夫さんが野菜を食べなさいと言われたと
母に言ったから生野菜を食べさせないと
大騒ぎをしていた昨日。
私は聞いていなかったから
生野菜はダメなのと言っても
耳を貸さない母。
夫さん帰ってきたので
母、夫さんに生野菜パックを
渡そうとすると夫さん
鳩が豆鉄砲を食ったよう顔で
僕、そんなこと言ってないよ。
生野菜はカリウムが多いから食べるな
って言われたけど
バナナもダメって言われたよ。
おいおい、食べるな⇒食べろに
記憶の混戦か~
その時は鳩が豆鉄砲を食ったような
顔をして聞いていた母。
あ~そうなのねって言ってたけど
今日になったら
夫さんは、母とだけ話したことは、
私の前では言わないと必ず言うから
言われたらすぐ渡さないと言って
プンプンしている。
まあ確かに夫さん思ったこと
すぐ口に出すタイプだけど
都合の悪いことは否定するけど
その時その会話を聞いていない
私はわかりませんが
ばあちゃんに言ってもすぐ忘れるよ
って言ったのになぁ~
都合よく変換して覚えてるのは
言ってなかったわ~
普通に会話が成り立っているように
みえるからな~
毎日、一緒に過ごしてる私でも
母を完全に理解するのは無理
自分は間違っていないことに
固執するようになった母は
きっと事あるごとに
思い出してブツブツ怒るのだろう
古紙回収の日午前中は分かっていたけど
夕方になると文句言われると
言ってたからな~
母に振り回されるのは私
聞き流せる時とつい反論して
怒られるのは私
言った先から忘れてしまう母
夕方から寝る前までは
不穏警報発令するんだよ
アルツハイマー型認知症
介護若葉マークでこれだから
この先が恐ろしい
この頃、断捨離だとかで
いろいろなものを捨てる母
大事なものまでシュレッダーかけようとする。
私の心の整理がまだつかない
子供たちのお便り帳とか
お絵描き帳などまで
ビリビリに引き裂いて
ゴミ袋に入れ始めた。
私に聞かずに、ひどすぎる。
あれだけ言ったのに
まだ、捨てないでと言ったのに
私が自分で見て納得したら
自分で捨てるって言ったでしょ
大事なことを忘れてしまった母
自分のものだけ捨てればいいじゃないか
自分のものは聞いてくるくせに
私の大切なものは聞かずに
引き裂いて捨てるなんて
あんたのものは何もないでしょと言う母
子供達の物は思い出のもの
母にはもう関係ないかもだけど
私には、大切なものなの
認知症だとか関係ない
都合の悪い事だけ忘れるなんて
絶対許さない
もともと、認知症になる前から
私が子供のころから
自分勝手に私の大切にしている
母から見たらゴミかもしれないけど
逆らえないのを知ってか知らずか
捨てろと言う母だった。
私の言うことには耳を貸さず
自分の思いどうりに支配して
私がカウンセリングを
受けるようになってから
やっと私の話をちゃんと
聞くようになったのに
アルツハイマー型認知症になったら
元の木阿弥状態の母に戻った。
ただ、良いこともそうでない事も
すぐに忘れてしまうけど
怒りに任せて書いてみたけど
なんだかな~どうでも良くなってきた。
今日は、古紙回収の日
また回収業者がわざわざチャイムを押して
持っていくけどねと言っていくんだよと言い始めた。
それはですね~と粗大ごみの時の
話をしてみたら怒らない母
粗大ごみって何?
