ゆっくり、のんびり、あせらずに♪・・「ここから」

「ここから」前に向かって踏みだそう

何で行くつもりだったんだ?

2005年05月31日 17時05分30秒 | 夫の話
夫が言いました
 「やっぱり、車で行くことにした」
 「でも車は乗りなれると怖いね」
 「今自転車乗ってるけど乗り慣れて来ると怖いよ」

 「で何処行くの?」
夫「免許の更新だよ」
私「・・・・・・・・何で行くつもりだったんだ?
  まさか、歩いて・・・・ありえる・絶対」
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私の物語(1)

2005年05月29日 09時44分55秒 | トラウマ(心の傷)
長年の謎解きにも書きましたが
祖父の何気ない「こんなの外だ」と言う言葉は
私を傷つけました。愛されていないと思い込みました。

祖父はよく旅行に行きました。
私と内孫は4歳違います。
お土産を買ってきてくれました。
私には年齢相当のものを、いとこ姉妹には同じものを
でも私は、いとこ達と同じものを欲しがりました。
差別されていると思い込んでいました。
私のお土産の方が価値のあるものであっても
内も・外も孫として同じものを買って欲しかったのです。

祖父は「がーこがかわいそうだから」母に仕事を止めるように
何回も言ったそうです。
母は、仕事を続けました。
熱があっても母は休んで看病はしてくれませんでした。

そして私は、小学校に入ると朝お腹が痛いといって
休みがちになりました。
その頃母も体調を崩し入院して仕事を辞めることになりました。
家に帰ると母いるのがとても嬉しかった。

けれど、母は病気が治るとまた働きに行ってしまいました。
また私は、お腹が痛いと言っては学校へ行きませんでした。
母は私を連れてドクターショッピングを始めました。
でも何処も悪くはアリマセン。

成長期になると足が痛くなりました。
今思えば成長痛だったんでしょうけど
または母はドクターショッピングをはじめました。
風邪の菌が血液に入って悪さをするのではないかと
診断するドクターがいました。
そこで両親はこう言いました。
入院して学校へ通学
はきり言ってショックでした。

「捨てられた」と思いました。
私はただ母に側にいて欲しかったそれだけそれだけだったのに
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そして、分かったこと(2)

2005年05月29日 09時10分34秒 | トラウマ(心の傷)
そして分かったこと(1)については、
誰かに言われてもダメなんだってこと
自分で気づくことが大切です。

そのためには、カウンセリングを受けて自分を見つめ
心の奥にしまいこんでしまったものを捜し受け止め
自分を見つめ洞察することが大切なことです。

カウンセリングを受けて1年目にやっと気づきました。
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ごきぶりだ !!!!!!

2005年05月28日 20時24分17秒 | ひとりごと
ゴキブリが出た。
新聞紙丸めて叩こうとしたら、
逃げ足の速いこと叩きそこねた。

今年もゴキブリ様用の建売住宅を建設しなくては
でかいゴキブリだった、黒々して羽根もあって、
3センチはあったぞ
明日早速買いにいかなくちゃ
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そして、分かったこと

2005年05月25日 19時53分44秒 | トラウマ(心の傷)
謎解きで分かったこと

自分が思っているほど相手は思ってない

自分が裏切られた思い込んでいるだけで
相手は私のことをそれほどとは感じていない

相手は私が思っているほど傷ついていると思っていない

私が尽くすほど相手はありがたいとは思っていない

私は思い込みが激しすぎる。

と言うことです。

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長年の謎解き(2)

2005年05月24日 17時54分37秒 | トラウマ(心の傷)
今でも不思議なのは、彼女とは二人だけなら仲良し
でも、ひとたび集団に入ると意地悪な人に変身するのだ。
帰る方向が同じなのに追い抜いたり抜かれたりして
二人とも意固地になって帰って行った。
そのうち私のほうから「一緒に帰ろう」と声をかけた。
彼女は「ほっと」したようだった。
何事も無かったように帰った。
それにしても中学生の集団は怖い。

