災害の年となった2011年も大詰めを迎え、いよいよ冬の「青春18」シーズンの到来です。皆様はどちらへ旅されるのでしょうか。
これからお伝えするのは、2011年8月6日(土)の「青春18」旅行です。本来なら7月30日(土)に実行する予定でしたが、1週延びたのには大きな理由があります。ちょうど「2011年新潟・福島豪雨」に当たってしまい、上越線はもとより新津発着のJR線も全滅でした。長岡方面が運転再開したのが31日の夕方だったので、この週末は乗り継ぎ出来ませんでした。8月14日に2度目を使う予定だったので、この日に実行と相成りました。
それでは出発しましょう。今回は中央本線を選択しました。
2011年8月5日(金)。亀に餌をやり、22時5分に出発して自転車で新津駅へ。22時25分発の信越本線2557M(115系L12編成)で新潟駅へ。20分の乗車時間を利用し、加茂錦で一杯やりました。上越線の六日町~越後湯沢が未だに土砂流出から復旧しておらず「ムーンライトえちご」が運休したので、止む無く新潟駅からウィーラートラベルのお世話になりました。定価で入手したので、スタンダードで4730円もしました。客層は大半が私より全然年下でした。眠れないのでルートを見ると、燕三条、長岡でお客さんを乗せる際には一旦高速を下りて駅まで乗り付けていきました。
当初は品川駅南口まで乗る予定でしたが、5時30分に新宿西口に下車。東京都内は。JR新宿駅まで10分歩き、ようやく「青春18」に最初の日付印を入れてもらい、中央本線519T(E233系T26編成)に乗車。
立川駅にて6時43分発の523M(115系C5編成)に乗り継ぎ、ボックスに収まって朝食にしました。藤野にて相方の女性が下車した後、富士見にハイキングに行くという女性グループに囲まれました。
7時56分に笹子駅に到着。島式ホーム1面2線の構内ですが、ホームは狭いです。
地下道を通って駅舎の中へ。簡易Suicaがあるだけの無人駅で、窓口も無ければ券売機もありません。ホーム側にトイレがあります。
それでは駅舎撮影。典型的な国鉄後期様式の平屋の駅舎です。昭和41年のスイッチバック廃止時に建てられたと思われます。
駅前にある笹子隧道記念碑。笹子トンネルは、明治29年に着工して明治35年に完成しました。全長は4656mで、当時は東洋一のトンネルでした。
それでは周辺散策。笹一酒造に向かって歩いていくと、ちょうどE351系スーパーあずさが通過していきました。
駅から3分ほど歩いて笹一酒造に到着。売店などがありますが、さすがにこの時間は従業員が出勤したばかり。
その入口には世界平和大太鼓。樋胴太鼓という種類で、太鼓口径15尺8寸(4m80cm)、胴全長16尺3寸(4m95cm)、重量2tで「世界一の平和大太鼓」にギネス登録されています。
その裏側にはラオウ&黒王像。なぜ、世界平和大太鼓に北斗の拳なのでしょう。
1度目の歯磨きを済ませて駅に戻ります。その途中には笹子餅本舗がありますが、さすがにこの時間は開店前。いつか食べたいな。
駅に戻るともうTIMEUP。スイッチバック跡を見る時間はありませんでした。
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次は、上越新幹線の話題をお伝えします。
御覧の皆様もご存知の通り、E5系の増備が進み(私の知る限りではU7編成までつくられた)、2011年11月19日から「はやて」「やまびこ」にも入るようになりました。これにより、従来200系で運転されていた「やまびこ」(291、155、223、204、212、214号)「なすの」(251、261、269、278、280号)は全てE2系(J編成)となり、200系は東北新幹線から姿を消しました。よって、新潟新幹線車両センターに所属する200系に余剰車が発生し、全11編成のうち3編成がこのほど引退の運びとなりました。
それでは、最近の上越新幹線の200系達を御覧下さい。
11月12日の「とき368号」。K21編成です。K26編成と共に0番台の編成なので、早く記録しておいた方がいいですよ。
続いて、同日の「とき319号」。K49編成です。これも早く記録しておくことをお勧めします。
