いつも信越線の列車に乗っていて思うのですが、昨年の下期から荻川駅で何らかの工事が行われています。ホームの上屋設置工事から始まって待合室も新設され、ついにはエレベーター設置工事も行われています。
では、荻川駅はどのようなシチュエーションの駅なのか。荻川駅は、新潟から数えて3駅目にあたり、対面式ホーム2面2線の橋上駅です。新津市が新潟市に吸収合併されてからというもの、みそら野ニュータウンなど新興住宅地の造成が盛んに行われて夜間人口が急増し、小学校が新設されたほどです。急増する利用客に対応すべく、荻川駅はバリアフリー工事が真っ盛りです。
それでは、荻川駅のエレベーター設置工事について見てみましょう。取材日は、2014年10月27日(月)でした。
まずは東口から。昭和61年12月築の橋上駅舎で、天井のステンドグラスが印象的です。右側には囲いが。
その囲いの中を。右脇ではエレベーター設置工事が行われていました。駅前の桜の古木は健在です。で、東口のエレベーターが使用開始となるのは、来年の2月中旬だそうです。
西口に下りてみました。何とエレベーターだけになっています!10月4日にエレベーターが供用開始になって以降、西口の階段が撤去されました。
エレベーター入り口にある掲示。エレベーターに乗ると90秒、東口に迂回すると150秒だそうです。「お急ぎの方は東口へどうぞ」ですって。
工事の案内図。工期は来年3月までだそうです。発注元は新潟市。
西口工事の概略図。民家に挟まれた狭い区画をやりくりして施工されています。西口の階段が完成するのは来年の2月下旬だそうです。
ありし日の西口階段。2013年12月7日の撮影。一見すると堅牢そうですが、継ぎ目などに錆が目立っていました。
最後に荻川駅の工事の概略図。西口(下り側)だけエレベーターが改札の内外とも使用できる状態です。
荻川駅のバリアフリー工事の模様は以上です。今回紹介しそびれましたが、荻川駅は改札を出て右手に待合室がありましたが、閉鎖されて工事関係者の詰所になっています。現在の待合室は、下りホーム階段下の新しい部屋だけとなっています。また、トイレについては、下りホームの階下だけとなっています。
西口の階段と東口のエレベーターが完成したら再びレポートしたいと思いますが、今度は東口の階段の改築工事が始まるかと思われます。今後も荻川駅の動向から目を離せません。
話が変わりますが、本日、JR東日本は、「上野東京ライン」についてある重大発表を行いました。開業日は来年の3月14日で、高崎線、東北本線の列車は東海道線と相互運転を行い、常磐線の列車は大半が品川発着となるものです。常磐線の特急は速達タイプが「ひたち」、停車タイプが「ときわ」となります。特急料金そのものは抑えられますが全車指定席となり、「スワローあかぎ」と同様にチケットレスサービスや指定席回数券などが導入されます。また、首都圏のグリーン車と同様に、事前料金と車内料金の2種類が設定されます。
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北陸新幹線の駅の1つとして飯山駅をお伝えします。
北信濃の拠点の1つである飯山駅。飯山線の線名の由来となった主要駅。寺社巡りの入口である飯山市の代表駅。北陸新幹線の駅となるため、11月9日より300m南方にずれることになりました。寺社風の木造駅舎から立派な高架駅に変身します。
それでは、飯山駅の変遷を御覧下さい。訪問日は2014年10月26日(日)でした。
飯山駅へは133Dでアプローチ。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。
ホームの南方には一駅一名物である「七福の鐘」。移転後はどうなってしまうのだろうか。
ホームから南方を眺める。300m先のホームと使用開始前の場内信号機が見えます。
構内踏切を渡る前に駅裏を。「飯山から金沢へ、そして大阪へ」。北陸新幹線の線路は出来ているのに何の高架をつくっているのだろう。
それでは駅舎撮影。93年の風格を感じさせる木造駅舎でした。トイレは越後川口方に。観光バスのガイドさんが名残惜しそうに記録に収めていたのが印象的でした。
ファサードの部分を拡大。寺社巡りの拠点駅にふさわしく唐破風のつくりです。
駅舎の中へ。改札の左手には「みどりの窓口」、旅行センター、自動券売機2台。右手にはKIOSK。
