ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

実話。ヘビの話と鳥の話(3)

2008-06-05 | 放蕩息子Part2
そして、瞬間的に、
現われたヘビの首を狙って、棒で打ちました。

それから、
連打して、
ついに、ヘビは、動かなくなりました。

((ヘビがいなくなっていたと思った人、残念でした。))

(つづく)


実話。ヘビの話と鳥の話(2)

2008-06-04 | 放蕩息子Part2
「まだ、おるか?」
「いると思うよ・・・」
「どっかに、棒、ないかな?」
「台所にしゃもじがあるけど・・・」
「そら、あかんやろ」

で、今度は、棒を探しに行きました。

適当な棒が見つかったので、
さあ、いよいよ、対決です。

静かに、扇風機に近づき、

扇風機の周りにあった、椅子とか、ゴチャゴチャしたものを、
ひとつひとつ、
そろっと、取り除いていきます。
もちろん、片手には、棒を持って、
ヘビが出てきたら、いつでも叩ける用意はしています。


ついに、扇風機の周りは何もなくなりました。

扇風機のコンセントを抜きました。

あとは、扇風機を動かすだけです。


扇風機を動かしたら、
ヘビが飛びついてくるかもしれません。

静かに、扇風機に近づき、

右手は棒を構え、

呼吸を整え、


パッと、扇風機を取り除けました。

(つづく)


実話。ヘビの話と鳥の話(1)

2008-06-03 | 放蕩息子Part2
いつもは創作のストーリーを書いていますが、
今週は、実話です。 ←(すでに、ストーリーが始まっているのではありません。)

ある日曜日の午後のこと、
二階の部屋で、いつもよりのんびりしていると、
妻が「ヘビが出た」と言うのです。

「またまた、そんなアホなことをゆうてからに」
と思いながらも、
とっさに知恵が回って、デジカメを手に、
部屋を出て、階段に行きました。

そしたら、ほんまにおったんです。ヘビが。
大きさは、1メートル弱。太さは、指くらい。頭が三角で、首のところにくびれがある。深緑色の背中に、頭のへんだけ、赤っぽい斑点がちょっとある。
思いっきりズームにして、つまり遠くから、写真を撮りました。

撮ってる間に、ヘビがこっちに気がついて、
とぐろを巻き、
頭をもたげて、こちらをにらみつけ、
威嚇してきます。

また、写真を撮っていると、
ヘビは、
するっと階段を下りて、一階の扇風機の下に隠れました。

「そんな、写真なんか撮ってないで、早くなんとかしてよ!!!」

「毒蛇かも知れへんやん。
 ちょっと見張っとって。服着替えてくるから」

そう言って、妻に階段の上から、一階の扇風機の下のヘビを見張らせ、
厚手のズボン、靴下、そしてジャンバーを着込んで、
来ました。

(つづく)


天国の秘密(7)ウンチク編

2008-04-27 | 放蕩息子Part2
ゴールデンウィークですね。海外旅行出発のピークは5月4日、帰国のピークは5月6日だと、どこかで見ました。今回のストーリーは、なんとなく海外旅行風な天国のストーリーです。もちろん、あえて言うまでもなく、フィクションです。

実は、今回のストーリーにはネタ元がありまして、どこかで聞いたことのある話を二つ、ヨナなりにアレンジして、一つのストーリーにしました。でも、その二つの話し、どこでだれから聞いたのか、まったく記憶にないのです。ごめんなさい。

聖書によれば、天国と地獄があることは、はっきりとしています。そして、天国の「都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった」と黙示録21章21節に出てきます。

さて、今回のポイントは、金(ゴールド)に象徴される財産に地上でどんなに執着しても、天国に行ったらただの石ころほどの価値しかない、というところではありません(まあ、ここもけっこう考えるべきポイントとは思いますが)。

今回のポイントは、祈り続けることの大切さ、です。見た目何も変わらない、かえって流れが悪くなっている、そんな中でも祈り続けるのは、それは、神様への信頼の現われです。本気で神様の力を信じ、本気で神様が自分を愛してくれていることがわかり、本気で神様が自分の祈りに答えてくださることを期待していれば、祈り続けるはずですね。

神様は、永遠的視点から、私たちの祈りに、神様の最善をもって答えてくださいます。それは、私たちの願いが、そのままかなう、という意味ではありません。また、神様を本気で信じていなくても、熱心に祈ることはできます。自分の願いを念じ続ければいいのです。でもそれは、信仰の祈りではありません。自分の願い事が願ったとおりかなうわけではない、それがわかっていながら、「神様。この問題、この課題、この出来事、あなたにお任せします。あなたの最善をなしてください」と祈れるのが、信仰の祈りです。

私たちが信仰の祈りを始めたその瞬間から、神様は、その祈りに答えようと動き始めています。


いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために
(ルカによる福音書 18章1節)



天国の秘密(6)

2008-04-26 | 放蕩息子Part2
天使が静かに言いました。
「だから言いましたでしょ。見たら、がっかりしますよって」

男は、天を仰ぐようにして言いました。
「もう少し祈っていれば、もう少し信仰をもって待っていれば・・・。もうすでに、答えは用意されていたというのに」

天使は言いました。
「神様は、人が祈り始めると、すぐに聞いてくださいます。そして、最善の答えを用意して、最善のときに送り届けるようにと、天使に渡すのです。ところが、ほとんどの人は、祈りを止めてしまったり、期待する信仰を失ったりして、待つことをしなくなるのです。そうすると、その用意された答えは行き場を失って、こうしてここに集められるのです」

(次回は、このストーリーから、人生の知恵をまじめにウンチクります。)