同編成が新潟に到着したところ。K49編成については、原色だった頃に「なすの244号」で乗ったことがあります。
最後に紹介するのは、11月26日の「とき320号」。K42編成です。最近全般検査を受けたばかりで、最後まで残りそうです。
東京に向けて発車したところ。飛雲ホワイトに紫苑ブルーの配色の200系はいつまで残るのだろうか。
200系の現況は以上です。200系が上越新幹線に限定されたことは、これから始まる大きな変化の序章に過ぎません。来年3月のダイヤ改正では、E1系の引退が始まり、新潟口でもE4系16両編成の運転が始まるとみられます。そして、E2系J編成が上越新幹線に本格投入され始め、200系が更に引退するでしょう。E1系については、来春のダイヤ改正の概要が明らかになってからお伝えします。
もし、何編成が廃車になったか知りたければ、実際に上越新幹線の駅に出向くか、「DJダイヤ情報」や「電車編成表2012年夏号」または「鉄道ファン2012年7月号」を御覧になるかして下さい。くれぐれも、現業機関への問い合わせはご遠慮下さい。私に尋ねても駄目です。
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ここで、「きらきらうえつ」に関する話題をお伝えします。
2日遅れとなりますが、2011年11月23日、「きらきらうえつ」は運転開始からちょうど10周年を迎えました。これに伴い、新潟駅でセレモニーが実施され、にいがた観光大使と4体のゆるキャラが出動し、くす玉開花や新潟駅長による発車合図も行なわれました。
それでは、「きらきらうえつ」の概要をざっと紹介します。「きらきらうえつ」は、新潟から白新線・羽越本線を通るリゾートトレインで、基本的には酒田終着で、時によっては象潟または羽後本荘まで延長運転します。運転日は、基本的に金、土、日曜です。下りは新潟駅を10時15分に発車し、上りは新潟駅に18時32分に到着します。車両は、485系改造車(700番台)の4両編成で、1,3,4号車はハイデッカーの普通車指定席、2号車はボックス席付きのラウンジカー(茶屋)となっています。快速扱いでありながら、観光案内スペースがあってレンタカーやツアーの予約まで出来るので、乗って楽しい乗り得列車です。
それでは、きらきらうえつ運転開始10周年イベントの模様をお伝えします。
9時30頃に新潟駅6番線に行ってみると、そこはゆるキャラの大撮影会でした。これは、村上市のゆるキャラ・サケリン。頭部が鮭で、体がワンカップです。
続いて、新潟県のゆるキャラ・トッキッキ。あの国体以降も大活躍です。後方にはレルヒさん。
回送の485系T18編成が入線して発車し、この日一日車掌を務めた子供達と記念撮影。1体切れていますが、左から山形県のゆるキャラ・ペロリン、トッキッキ、サケリンの順です。
そのT18編成が出発しましたが、左端のレルヒさんと交えて。レルヒさんはノッポですね。
肝心の「きらきらうえつ」が9時50分頃に6番線に入線し、セレモニーが始まりました。10周年だからといって、特別な装飾はありません。停止位置が通常より新発田寄りです。
横断幕と先頭部。これは絵になる風景ですが、新潟支社が「きらきらうえつ」をこれからも育てていこうという姿勢が見て取れます。
にいがた観光大使も出動し、10時5分にくす玉開花。先頭のペロリンが喜んでいました。
「北越4号」が出発し、そのくす玉の中身を公開します。「おかげさまでデビュー10周年」。
定刻10時15分、新潟駅長の合図で「きらきらうえつ」は例のミュージックホーンを高らかに鳴らし、酒田に向けて出発しました。その模様は写しませんでした。これは報道写真家のものですから。
今回は事実上のゆるキャラ撮影会でしたが、「きらきらうえつ」ではこれからも様々な記念イベントが行なわれます。この機会に利用されてはいかがでしょうか。485系700番台から新車に移行しても、「きらきらうえつ」が末永く走り続けることを信じましょう。