新駅舎に向けて南方に歩いていると、北陸新幹線の駅舎が見えてきました。西側の歩道は立ち入り禁止。
その駅舎に近づいて。左上の「JR飯山駅」の文字が、開業前なのにヴェールを脱ぎそうですね。エントランスをよく見ると、「和」のテイストを醸し出しています。伝統工芸品「内山紙」を表現しているそうです。
北陸新幹線の高架をくぐって集落道へ。南側は資材がズラリ。
南側からの駅舎の全体像。こちらは駅裏のようで、何の飾り気もなくエントランスもありません。
再び改札をくぐると、「飯山線開業以来93年の長きに渡り、飯山駅をご利用いただきありまとうございました。新駅へ移転後も変わらぬご愛願をお願い致します。」と。移転とはいえ何だか泣けてきます。
出発の前に駅舎を裏側から。表側とは異なり、純粋無垢な木造駅舎といった趣です。よく見ると、屋根が2段となっていました。
飯山駅の新旧レポートは以上です。新駅舎移行日をよく確認しないで行ったので新駅舎の内部は見れませんでしたが、新旧両駅舎が観察出来て誠に実り多い訪問となりました。新旧川原湯温泉駅を記録された方の気持ちが少し分かるような気がしました。新駅舎にはどんな設備が設けられるのだろうか。「はくたか」の一部が通過するようですが、今から楽しみです。
次は、荻川駅のバリアフリー工事の模様をお伝えします。
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485系による「スターライト舞浜」の運転が終了したからというもの、「快速くびき野号」に485系3000番台が入るシーンが目につくようになりました。10月初旬にT18編成が入場してからは、その傾向が強まっています。R26編成、R27編成、R28編成が特に目につきます。
それでは、2014年9月14日以降の「快速くびき野号」のシーンを見てみましょう。特記以外は新潟駅での撮影です。
2014年9月14日。「くびき野4号」はヘッドマークのないR28編成でした。亀田駅で撮影。
2014年9月15日。「くびき野1号」はT18編成でした。
2014年9月23日。見附駅から乗車した「くびき野3号」は再びT18編成でした。
2014年9月27日。「くびき野3号」はT18編成でした。2つ目ライトが3連続ですが、2番線から撮影したので尻が切れています。
2014年10月4日。新津駅から乗車した「くびき野1号」はR27編成でした。
再び新津駅にやってきて「くびき野3号」を。R26編成でした。
2014年10月5日。「くびき野1号」はR26編成でした。ヘッドマークを消してました。
2014年10月11日。「くびき野1号」はR26編成でした。これまたヘッドマークを消してました。
J-TREC新津事業所の公開から戻って「くびき野2号」を。K1編成でした。正面が暗いですが。
2014年10月12日。新津駅からK1編成である「くびき野1号」に乗車してきました。
2014年10月13日。「くびき野1号」はR26編成でした。
新津駅に戻って「くびき野3号」を。R27編成でした。
2014年10月17日。越後石山駅を通過する「くびき野2号」を。R27編成でした。
2014年10月18日。「くびき野5号」はR28編成でした。
2014年10月19日。「くびき野1号」はヘッドマークのないR28編成でした。226Dのキハ110と並べて。
2014年10月25日。青海川駅を通過する「くびき野1号」を。R26編成でした。
脇野田駅に行き、直江津駅から「くびき野3号」に乗車。R27編成でした。
その「クハ481-3011」の車内。ヘッドレストが黒で背中が青色のシートが並んでいます。前運用の1328M乗車中の撮影なので座席が逆向きですが。
2014年10月27日。新津駅にやってきた「くびき野1号」はR26編成でした。「クロハ481-3026」からの撮影なのでヘッドマークがないですが。
同日の「くびき野2号」。国鉄色のK1編成でした。K1はいつまで「くびき野」に入ってくれるのだろうか。
最近の「快速くびき野号」は以上です。最後に登場したK1編成は、検切れを伸ばして運用に就いているそうで、T18編成がカムバック次第廃車になるとみられます。唯一の上沼垂色であるT13編成はどうやら「北越」専属のようなので、最末期の「快速くびき野」は出場するT18編成とR編成がタッグを組むと見られます。「くびき野」にR編成が入るのは最早日常茶飯事なのです。
