人間ってのはいつかは死ぬものだから
『死』というものを極端に恐れたり
忌み嫌う必要はない
限りがあるからこそ
輝かなきゃ
無駄にしないようにしなきゃ
考えなきゃ
結果はどうあれ充実しなきゃ
・・・
そう思う。
だけど・・・
早過ぎる『死』ってのはちょっとな
簡単には咀嚼出来ない
事故とか自殺とかはどうでもいい
俺自身、数年前の天皇杯・京都アウェー戦惨敗の数日後
無理と蓄積した疲労で倒れ、地下鉄の線路に転落した時
手前まで来ていた電車に轢かれていたら
間違いなく『自殺』で処理されていたと思う
救急搬送時、意識朦朧の中で警察からも尋ねられた
『飛び込んだんですか?』って
仕事も
チームの成績も
第三者から見たら関連付けられそうな状況だったし(汗)
全身打撲・骨折・額に大きな裂傷
松葉杖をついて都田公園の練習に行ったら
小野信義から「俺らのせいだね」って言われて
「全然、違うから(爆)」ってことがあった。
明確な遺書でもない限り
こういうことは判らない
憶測で言っても仕方が無い
自分自身が経験して
判ったことです。
早過ぎる『死』
これは本当に
咀嚼するのに時間が掛かる
しかも自分が多大な影響を受けた相手であればあるだけ
それだけ
『マジかよ』
ってね。
多分、多いんだろうな
影響を受けた人達って
時代はバブルがはじけたどん底の頃
これまでの生活観が一変し
勝ち続けた日々が
どうにもならないような連敗の日々になった
それでも何とかしようと
もがき続けた
しかし
長く続く閉塞感
「もういいかな、頑張らなくても」
そう観念しそうになった時に
聞こえて来た歌だったね
♪
負けないで
もう少し
最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
心はそばにいるわ
追いかけてね
はるかな夢よ
♪
結構、痺れたね
このサビの部分
そしてサッカーでいうと
93年にJリーグが本格始動
鮮やかなライトに包まれて
これが新しいサッカーシーンだって
遅く来たバブルに身を委ねた人も多いはず
だけど緑や床屋色や鹿の角が栄光を分け合う中で
どん底の日々をおくっていた人達がいたよね
今やビッグクラブのあの赤いチーム、青黒チーム
彼らにとっても
この歌は心に染み付いているんじゃないかな?
♪
負けないで
ほらそこに
ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
感じてね見つめる瞳
♪
うまく説明は出来ないんだけどね
『歌』メロディーとその頃のインパクトの強い実生活や体験って
密接に結びついて記憶されているようで
歌を聴くだけで状況を思い出す
それも強く強く
心に残ったシーンをね
いくつか自分に強い影響と記憶を残した歌の一つなんだよね
そんな人が二人いた
彼女がその一人
因みに
もう一人は尾崎です(涙)
こいつはもう・・・語れません
自分自身の『気質』のせいかもしれない
結構、貧乏くじを引くことが多い
簡単に捨てることが出来る人が信じられない
最後の最後まで
信じて
こだわり
のた打ち回り
あがきまくり
それでも諦め切れなくて
でもやっぱり
折れそうになることがある
そんな時
もう少しだからって時に
心をつなぐ歌
だったと思う。
つくし野の蒲池幸子さん
ご冥福をお祈り致します(合掌)
PS.
最後に残った元気の源はこいつらだけか
お前達は絶対に
俺より早く死ぬなよ
Kiroroのお二人さん。
『死』というものを極端に恐れたり
忌み嫌う必要はない
限りがあるからこそ
輝かなきゃ
無駄にしないようにしなきゃ
考えなきゃ
結果はどうあれ充実しなきゃ
・・・
そう思う。
だけど・・・
早過ぎる『死』ってのはちょっとな
簡単には咀嚼出来ない
事故とか自殺とかはどうでもいい
俺自身、数年前の天皇杯・京都アウェー戦惨敗の数日後
無理と蓄積した疲労で倒れ、地下鉄の線路に転落した時
手前まで来ていた電車に轢かれていたら
間違いなく『自殺』で処理されていたと思う
救急搬送時、意識朦朧の中で警察からも尋ねられた
『飛び込んだんですか?』って
仕事も
チームの成績も
第三者から見たら関連付けられそうな状況だったし(汗)
全身打撲・骨折・額に大きな裂傷
松葉杖をついて都田公園の練習に行ったら
小野信義から「俺らのせいだね」って言われて
「全然、違うから(爆)」ってことがあった。
明確な遺書でもない限り
こういうことは判らない
憶測で言っても仕方が無い
自分自身が経験して
判ったことです。
早過ぎる『死』
これは本当に
咀嚼するのに時間が掛かる
しかも自分が多大な影響を受けた相手であればあるだけ
それだけ
『マジかよ』
ってね。
多分、多いんだろうな
影響を受けた人達って
時代はバブルがはじけたどん底の頃
これまでの生活観が一変し
勝ち続けた日々が
どうにもならないような連敗の日々になった
それでも何とかしようと
もがき続けた
しかし
長く続く閉塞感
「もういいかな、頑張らなくても」
そう観念しそうになった時に
聞こえて来た歌だったね
♪
負けないで
もう少し
最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
心はそばにいるわ
追いかけてね
はるかな夢よ
♪
結構、痺れたね
このサビの部分
そしてサッカーでいうと
93年にJリーグが本格始動
鮮やかなライトに包まれて
これが新しいサッカーシーンだって
遅く来たバブルに身を委ねた人も多いはず
だけど緑や床屋色や鹿の角が栄光を分け合う中で
どん底の日々をおくっていた人達がいたよね
今やビッグクラブのあの赤いチーム、青黒チーム
彼らにとっても
この歌は心に染み付いているんじゃないかな?
♪
負けないで
ほらそこに
ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
感じてね見つめる瞳
♪
うまく説明は出来ないんだけどね
『歌』メロディーとその頃のインパクトの強い実生活や体験って
密接に結びついて記憶されているようで
歌を聴くだけで状況を思い出す
それも強く強く
心に残ったシーンをね
いくつか自分に強い影響と記憶を残した歌の一つなんだよね
そんな人が二人いた
彼女がその一人
因みに
もう一人は尾崎です(涙)
こいつはもう・・・語れません
自分自身の『気質』のせいかもしれない
結構、貧乏くじを引くことが多い
簡単に捨てることが出来る人が信じられない
最後の最後まで
信じて
こだわり
のた打ち回り
あがきまくり
それでも諦め切れなくて
でもやっぱり
折れそうになることがある
そんな時
もう少しだからって時に
心をつなぐ歌
だったと思う。
つくし野の蒲池幸子さん
ご冥福をお祈り致します(合掌)
PS.
最後に残った元気の源はこいつらだけか
お前達は絶対に
俺より早く死ぬなよ
Kiroroのお二人さん。