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亀岡駅から13時56分発の山陰本線252M(221系K4編成)に乗車し、京都方面へ。さすがは京都で、嵯峨嵐山にて多数乗り込み大混雑に。
14時14分に円町駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。221系の並びが実現しました。
1Fに下りて改札を出ました。3台の自動改札の横に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。トイレは改札内の嵯峨嵐山方にあり、階段を挟んで男女別に分かれています。駅スタンプがあり、表題は「法輪寺(だるま寺)のある駅」です。
まずは南口に出ました。駅前は南円町の古い住宅地で、駅前広場がありません。
さて、北口に出ました。こちらが正面口のようで、駅前広場があります。平成12年9月23日開業で飾り気のない高架駅ですが、国鉄の雰囲気を色濃く残す湖西線の高架駅とは何かが異なります。京都方に駐輪場があります。
駅前の様子。大通りを挟んでミドリ電化とキング(ゲーセン)が並んでおり、大変賑やかです。
丸太町通りを歩き、大きな交差点まで出ました。なか卯など飲食店も多い一帯です。帰りに備え、100円ローソンでコーヒーなどを調達しました。
14時43分発の快速2220M(221系K2編成)に乗車し、この旅最後の踏破駅を後にしました。京都到着後、伏見を購入し、15時発の新快速3263M(223系W19編成+V59編成)で伊丹空港のアプローチ駅へ。2011年5月4日にリニューアルされた大阪駅に遊びに行くと思われる人が多く、補助席に座るのがやっと。
大阪駅に行きたいのは山々ですが、新大阪で下車してリムジンバスで伊丹空港へ。10ヶ月ぶりに訪問すると、ドラッグストアなどが進出しており、何かが変わった印象を受けました。搭乗手続き後、例によって空港銘酒蔵で打ち上げその2。滋賀県内の3つの純米吟醸酒を味わいました。
展望デッキで飛行機達を眺めた後、JAL2251便で新潟に帰ります。稲盛さんがJALのCEOに就任してから、JALの伊丹=新潟線はJ-AIRに移管され、2011年6月のダイヤでは全便エンブラル170となっていました。この2251便も17時発と大幅に早められました。
2011年6月5日のJAL2251便のレジスタはJA212J。JAL破綻前はボーイング737-800で運航されていたのが小型機になったのだから、ロードファクターは100%でした。17時13分頃にRWY32Lより離陸。日本列島のある湖を見て、しばし雲上飛行。17時25分にベルトサインが消えると、京都駅で購入した伏見で早い夕食。J-AIRになったのだから、オーディオの類は無し。ドリンクサービスがあり、シークワーサーを飲ませていただきました。
かつて運航されていた、J-AIRの名古屋(小牧)=新潟線を彷彿とさせるルートを飛び、最後は新津上空から福島潟を望み、五十公野公園のそばで左旋回し、18時1分頃、新潟空港にRWY28より着陸しました。18時4分頃にドアオープンしたので、18時20分発の万代シティー経由のリムジンバスで新潟駅へ。新潟駅19時1分発の信越本線452M(115系S4編成+L1編成)で新津に帰還しました。
以上で湖西線全駅下車の旅は終了です。根岸線全駅下車の旅から2ヶ月ぶりの駅巡りで、旅を終えて何だかスッキリしました。湖西線は高架駅が大半でしたが、周辺には琵琶湖など見所が多く、駅を巡って町を歩いて楽しい路線でした。湖西線はどこか国鉄チックな駅も多く、何か懐かしい感じがしました。
最後までお読み頂いてありがとうございます。
完
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山陰本線1243Mは、13時24分に亀岡駅2番乗り場に到着。普通列車の約半数が折り返す駅で、2面4線の構内です。
コンコースに上がると、ペットボトルの蓋のリサイクルが行なわれていました。改札を出て、片道乗車券の旅が終わりました。4台の自動改札の左側に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。右側にはスタンプがあり、表題は「美しい彩の保津川下りの駅」です。尚、トイレは改札内にあります。