次は、飯山駅の最新情報をお伝えします。
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昨日、JR各社は冬の臨時列車の概要を発表しました。初詣や初日の出列車は概ね例年通りですが、昨年とは大きく変わった点もあります。
まず、磐越西線のXmasトレインですが、12月6,7日の運転で、「ばんえつ物語号」客車にDL牽引となっています。
次に、夜行列車ですが、「あけぼの」「ムーンライトながら」「ムーンライト信州」に加え、昼間時間帯に発車する「サンライズ出雲91,92号」も追加となっています。
注目しておきたいのは「十日町雪祭り号」。長野方面からのハイブリッド気動車は例年通りとして、新潟方面、大宮方面からはいずれもE653系(U編成)に変わっています。
そして、「いなほ」の冬臨ですが、プレス資料上では「485系またはE653系」となっていましたが、時刻表上では1/3,4の「82号」のみが485系となっています。U107編成が運用に入っているとはいえ、今冬も485系が羽越路を彩るのはある意味奇跡だと言えます。
ついでということも何ですが、2014年1月分の「485系いなほ号」のシーンを見てみましょう。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、1月1日の「いなほ4号」。R27編成で、20分遅れで驟雨の新潟駅3番線に到着しました
2つ目は、1月5日の「いなほ3号」。R28編成でした。回送の115系N11編成と並びました
4番線に行き「いなほ6号」を。現存する唯一の上沼垂色になってしまったT13編成でした。
4つ目は、1月9日の「いなほ9号」。今は亡きT15編成でした。
5つ目は、1月18日の「いなほ1号」。R23編成でした。羽越線927Mの先頭編成であるN28編成と一瞬だけ並びました
しばし待って「いなほ4号」を。今は亡きT12編成で2番線に到着
時間をおいて「いなほ5号」を。運用則通りにT12編成が充当されました。信越線2536MであるE127系V7編成と並べて。
翌1月19日。「いなほ3号」にはT18編成が充当されました。2つ目ライトが感動的
そのT18編成と回送列車を並べて。相方となった115系電車はN12編成でした。
4番線に移動して「いなほ6号」を。R23編成でバリ順光でした
そして、「いなほ5号」はR27編成でした。例によって、信越線2536M(E127系V5編成)と並べました。
1月25日。「いなほ6号」は東新潟駅で狙いました。今は亡きT15編成でラストスパート
1月26日。「いなほ1号」はR23編成でした。会津若松からの221Dのキハ110と並べて。
〆は1月31日の「いなほ10号」。R21編成で、強風などの影響で60分遅れて2番線に到着。折り返して「9号」になったそうですが、何時に発車したかは不明です。
2014年1月分の「485系いなほ号」は以上です。2つ目ライトのT18編成が登場しましたが、現在は秋田に入場中です。年末までに出場するそうですが、ジョーカー的な存在で末永く活躍してもらいたいものです。それに呼応する形でK1編成が廃車となるでしょう。
E653系U108編成の出場が年明けになると言われていますが、新潟の485系電車は確実に終末に向かっているのです。来春以降は「いなほ」は臨時を含めてE653系に統一されるでしょう。最後まで485系電車が「特急」として走るのは「白鳥」なのです。
次は、快速くびき野号の現状をお伝えします。
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いよいよ「飯田線全駅下車への道・第7回」の最終回ですが、その前にニュースをお伝えします。昨日発売された11月号の時刻表で明らかになりましたが、冬臨の「485系いなほ号」は1/3、4の82号のみとなっています。新潟の485系電車はいよいよ終末を迎えていると感じさせます。よって、次の記事では「485系いなほ号」のコレクションを大放出するとともに、冬臨の概要を明らかにします。
さて、本題に。下山村駅からの駅間走りもいよいよ飯田線の線路に出ました。若者についていく形で伊那上郷駅にゴール。下山村駅を出て35分でした。
それでは駅舎撮影。昭和29年12月築の待合所です。片面ホーム1面のみの構内でホームは広いです。
