13時9分に田本駅に到着。周辺散策を終えて駅ノートに記帳。隣駅から歩いてきたとの書き込みにただただ驚きました。
そろそろ出発の時間となりました。13時53分発の519M(313系R110編成)に乗車。唐笠駅まで200円也。
14時4分に唐笠駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。私と入れ替わりに天竜峡ライン下りの方が多数乗車。
それでは駅舎撮影。昭和7年12月築の大きな待合所です。
トイレは辰野方にあります。ここで2度目の歯磨き。最近建てられたものと思われます。
では待合所の中へ。4辺のうち3辺にベンチが張り巡らされています。半崎の娘さんが遊びに来ており、しばらく話し込みました。
時刻表を。上下10本ずつです。3時間以上空白となる時間帯があります。次の上り列車は15時20分発…。
それでは周辺散策。踏切を渡ると「唐笠港 半崎」。天竜峡ラインの拠点とはいえ個人経営のレストハウスです。
天竜川に向かって上がると、木下徳一の頌徳碑がありました。
長瀞橋を渡ると、左手に天竜川、右手に飯田線という絵になる風景。電車が通れば飯田線を代表する鉄道写真になり得るところですが、次に通るのがこれから乗る554Mだったりします。
下條村に入りました。県道64号から脇にそれると道祖神がありました。
もう少し進むと小さな滝があり、マイナスイオンを浴びてきました。
再び長瀞橋を渡って。下流側では浚渫作業が。中央構造線の影響で天竜川の川底にはどうしても土砂が溜まるので、毎日浚渫しなければならないのです。
唐笠駅に戻る道すがら、彼岸花を見つけました。そこにマイクロバスが通りかかったりします。
花とマイクロバス。この旅で最も記憶に残った風景となりました。
つづく
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川路駅を出て22分で天竜峡駅に到着。
それでは駅舎撮影。昭和4年12月築の木造駅舎ですが、お洒落にリメイクされています。
駅前には2軒の食堂が。トイレはその右手の一角にあります。
では駅舎の中へ。飯田線の中核駅の1つで「みどりの窓口」があり、営業時間は5:10~23:25(休み9回)です。しかしながら、自動券売機はありません!
改札手前の一室は待合スペースに。飯田線ファンクラブの写真が多数飾られてました。余りにも蒸し暑く、傘を忘れてしまいました。
時間が近づき、構内踏切を渡って2番線へ。1番線には天竜峡ライン下りのモニュメントが。
申し遅れましたが、天竜峡駅は2面3線の構内です。12時49分発の544M(313系B151編成)に乗車して日本屈指の秘境駅へ。
13時9分に田本駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和10年12月の開業時からの待合所です。勿論トイレはありません。
待合所の中へ。秘境駅訪問家を出迎えるべく木製のベンチが1つだけ設えられえています。勿論、駅ノートも揃っています。
時刻表を。下り9本、上り8本です。田本での滞在時間は44分。
うっしーさんのサイトで第4位の秘境駅ということで周辺散策しない手はないでしょう。駅前の道路を進むと、田本駅の構内が一分かり。断崖絶壁に狭いホームが張り付いてるのです
田本駅の構内を後ろに追いやると、竹林が広がっていました
竹林からは天竜川のエメラルドグリーンの川面が
市場沢川を渡りました。「311」ってあるけど何?