その片道乗車券。最後のお墨付きもあり、貫禄あるお土産が出来上がりました。
改札前には石田梅岩像。石門心学の開祖で、貞享2年(1685年)9月15日に、現在の亀岡市東別院町南掛で生まれました。同所に梅岩公園・記念館があります。主著に『都鄙問答』、『倹約斉家論』等があります。延享7年(1744年)9月27日に60歳の生涯を閉じています。
南口の階段付近に出ました。北口に向かって左側には観光案内所があり、右側には友利(漬物屋)、DAILY INと並んでいます。
さて、南口に出て駅舎撮影。平成20年4月12日改築の橋上駅舎で、「保津川の清らかな流れ」をイメージしたそうです。階下にトイレと交番があります。総事業費は33億円。
東側には「平和の鐘」があります。2011年3月22日に設置されました。東日本大震災の鎮魂の意味でつくられたとは思えませんが、たまたまグッドタイミングでした。
駅前の様子。マンションを挟んでイオンがあり、買い物するものがあれば即刻GOでした。尚、メインストリートを挟んで西友もあり、買い物に便利な一帯です。
のどかめロード(自由通路)を再び通って北口の展望デッキへ。京都からわずか30分の立地で、早くも丹波の山々を望むことが出来ます。
ついでに北口の駅前の様子。ロータリーの中心部には整然とした花壇があります。橋上化に際して新たに設けられた入口で、今のところは長閑な田園地帯ですが、保津川下り乗船場までは徒歩5分です。
さて、北口に出て駅舎撮影。展望デッキがある関係で左側は長方形ですが、基本的に南口と同じです。こちらにはトイレは無く、その代わり階下に喫煙所があります。
南口で2度目の歯磨きをしたので、見取り図を描くともう時間となりました。新津駅で節電対策が進められていた6月初旬にも普通に動いていたエスカレーターに有り難味を感じました。ここからはSuicaのチャージ部分を利用して旅をします。
つづく
参考サイト 西崎さいき 『珍駅巡礼 日本全駅の「ヘンな駅」をゆく!!』
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花園駅近くにある法金剛院。東本願寺や清水寺ほどの規模はないものの、平安時代からの日本庭園がそのままの姿で遺され、関西屈指の「花の寺」であることは大きな発見でした。12時28分発の1241M(221系K9編成)に乗車しました。嵯峨嵐山で抜かれた「はしだて5号」は、以前は「タンゴディスカバリー」だった車両でした。
12時45分に馬堀駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、両ホームは跨線橋で結ばれています。駅裏を桂川が流れています。
改札を抜けて駅舎内部へ。4台の自動改札の横に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00(休み2回)です。常に客が多く、撮影に苦労しました。
券売機近くには「トロッコ亀岡駅」の案内が。そのトロッコ亀岡駅は、当駅から西方に徒歩10分です。本数まで案内されており、1日8本です。トロッコ列車に乗るには指定券が必要なのでご注意を。尚、運転期間は3月1日~12月29日で、水曜日運休(祭日の場合は運転)です。
それでは駅舎撮影。平成元年3月5日にルート変更と共に新築された、片流れ屋根の駅舎です。トイレは改札内にあり、KIOSKは入口側の右端にあります。
駅前ロータリーの様子。中心部に街路樹が植えられており、サツキが6月上旬の季節感を出しています。この時計はライオンズクラブの寄贈ですが、この手のケースは結構多いですね。また、京都へは25分程度でアクセス出来る利便性の高い立地で、駅前にはマンションが建っています。
それでは、東方に向かって周辺散策。間もなくして、亀岡牛を扱っている店に出会いました。新潟には出回ってないですが、是非とも食べたいな。