若者が何人か待っていますが駅舎の中へ。細長い木造のベンチが1列になっています。伝えるのが遅きに失した感がありますが、飯田線の無人駅は基本的に何もありません。
時刻表を。上り19本、下り18本です。次の下りは18時27分発で、これから乗る上り列車は18時55分発。
いつしか18時27分発の1513Mが313系R109編成でやってきて、列車を待っていた若者のほとんどがこれに吸い込まれていきました。
折角なのでホーム先端に行くと、切欠き部分にトイレがありました。虚空蔵山が聳え立っています
待合室に戻り、余った時間でカロリーメイトの侘しい夕食。いつしか陽が落ち、定刻にやってきた18時55分発の570M(213系H9編成)に乗車して今回の旅のゴールへ。上諏訪から豊橋までロングランする列車ですが、既に超ガラガラ。
19時ちょうどに飯田駅2番線に到着。ローソンで喜久水カップを購入した後、19時34分発の高速バス(名古屋200か20-69)で一旦名鉄バスターミナルへ。一見すると大きなオーバーシューティングに見えますが、公共交通機関で飯田から新潟に出るには名古屋か新宿か長野を経由するしかありません。
1ヶ月前に予約したので所謂「マニア席」へ。5人のお客さんで出発。段丘を下りて松川を渡ると喜久水酒造が。ちょっぴり悔しい思いをかみしめつつアップルロードへ。そこの伊良賀バス停で倍以上のお客さんを迎え入れて中央自動車道へ。昼神温泉郷の花火はビッグサプライズ。駒場(阿智PA)、馬篭(神坂PA)、桃花台では動きなし。
都市高速で工事がありましたが、定刻21時35分に名鉄バスターミナルに到着。「超特急 名古屋」の表示が印象的でした。1時間後、22時40分発の高速バス(名古屋200か14-68)で家路に就きました。
なぜか10分遅れて6時2分に新潟駅前に到着。6時28分発の信越線2226D(キハ110-217+キハ110-202)で新津に戻りました。
「飯田線全駅下車への道・第7回」は以上です。今回は飯田近辺の12駅(飯田駅を除く)を巡ってきましたが、市田駅で自動券売機が撤去されたのをはじめ、訪問日は伊那大島駅以外無人化されていました。飯田線の合理化は進むところまで進んでいたというのが実感です。
「飯田から名古屋まで高速バスで2時間しかかからない」というくだりがありましたが、飯田線の旅に高速バスをプラスすればコスト以上のパフォーマンスが実現できます。言い換えれば、飯田から豊橋に出るのに「ワイドビュー伊那路」でさえ2時間半もかかる現状では、飯田線は中央道高速バスにコスト・時間の両面で太刀打ちできなくなっています。その証左として、飯田市民が名古屋に出る場合、大半の方がアップルロードまで自家用車で乗り付け、その伊良賀バス停から高速バスを利用しています。
さて、「飯田線全駅下車への道」の第8回以降ですが、他の路線の乗り継ぎ旅をUPするため年が明けてからのUPとなります。あらかじめ予告しておきますが、「第8回」は台風に、「第9回」は大雪に祟られて誠に不本意な乗り継ぎ旅となってしまいました。今後も「クハ481-103の駅巡り旅のページ」に御期待下さい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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国道151号上のセブンイレブンから毛賀駅に戻ると、行きに挨拶を交わした眼鏡女性が列車を待っていました。飯田方面に行くそうで何だか一安心。彼女と共に、10分遅れでやってきた17時29分発の237Mに乗車。天竜峡駅で折り返した「飯田線のエース」(313系B151編成)でした。
10分遅れの17時44分に下山村駅に到着。片面ホーム1面のみの構内でホームは狭いです。
それでは駅舎撮影。昭和元年12月築の大きな待合所です。
下山村駅の駅舎はただの待合所ではありません。2つのブースに分かれています。で、長椅子には何ら飾り気はありません。
では時刻表を。上り19本、下り19本です。次の下り列車は18時6分発…。
駅前の様子。道路沿いに汲み取り式トイレと自転車置き場がありますが、駅前広場が矢鱈広いですね。かつてはそれなりの大きさの木造駅舎があったと思われます。
下山村駅から一旦列車を下り、走って伊那上郷駅まで追いかけて再び乗車するというゲームが昔から幾度となく行われてきました。で、私は駅間徒歩にて彼らの辿るルートを実況します。で、歩き始めは住宅街です。