二叉路にぶち当たりました。直進すると行き止まりですが。
右折して竜田橋を渡りました。眼下には天竜川が。滔々と水を湛えています。
竜田橋を渡り切るとやっと舗装道路が現れました。田本駅から500m。
再び竜田橋を渡ります。下流側を見ると、左岸に集落が現れました。田本駅までは30分は歩くでしょう。
つづく
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伊那八幡駅から11時44分発の1508M(213系H4編成)に乗車。川路駅までは200円也。
11時56分に川路駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
まずは駅裏から。サッカーコートの向こうは天竜川です。
ホームから辰野方を。川路駅はただの棒線駅ではなく、保線用側線を有するのです。
それでは駅舎撮影。平成13年5月築の近未来的な駅舎です。トイレはロータリーを挟んで向かいです。
一旦待合室の中へ。ガラスタイル張りの円筒形の建物に円弧状にベンチが設えられています。勿論無人駅で何もありません。
時刻表を。上下19本ずつです。次の下り列車は12時37分発、上り列車は12時45分発…。
駅前ロータリーの中央には、「天竜川上流部 川路・龍江・竜野地区完成記念」の碑が。現在の川路駅は天竜川の治水事業によって生み出されているのです。私が学生の頃に飯田線が天竜川の濁流に飲まれたことがあったっけ。
天竜峡駅はたかだか1.5kmしか離れていないということで駅間徒歩を敢行。歩き始めは工場街です。真夏の日差しそのものです。
川路駅を出て15分近く、「天竜川総合学習館 かわらんべ」の横を通過。
踏切を渡ると、天竜峡駅場内には、件のH4編成がお休み中。
天竜峡駅が近くなると、突如として「天竜峡」が目の前に天竜峡駅は駅前からして観光地です。
側道の終点には「天竜川百年再生館」。観光案内所が併設されています。右折して踏切を渡るとゴールは目の前。
駅舎を目の前にしてふとホームを見ると、「ワイドビュー伊那路1号」で到着した373系F5編成が先に511Mで到着した213系H14編成と並んでました。
つづく
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前回は上越新幹線のダイヤ改正後をお伝えしました。飯田線駅巡りに戻りましょう。
その2はこちら
駄科駅を出て34分で時又駅に到着。平成21年12月築の簡易駅舎です。
豊橋方にある木造の建物はトイレ。駅舎と同時期の築と思われます。
では駅舎の中へ。ベンチが1列に敷かれているだけです。雨が上がるととたんに蒸し暑くなってきました。
時刻表を。上下19本ずつです。次の下り列車は11時8分発…。
早めに構内踏切を渡ってホームへ。時又駅は交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。かつては「普通駅」で、豊橋方には扱っていたホームの跡が。
2番線の待合所に着くと、名鉄バスセンターのファミマで購入したお握りで昼食。そのうち、11時8分発の221M(213系H13編成)がやってきました。
11時16分に伊那八幡駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
それでは駅舎撮影。大正15年12月17日の開業以来の木造駅舎です。トイレは下りホームの豊橋方にあります。
ファサードの部分を拡大。伊那電気鉄道の駅として開業した当時のままの姿でモダニズムを感じます。
では駅舎の中へ。荷物扱所などがそのまま残っていますが、無人化されて何もなくなっています。
待合スペースの様子。天竜川下りの弁天港まで車で3分ということもあり、ある程度の人数が座れるようになっています。
時刻表を。上り下りとも19本ずつですが、2時間近く空白の時間帯があるのが気になります。伊那八幡での滞在時間は28分…。
それでは周辺散策。駅前にはAコープがあります。
とりあえずこの道を直進します。右手には養老乃瀧。
国道151号を渡るとローソンがありました。ゴミ処理を兼ねて飲料などを購入。背景の蔵にはでした。
伊那八幡駅前の国道151号は「サンロード八幡」という商店街になっていました。
最後に駅舎の天井の様子を。伊那八幡駅の駅舎は誠に見所が多く、計10回にわたった「飯田線全駅下車への道」の中で5本の指に入るほど印象に残りました。
つづく
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「飯田線全駅下車への道・第8回」の途中ですが、上越新幹線の話題をお伝えします。