電話で申し込んで
粗大ごみの券買って
貼って玄関先に出しておく
あ~そうだったねと母
前にスチールの棚だしたでしょ
業者には木製だと伝わっていて
それで呼び出されたんだよ
あーそうだそうだと納得
夕方は不穏になる時間だから
記憶の混線するから
言い返すと怒るのね
でも、また来月同じこと
言うんでしょうか~
市民病院最初の入院の時は
MRIもCTも脳波も異常なしで
部分複雑発作の乳児性のてんかんで
間違いはないでしょうだった。
約2か月の入院で退院
そして退院して2週間で
また入院したのが生後4か月
専門医の予想をはるかに超え
救急救命センターに移動となった。
2月27日
見た目には何でもないが
脳波を見るとけいれんが起きていて
このままの治療ではおそらく止まることはない
人工呼吸器をつけてのネブンタール2mgに増量
2~3日様子を見ることになった。
普通のてんかんならこれで治るのに
珍しい例だと言われる
代謝異常があるかもしれないとも言われた
主治医の話では
2日間脳を休ませ、けいれんがおこらなければ
薬を少しずつ減らして行く方針
左手以外点滴2か所、注射2か所
脳波の機械、心電図の機械
人工呼吸器、などなど
ネブンタール4mgになっていた。
2月28日
代謝異常は、検査したもの以外に欠陥があれば
治療法はないらしい
見た目も脳波もけいれんが無い
明日から薬を減らして行く
けいれんが出れば他に病気があるはずだと
けいれんが治まらないのは脳のために良くない
3月1日
昨日の夜からネブンタール2mgに減らし
チューブで飲み薬を始めた。
見た目のけいれんは無い
脳波は少し右後頭部にけいれんが残っている
明日から少しずつ麻酔を覚ましていく
2~3日麻酔の影響が続く
その後にけいれんが起こらなければ良いが
けいれんが起こるようなら麻酔を増やして
また脳を休ませて治療するとのこと
知能は遅れる
今までの飲み薬は効果がないので
エクセグラン以外は別の薬2種類加える
今日明日にMRIをする
CT上少し脳が縮んでいるが
この頃の赤ちゃんには多いから大丈夫
代謝異常については血液、尿検査も異常なし
てんかんの原因がわかるのは2割
脳炎・頭の怪我・仮死
その他は今の医学上原因不明
特殊な代謝異常も考えられる
飲み薬を飲んでいてたまに少しあるのはいいが
笑顔君のような場合は、脳に影響が残る
最悪の場合は、重度の肢体不自由と知的障がいになる
3月2日
麻酔1㎎に減らした。
脳波ではたまにけいれんの波はでるが
ほとんど変わりはない
自発呼吸が出て来て時々動く
明日から麻酔を辞める。
今までの薬は全くダメなので
別のものを試していかなければならない
MRIの検査異常なし
多分特発性のてんかんで
重責状態になってこうなったとのこと
専門医によれば、テグレトールの副作用
3月3日
面会時間になるのを待って行くと
呼吸器が取れていた。
少しゼロゼロして熱もあった
酸素テントに入っていた。
ICUからCCUに移動していた。
手でチューブを引っ張るらしいので
手袋されて、シーツにクリップで止められていた。
夜、担当医の説明を聞く
右後頭部に小さい波がある
このような重責状態になるようであれば
重症なてんかんでしょう
ちょっとでもけいれんがあると
きっとたまには、
頭全体にけいれんが広がるのでしょう
けいれんが続くってことは
脳細胞が壊れて行くということ
今までの薬は効果が無いので
副作用の少ない薬を使いましたが
ゼコゼコが強くなったりしてダメだった
デパケンと副作用を抑える薬を使っていきます
副作用を抑える薬は保険がきかないが
たぶん病院の持ち出しになる
3月4日
昨日人工呼吸器を外したのは
これ以上つけていると他の体の部分に
副作用が出てくるからと
自発呼吸があるから
酸素テントは加湿が必要のため
ベットまた移動
面会に行くと
にゃーにゃー泣いている
目つきが変で、視線があわない
寝ているときは、
けいれんの波は小さくなってきたらしい
3月5日
明日からチューブでミルク30cc与える
けいれんは、少し治まってきた
夜面会に行くと怒っているようだ
ブーブー声にならない声で
両手がクリップで止められているので
身動きができないし
お腹が空いたのかもしれない
抱っこも出来ないし散歩も出来ない
私をうらめしそうに見ている気がする
「笑顔君。先生が抱っこしてもいいって
