今年の春は花の見ごろが例年より1週間以上早く、イベント会社や旅行会社は右往左往させられたのではないでしょうか。矢板の八方ヶ原ではつつじ祭りが催されます。
さて、これからお伝えするのは、2018年1月2日の「野岩鉄道全駅下車の旅」です。ご覧の皆様はご存知だと思いますが、今年の冬は例年になく豪雪でした。今回の乗り継ぎ旅では、その「雪」のシーンが多く登場します。今年の冬はこんなんだったなと思いだしていただければ幸いです。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
2018年1月1日。自転車で新津駅に行き、22時23分発の信越線2557M(E129系A9編成+B13編成)で新潟駅へ。その後、西武の高速バス(練馬200か29-73)で一夜を過ごします。
越後川口SA、上里SAで開放休憩したものの一切出ず。定刻よりも少し早い4時30分に池袋駅東口に到着。
「18きっぷ」に日付印を入れ、赤羽線443K(E231系123編成)で赤羽へ。
松屋で朝食をとり、5時20分発の東北本線521ME231(U57編成+U516編成)のグリーン車に収まってひと眠り。
6時51分に宇都宮駅に到着。56分発の日光線825M(205系Y6編成)に乗り継ぎます。
鶴田駅に着くまでの間、日光線の概要を紹介します。日光線は、宇都宮と日光を結ぶ、全長40.5km、駅数6の地方交通線です。東武日光線とともに日光へのアプローチ線となっており、1950年代まではいわゆる「日光戦争」を繰り広げていました。しかし、1960年に東武鉄道が投入した1720系は、マジックドアなど新機軸を投じた特急列車でした。これにより「日光戦争」の大勢が決し、現在の日光線は宇都宮へのフィーダー路線と化していて、時折「四季島」が乗り入れるだけで、普通列車は「いろは」を含めて全て205系となっています。優等列車は、新宿発着を含めて東武日光線により賄われています。
7時4分に鶴田駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
駅名標を。日光線の駅名標は、平成26年春のリニューアルでえんじ色になっています。
駅舎に入る前に跨線橋を。「明治44年 鐡道院」と記されています
では駅舎の中へ。駅員が居るものの、窓口の類は無く指定席券売機などになっています。券売機の向かいにはベンチが5人分。
それでは駅舎撮影。平成26年3月14日築の、片流れ屋根の駅舎です。トイレは宇都宮方に。
滞在時間は18分。駅前に宇都宮駅行きのいすゞのIKCがやってきました
宇都宮方に行ってみると栃木銀行の大きなオフィスが総務部です。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
新潟駅高架第一期開業から2週間経ちました。「バスへの乗り継ぎ時間が長くなった」という声が聞かれますが、様々な問題点も浮上してきています。
最大の問題点といえばエスカレーターの混雑。高架ホームは案外出入口が限られていて、どうしてもエスカレーターが混雑します。脱出するのに1~2分かかることもあります。そのため、3、4番線に到着するのは後ろの車両が混みあう傾向にあるのです。
2番線は階段が1本しかなく、脱出するのに数分かかることもあります。また、階段のアプローチが、2238Dでいえばいずれも1、2両目のため、こちらも信越線でいえば新津寄りの車両が混みあうのです。
で、NEWDAYSを挟んで向かいは工事用出入口となっています。
2018年4月22日。4月14日まで使用されていた仮トイレ跡は、すっかり引っ込んでました。
旧乗り換え改札は、工事用出入口になってました。
旧4番線は、すっかり工事用出入口になってました。
で、その向かいの2台の精算機は固く塞がれてました。
改札を出ると、「km-0 niigata-lab」の隣はバリケードが築かれていました。
2018年4月28日。仮トイレ跡は、STARBUCKSのショーウィンドーになってました
旧1番線は、鉄板などでほぼ密閉されてました。
旧1~4番線の線路を。線路は錆びついてましたが、工事はこれから。GW明けに始めるのかな。
地下改札は4月14日限りで封鎖され、ショーウィンドーの一部になってました。
最後に、新潟駅の新名物を。8時32分頃に8626Dが到着し、キハ110系列(またはキハE120系列)が一瞬並びます。
11時58分に到着した越後線143Mは一旦電留線に引き上げ、12時28分頃に3番線にやってきます。30分に「しらゆき3号」が到着し、115系とE653系が一旦並びます。
