実に対して問題提起しているだけであり、その当時の大阪府知事だった橋下氏に「問題じゃないのか?」という問いから始まっている問題だ。日本の大都市である大阪の首長だった者として「どう思うのか?」という素朴に過ぎる問いかけであった。

これに対して激烈に、過剰とも思える反応を示したから大事になっている。それならなにか「後ろ暗いこと」があるんじゃないのか、としてプロのジャーナリストや現職の市議会議員が腰を上げて調べている。橋下氏が「便所」と蔑称した月刊誌も売れに売れているが、以前と違うのは、それで橋下氏の評価は上がっていない、ということだ。むしろ、もう、不快に思うレベルまで堕している。

国葬の件でも予想通り「逆張り」できたが、もう、大阪も中国化しているし、大阪のおばちゃんも味方してくれない。気がつけば日本共産党や社民党、れいわや立憲と同じことを言うだけの人になった。それならもう、いくらでも「取り換え」が効く。橋下氏が「政治家は死んでも成熟した民主主義国家ならいくらでも代替えがいる」と言ったように、日本を腐すだけの、中国共産党が喜ぶだけのことを吠える拡声器なら間に合っている。

小泉純一郎の劣化コピーにすらなれなかった「浪速の剛腕」はもう、傾斜して倒れる寸前の「テレビ」という中でしか見られない。実に感慨深い。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。