言わないと抱っこ出来ないんだから」
と言うと、少しおとなしくなった。
手を握っていろいろ歌を歌って聞かせたら
じーと私を見て静かに聞いて眠り始めた。
でも、時々目を開けて私がいるのを確かめて
また目を閉じてを繰り返す
面会時間が終わる頃
「おやすみ、、また明日」と言って帰ってきた。
3月6日
午後小児科病棟に帰ってきた。
ブーブー怒っている
「まだ抱っこして散歩は出来ないよ」
と言ってきかせる。
ミルクをチューブで50cc飲ませると
おとなしくなった。
けいれん有り少し熱があるからかも
けいれん止めの座薬と
眠り薬を飲まされて就寝する。
左手の点滴外れる
機嫌が悪く笑わなかった
3月7日
朝早く目覚めて
ちょっとだけ抱っこする
1時間に1回5分間けいれん
ミルク1回50ccを4回なので
お腹が空くのか機嫌悪し
3月8日
お腹が空くと「ん~ま」と言う
泣いているのをあやしても
どこか上の空
抱っこをするが後ろにのけぞって
上手く抱っこ出来ない
やっとつぶらな瞳に戻ることが
多くなってきた。
でも左によっている。
後は、笑って
3月9日
薬5種類チューブから
ネルボン・フェノバール
デパケン水薬・エクセグラン
整腸薬
1日2回
ミルクは50ccを5回
3月10日
やっと口からミルク飲む許可出る
ただし、80ccを3回
夜から120ccになった。
デパケンとエクセグラン中止になる
寝返りしようとしている
3月11日
肝機能が悪くなってきたのでデパケン中止
脳波、だいぶ良くなってきたが、
まだ、けいれんの波はある。
見た目のけいれんもあまりない
点滴が取れた
ミルクが自由に飲めることになった。
鼻のチューブも心電図モニターも
水分の点滴がなくなったので
水分補給を十分にとるように言われる
3月12日
今日は、眼科受診異常なし
3月13日
デパケンを辞めたからか
けいれんが増えてきた
東京の精神衛生センターの先生の診察
抱っこすると反り返ると言うと
神経に障がいが出たのでしょうと言われた。
表情が豊かになって来た
ちょっと笑うようになった。
3月14日
デパケンを飲んでた頃は
ぼーとしてることが多かった。
薬が効いていないのか
よく笑うようになってきたし
お昼ごろから、けいれんが増えてくる。
3月15日
指しゃぶりするので
せっかく飲んだミルクや
薬を吐いてしまうことが多い
飲んで30分くらいは
指しゃぶりさせないようにする
今日はけいれんは無かった。
3月16日
今日は、けいれん多し
笑顔君一生懸命に寝返りを
しようとしている
3月17日
ネルボン増量になる。
夕方からけいれん始まる
3月18日
毎時間、30~1時間間隔でけいれん
笑顔君まだ若いのに白髪1本
ちっちゃなハゲが~~~
3月19日
難治性のてんかんなので
薬が効かない
今使える飲み薬はない
ACTHホルモン注射することになった。
副作用は
顔がぽっちゃりになったり
血圧・体の電解質が変化するらしい
笑顔君どんどん機嫌が悪くなり夜寝ない
顔色も悪い、目の下にくま
3月20日
白色性の下痢症になる
熱も出てきた、のども赤い
3月21日
横向きがじょうずになってきた
専門医の先生「がんばってくれよ」
けいれんは無い
3月22日
けいれんは無いが
下痢は止まらない
うつぶせにすると
頭が少し持ち上げられる
専門医の先生「期待してます」
うがい薬で口の中を拭くことになった
朝・昼・夜・寝る前の4回
できればミルクの前に
得意満面で背泳ぎのように
手足パタパタしていたのに
動かなくなって笑顔も消えた。
ん~ま~も言わなくなった。
3月23日
下痢が続くのでミルク変更ラクトレスに
3月24日
泣いてばかり
熱も下がらず下痢も治らない
けいれんも増えてきた
3月25日
下痢も続くし熱も下がらない
思ったよりけいれんも治まらない
ACTH一時中断に
抗生剤の点滴することに
3月26日
うつぶせが上手になってきた
熱が下がったらACTH再開予定
3月27日
診察の時うんちを見てもらう
看護師さんに見せてもちゃんと
伝えているのか疑問だったので
もう2~3日点滴する
ACTHもお休み
今日は、メリーゴーランドを見て
機嫌もよくて楽しそうだ
歌を歌って聞かせると
にっこり楽しそうにほほ笑む
午後3時から5時まで突然
うふうふと声を出して笑い始める
きゃきゃとたくさん笑うひとり笑
喜んでいいのか?