2月号の時刻表が発売開始となり、北陸新幹線開業後の新幹線のダイヤが明らかになりました。北陸新幹線開業に伴い、上越新幹線の高崎以北の利用客が半分近くになるといわれていますが、新潟県関係者の多大な尽力により「とき」の運転本数が1往復減の26往復にとどまってほっとしているところです。
では、上越新幹線の輸送力減退の実態はどうなっているのか。P編成の往来本数の比較を見てみると次のようになります。
<改正前> 越後湯沢~新潟 上下27編成ずつ
(平日運転のMaxとき491号を含む。但し、金曜は1編成増、土休日は其々1編成減)
高崎~越後湯沢 上り18編成、下り21編成(土曜2編成減、日祭日1編成減)
東京~高崎 上り6編成、下り2編成(但し、土休日は上り2編成減)
<改正後> 越後湯沢~新潟 上下24編成ずつ
高崎~越後湯沢 上り10編成、下り12編成
東京~高崎 上り6編成(土休日2編成減)、下り3編成(休日1編成減)
それでは、上越新幹線の現況をP編成を中心に見てみましょう。取材日は2015年1月16日(金)でした。
新潟駅で出発を待つ「Maxとき334号」。E4系P20編成+P7編成でした。背景にはE4系P9編成。
件の「Maxとき334号」が新潟駅を出発。E4系の16連は果たしていつまで見られるでしょう。
続いて、「Maxとき338号」(左のP9編成)と「Maxとき336号」(右のP81編成)の並びを。朱鷺色のE4系が増殖している中、黄色のE4系の並びは貴重です。
「Maxとき340号」にはP11編成+P4編成が充当されました。P4編成には「つなげよう、日本。」が残されています。
「Maxとき329号」(P14編成+P8編成)が到着し、新潟駅名物と言えるE4系4並びが実現しました
この連結面並びを違う角度から。停止位置が微妙にずれています。
最後に「とき342号」を。E2系J15編成でした。これからの上越新幹線はこれにシフトしていくでしょうね。
上越新幹線の現況は以上です。北陸新幹線開業後の「たにがわ」を見てみると、日中時間帯を中心に間引かれ、越後湯沢口で16.5往復から8.5往復に削減されている(定期列車のみ)のが分かります。また、長岡発新潟行きの平日運転の「とき」がE2系に変更されています。ただ、新潟駅新名物であるE4系の鼻並びは、改正後は毎日見れることになります。
E4系の往来本数が減れば必然的に仕業数も減ることになります。E4系のエクステリア変更作業がこれからも続くことになるでしょうが、同時に数編成淘汰されることになるでしょう。特にP1編成やP4編成あたりは要注意です。E4系はいつまで走り続けるか分りませんが、今後は上越新幹線の動向に要注目です。
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そろそろ出発の時間となりました。改札をくぐると、213系電車が並んでいました。そして、出発直前に1509Mが3番線に入線し、213系電車の3並びが実現しました
9時44分発の204Mは、1番線に停車していたH13編成。これに乗車して飯田線駅巡りを再開。
10時1分に駄科駅に到着。一見すると対面式ホームに見えますが、向かいのホームは久しく使われていません。つまり、交換設備が撤去されているのです。
それでは駅舎撮影。平成11年12月築のオープンな簡易駅舎です。駅前広場の大きさからして、かつては大きな木造駅舎が建っていたに違いありません。
豊橋方の離れた所に木造のトイレが。出発前に用を足してきました。
では駅舎の中へ。ベンチが2基設えられています。勿論無人駅で何もありません。
では時刻表を。上り、下りとも19本ずつです。次の下り列車は11時12分発…。
駅裏の旭松食品の工場からラジオ体操が聞こえてきました。しばらくすると、「伊那路2号」が通過していきました。これを見送った後、時又駅に向けて出発。
駅前は古い住宅地でしたが、数分歩くと稲わら干しの風景。間もなく左折します。
道が入り組んでて迷いましたが、何とか正解を見つけて時又集落へ直行。ここは飯田線のトンネルの真上か。
中間点までくると、㈱天龍の工場の前を通過。
ふと右手を見ると、ソバ畑が広がっていました。これぞ信州という一枚となりました。
長野原の田園はいつしか終わり、天竜川の河岸段丘へ。眼下には時又の集落が。
新川の大きなアップダウンを越えると、間もなく時又駅です。
続きはこちら
