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サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

地球深部探査船 ちきゅう

2009年02月15日 | 旅行



今日は、六甲アイランドで、地球深部探査船「ちきゅう」の
一般公開の日。

うちのちびと行こうと思っていたが、上二人はインフル。
下は、水疱瘡。
皆、外出禁止になった・・・ので、おばちゃんは一人カメラを
持って、六甲アイランドへ向う。

ちょっと、出遅れたおかげで、見学にたどり着くまで4時間。(笑)
(USJより、すごいかも?)

でも、普段見ることが出来ないものが見られたのでよかったです。

地球深部探査船の写真
横須賀が本部だそうで、青森・高知・沖縄などに、研究機関があるそうです。
今回は、南海沖トラフの研究に入る前に神戸にやってきました。
ここは、地震が起こる可能性が高いところなので、是非是非地層で、
歴史を調べて欲しいです。

この機構は、「しんかい6500」も持っていて、これは世界最深の
潜水船。ギネスにも載っているほどです。

まあ、日本の近くには、マリアナ海溝があるので、私が生きているうちに
この調査船が、マリアナ海溝の調査してくれて、その結果をテレビでみたいです。

で、今日見た「ちきゅう」は、掘削して、その場で研究も出来るという
素晴らしい船で、本当に本当に大きかったの一言です。

船の中の表記は、すべて英語なので、日本の船なのに・・・と、思って
係りの人に聞いてみると、こんな調査船はないので、世界中の
研究者・技術者が乗るので、船の中での公用語は「英語」なんそうです。
なんともまぁ~~すごい!!
私は、英語には不案内なので、書いてあることも、すぐには分からず
学校のテストを受けている気分です。

この船は、同じ場所で掘り続けていないといけないので、GPSを
使って、そして、直径4メートルのスクリューを6つ使って、
海の上で同じ場所に固定するのだそう。

同じ場所を、時間をかけて掘削しているので、研究者や技術者は
ヘリを使って乗り込むこともあるそうです。

とにかく、全然知らない世界の話で面白かったです。





須磨離宮公園の梅の開花状況

2009年02月12日 | 旅行
昨日、2月11日須磨にある離宮公園に梅を見に行ってみた。

会社の前の梅が良く咲いていたので、これはいいかも?
と思っていたのだ。

で、お出かけしてみたが、まだ、ちょっと早かった。
この感じだと、週末から来週がいいのかな~~。

須磨離宮公園は、昔は「離宮」があったところだ。
大正天皇のために、作られたものだと聞いた記憶がある。
一度も来られなかったか。一度くらいは来られたか・・・というくらい、
使われていなかった。
まあ、電車しかない時代だから、東京からは遠いよね。

私が小学校の時同級生のおじいさんが、離宮の畳を入れ替えたことが
あるとか、お庭の剪定に行ったことがあるとか、とても、趣のある建物だったと
聞いたけれど、離宮そのものは、戦災焼失した。

その後、永らくそのままにしていたが、今上天皇のご成婚を記念して
神戸市が、市民公園に手直しをした公園。

で、小さい頃から、私にとっては、慣れ親しんだ公園。
まあ、噴水とバラと「もみじ」くらいが、有名かな?(笑)
フランスの庭園様式を模して作ったと、子供の頃聞いていたが、
実際、フランスへいってみて、どこがフランス様式なのか・・・・
かなり、考えてみてみないと分からない。(笑)

いつだったか、離宮公園に隣接して住んでいた「華麗なる一族」が、
神戸市にその土地を渡してから、離宮公園はさらに拡大した。
その土地に、「梅園」が作られて、冬はこちらを、夏と秋は
昔からの方を訪ねることが多い。

「華麗なる一族」には、子供だったし、お会いしたことがなかったが、
大きくて立派な門と、お屋敷が見えないほどの森に囲まれていたことを
思い出す。
そして、大きくなってから、「華麗なる一族」のモデルになった
おうちだと知った。
テレビでは、お屋敷から海が見えていたが、あそこまで高台ではないし、
あんな夜景が見えていたかどうか・・・疑問であるが。

それにしても、ほとんど歴史のない神戸にとって離宮公園は
貴重な歴史的な遺産の一つなのだ。

流氷初日!!