国道151号に出た後に西友スーパーをかすめ、新松川橋を渡ります。
国道151号から外れた後、野底川をひたすら遡り、加賀沢橋を渡ります。
加賀沢橋を渡り切ると、いよいよ急坂登坂。下山村駅から伊那上郷駅まで追っかけする人の気持ちが少しは分かるような気がします。
坂を上がってしばらくすると環状の建物が。瀬口脳神経外科医院です。
高松交差点を過ぎると真新しい医療施設が。高松病院に隣接した保健センターです。少しルートから外れたかな。
高松病院を過ぎると長命寺に到着してお参り。その薬師堂の枝垂桜は、幹回り3.7m、樹高9m、樹齢400年です。
上郷黒田の住宅地に入りました。日本一有名な駅間走りももうすぐゴールです。
つづく
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前回は新潟駅のブルトレの模様をお伝えしました。飯田線駅巡りに戻りましょう。
その7はこちら
鼎駅から13分遅れでやってきた、16時37分発の235M(313系R113編成)に乗車。1駅間だけなので座りません。
16時53分に切石駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和43年12月築の待合所です。豊橋方にちょっとしたトイレがあります。日本一カーブのきつい駅で、半径は160m。
一旦駅舎の中へ。3辺に木造ベンチが設えられており、広々としたつくりです。
短い時間ながら周辺散策。松川の畔の畑に出て、虚空蔵山が聳え立っています。
では西の方へ。住宅地が続いていますが、その先はセブンイレブン。
たった8分の滞在で出発の時間となりました。11分遅れでやってきた、16時50分発の1710Mに乗車。
「飯田線のエース」(313系B151編成)ということで、悠々と進行方向左側の席を確保。トップバリューのコーヒーをすすりながら景色を楽しんで。下山村駅を出ると田園地帯が広がります。
11分遅れの17時12分に毛賀駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和2年12月築の待合所です。辰野方にトイレがあります。
待合所内部の様子。吹きさらしで且つベンチは何ら飾り気がありません。
ホームから見る景色を。畑の向こうに緑ヶ丘中学校がありました。
短い時間ながら踏切を渡って駅裏へ。市営住宅と思われる小さな住宅の団地に出ました。
そういえば、コンビニに行くんだったな。慌てて急坂を上って国道151号へ。住宅地を数分上っていくとセブンイレブンに到着し、やっとゴミ処理出来ました。
つづく
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飯田線駅巡りの途中ですが、1つニュースをお伝えします。
本日、24系客車6連(カニ24 112+オハネフ25 205+オハネ25 213+オハネ25 220+オハネ24 49+オハネ25 125)+ELというブルトレ「日本海縦貫号」が新潟駅にやってきました。17日(金)の夕刻に青森駅を出発して18日(土)の朝に大阪駅に到着。その後、18日夜に大阪駅を出発し、「SLばんえつ物語」の回送のスジで新潟駅3番線に到着したものです。あくまでも「団体専用」ということで市販の時刻表には掲載されておりませんでしたが、朝から新潟駅は「同業者」で賑わっていました。
それでは、本日着のブルトレの模様を見てみましょう。
8時57分頃、大阪からの「日本海縦貫号」が新潟駅3番線に到着!牽引機を務めたEF81 138には「つるぎ」を彷彿とさせるヘッドマークが!
さて、5号車のサボを。「特急 日本海縦貫線 新潟」となってました!
カニ24 112とEF81 138の連結面を。「日本海」を彷彿とさせるヘッドマークが付いてました!
中央部分に移動して横断幕を。「ありがとう日本海縦貫線! 24系ブルートレイン 「日本海縦貫号」の旅」とありました。何か意味ありげですね。
そして、KIOSK近くでは笹団子郎と花野古町が共演してました
最後尾へ。EF64 1051(新津までの牽引機)が連結されてました!折角なので、E127系V12編成と並べてみました。
オハネフ25 125とEF64 1051の連結面を。客車側に「つるぎ」を彷彿とさせるヘッドマークが!