高校は、別方向で彼女とは会うことはなくなった。
私は隣町の高校へ、彼女は隣市の高校へ
その後成人式まで会うことは無かった。

隣町の高校へ入るとクラスはその町の人が過半数を占めていた
ほとんど知らない人ばかりだった。
一年生の時席が後ろの子に声をかけられ友達になった。
「ゆーごん」って呼んでねって言われて何をするにも
一緒だった、同じ学校からの友達かと思われるほどに
でも席替えがあって遠足が終わるとまた別の子達とも
仲良くなった。
別の子達とお弁当を一緒に食べようと誘われて
断れなかったし、「ゆーごんと食べる」とも言えなっかた。
それっきり、ゆーごんと話をすることも無くなってしまった。
ゆーごん、ごめんね。私器用じゃないの、本当にごめんね。
そして、二年生になるとクラス替えがあり「ゆーごん」とは
違うクラスになった。

今度のクラスは元1年8組の人が過半数で、
また知らない人ばかりになった。
一年生の時体育とかで一緒だった隣のクラスの人がいたので
今度は自分から「私も入れて」と声をかけて仲間に入れてもらった。
昼休みのたび元8組のリーダーが「あそぼー」やって来てみんなごっそり
いなくなった。ちょっとしらけました・・・・・。
でもしばらくすると、誘いがあっても行かなくなった。

今思うと人生一番輝いていた時期だと思う。
担任も若く、みんな仲良かった、楽しいクラスだった。
夏休みにクラスでキャンプをした。
そんな頃から、お弁当の時間になると必ず胸が苦しくなった。
「どうしたの?」と聞かれても自分でも分からなかった。
今思うと、中学時代のお弁当の時間のトラウマだったのだ。
次の年もクラスは持ち上がりだからメンバーは同じ
その頃からなぜか猜疑心が強くなって行った。
居心地がよければよいほど、仲がよければよいほど
優しければやさしいほど、人が信じられなくなっていった。
国語の時間に水戸黄門ごっこをしようと言うことがあった。
先生に礼をする代わりに「はははー」と言ってひれ伏すと言うもの
だけど、私は嫌だった。席が一番前だったので不安だった。
後ろが見えないから、みんなが信じられなくて嫌だった。
だから、私は絶対しないと言い張ってやらなかった。
私以外全員水戸黄門ごっこを成し遂げていた。
そのことについて誰も私を責めなかった。
「なんで、しなかったの」と聞こうとする人をそんなことを
言ってはいけないと庇ってくれる人がいても
こんなに、いい居場所なのに、みんなを裏切ってしまった。

きっとまた条件付の優しさだと思い込んでいたのだと思う
中学時代のお弁当のトラウマが私を頑固なものにしていたのだ。

そしてそれからいろいろな人間関係を経験し
仲間だと思っていた人に裏切られた経験を積み

大人になって、結婚して子供の親になり、たまたま障碍児二人も授かり
各親の会、学校の親達との付き合いで、またも裏切られ騙されて
仲間はずれが嫌で「NO!」といえない人間になり
子供のためと言いながら子どもを壊し、自分をも壊してしまった。
そして、現在の「うつ」の私がいてカウンセリングを受けたことで
長年の謎が解けたのでした。

さて私はこれからどう生きていけばいいのでしょう。
父の遺言ともいえる言葉は以下です。

どんなに親しくなっても心を許すな・信じるな

困ったな~どうしよう?

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長年の謎とき(1)

2005年05月23日 23時18分45秒 | トラウマ(心の傷)
いつもそうだった。居心地のよい場所なのに
2年目になると猜疑心が芽生えてくる。
人が信じられなくなってくる。
仲良くなればなるほど・・・・・。

障碍児の親になって、自分から飛び込んだ親の会
「情報が欲しい・仲間が欲しい」だけどいつの間にか
出来ないことでも「NO!」と言えなくなって
許容量を越えた行動をしてしまう・・・・なぜ?

眠れない日、ブログに書き込めなくてノートに書きなぐった
そのことをカウンセリングの先生とお話した。
そして「謎がとけたじゃありませんか」と先生が言った。

これからはがーこの昔物語の始まりです。

私の両親は共稼ぎ私は母の実家で育てられた。
未だ結婚していなかった伯父は私を我が子のように可愛がり
勤め先にも抱っこして連れて行くほどだったらしい。
だから未だに私が伯父の子どもだと思い込んでいる人は多い
はしの使い方を教えてくれたのも伯父だった。
母が伯父を「あんちゃん」と呼んでいたので私もそう呼んでいた
記憶がある。

だが、伯父が結婚すると状況は一変した。
突然「あんちゃん」が「おじさん」になり
そう呼ぶのに抵抗があったし恥ずかしかった。

孫が出来ると更に状況は最悪となり口を利くことも無くなり
産まれたいとこをみんなのように呼び捨てにすると
伯母(伯父さんの奥さん)は「ちゃんをつけて呼びなさい」と言った。
みんなの関心がいとこに集中すると悔しくていとこをつねったりもした。
触ることさえ伯母は許さなかった。