2009年02月04日 | 旅行
昨日は、北海道は知床の流氷初日。
今日は、接岸。

お友達の、いつも素敵な北海道のお写真を見せてくださる「かもめさん」のところで、流氷がやってくる日を当てましょう!!
クイズが開催され、参加!!

初回は、1月24日でエントリーしたけれど、今年は温暖化のせいか
なにかは知らないけれど、今までに無い遅さと言うことで、次々に
皆、撃沈していき再エントリー。

2月・・・いつにしようかな・・・・そうだ!!2月19日にしよ!!
当たり前だが、絶対とっくにきているはず。
毎年バレンタインの前後は、風の影響がなければ、素晴らしい景色が
見られるからだ。
この日にしたのは、単純にお誕生日だから。
(別にプレゼントを要求しているわけではありません!!)

で、昨日観測されて、今日接岸した。
もちろん、接岸したからと言ってずっと張り付いているわけでは
なくて、風向きによっては、沖に流れてしまう。
でも、ロシアのアムール川から、遠い遠い旅をしてきた流氷は
ロマンを感じさせてくれる。
流氷が見られる最南端が知床なのだ!!

本当に本当に、見渡す限り海が氷に囲まれていて、おまけに、
ガリンコ船で、観光すると氷をかき分けていくので、
見たことのない景色に私は興奮。

気温もマイナス何十度だったようなきがするけれど、不思議と
寒かったイメージは残っていない。
お天気に恵まれていたのかな・・・・?

知床の写真はこちら

知床で、見たショッキングな出来事。
流氷に、エゾじかが乗っていた。そして、次の瞬間乗っていた氷が
割れてしまった。
鹿が、海にはまってしまったので、近くのお店に入って
「鹿が海に落ちたんです。助けてあげないと・・・」と言うと、おじさんが
「力があれば、助かるし、駄目ならそれまでやな」
と、言う。
まあ、自然の摂理はそうなんだろうが、そんな瞬間を見てしまった
私は、びっくりだったし、生きるって大変なんだなぁ~と、初めて
思った知床旅情でした。

私をスキーに連れて行って・・・の時代

2009年02月03日 | 旅行
子供の頃から、スキー好きな両親に育てられた。

弟二人は、さっさと上級者になったが、私はパラレルどまり。(笑)
ウェーデルンなんて、最初の2~3回でリズムが狂ってしまう。

志賀高原、白馬、苗場・・・ニセコ色々毎年年に2~3回行っていた。
映画「私をスキーに連れて行って」が大ヒットし、主演女優の
着ていた白いウエアが、ゲレンデに溢れていた。

北海道は、パウダースノーは、本当に気持ちが良くてよかったのだけど、
異動時間が長くて、朝から飛行機に乗って、ゲレンデに出るのは
夕方・・・になってしまうので、我慢をすることが嫌いな私たちは、
他のゲレンデを物色。

そこで、目に留まったのが、「蔵王」
樹氷の並木?のパンフをみて、行ってみた~いと、友人にお願いすると
快諾。
で、行ってみると、朝出発して、お昼にはゲレンデに立ててしまう。
ので、体が楽なのですっかり気に入って何回か通った。

はじめて見た樹氷原は、えんえんと続くので楽しいし、びっくりした。
あまりにも大きかったからだ。
ボーゲンが出来れば、楽しめるコースなのもいい。
スノウ・モンスターというらしいが、まさにぴったりの表現。