その後はどんなにあやしても
声をだして笑うことは無かった
笑っていたのではなくけいれんで
声が出ただけかもしれない
3月28日
離乳食始める
まずは果汁やおもゆから
うつぶせの練習
ボールや枕の抱え込みで
おすわりの練習
3月29日
うーと言って手足を前につっぱらせ
目は右方視で2~3秒が5回
最近のけいれん発作
3月30日
ACTH中止になる
薬は、ネルボン・フェノバール
今日からアレビアチン追加
けいれん発作多し
3月31日
薬、ネルボンだけ1日3回に
今から32年前のことだから
入院中は、発作の記録もかねて
日記をこまめにつけていたので
簡単には纏められなくて
日付つきになっています。
とりあえず今日はここまでまだまだ続くよ
笑顔君の物語は、淡々と
その時の出来事を書いてしまって
私の心情は書いてないことに気が付く
だから別にして平行して書いていく
笑顔君がおなかの中に来てくれた時
父が白血病で入院していた。
だから切迫流産で入院しても
母は父の付き添いでいたので
一人で心細く入院していた。
最初の赤ちゃんは稽留流産だった。
付き添いはいらないと母が帰ったら
夫さんの両親がやって来て
なんで流産するんだと責めに来た。
産めるものなら産むわよ
お腹の中でお空に帰ってしまったのに
後3日で3か月になるから
それまでお腹に入れておけと夫さん
3か月だと出産祝い金が出るからだと
私の体よりお金かよ
これには産科の先生たちも怒ってた
それに胞状奇胎でもあったため
高熱が出て1か月入院した。
その後妊娠の許可が出るまでは
妊娠出来なかった。
それから笑顔君がやってくるまでは
私だけが、責められた。
子宝の湯だとか
子宝神社の秘伝とか
私だけ不妊の検査とか
最初の赤ちゃんのことを知らない人達に
遊んでないで早くつくったらとか言われて
そんなこんな時笑顔君がやって来た。
うれしかったしこの腕に抱きしめたかった。
約2週間で退院予定だったけど
家に母がいないこともあり
ベテランの看護師さんが
安定するまで置いてもらったほうがいいと
言ってくれたので、安定期に入るまで
入院していた。
ただ、何もしないで置くわけにはいかないと
1日おきに流産止める点滴をされていた。
ちょっとの出血だったのに
日程君の時も初期に出血したけど
なんの治療もしなかったから
不要の治療されていたのかもと思うと
この薬の影響は笑顔君になかったのか
わからないけど・・・・
笑顔君安定期に入る頃
父が8か月の闘病の末亡くなった。
58歳だった。もう父の歳を超えた私
妊婦だったから、葬式には参加出来なかった。
そんな悲しみの中
笑顔君の妊娠は喜びをもたらした。
赤ちゃん用品を買ったり
名前を考えたりとみんな笑顔になった。
そして7か月にはいった頃
激しい頭痛と呼吸困難になり
切迫早産にもなってまた入院になった。
張り止めの点滴の毎日
点滴外すとお腹が張る張る
点滴の針さすとこなくなった。
そして10か月になったから
一旦退院になった。
そして予定日に陣痛が10分間隔できたので
産婦人科医院まで車で50分もかかるから
早めに入院することになった。
だんだん陣痛の間隔が5分おきになって
診察したけどまだ子宮口があいていないからと
羊水の袋を破って陣痛促進させることになった。
お腹の中で笑顔君が苦しくなって
動かなくなると看護師さんがお腹を揺すって
動かすということを3日もほっとかれて
次の子のために産道を広げておいた方がいいとかで
羊水も緑色になってきたのに
でも、3日目ベテランの看護師さん2人の時
昼休みでどこかへ行こうとした医師を踏んず構えて(笑
緊急帝王切開してくれた。
帝王切開になるから夫さんに来てほしいと
電話をするが、仕事だからと来なかった。
会社に言えば帰してくれただろうに😠
臍の緒が巻き付いていて産声を上げなかった。
でも、その後の措置が良かったのか
生きて産まれて来た。真っ白な顔色で
母子手帳には胎児仮死帝王切開と
ハンコが押されていたけど
帝王切開と胎児仮死はセットなので
あまり気にしないようにと言われた。
産声聞こえなかったんだぞ~~
仮死状態で産まれたんでしょ(怒
産院は母子同室じゃなくて
ミルクの時間になったら
新生児室に飲ませに行く
だから、なにかあっても
私はわからなかったよね
そして退院してきて
母の知り合いの助産師さんに
おっぱいマッサージしてもらった。
でもミルクを飲む力がないのか
おっぱい吸えなかったよね
産後21日の床上げのお祝いの宴をして
みんなに抱っこしてもらって
夫さんがフラッシュたいて写真撮影
このフラッシュも原因かしら?
