先週の火曜日のこと
伯母から母に電話
お中元のお礼の電話
でも途中から
様子が一変
母が私のことを
一生懸命説明している
父が入院した時も
祖父母が入院した時も
がーこはきちんと家事をした
子供達の事もちゃんとした
??????
電話が終わった時
内容を尋ねて悲しくなった
おば達は私が一人っ子で
わがままいっぱいに育った
お嬢様だから
わがままで怠けていると
思っていたこと
調子が良い時に
お墓参りにいけたり
買い物ができるのに
今現在何もしないのは
怠け者だ
わがままだ
と前から言っていたらしい
母は今まで私の耳に入れないように
してくれていたらしい
でも先日の電話が余りにも
ひどいから抗議をしてくれた
幼い頃母の実家に預けられていて
わがままいっぱいに育ったと思われていた
でも現状は肩身の狭い思いをして
わがままも言えずにいたことは知らない
おやつも食べ放題ではなく
祖父から与えられるだけ
もっと欲しいとは言えなかった
お小遣いもなかった
伯父さんが結婚してからは
私の分の食事はなかったらしい
記憶にもないから
インスタントラーメンで育った
ノイローゼで仕事を辞めた祖父
替わりに働いていた祖母
会話も無くただTVを見ていた
記憶しかない・・・・
内孫が生まれたら益々
私の居場所はそこには
なかった
確か私のおもちゃだったはず
確か私の昼寝布団だったはず
確かそこは私の座る場所だったはず
すべてにおいていつのまにか
内孫のものになっていった
そうやって物心ついた時から
居心地の悪さを感じて生きてきた
中学校のから夕飯のおかずを
買い物もして作っていた
欲しいものをいつでも
買ってもらえたわけじゃない
誕生日・クリスマス・お祭り
そんな時のみ買ってもらった
私が本当に欲しいものではなかったけど
毎年夏母の妹の家族が一ヶ月
我が家に滞在した
私の家なのに私の居場所がなかった
日中母がいない我が家で我が物顔で
過ごす叔母といとこ達
すべてにおいて年上だからと
いとこに譲らなければなかった
いとこは私と同じものを欲しがった
母のいないときに限って
私から宝物を奪っていった
「もう大きいからいらないでしょ」と
叔母といとこは言った
護ってくれる人がいない状態で
「嫌だ」と言えずに・・・・
女子大時代は一人暮らしもした
炊事洗濯掃除全部一人でやって来た
結婚前も結婚後もちゃんと
家事をやっていたのに
子どもが産まれてから
病院の付き添いも
母子入所も通園も
通院もみんなひとりで
やって来た
家事などの母の助けを
借りながら
障がいのある子ども二人
ちゃんと育ててきたのに
睡眠時間もまともに取れなくて
時々倒れたりしながらも
泣きながら一生懸命やってきたのに
ガーダンがリストラされてから
社員食堂なんてない会社に入って
そのお弁当も作ったのに
夜寝ない日程君
夜発作を起こす笑顔君
いつもいつも精一杯やったのに
すべてを知らないおばたちに
そんな風に思われていたなんて
悔しいよ悲しいよ
自分達の子どもや
自分達のお嫁さんたちと
比べないでよ
他の一人っ子の人と比べないでよ
涙がボロボロこぼれて
一晩中泣いた
母が言った
「姉妹じゃなかったら付き合わない
姉妹だから仕方なく付き合ってる人種」
血のつながりがあって
今まで親しくしていた
叔母達だけに悲しい
母が言った
「遊びに来たいのにがーこが病気だから
来れないから仮病じゃないかと言うんだ」
「妬ましいだけだ」と
私が病気じゃなくても
障がいのある子どもがいるから
遊びにこれないわよ(フン
忙しいのを手伝ってくれるなら
まだしも上げ膳据え膳で来るな
叔母といとことその子どもだけなら
まだしも配偶者なんかお断りよ
もっともしつけもちゃんとされてない
お子様なんて来ないで欲しいわ
話がずれた・・・
ってなことを昨日の
病院受診の時話した
精神の病気は理解されない
特に年配の人たちには
世間一般にも理解されない
怠けているんじゃない
わがままなわけじゃない
体調のいい日に出かけたって
いいじゃないか
少しずつ外に出る練習してるんだから
認知行動療法しているんだから
一番が本人が苦しいんだから
どんな思いで子ども手放したと
思っているんだ
そんな思いで暮らしていると
思っているんだ
私はわがままじゃない
私は怠け者でもない
毎日自分と戦っている
治るなら早く治りたい
私の気持ち叔母達には
届かないたぶん
理解されないって辛い
笑顔君の病気も
日程君の障がいも
理解しないんだろうな
てんかんも
知的障がいも
自閉症も
身体表現性障害も
社会不安障害も
ちゃんと理解して欲しい