初めて行った時、ゲレンデでは「演歌」が流れていた。
他のゲレンデでは、ユーミンが流れていたのに・・・である。
もっとも、これは、翌年ユーミンに変わっていた。

本当に、大きなゲレンデで、隣のゲレンデに移るのに
スケーティングが必要なのがちょっと、ネックだったかなぁ~。

晴れた日には、修験道で有名な「月山(ここは春からスキーが出来る)」
を、見渡すことが出来て、本当に絶景。
でも、でも、である。
樹氷が大きく育つには、日本海からの強風がなければ育たない。
ので、2~3日に1回くらいの割合でしか晴れない。
晴れた日は、本当に美しい景色が広がるのだけど、
樹氷のために、吹雪の中ですべるのだ・・・。
もう、年だから、あんな無茶はできないな・・・。

でも、また、あの景色を見たいと思ってる私なのだ。

桂林でみた光景

2008年12月21日 | 旅行
母が亡くなってすぐの新年、日本にいても仕方が無いと、
ぶつぶつ言っていたら友人が一緒に遊びに行ってくれると
言ってくれたので、中国の上海と桂林に行くことにした。

上海は、祖父が戦前に一時期住んでいて、日記を読むと
楽しそうな雰囲気があったので、行ってみたかったのだ。
祖父は、戦後すぐに亡くなってしまったが、ヨーロッパや
台湾・朝鮮半島と色々仕事で行っていた人なので、その日記を
読むのが楽しかった。

で、正月のそれも元旦に出発した私たち。
中国は、あまりに大きいし、片言の英語でなんとかなるような場所でも
なさそうなので、ツアーで参加。

上海は、経済特区として、すさまじい状態だった。
泊まっていたホテルの前は区画整理が行われていたが、
その区画に出ていた、看板を見て、
私たちが読みとったのは、期限までに家を空け渡さなければ
罰せられるということだった。
とにかく、あちこちで本当に工事が行われていて、震災後の
復興が進む神戸のような空気の悪さ。

外灘(バンド)は、夜景が有名だが、そこに並ぶ所謂異人館も
規模が全然違う。
ある意味、ヨーロッパよりも規模がすごいかも知れない。
横浜や神戸はホント屁のつっぱりにもならない・・・なんて状態だ。

その頃は、昔、日本が作った日本家屋がどんどんなくなっていて、
新しいビルへと生まれ変わっている時代だったが、
街を歩いていると、表はすごく綺麗だったがちょっと、
裏をのぞけるような場所には日本家屋は残っていたし、
ちょっと、暗いな!と、感じるような街だった。

朝の散歩をかねて街をぶらぶらしたが、とにかく人の多さと
マナーの悪さには、関西人の私も吃驚だった。
朝ごはんも、外で食べることが多いという言葉どおり
朝早いのに、あげパンを売るリヤカーや饅頭を売るお店が
開いているのだ。
私たちは、ある饅頭屋さんで肉まんを指差しで買った。
並んでいる人が多かったからだ。
正直、ホテルやレストランで食べる饅頭よりここのが
一番おいしかった。

で、桂林に行くのも上海から飛行機だ。
中国は、なんと言っても広い。
で、空港には、軍人のような制服を着た人がぞろぞろいて、
人を統制していたのもびっくり。

桂林の空港は、その頃新築されたばかりで、関空に似た印象を受けた。
空港をでて、しばらくは出来たばかりの高速を走ってホテルに到着。

で、翌日、杜甫や色んな詩人が詠んだ景勝地桂林観光へ。
しばらくは、舗装された道を走っていたが、そのうち、よくならされては
いるけれど、無舗装の道路になった。
でも、周りの畑は、日本でいえば大潟村のような綺麗な区画で
広々していて、道端には時期物のかんきつ類が積まれて、
行きかう車に対して売っている。
のどかな農村の感じがよく伝わってくるような光景だった。

で、桂林は舟で観光するのだが、もちろん、桂林の景色も
素晴らしかったが、私が衝撃を受けたのは、そこで生活する人たち。

桂林の地形からわかるように、川と山がすごく急なので、ほんの
少ししか家を建てたりする場所はないし、耕作する田畑も
その辺りでは作ることが出来ない。
でも、人間はどんなところでも住んでいるのも事実で、
こんな場所でも人は住んでいる。
どうやって、生計を立てているのかは知らないが、私にとって
ショックだったのは、一つの小さな重機が川の護岸工事でも
するのか、土や砂利を掘っていた。
そして、その掘り出した土を、女性が二人で竹を編んだ駕篭のような
ものに入れて、肩に担いで運んでいるのだ。