祖父と歩いていた時「かわいいね、お孫さんかね」と聞かれて
祖父は驚くことを言った「こんなの外だ」と・・・・。
孫に内と外があることを知った。とてもショックだったのを覚えている。

それでも曾祖母が生きていた頃は、居場所も逃げ場もがあった。
とてもかわいがってくれて、確か七五三の写真を撮りに写真館に連れて行かれた。
曾祖母の姉妹に着物を着せられ薄毛の髪にお花をつけてもらって。
曾祖母と一緒に姉妹の家に茶のみに行ったり、
駄菓子屋さんでお菓子を買ってもらったり
この頃には心の居場所もちゃんとあった、確かにあった。

曾祖母が亡くなると居場所は無くなった。
曾祖母の姉妹の家に一人で行けるわけも無く、
保育園時代友達は男の子だけ、やさしい男の子。

そんな時近くに住む同い年の女の子と知り合い友達になった。
今思えば友達なのかどうかは分からないただその子しか近くにいなかっただけ。

私はお友達が出来て好きになるとなんでもしてあげたくなるし
お誕生日にはその子の欲しい物をプレゼントするのが嬉しかった。
大盤振る舞いになちゃう。曾祖母たちに可愛がって貰ったからかもしれない。

今思うとどの子も私を同等のものとして見ていたのではなかった。
常に自分より劣る存在でなければならなかったらしい。
小学校時代は、先生に好かれるタイプでもなかったし
運動神経が特によい訳でもなく、お勉強も出来る方ではなかった。
一緒の書道塾に通っていたが比べ物にならない差があった。

ところが中学校になるとなぜか私は成績が良かった。
相変わらず運動音痴、同じクラブに入って実力は彼女に劣る。
同じクラスでなかったのが良かったのかもしれない。

だけど二年生から同じクラスになり、三年も持ち上がりクラス。
でも担任の先生が指導力のある人だったから特に問題は起こらなかった。
だが、新春書初め大会で彼女より劣っていなければならない私が
彼女と同じ準特選をとってしまった。
書道教室では私が未だ級のころ彼女は段位で名前も貰っていた。

三年になってクラス担任はよそから来た頼りなさそげの先生
しばらくして、いじめが始まった。
給食の時間いつも一緒に食べていた彼女達私を入れないようにした。
突然のことだった。昨日まで四時間目まで何の予兆も無く。
自分の席が教室の真ん中にあった涙こらえてお弁当食べ始めた。
のどが通らなかった。苦しかった、悲しかった、逃げ出したかった、
でも私はそこにいた。
学校が終わるまでそこにいた。

次の日、一人で食べようと決めて休むことなく学校へ行った。
給食の時間になると別のグループが誘ってくれた。
でも、これは条件付下心のある親切だった。
それは、席替えのたび一番前と変わるとか、
自分のグループに都合の良い席順にするための、
将棋のこまみたいなものが条件のグループだった。

ある日教室の左の後ろの端が当たった。
例のごとく変わってくれと言われたが、変わらなかった。
一人で食べる方が気が楽、それにこんないい席だもん。
その日から卒業までずーと一人でお弁当食べた。




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YAHOOのオークションに初めて参加

2005年05月22日 21時52分52秒 | かなわぬ夢の後「そしてそれから」
家の日程君が愛してやまない夢のクレヨン王国落札しました。

大体テレビでやってる頃は無関心で、
もう放送終わりの頃に目覚めるから
ビデオテープ売ってなくて

どきどきのオークション
競争する人無かったから良かった。
レンタル落ちだけど商品がとてもいい状態で感激
全17巻そろってて、日程君も
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障害者自立支援法と32条

2005年05月22日 21時16分32秒 | 障碍の違う兄弟
自立支援医療費として新たに整備され32条も新制度に

1.自己負担 5% → 10%+自己負担 上限設定

2.所得制限 なし → 厳しい制限あり

3.対象疾患 精神疾患 → 重度且継続
              当面は統合失調症・狭義のそううつ病・難治のてんかん

  参考文献 日本てんかん協会月刊「波」3月号より

てんかんだけでなく「うつ」になった私にも関係あることです。
申請したけど音沙汰なし・・・診断書に「うつ状態」て書いてあったから
ダメだね。きっと 
最初に行く病院間違えたかも・・・・・