新潟駅高架化工事の「いま」は以上です。利用者の声を聞いてみると、2番線の階段が急だという話が聞かれます。2番線から発車する列車を敢えて避ける人もいます。高架全面開業は2年後なので、その頃には出入口が2つになりエスカレーターやエレベーターも付くことを信じましょう。その頃には、CoCoLo万代は無くなってしまうでしょう。
ところで、新潟駅の高架ホームや待合室にはゴミ箱がありません!JR東日本新潟支社もセキュリティーに対していよいよ敏感になってきたのだろうか。ゴミを処理するには地平ホームに行ったりするなどして対応しています。
世の中は今日からGWです。次は、「野岩鉄道全駅下車の旅」をお伝えします。
昨日、東武鉄道は衝撃的なプレリリースを発信しました。行楽シーズンに運転される臨時列車「尾瀬夜行 23:55」が、今年から「リバティー」こと500系で運行されるというのです。勿論300系の廃車に伴うものですが、これこそ時代の流れというべきなのでしょうか。
さて、今回お伝えするのは6050系です。6050系は、6000系をリニューアルしたものであり、1985年から1年かけて一気に出揃いました。「スカイツリートレイン」こと634形もその仲間です。当初から浅草から東武日光、会津田島へ乗り換えなしで導いてくれる、料金不要の「快速」として運転されることを前提に設計されるものです。長距離利用客向けのつくりということで、私の好きな車両の1つです。しかし、昨年4月21日に「リバティー」の運転開始に伴うダイヤ改正で、6050系は浅草乗り入れを廃止し(「快速」の廃止)、南栗橋以北に押しとどめられてしまいました(「急行」と「区間急行」の誕生)。そのため、少しずつ廃車解体される編成が発生しているのが現状です。
それでは、6050系のシーンを見てみましょう。撮影日は2018年1月2日でした。
下今市駅にて東武日光線420を。前面が死にましたが、6100編成+6163編成でした。
続いて、東武鬼怒川線307を。6174編成でした。
6174編成に乗車したので車内を見てみましょう。ワインレッドのセミクロスシートが並んでいます。
6050系を6050系たらしめるものといばコレ。ノートが置けるくらい大きなテーブルです
6050系のもう1つのチャームポイントといえばコレ。車端部の方向幕です。誤乗防止の役割を果たしてますが、「東武日光」とか「会津田島」を見ると何だか旅心をくすぐります。
トイレはクハ6100形に付いています。昔ながらの和式トイレです。
最後に、会津田島駅にて野岩鉄道からの859を。6153編成でした。
6050系については以上です。私はJRの駅巡りを中心に行っているもので、6050系をガッツリ撮影したのはこの日だけなので、データーはこれだけしかありません。南栗橋以北に行けば当たり前のように出会えるということです。
当たり前のように走っている6050系ですが、経済的寿命をもうとっくに過ぎているものと思われます。野岩鉄道などの普通列車の減少分を「リバティー」で補って本数を調整して生き長らえさせているのではないでしょうか。最近、2連化された10000系が次々と出ていると聞きますが、果たして後継車両になり得るのでしょうか。
16時32分に真岡駅に到着。折角なので、SLキューロクの館へ。
まず目に入ったのは「スハ44 25」。見るからにして、私が生まれる前の客車だったに違いありません。
では「スハ44 25」の中へ。一昔前のボックスシートです。
「スハ44 25」の前方には「49671」。これぞ「キューロクの館」の名の由来です。
折角なので、「49671」の運転台へ。
では外へ。「キハ20 247」が保存されてました。
「キハ20 247」の手前には「ワフ16」が。
「ワフ16」の右隣には「ワ12」。で、その右隣には「ヨ8016」が保存されてました。
駅舎に戻って階段を上がって。自由通路には駅舎の絵画が。寺内駅と久下田駅とひぐち駅かな。
こちらは益子駅と西田井駅と何駅だっけ。
で、別のコーナーには市塙駅と多田羅駅と茂木駅が。
4階には真岡線の資料が保存されてました。
展望デッキに上がって當山男山で打ち上げ。ついに雨に降られました。
雨が本降りになって、再び改札をくぐります。入場制限が敷かれた中2番線に行くと、C11 325がスタンバイしてましたこれぞ「SL夜行列車」です。
17時25分発の136(モオカ14-1)で下館へ。春日部から来たという母娘と相席に。下館到着後、水戸線762M(E501系K751編成)に乗り継いで。
小山で彼女らと別れた後、両毛線468M(211系A27編成)に乗り継いで。
時刻表を改めてよく見ると、新前橋にて上越線749Mに乗り継げないことが判明ということで、高崎まで乗り通して「Maxとき343号」(E4系P16編成+P14編成)で抜け道。