10人くらいの女性がいたように思う。
掘るのは、機械だがそれを別の場所に移動させるのは人力なのに
びっくりして、彼女達から目が離せなくなった。

明かに、それまで見てきた中国の人たちとは違って、疲れているように
見えたし、いくら男女平等とはいえ、女性ばかりがその仕事を
その場所ではしなくてならないのか・・・・。

どんな国でも、いろんな面があるのだろうけれど、ある一面を
見た感じがした一瞬だった。

全然知らない人の結婚式

2008年11月19日 | 旅行
もう10年くらい前だろうか・・・・。

かねてから、行きたかったシチリアに行くことにした。

会社の同僚が、シチリアに行こうと自力で試みたが、
思ったより交通の便が悪く、シチリアにたどり着かないうちに
日本に帰ってきて、行くなら「ツアーがいいよ」と、教えてくれたので
早速申し込んで行った。

シチリアの州都パレルモからイタリアを北上しローマで終わるという
ツアーにした。

シチリアは、ギリシア文明、ローマ帝国、バイキングにより統治されていた
過去を持つので、建築には詳しくないが建物好きな私にはぴったり。
おまけに、大好きなジャン・レノの「グランブルー」のロケ地となった
タオルミナのホテルのレストランでランチをする・・・・というコース。

夏のシチリアは暑くて、道路わきにある温度計が40度とか指していた。
おまけに、木陰がない!!
遺跡には、基本的には木陰はないので、大きなペットボトルの水を
ガブガブ飲みながら、アルテミス神殿やローマ時代の市場跡をうろうろ。

エトナ山も、とても綺麗な形の山で夕方、次の日の朝早くから眺めていたりした。
もっとも、帰ってきてから1ヶ月ほど後に大きな噴火があったのには
吃驚したけれど・・・・・。

で、イタリアの本土に渡って、青の洞窟を見学。
暑くても、夏に行ったのは、タオルミナのレストランが夏しか営業していないのと
青の洞窟に入れる確率が70%(他の季節は30%ほどだった)というところに
かけたのだ!!
おかげで、青の洞窟にも入れたし、神秘的な雰囲気が本当に素晴らしかった。

そんなこんなで旅程も終盤に、ソレントに泊まった。

食事を終えてはいたけれど、お酒が好きな私はツアーの人何人かと
ワインを楽しんでいた。
ワインと言えば、日本人はすごく気温とかにこだわるが、シチリアは
全然そんなことはなく、なまぬるーいワインが出てくることも
しばしばで、外国ではこうだ!!とか、言って一生懸命な日本人が
少しおかしかった。

そんな私たちの中に、4~5歳くらいの男の子と女の子が入ってきた。
とても、ドレスアップしていて、本当に可愛かった。
彼らは、私たちを見つけると「日本人だ!!」と、大騒ぎ。
おまけに、「ポケモン」「ピカチュウ」を連発。
そこへ、子供を捜してやってきた紳士。

私たちを見つけると、何か言っている。
どうやら、結婚式の披露パーティが行われているらしい。
言葉が通じないが、彼は私たちの腕を取ってその会場に来いと
言っているらしかった。

とてもラフな格好の私たちは、ゼスチャーで行けない!!と
拒んでいたが、OKだと、片目をつぶってみせる。

で、私は元来お祭り好きである。
ええ~~い、いっちゃえ~~。
皆で行ったら、大丈夫だよ!と、変な確信。

会場に入った。

もう、それだけで拍手。(笑)

彼らが、興味を示したのは、私たちが持っていたカメラやビデオ。

片手サイズのビデオカメラが出始めた頃で、これは本当に人気があった。(笑)