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2013年の乗り継ぎ旅のUPは未だに終わっていません。これより、2013年9月15日(日)に実施した「飯田線全駅下車への道・第8回」をお伝えします。「第7回」を終えた時点では南信地区と東栄駅周辺が残っていました。最後まで迷いましたが、南に台風18号が迫っており三河地方の悪天候が懸念されたので、前々日に飯田行きの高速バスの予約をとり、南信地区を巡ることにしました。結果的にこれが吉と出たりします。
それでは出発しましょう。
2013年9月14日(土)。この日も出勤でした。母に新津駅に送ってもらい、21時47分発の信越線459M(115系N7編成)で新潟へ。その後、22時45分発の高速バス(新潟200か324)で名鉄バスターミナルへ。
5時52分に名鉄バスターミナルに到着。三河地方が夜半に台風の影響を受けると予想したので、6時40分の営業開始を待って飯田発の最終便の予約も取りました。
7時発の中央道高速バス(名古屋200か11-24)で飯田へ。恵那山トンネルの前後が深山幽谷だというのは大きな発見でした。
8時54分に飯田駅に到着。名鉄バスターミナル時点では6,7割の入りでしたが、大半が伊良賀バス停で下車し、終点まで乗ったのは私を含めて3人だけでした。
飯田駅前は雨でした。駅前は商店街になっており、おまけにローソンもあり、何かと使えそうです。
東に向かって歩きます。駅前広場を抜けるとピアゴがあり、向かいにはサークルKが。
3分ほど歩くと、シルクホテルナカタがありました。
シルクホテルナカタの向かいには郵便局。ATMで2000円下してきました。尚、郵便局の入口には献眼の碑が。
駅に戻りました。駅舎の前には3つの石のある庭園。その3つの石はちゃんとした意味があり、飯田市が平成の大合併で南信濃村、上村を吸収したことを表現しています。
庭園の西方には、伊原重兵衛の顕彰碑がありました。
それでは駅舎撮影。大正12年12月築の蒲鉾屋根の駅舎です。改札内のトイレは辰野方に、改札外のトイレは豊橋方にあります。
では駅舎の中へ。飯田線の中核駅ということで改札の右手に「みどりの窓口」があり、営業時間は4:50~23:00(休み7回)です。また、飯田線では貴重な自動券売機も2台あります。
左手の待合スペースにはKIOSKがあり、営業時間は8:00~18:00です。その左手のショーケースには有志による写真が多数飾られてました。
さらに左手の部屋は、鉄道交流プラザ「結いの駅」です。観光案内もあり、テーブルなども付いており長居したいところでしたが、9時44分発の204Mの発車まであと数分だ~。
つづく
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廃止まであと2か月を切り、「北越」が来るときには必ずと言っていいほど撮影者が目立つようになりました。とはいえ、本日の「北越」が全てR編成になるなど、「北越」といえばまずR編成と言われるようになりました。最終日の「北越10号」が何になるかが今から気がかりですが、485系新潟車最後の晴れ舞台を最終日まで見守っていきたいところです。
さて、これから公開するのは2014年1月、2月の「北越」です。今はもう見られない白地に青とエメラルドグリーンのラインの編成もありますが、どうぞ御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2014年1月1日の「北越4号」。R21編成でした。
2つ目は、2014年1月5日の「北越4号」。R22編成でした。
9番線に移動して「北越1号」を。T18編成で到着しましたが、残念ながら「回送」で入ってきました。
4つ目は、2014年1月9日の「北越10号」。T12編成でした。
5つ目は、2014年1月12日の「北越8号」。R23編成でした。
6つ目は、2014年1月17日の「北越10号」。R22編成でした。
7つ目は、2014年1月18日の「北越4号」。R26編成でした。亀田駅で撮影。
新潟駅に移動して「北越6号」を。T15編成でした。
9つ目は、2014年1月19日の「北越4号」。R21編成でした。
先端に移動して「北越1号」を。R22編成でした。6号車側なので、連結器カバーは黒です。
2014年1月25日。「北越4号」はT13編成でした。
2014年1月26日。「北越4号」はT18編成でした。E127系V6編成である白新線633Mと並びました。
2014年1月31日。「北越10号」はT18編成でした。
2014年2月1日。「北越2号」はT15編成でした。直江津駅での撮影なので、533Mで到着した475系A25編成と並びました。
2014年2月2日。「北越4号」はT15編成でした。