越後湯沢到着後、上越線1751M(E129系A28編成)~信越線469M(E129系B6編成+A11編成)と乗り継ぎ新津に帰還しました。
「真岡鐵道全駅下車の旅」は以上です。今回は、真岡鐵道の全駅を巡ってきました。とりわけ、最大の収穫は、真岡鐵道が稼働させている2両のSLが揃い踏みで見れたことでした。
今回の駅巡りは20分未満の滞在駅が多かったですが、とりわけ印象に残ったのは、駅そばのある茂木駅、六角形の駅舎の市塙駅、駅前には何もない益子駅、そして大きなSL駅舎の真岡駅といったところです。
ところで、SLキューロクの館は、今週末にオープンから5周年を迎え、28日にはD51 146がエアーの力で動くイベントが実施されます。今週末に真岡鐵道においでの方はご参考までに。
さて、今年の春は未曾有の勢いで桜前線が北上し、新緑を迎えようかという勢いです。次は、東武鉄道の6050系についてお伝えします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
15時18分発の125(モオカ14-4+モオカ14-6)で益子駅を出発。
15時23分に七井駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
構内踏切を渡って駅舎の中へ。2辺にベンチが設けられており、角にはテーブルが。
それでは駅舎撮影。2000年3月築のガラス張りの駅舎であり、太陽光発電施設が備え付けられていますトイレは右手の入口に。
27分の滞在時間を利用して周辺散策。駅前は閑静な住宅地です。
200mほど進むと、浄土宗の寺院である稲荷山 正法寺が。尚、七井バス停へは300mです。
15時50分発の132(モオカ14-8+モオカ14-9)で下館方面へ。
15時58分に北山駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。茶系の色合いの待合ブースです。「本物の出会い 栃木」の幟がズラリ。
階段を上がると和風の建物が。トイレです。
19分の滞在時間を利用して周辺散策。山の中の駅といった趣です。
そぞろ歩いていると、次々と栗の実が。当然青いですが。北山駅は、瑞光寺のある根本山など桜の名所がありますが、ここら辺で引き返しました。
駅に戻って残り僅かな時間を。「真岡線愛護会」と書かれたベンチが並んでいました
16時17分発の134(モオカ14-6+モオカ14-4)で真岡鐡道全駅下車の達成の地へ。
16時32分に真岡駅に到着。真岡鐡道の運行上の拠点駅で、対面式ホーム2面2線+側線数本の構内です。
では駅舎の中へ。改札の左手には窓口と旅行センターがあり、営業時間は9:20~18:00(土休日は17:20)です。右手には土産物屋が。
土産物を購入して駅舎撮影。平成9年3月30日築の、「SL」を模した大きな駅舎です。トイレは茂木方に。この駅に降り立って真岡鐡道全駅下車達成。
駅前には「動」のモニュメントが。真岡鐡道はSLでもっているようなものです。折角なので、キューロクの館へ。
話が変わりますが、山田線では昨日制御方式が変わり、盛岡駅の指令によるCTC管理となりました。これに伴い、上米内、区界、川内、茂市の4駅が無人化され、区界では交換設備が撤去されました。山田線で定期券が買える駅は宮古だけとなりました。この間の後閑駅と言い、JRの駅の無人化の流れは止まりそうにありません。
つづく
13時54分に市塙駅に到着。
日枝・熊野神社の参拝を終えて桜川へ。サイクリングロードが伸びてました。
14時24分発の128(モオカ14-3)で下館方面へ。
14時36分に益子駅に到着。一見する限り、片面ホーム1面のみの構内ですが…。
交換設備が撤去されて棒線化されているのです!線形から見て明らかです。
では駅舎の中へ。左手には窓口があり、営業時間は6:55~10:25、14:20~18:20(土休日、夏休み期間は8:30~17:10)です。
それでは駅舎撮影。1998年3月築の、塔が2つある駅舎です。「関東の駅百選」に選ばれているとか。尚、トイレは茂木方に。
で、窓口の向かいには大きな益子焼の器が
駅前ロータリーには「alom」が。藤原郁三陶房の作です。
駅舎の下館方にある大きな建物は観光案内所が。2Fには何もなく施錠されてました。
その観光案内所の中へ。勿論、観光パンフレットなどが置かれているブースもありますが、高校生などが勉強出来るテーブルも設えられています。
そうこうするうちに観光バスが乗り付けてきて、多くの女性達が下車していきました。千葉から来たそうで。これから「SLもおか」に乗るのだとか。彼女についていく形で駅裏に行くと古い住宅地になっていて、しまむらもありました!