山に向かって歩いているうちにトロッコ亀岡駅へのルートから外れ、何時の間にか新興住宅地に入りました。とある都市公園の一角に「麻呂子親王の鬼退治」の案内がありました。そこには「馬堀」という地名の由来が書かれており、麻呂子親王が鬼退治に行く途中、土の中から馬を掘り当てたことに由来するそうです。
少し時間があったので、駅前のローソンで購入した月桂冠のワンカップにて湖西線全駅下車達成に対する打ち上げ。京都の酒といったら月桂冠ですね。馬堀駅の駅舎には休むスペースが無いので、ここで見取り図を描きました。
ほろ酔い状態で駅に戻りました。13時21分発の1243M(211系K11編成)に乗車し、この旅の最終目的地に向かいました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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前回はこちら
湖西線2819Mは、10時49分に京都駅に到着。余興篇として山陰本線の駅をいくつか巡ります。速攻で山陰線乗り場に行き、10時57分発の山陰本線1235M(221系K9編成)に乗り継ぎました。さすがは大観光地を抱えるだけあって、先頭の方で席にありつくのがやっと。
11時8分に花園駅に到着。島式ホーム1面2線の構内で、京都方ではドーム状の上屋に覆われています。
階段を下りて改札を出ました。4台の自動改札の右側に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00(休み3回)です。トイレは、改札内の右手の階段の脇にあります。
それでは駅舎撮影。平成8年12月に改築された高架駅です。SLの動輪の上半分のファサードが付いているように見えます。国鉄時代の雰囲気を残す湖西線の高架駅とは一味も二味も雰囲気が異なります。右隣には自転車置き場が、左隣にはデイリーが入っています。
それでは周辺散策。線路側には泉谷病院があります。腹が減ったので、近くの「餃子の王将」で少し早い昼食にしました。折角なので、餃子の付いたスタミナ定食にしました。
折角京都に行ったことだし、法金剛院を訪問します。律宗・唐招提寺に属しており、山号は五位山。平安時代の初め、天長の頃(830年)右大臣清原夏野が山荘を建て、死後、寺として双丘寺としました。次いで、文徳天皇が天安2年(858年)に大きな伽藍を建て、定額寺に列し天安寺とされました。法金剛院になったのは、平安時代末期の大治5年(1130年)のことです。本尊は阿弥陀如来。
本堂を見終わった後、日本庭園を周回します。ちょうど紫陽花が盛りになるところでした。
ガクアジサイとカシワバアジサイ。2011年6月5日に訪問しましたが、こんなにも素晴しい紫陽花を見られました。付近には特別名勝である青女の滝がありますが、余りにも撮影条件が厳しく、撮り忘れてしまいました。
法金剛院の名物の1つ・待賢門院堀河の歌碑。百人一首でお馴染みの和歌です。なぜ、鳥羽天皇の中宮である待賢門院堀河の歌碑があるのか?天安寺を復興し、この寺を法金剛院としたからです。
中央にある池に出ました。見事なまでの紫陽花とサツキの組み合わせ。
池越しに本堂を望む。誠に絵になる風景で、実際、写生に訪れる人が多かったです。
半島の対岸から。見事なまでのサツキとハナミズキの組み合わせ。
本堂付近から対岸を望む。菖蒲と池の絶妙な組み合わせです。こんなに早い時期に菖蒲が咲いているのは、矢張り京都ならではです。
最後に、ガクアジサイとサツキの組み合わせ。見事なまでの「池泉廻遊式浄土庭園」で、400円の拝観料を払った価値がありました。待賢門院が極楽浄土として造園させたものです。「青女の滝」の作者は、石立の僧・林賢と静意です。平安時代の庭園で作者が分かっており、遺構もはっきりしているのは誠に珍しいケースです。
つづく
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日吉大社を一通り見た後は、旧竹林院へ。
間もなく到着。元里坊(延暦寺の僧侶の隠居所)の1つで、2棟の茶室と四阿(あづまや)は大正年間に建てられました。入園料は310円。障害者手帳が使えることは使えますが、市内在住者のみなんですね。