このころからちょっとピクピク
そして生後24日目の夜から
頻繁にピクピク左口角や目の横が
うーうー唸るので
時計を見ながら記録
尋常じゃなかったから
地元の県立病院に電話したら断るなんて
役に立たない病院だ(--〆)
総合病院に入院の時
最初こそは夫さんが送ってくれたけど
何回も入退院すると
ぼく、明日仕事だからと言って
送ってくれなくなった。
だんだん当てにしなくなっていった。
市民病院に入院して「てんかん」の
診断が下ると
家の家系にはいないとのたまう夫さん。
救急救命センターに移ることに
なった時は、母も一緒に付き添いを
お願いしたけれど看護師さんに却下され
面会時間が終わって母は帰って行った電車で
携帯電話なんて持ってない時代
心細くて夫さんに電話するも
泣いてもしょうがないでしょと言われ
ばあちゃんが帰ってきたら送っていくから
待ってなさいとつっけんどんな言い方
期待はしてなかったよ、でももっと
寄り添って欲しかったな
この頃から夫さん抜きで子育て
していた気がする
今週の水曜日は、古紙回収の日
なので、ぶつぶつ怒りながらまとめていた。
ちゃんとしばって出してるのに
呼び出されて文句言われる
それはですね~
以前粗大ごみを出すとき
電話で申し込んで粗大ごみ券に
名前を書いて貼って家の前のおいて置いた時
スチールの棚を出したら
木製の棚だと聞いていると言われた事があった
棚の説明をする時3段ボックスのようなもので~
とか言っていたから電話の向こうの人が
木製だと勘違いしたのかもね~
ってなことがあったんだよね。
同じようなトラックで回収に来るから
記憶が混線してしまったようだ
そしてブツブツ言って
怒っているんだと思う。
違うよとうっかり言ってしまったら
ヒートアップしてしまった。
聞き流しておけば良かった。
ちょっと穏やかな日々だったから
油断してしまったー
過去のブログを見返してみたけど
初めは、OCNの簡単HPと言うサービスがあって
そこに書いていたのだけどサービス終了で
HPに書いてあったことは無いんだったここには
ということで、あらためて書いて行こうと思う。
笑顔が素敵だったので笑顔君(長男)
笑顔君は、切迫流産、切迫早産をくぐりぬけ
難産の末、緊急帝王切開で産まれた。
回旋異常、臍帯巻絡1回、仮死状態
産声はあげなかった。
そして、産まれて21日目
なんかおかしいことに気が付いた。
うーうーと唸ってピクピクと痙攣した。
産まれた産婦人科に電話するも
熱が無くての痙攣は大丈夫(?)と言われる。
生後24日目夜5分おきに1~2分の発作
目覚まし時計を見ながら
痙攣の回数と時間を記録する。
これは尋常じゃないと思って
地元の県立病院に電話をするが、
小児科医は常駐じゃなくて
夜間にはいないからと
断られてしまった。
隣の市の小児科医院に電話
県立病院に断られたことを伝え
診てもらえることになった。
開業医の先生が市内の総合病院に
連絡を入れてくれてそこに入院した。
看護師さんのけいれんに関する知識は限定的で
呼吸が止まるタイプだけのようだった。
けいれんが始まってナースコールしても
看護師さんが来る頃には治まってしまう。
CTと脳波検査をするものの異常なし
入退院を繰り返していた。
12月もうすぐクリスマス頃
てんかんだろうの診断(結構いいかげんだ)
専門医ではないのでそんなものかも
デパケンの水薬が処方されたけど。
痙攣の発作が止まらなくなり
重症な病気に対応している
車で1時間半ほどかかる病院に
頼み込んで紹介状を書いてもらった。
今住んでいる市の市民病院の小児科に入院
脳波の結果「複雑部分発作」と診断された。