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福祉施索改革のグランドデザイン案 

2005年05月22日 20時18分36秒 | 障碍の違う兄弟
昨年の10月に厚生労働省が障害者の福祉施策を
どのように改革しどのように存続させてゆくのかを
書いてあるのが改革のグランドデザイン案

1.法律の違いのため相互利用できなかった障碍別の垣根を取り払い、
  身体・知的・精神の3障害をひとつにまとめる

2.出来ない部分を助ける→出来るように支援するへ
  自立支援の考えが強い

3.国の財政がくるしいので、障害者制度の存続のために
  障害者自身も一定の自己負担をする必要とする

以上を法案化したのが障害者自立支援法で第162回通常国会において審議されます。

 参考文献・・・・日本てんかん協会月刊「波」3月号
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昨日は、カウンセリング

2005年05月22日 10時33分31秒 | かなわぬ夢の後「そしてそれから」
長年の謎が、一つ解けた。
内容については、また今度調子のよいときに。

いきなり暑かったよね。
でも暑がりのカウンセリングの先生の所は寒かった。
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今日は、眼科へ行く

2005年05月20日 20時32分36秒 | 病院受診
4月にめがねを作ろうと眼科に行った。
20年前に1つ作っただけで
黒ブチガラスで重い。

視力検査裸眼で両目0.5
めがねをかけても0.7

まずいこれでは運転免許証更新出来ない。

詳しく調べたら白内障になっていた。
毎日目薬1日4回大変だよ~~~~~。
目薬のお陰で免許の更新は出来そうです。

視野の検査を翌週受けた。今のところ大丈夫
でも、緑内障の家系なので時々検査が必要です。
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今日は、デジカメ日和

2005年05月19日 21時00分44秒 | デジカメ
今日は、夜中の2時半から寝られなくてずーと起きていて
朝も、午前中は眠くなかったのでデジカメで
庭のつつじを写しました。いろいろ母が育てています。
HPのがーこの日記にも写真が載せられるので日記の内容と
無関係の花の写真載せてます。

買い物にも行きました。
朝取りいちごをゲットしに・・・・・。
農家の方が作っています写真入で私が作りましたいちごです。
価格は200円~350円です。200円を2個ゲット

午後からはさすがに爆睡しました。

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書きたいことがうまく書けない

2005年05月18日 20時53分31秒 | かなわぬ夢の後「そしてそれから」
書きたいことがたくさんあるのに、うまく書けない。
今朝起きると言いたいことが上手く言えない時のようにのどが詰まる感じがした。

この頃悪夢をよく見る居場所が無い夢だ。

考えが上手くまとまらない。
焦燥感と虚無感で何も出来ないでいる。

眩暈の周期に入ったようだし、しばらくは書くことは出来ないだろう



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肢体不自由児養護学校

2005年05月17日 21時19分32秒 | バリアの中のバリア
この学校は、今の学校も学年で分かれてない。
能力別にグループ分けされている。
肢体不自由だけ、軽度知的障碍重複、中度知的障碍重複、
重度知的障碍重複、肢体不自由も重度重複
入学した小学部には肢体不自由だけのクラスはなく重複児ばかりだ。

学年は無いから人数によって高学年、低学年と分けられることもあれば、
1~6年生が一緒の時もある。

肢体不自由としての障碍の程度もバラバラ寝たきりから歩行器で歩ける
もしくは車椅子を自分で操作できる子どもまで幅広い。
そこに重度知的障碍が重複する子どものグループもいる。

知的障碍の程度や体力で分けられているのかもしれない。

親としても葛藤がある。上のグループに上がる子もいる。
歩けなかったのに歩けるようになっていく子もいる。
いつまでも、座ったきりの笑顔君それ以上にはならない。
目が見えないから怖くて歩けないのかもしれない

ここの親は、自分の子どもを基準として他の子を判断する傾向がある。
重度自慢してどうするのだろう?
自分の子と同じか程度が下だと思う子の親にはやさしい。
少しでも上だと思う子の親にはやさしくない。

笑顔君は療育Aの重度だから身体手帳も1級なのが気に食わないらしい。
でも、全面介護だよ。てんかんもあるし、肘ばいもしないし、
まあ、姿勢良く座ってるから(笑)、手は使えない。手遊びはしないよ。

同じ障碍と言われても肢体不自由の中身はいろどりみどり。
こんなところにもバリアがあるのが恐ろしい
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