四阿の中には大小様々な盆栽が並んでおり、被写体に迷うほどです。300円払った価値は十二分にありました。
次は肝心の庭園です。八王子山を借景にしており、地形を巧みに利用しながら滝組と築山を配しています。大宮川の清流が園内を駆け巡り、木々も苔もしっかり手入れされており、素晴しい庭園です。
ここで茶会をしたら、さぞかし絵になるでしょう。この約3300㎡の日本庭園は、国指定名勝庭園となっています。
最後に、入口にあるカシワバアジサイを。6月初旬に旅してよかったと思います。
旧竹林院から比叡山坂本駅に向かう途中、律院に立ち寄りました。回廊の石畳が良く手入れされています。
この後も、比叡山坂本駅に向かって下ります。周囲は小さな寺院が並び、その間は石積みの町並みが続いています。
京阪電鉄石山坂本線の坂本駅を越え、坂本3丁目の一の鳥居までやってきました。脇には小さな神社があります。
セブンイレブンの交差点を越えると、何時の間にか比叡山坂本駅西口に到着。10時2分頃でした。すぐそばは湖西道路のICです。
交差点を渡って駅舎内部へ。3台の自動改札の横に無理矢理設えられたようなエレベーターがありますが、例によって改札外からは利用できません。左手には「みどりの窓口」があり、営業時間は6:30~22:00です。尚、トイレは改札内の奥にあります。
通路を挟んで向かいには、ラーメン屋とスナックがあります。また、スナックの裏側には弁当屋があります。
さて、東口に出ました。典型的な高架下駅舎です。こちらにはロータリーがあり、アーケードからして延暦寺・日吉大社の門前町の駅の雰囲気が漂ってきます。
横断歩道を渡って、坂本石積みの郷公園へ。既に歩いてきた町並みじゃないですか。
公園最東端には、凛々しい19歳のお坊さんの像が建っています。誰だと思いますか?中学の社会科にも登場する、天台宗の開祖である最澄です。
その公園には、ちょっとした日本庭園があります。折角なので、湘南色の113系と絡めてみました。
180円の片道乗車券を購入し、ホームに上がりました。この時点で湖西線全駅下車達成。湖西線駅巡りを終えて眺める坂本の町並みと琵琶湖は格別です。
そろそろ出発の時間となりました。申し遅れましたが、比叡山坂本駅は島式ホーム1面2線の構内です。横には湖西道路が通じています。10時32分発の2819M(113系L15編成)に乗車し、湖西線を後にしました。見所が多い路線なので、機会があればまた乗りたいです。
旅はまだまだ続きます。
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2011年6月5日(日)の朝となりました。6:50に起床。朝シャンをやり、和定食の朝食。7時50分にチェックアウト。この日は、湖西線全駅下車達成した後、山陰線の駅を巡りつつ伊丹空港に向かいます。
JR湖西線の大津京駅ではなく京阪電鉄石山坂本線の皇子山駅から出発。入口は1箇所しかなく、可也歩かされた格好です。
乗車したのはトーマス電車。先頭車に乗ったせいか、比叡山高校の生徒に囲まれてしまいました。
8時18分に坂本駅に到着。皇子山駅からの運賃は230円でした。
左折するや否や、日吉大社の鳥居をくぐりました。一旦、湖西線駅巡りをお休みし、日吉大社を目指します。
途中の民家にて、案内板に誘われるままに水琴窟へ。久々に奥底から流れる音色に耳を傾けて。
管理人に勧められるままに花筏も撮影。6月の上旬が時期のようですが、初めて見た気がします。
比叡山への道と分かれると、いよいよ日吉大社へ。入苑協賛料は300円。
受付を済ませると、まずは元三大師堂にお参り。
日吉大社は、およそ2100年前の崇神天皇7年に創祀された、全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮です。平安京遷都の折には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方に尊敬を受け、今日に至っています。境内には魔除の象徴として、神猿(まさる)とよばれる猿が祀られ、「魔が去る、何よりも勝る」に因んで大切にされてきました。戦国時代には織田信長によって焼き討ちされましたが、その後の復興によって今日の姿となっています。また、境内には3000本の紅葉があり、シーズンともなれば多くのハイカーで賑わいます。