9番線に移動して「北越1号」を。2つ目ライトが名物のT18編成でした。
田上駅に移動して「北越3号」を。R23編成でした。
2014年2月9日。「北越1号」はR22編成でした。運用変更で、9番線に入線した後そのまま「北越4号」となりました。
2014年2月12日。「北越4号」はT12編成でした。
先端に移動して「北越1号」を。今は亡きK2編成でした。入線直前になって幕回しが始まってました。
2014年2月13日。「北越10号」はR22編成でした。
2014年2月15日。「北越4号」は、ヘッドマークのないR28編成でした。
9番線に移動して「北越1号」を。R22編成でした。上越新幹線が大雪で不通になった中、この「北越」は定時で動いて何よりでした。(関連記事はこちら)
新津駅に移動して「北越3号」を。R26編成でした。折からの雪でヘッドマークは真っ白です。
2014年2月16日。「北越3号」はR21編成でした。
2014年2月21日。「北越10号」はK1編成でした。K編成の「北越」はもうないのかな。
2014年2月22日。「北越4号」は亀田駅で狙いました。R26編成でやってきたのでヘッドマークは真っ黒でした。
433Mで新潟駅に移動すると、8番線にT12編成の「北越1号」が24分遅れでやってきました。
2014年2月23日。「北越4号」はT18編成が充当されました。E127系V12編成である白新線633Mと並べて。
ラストは、同日に越後石山駅を通過した「北越1号」を。国鉄色のK1編成でした。
大変長くなりましたが、2014年1月、2月分の「北越」は以上です。今はもう見られないカヌ色の「北越」に懐かしさを覚えた方も多かったのではないでしょうか。私もついこの間までファインダーに収めていたので、今はもう全廃されているという実感が未だに湧きません。
さて、駅巡りのことですが、UPが遅れに遅れています。次は、2013年9月の「飯田線全駅下車への道・第8回」をお伝えする予定です。
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北陸新幹線の開業まで2か月を切り、新潟駅新幹線コンコースなどで北陸新幹線のTVCMが流れるようになりました。また、新津駅などで「しらゆきWきっぷ」の発売開始などトクトクきっぷのリニューアルもアナウンスされ、早くも北陸新幹線開業後の新体制が組まれたかのようです。
さて、今回取り上げるのは糸魚川駅です。「はくたか」しか停車しませんが、平成23年11月に北口が橋上化されるなど近代的な駅に生まれ変わりました。えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの拠点駅ともなっており、昨年末に専用の気動車が公開されたのが記憶に新しいところです。それでは、周辺を含めて見てみましょう。
取材したのは、2014年11月1日(土)。北陸新幹線開業まであと133日で、W7系が大々的に宣伝されていました。
糸魚川駅へは556Mでアプローチ。2面4線+側線2本の構内で、大糸線のキハ120系は4番乗り場から発車します。
富山方に進むと、ラッセル車がこっそり留置されていました。
階段を上がり改札を出ました。黒を主体とした内装です。右手には「みどりの窓口」がありますが、北陸新幹線開業後はえちごトキめき鉄道の窓口となってしまうのでしょうか。尚、改札内のトイレは1番乗り場の直江津方にあります。
通路を挟んで向かいには列車とバスの発車時刻表が。橋上化に伴って随分と近代的になりました。
北方向に進むと、ヒスイ王国館への通路とエレベーターが。
階段を下って北口(日本海口)に出ました。「和」のテイストを醸し出したつくりです。建設費を抑えるため、右手の駅事務室などの部分は旧駅舎のものを利用しています。階下にトイレがあります。
待合室とCHAOは1階の目立たない所にちょこんとありました。
右手にあるヒスイ王国館。何年も御無沙汰している間にすっかりリニューアルされてました。日野のポンチョが止まっていますが、橋上駅舎化に伴ってアーケードも取り付けられました。
で、ヒスイ王国館の入口には相馬御風の歌碑がありました。
駅前から日本海に向かって。魚民などいくつか飲食店がありますが、北陸新幹線開業に向けて工事の真っ最中でした。
南口に移動します。北陸新幹線の改札になるであろう部分にはプラカードなどが置かれていました。
南口(アルプス口)に出ました。3階建てであり、W7系をイメージした外装で、「X」が何本か配されています。こちらにも階下にトイレがあります。
富山方の一角では、北陸新幹線建設に伴い解体された赤レンガ車庫の復元工事が行われていました。