ホームでしばし待ち「SLもおか」を。定刻15時1分に出発していきました。
「SLもおか」を撮り終えて下館方へ。蔵風の建物に出会いましたが、益子町福祉センターと益子町シルバー人材センターでした!尚、茂木方にも和風の建物がありますが、保健センターです。
とすると、ベルモール宇都宮東武行きバスが通過していきました
つづく
真岡鐵道駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR九州は本日、2017年の九州北部豪雨で流されていた久大本線の花月川橋梁が復旧し、同橋梁を含む光岡~日田間が来る7月14日に運転再開すると発表しました。これで、「或る列車」も元の運行形態に戻ります。未復旧区間は、豊肥本線の阿蘇~肥後大津間、南阿蘇鉄道の中松~立野間および日田彦山線の添田~夜明間のみになります。
さて、本題に。13時27分発の126で天矢場駅を出発。「モオカ14-1」ということで、下館に行くという女性と相席に。
13時39分に多田羅駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。ブロック積みの基礎にログハウスの駅舎です。屋根は木造駅舎のものが使われています。
トイレは茂木方に。外観は駅舎と共通です。
時刻表を。上下それぞれ23本ずつです(「SLもおか」を含む)。滞在時間は11分。
駅舎の中へ。おじさんが休んでいますが、2つのブースにそれぞれベンチが設けられています。
時間がないので駅前だけ。駅前には県道163号が通じていますが、西方1kmほどの所には多田羅沼が。
多田羅駅は森林浴気分を味わえた駅でした。13時50分発の121(モオカ14-3)で茂木方面へ。
13時54分に市塙駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
それでは駅舎撮影。中華風の六角形の駅舎です。駅裏には芦原城址と山根城址が。
トイレは下館方に。見た感じからして、築20年以上かな。
では駅舎の中へ。ベンチは2辺に設えられ、他の2辺はショーウィンドーになっています。
30分の滞在時間を利用して周辺散策。少し歩いていると、茂木ゆきのJRバスのブルーリボンが通過していきました。
5分ほど進むと、日枝・熊野神社に到着。
本殿に行き、真岡鐡道全駅下車達成を誓ってきました。
本殿の脇には大杉が。何でもこの杉の木、栃木県名木百選に選ばれているとか。
石造りの鳥居をくぐって日枝・熊野神社を後にします。尚、日枝・熊野神社の八朔祭は8月の第1日曜から3日間開かれるそうです。
話が変わりますが、JR東日本高崎支社は昨日、上越線の後閑駅について、明日から無人駅にすることを明らかにしました。「利用者数を鑑みて、人員配置を適正化したため」とのことですが、JRグループもいよいよ人手不足の時代に入ってきたことか。利用者は1日800人だそうですが、彼らから聞こえてくるのは苦情ばかり。
つづく
前回は新潟駅高架第一期開業レポートをお伝えしました。真岡鐡道駅巡りに戻りましょう。
その6はこちら
真岡鐡道124は、12時48分に笹原田駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。平成4年3月14日に開業した、青色のトタン板の待合所です。トイレはありません。
一旦駅舎の中へ。くすんだ青色のベンチが14人分並んでいます。
駅前の様子。「てんとう虫の家」という雑木林です。
駅からは細道が伸びており、車道へはしばらく歩きます。つまり、笹原田駅への車でのアプローチは不可です
13時2分発の119(モオカ14-1)で再び茂木方面へ。
13時4分に天矢場駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。緑色のトタン板の待合所です。
茂木方には瓦の大きなトイレ。ここで2度目の歯磨き。
「控所」となった駅舎の中へ。ベンチが白、橙と交互に計14人分並んでいます。
駅前にはぼたん桜が。天矢場駅が平成4年3月14日に開業したことを記念して50本寄贈されたものです。
で、下館方に視点を転じると、㈲市原典礼 もてぎホールが。
出発前にホームから見える景色を。駅裏は国道123号。たまたま観光バスが通過していきましたが、茂木ゆきのJRバスも通過します。
つづく
2012年頃から進められている新潟駅高架化工事。今日になってようやく2~5番線が高架に上がり、「いなほ」と「とき」の平面乗り換えが実現しました。それと同時に、西口には「COCOLO西N+」なるものが開業しました。利用者の評判がすこぶる悪い(?!)8、9番線の設置から5年半経ってやっと第一段階が終わったと言えます。