山王鳥居をくぐり、まずは西本宮へ。
西本宮楼門に到着。軒下の四隅には、木造のお猿さんが楼門を守っています。社務所の向かいに本物の猿が飼われてるし。
その本殿に行き、2度目のお参り。この社殿は1586年(天正14年)に建てられました。「日吉造(ひえづくり)」という独特の形で、床下にはかつて仏事を営んだ「下殿」とよばれる部屋があります。御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)で、天智天皇の御代に奈良から大津への遷都が行なわれた際に奈良の三輪山より御神霊をお迎えし、国家鎮護の神として祀られてきました。
神殿の脇にある狛犬。相当年季が入っています。
その後、白山宮に移動して再びお参り。お賽銭がいくらあっても足りないよ~。
白山宮を見終わった後は神輿収蔵庫へ。ここに表現されているのは2基ですが、全部で7基展示されています。桃山時代から江戸時代にかけて作られ重要文化財に指定されています。毎年4月の山王祭(2011年は12~14日に実施)で大活躍します。
そして、東本宮へ。御祭神である大山昨神は、古事記にもその御神名が記される比叡山の山の神様です。樹下宮のご祭神である鴨玉依姫神とはご夫婦です。
国宝である本殿(右)と樹下宮(左)。見事な並びです。
二宮橋を渡り、日吉大社観光は終了です。奥の宮である金大巖はいいでしょう。
折角なので、旧竹林院も見てきます。
つづく
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17時35分に唐崎駅に到着。
西口の駅舎を取り終え、周辺散策。湖西道路に向かって広い道が伸びています。周辺は商店などが並び、付近にはデイサービスセンターがあります。
さて、東口に出ました。こちらには駅前広場があり、街路樹が何本か立っています。
大津京方に目を転じると、滋賀海軍航空隊跡の碑があり、そこには御衣黄桜が植えられています。
東方に歩くと、中学校の向かいに全国市町村国際文化研究所(JIAM)があります。北方には自衛隊の駐屯地があるし。
駅前の公園には「からさきの泉」という噴水があり、黄昏時を迎えて素晴しい色合いになってきました。林の向こうは高層マンションで、京阪神のベットタウンであることを窺わせます。吹奏楽の練習が行なわれており、しばし感傷に浸りました。
18時5分発の2861M(117系S1編成)に乗車し、この日の18駅目に向かいました。
18時9分に大津京駅3番乗り場に到着。2面4線の構内を有します。
2Fに下りて改札を出ました。4台の自動改札の左手には「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。トイレは改札内の奥にあります。駅スタンプの表題は「律令国家が開花した大津京の駅」で、遺跡から出土したサソリ紋瓦が描かれています。
さて、西口に出ました。3階建ての高架駅です。駅前は駐車場で、広場はありません。今回泊まったビジネスホテル西大津は、こちらからすぐです。
あることをするために東口へ。1Fにハートインがあります。こちらが正面口のようで、が多数客待ちしています。大津京駅は、平成20年3月15日に「西大津駅」から改称されました。
ロータリーの中心部には「時の泉」というモニュメント。
その向かいには、俵万智(右側)と小野寛(左側)の歌碑があります。永原駅から12時間にわたって湖西線の駅巡りをしてきましたが、誠に見所が多い路線でした。
ロータリーの向かいにはパチンコ屋。数分歩いてイオンに行き、夕食などを調達しました。
ビジネスホテル西大津にチェックインし、ようやく長い一日が終わりました。で、客室のテレビは、2011年6月4日の時点でも未だにアナログでした。さすがにデジタル化しましたよね?
気がついたら、湖西線全駅下車達成まであと1駅となっていました。
つづく
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