駅前の様子。蓮華岳など北アルプスの山々を望む閑静な住宅地です。ここもまた、北陸新幹線の開業に向けて道路工事が急ピッチで進んでました。
最後に、アルプス口の階段とエスカレーター。最近流行りの波打つ手すりです。
北陸新幹線開業直前の糸魚川駅のレポートは以上です。在来線側が橋上駅舎で新幹線側が高架駅というのは、最近見た例では新倉敷駅がこれに相当します。ヒスイ王国館もリニューアルされており、北陸新幹線開業に向けての「やる気」も感じることが出来ました。ナルスも22時までやっており、何かと使える駅です。
さて、拙ブログで取り上げていない北陸新幹線新規開業区間の駅は、黒部宇奈月温泉、富山、新高岡、金沢となりました。北陸新幹線が開通してから「はくたか」で訪問しようかな。
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前回はこちら
金手駅を出て18分で甲府駅に到着。駅前広場に出ると、「ECLAN」の駅ビルが目に入ってきました
甲府といえばこの人は外せないでしょう。西側に建つのは、言わずもがな武田信玄像です。
ようやくゴミを処理し、15時5分発の中央本線343M(115系N4編成)に乗車して帰路に就きます。
15時10分に竜王駅に到着。当駅始発の「かいじ」もあり、2面3線の構内を有します。
階段を上がって改札を出ました。4台の自動改札の左手に「みどりの窓口」があり、営業時間は6:30~20:00です。その左手にはトイレを挟んでKIOSKがあり、営業時間は6:00~19:30です。オープンな空間であり、外の空気がもろに入ります。
木造駅舎時代にも訪問したことがありますが、平成20年3月に橋上駅舎化されたとのことで今回の再訪に踏み切りました。で、南口(富士山口)は水晶をスパッと切ったような外観です。
橋上駅舎化されて新設されたものの1つ。南口階下には山県大武像がありました。
駅前の様子。割と静かですが、バスターミナルともなっており、東京方面への高速バスも発着します。
さて、北口(昇仙峡口)に出ました。駅前広場の中央の樹木が存在感を示していますが、ファサードが卓越しておりこれまで訪問した橋上駅舎の中で最も撮りにくいものとなっています。
駅前の様子。遠くに茅ヶ岳などが見え、長閑な田園地帯となっています。
出発前に駅裏を。構内の向こうにはJX日鉱日石エネルギー油槽所が。
15時48分発の441M(115系C7編成)に乗車。塩崎でボックス独占を果たすと、眞澄カップで一杯やりました。松本駅にて速攻で篠ノ井線439M(115系N16編成)に乗り継いで長野へ。長野駅に降り立ってMIDORI内の大阪王将で夕食といきたいところでしたが、北陸新幹線開業に伴う改装工事で撤退しており仕方なく「ゆきむら亭」でラーメンを食べることに。
夕食を終え、19時37分発の「妙高5号」へ。果たして充当されたのは国鉄色の189系N101編成。
「飯田線全駅下車への道・第5回」の最終回でも紹介していますが、北陸新幹線開業で「妙高号」は廃止となり、この189系電車がほぼ間違いなく終了とみられるので今回も車内をレポートします。N103編成などと同様に青と緑のテーブル付きの転換クロスシートが並び、多少揺れながらも旅行記を書くことが出来ました。
ふと洗面台に立ってみると、国鉄型ファンが興奮しそうな水とお湯のカランが!何せ、長野新幹線開業前の車両なのだから。
21時19分に直江津駅に到着し、1355M(115系N18編成)~463M(E127系V4編成+V12編成+V13編成)で信越本線を走破して新津に帰還しました。たったの2810円(運賃・指定券のみ)で0時5分から23時56分まで満喫出来ました。
「身延線全駅下車への道・第2回」は以上です。今回は市川大門駅を中心に10駅を巡ってきました。中でも、鰍沢口駅が無人化されたのには驚かされました。金手駅が鉄道ウォッチングが愉しい駅だということは大きな発見でした。
さて、身延線の行き帰りに利用した中央線の普通列車ですが、昨春以降急速に211系への置き換えが進み、441Mや439Mなどは211系の3両編成に置き換えられていることでしょう。また、C編成が充当されていた427Mや441Mなども東海道線から転配されてきた211系が多く入っていることでしょう。これから中央東線を「18きっぷ」で旅しようとされている方は、211系が充当されるものと思って下さい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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