そんなに重症だとは思われてなくて
実際の発作を見たことのない医師達は、
本当にけいれんの患者なのかと思っていたらしい。
ナースセンターからも遠いし
発作が起きて呼んでも間に合わない。
2か月入院して退院した。
市民病院のてんかん専門医が
地元の県立病院に週1回来るので
そこに通院することになった。
2週間後、てんかん発作が止まらなくなり
県立病院の小児科に泣きながら電話をするが、
市民病院の先生に電話したか聞かれ
ここは、ICUとかの設備がないので
市民病院に連絡しておくから
入院の準備をして行きなさいと言われた。
泣いていたら泣いてないでしっかりしなさいと
言われた。このことが私を後から追い詰めた。
この時、十分に泣いていたら泣かせてくれたら
壊れなかったんじゃないかと今にして思う。
泣きたいときに十分に泣けていたら
我慢することも、頑張りすぎることも
吐き出すところがあったら・・後の祭りだけど
日程君のことも泣いていないでしっかりしなさい
なんて言わないで、泣かせてくれたら・・・
話がそれた
タクシーで市民病院に行き入院になった。
担当医は首をかしげてたけど
たいしたことないのに来たとでも思ってたかも
その夜、てんかん発作が止まらなくなり
でも、主治医は特に指示を出していかなくて
たまたま、ベテランの看護師さん2人が
NICUの医師’(てんかんのことも分かる)を
呼んで診てもらった。
いろいろ薬を試したが止まらず
ナースセンターすぐ隣の部屋に移動
いままでにないめずらしいケース
何をつかったらいいのか決定出来ない
飲み薬の血中濃度が上がらない
静脈点滴でホリゾンを使うがダメで
2人部屋に移動して
ネブンタールと言う強い麻酔薬を使用
強い薬を使っているが、普通はこれで
けいれんが治まる。
今晩これでけいれんが治まらなければ
救命救急センターで人工呼吸器を使って
もっと強い薬で脳を休ませる治療が必要になる。
今、脳波が点頭てんかんと
今までの乳児性てんかんの中間にいる。
このまま悪くなるかもしれないし、
このまま良くなるかもしれない
点頭てんかんにならないように
管理していきますと言われた。
先生も私もこのまま良くなるのだと
思っていたんだけど
強い麻酔薬で寝ているはずの笑顔君
夜中になるとバタバタと暴れ奇声を上げる発作
当直の先生2人が診て
脳波もあきらかに異常があり
呼吸もゼロゼロし始めたので
救急救命センターで管理することになった。
人工呼吸器をつけると言うことは
免疫が0になるので、肺炎や敗血症になりやすい
赤ちゃんは、なりやすいし死亡することもある
できるだけ呼吸器をつけたくないので
朝まで様子をみましょうと言われた。
後から、そんなことまで言うの?って言われたけど
訴訟になった時のこともあるからか言うんですよね。
知能等の遅れは覚悟して下さい
赤ちゃんのけいれんは予後がよくない
翌朝、担当医出勤
夜中に病棟から荷物と一緒に
追い出された私はセンターのベンチで
朝になるのを待っていた。
家族待機室は主治医の許可証が無いと
入れないのです。
主治医も専門医もまさかセンターに
入るとは思っていなかったようで
びっくりしていた。
つづく
笑顔君が4歳、日程君が2歳の時
今のところに引っ越してきて
電話工事のおじさんに言われた。
「双子ちゃんですかって」
4歳にしては幼い顔
2歳にしてはしっかりとした顔
日程君が歩く前は日程君が弟に見える
2歳ごろには双子に見えて
その先は兄弟逆転に見えてしまう。
弟妹のいる重度心身障がいのある子供たち
そう言われるって苦笑いしてたな~ママ友達
ふと、思い出したので