2018年4月1日。西改札を出ると、旧ヨドバシカメラには何かが掲出されていました
西側自由通路への壁には何やらショーウィンドーのようなものが。
そして、西側自由通路に廻ると、通路がイメチェンしており、シャッターのようなものも
新潟駅高架第一期開業の前日となる2018年4月14日。白新線、信越線、越後線は大幅な時刻変更や区間運休が行われたりしていました。「いなほ4号」は快速9824Mに化け、豊栄止まりとなってました。
豊栄~新潟間は代行バスによる運転となってました。この時は確か、11台だったのかな。
新潟~豊栄間は普通列車も走っていましたが、東新潟止まりを除く全列車が気動車によって賄われていました。しかも、新潟行きの上り列車は全て東新潟駅を通過。
大形駅を出ると貨物線に入り、東新潟駅のホームには入らずに新潟貨物ターミナルへ。ちなみに、大形~新潟間は都合35分ほどかかりました。
「しらゆき4号」は、新潟~新津間は快速列車として走りました。
で、上沼垂から新潟駅高架ホームへのアプローチでは最終確認が行われてました。
2018年4月15日。ついに「その日」がきました。8番線から降り立つと、2~5番線へは右の狭い通路を進むことになります。
眼下には、昨日限りで廃止された1~4番線が。
このまま進めばCOCOLO東ですが、改札を出ずに右折して仮設風の通路を進みます。
数分歩くとコンコースに出ました。
右手には改札内のNEWDAYSが。
その右手には2番線の通路が。
トイレは、3、4番線への通路を挟んで右が男子用、左が女子用と多目的トイレになっています。
トイレの左手には待合室が。42人分座れるようになっています。
で、その左手には「僕達の世界の銀河系」(石栗仁之)という絵画が。
5番線に上がりました。中央にはKIOSKが。
6,7号車付近には乗換改札が。
そして、1、2号車付近にも乗換改札が。
一方、地上に視点を転ずると、旧2,3番線のKIOSKは閉鎖されて廃墟と化していました。
万代口改札の地下通路も閉鎖。当然、1番線もバリケードが設置されてました。
COCOLO西N+に向かってみると、4番線への連絡通路も閉鎖されてました。
そして、昨日まで使用されていた仮トイレも固く閉ざされてました。
西改札を出ると、右手にはCOCOLO西N+が。STARBUCKS、ぽんしゅ館コンプレックス、ベーカリーPAOが入ってます
西側自由通路への回廊は間接照明が用いられてます
旧ヨドバシカメラB館は、「km-0 niigata lab」「ぽんしゅ館 クラフトマンシップ」となってます
そして、向かいは、COCOLO西N+の自由通路側からの入口となってました。中には休憩スペースも設けられています。
大変長くなりましたが、新潟駅高架第一期開業レポートは以上です。今回の意義は、「いなほ」と「とき」の短時間乗り継ぎの実現といっていいでしょう。
ただ、お分かりの通り、8、9番線という地上ホームが残っています。2~5番線と8、9番線への動線は以前よりも長くなってしまい、利用の少ない時間帯でも6、7分かかるでしょう。朝ラッシュの時間帯はもうご想像にお任せします。例えば、信越線423Mから羽越線1925Mへの乗り継ぎとか、越後線1941Mから信越線3482Mへの乗り継ぎはまず無理と言っていいでしょう。
真岡鐡道117は、12時23分に茂木駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
では駅舎の中へ。改札の左手に窓口があり、営業時間は7:10~10:30、14:50~18:10(土休日は8:10~17:10)です。
で、右手には空調の効きすぎた待合所が。座布団がいいですね。
それでは駅舎撮影と思ったら、笠間道行きのJRバスのエルガが出発を待ってたではないですか
バスが横付けする前に駅舎撮影。平成9年5月築の三角屋根の駅舎です。
左手には「平成そば」が。滞在時間が18分しかないので召し上がれないのが残念なところ。
右手には「ききょう館」が。テーブル付きの待合所です。トイレはその右手に。
駅前の様子。向かいには観光案内所がありますが、至って静かな街並みです。
折角なので、2FのSLギャラリーに上がって。「SLもおか」で牽引したC12 66は早くも方転を終え、給水を受けていました。
おや、C12 66が再び転車台に載ったではないですか
と思ったら、引上線に後退したではないですかこれから14時26分の出発に備えて入換します。これを見届けて、12時41分発の124(モオカ14-6)で折り返します。
次は、新潟駅高架化工事についてお伝えします。
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