「オハネ24 49」の銘板を。昭和48年日本車輌製造で、昭和58年に土崎工場で改造が施されたに過ぎません。
ついでに「カニ24 112」の銘板を。昭和52年富士重工製造で、平成6年に大宮工場で改造が施されています。
人気がなくなったところで「EF81 138」を。「日本海縦貫号」の回送は「SLばんえつ物語」のスジで発車し、新津経由で青森へと返却されました。
「日本海縦貫号」の模様は以上です。新潟駅のみならず、上淀川鉄橋なども多くの「同業者」で賑わったそうです。
さて、横断幕を見て気になったのですが、青森の24系客車がこれを以て有償運行を終了すると取れなくもありません。明日以降にならないと分かりませんが、果たして今冬の「あけぼの」は設定されるのでしょうか。仮に設定されたとしても、本当のラストランになるのではないでしょうか。要検から3年以上経った客車も見受けられたことから、2015年には青森の24系客車が全廃されるとみてほぼ間違いないでしょう。来春には「北斗星」も廃止でしょう。
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市田駅から乗車した216Mは、35分遅れの16時9分に元善光寺駅に到着。交換可能駅で2面3線+側線1本の構内を有しますが、3番線は使われておりません。
そのB151編成を見送って。飯田駅に到着した後、2番線でしばし待機します。
では駅舎の中へ。純粋無垢な木造駅舎のつくりですが、昨年3月末日を以て無人化されて窓口は固く閉ざされています。
それでは駅舎撮影。大正12年12月築の木造駅舎で、ファサードが特徴的です。トイレは豊橋方にあります。
元善光寺駅のもう1つの見どころといえばミニ庭園。芙美雄の歌碑があります。
それでは周辺散策といきたいところでしたが、続行の豊橋行き562Mがいつ来るか分からないので撮影して終わりなのが残念なところ。元善光寺へは500mと近いです。善光寺と元善光寺、両方参らないと片参りといわれているので、いつかは元善光寺にお参りしておきたいところ。
そろそろ出発の時間となりました。17分遅れでやってきた、16時7分発の562M(313系R101編成)に乗車して天竜峡方面へ。
14分遅れの16時40分に鼎駅に到着。一見する限り対面式ホームの構内に見えますが、交換設備が撤去されて棒線化されているのです。
若いコが多数列車待ちしていましたが駅舎の中へ。純粋無垢な木造駅舎のつくりですが、無人化されて窓口などは固く閉ざされています。
それでは駅舎撮影。昭和元年12月築の耳のある木造駅舎です。近年まで駅そば屋が入っていたのには驚きです。
トイレといえば豊橋方にポツンと。駅舎と同時期につくられたと思われ汲み取り式です。
では時刻表を。下り19本、上り17本です。日中時間帯に1時間半以上列車のない時間帯があるのが特徴的です。次の下り列車は16時37分発…。
駅前の様子。古くからの住宅地が立ち並ぶ閑静な一帯ですが、アップルロードへのバスが発着しています。
次の下り列車で切石駅にも足を記そうと思うので、滞在時間を最小限にとどめて再び待合室を。高校生が多数列車待ちしてました。
続きはこちら
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桜町駅から14時54分発の519M(313系R104編成)に乗車。
15時6分に市田駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
では駅舎の中へ。簡易委託駅ですが、窓口営業時間が7:00~10:00、16:00~19:00で且つ水曜、土曜休みなので、この日は完全無人駅でした。しかも、2013年3月末日をもって自動券売機が廃止されてました!つくづく思うのですが、飯田線は本当に凄まじい路線です。
で、左手の部屋は広い待合室。とはいえ、ベンチが2基しか設えられておりません。
それでは駅舎撮影。昭和43年12月築の国鉄後期型駅舎です。トイレは豊橋方にあります。8月18日の「市田灯籠流し」を控えていたこともあってエントランスには提灯がぶら下がっていました。
駅前の様子。周辺にはちょっとした個人商店があり、正面には八十二銀行が。
折角なので周辺散策。100mくらい歩いて出砂原の六地蔵に到着。
その六地蔵は、可愛いお地蔵さんの向かいにありました。天保12年(1841年)に再建されたものとされています。で、その六地蔵は、仏教でいう迷界(地獄、飢餓、畜生、阿修羅、人間、天上)にいる衆生を救う6種の地蔵のことですが、子守りの地蔵です。尚、手前にある石碑は「三界萬霊碑」であり、正徳5年(1715年)の未満水の折、犠牲になった人々を葬った供養塔です。
で、その六地蔵の向かいには樹齢70年のハナノキがありました。
駅に戻って216Mで元善光寺駅に向かおうとすると、何やら耳を疑うような放送が。
「長野地方大雨の影響で、15時28分発の飯田行きは35分ほど遅れて運転しております。」
しばらく市田駅に缶詰ということに。ずっと上りホームで待っているのも癪なので、踏切を渡って河岸段丘を下りることに。
数分下ると、天竜川の流れに出ました。川を渡ると豊丘村です。
で、明神橋の手前にある大きな建物は、JA直営の上伊那厚生病院。
随分と待たされた後、35分遅れでやってきた15時28分発の216M(313系B151編成)に乗車して飯田方面へ。
つづく
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