新郎・新婦を紹介してもらいお祝いを言いながら、ふと、ここで日本語を
広めようと思いついた。
英語が出来る人に、おぼつかない英語で、こういった時には日本語では
「おめでとう」と言うと伝えた。
それを、また、イタリア語に訳してもらい、「皆で、練習しましょう!!」
と日本語で声を張上げる私。

こんな仕切りは、得意である。(恥)

4~5回練習して、皆の調子が揃ったところで、大拍手。

その後、はじめの紳士が席に案内してくれ、全然知らない人の間で
言葉も通じないのに楽しく過ごすこと1時間ほど。

その後、オルガンとバイオリンとギターという生演奏で踊ること
2時間弱。

お酒もよく飲んだし、何がおかしかったのか今となっては
よく分からないが、とにかく楽しい時間を過ごしたのだった。

今も、多分あのイタリア人夫婦のビデオや写真に、酔っ払った私が
多数存在してると思うと、ちょっとおかしさがこみ上げてくるのだ。


神戸周遊のたび

2008年07月12日 | 旅行
おととい、東京からあるコミュニィーで知り合った、
お友達が神戸に来てくださるということで、
私は、テンションがあがりっぱなし。

ほとんど、神戸が初めての彼女と「神戸周遊の旅」が始まった。

まずは、六甲山。
やっぱり、涼しいです。避暑地です。
あじさいが、綺麗に咲いていて、運転しながらも楽しんでました。
生憎の雲の多さで、視界は悪かったのですが、鳥のさえずりと、
お花をめでてきました。

で、お次は、お友達のご希望のUCC珈琲博物館。
珈琲のあれこれを勉強できて良かったです。
比較的、新しい飲み物だということが分かっただけでも
私には、面白かったです。
私の所に、運ばれてくるまでに、沢山の人が携わって出来たものなのだと、
思うと、もっと大切にしなきゃ!!

で、次は私お勧めの、舟に乗っての神戸港めぐり。
港町は、海から見ていただきたいので、よほどのことが無い限り、
この周遊めぐりは、楽しんでいただくのだ。
この頃になると、雲も切れて、六甲山が綺麗に見えていたよ!!

で、生田神社におまいりして、行きつけのトルコ料理屋さんへ。
ここでも、食べ物の〆は、トルココーヒー。
昔からの飲み方が、伝わっている唯一のコーヒー。
ちょっと、脂っぽい料理には、あって、口の中がスッキリする一品。

駅にナンバリング

2008年05月14日 | 旅行



写真では分かりにくいけど、神戸の新交通の電車の中で、
各駅にナンバリングをされているのをみつけた。

昔、パリに行った時、言葉もわからないのに、日本語の
ガイドブックを見て、メトロを使いまわれたのは、
駅にナンバリングされていることと、乗り換えの
電車も、ナンバリングされていて、それが、表示に
使われていたことが、大きい。

いいことだと、思うのだが、神戸には外国の人が多いことは
確かだが、住んでいる人が多い。
観光は、奈良、京都、大阪だ。
おまけに、この電車は空港から三宮の20分ほどの運行だ。
そして、空港は国内線である。

なんだか不思議な気もするが、とにかく、神戸の市営地下鉄と
新交通は、各駅にナンバリングされていることは
たしかで、これを、目標に市内を移動する人がどれだけ
いるのか分からないけど、わかりやすい表示という意味では
いいことだなぁと思う。


蔵王

2008年02月05日 | 旅行
蔵王は、とても、良いゲレンデで、朝8時くらいの飛行機で
伊丹を出発したら、一時間くらいで山形空港に着く。

そこから、ゲレンデまでバスやタクシー(ツアーに込み)で一時間。

朝出発したら、昼から、ゲレンデで滑れる体もラクチンな
所なのだ!!

樹氷原は、とても美しく、なだらかなコースで、初心者でも、
充分楽しめる良いコースだ。

多分今頃は、樹氷祭りが行われていて、芋煮がゲレンデで
振舞われていることだろう。
これも、楽しみだった。(あくまでも食い気)

去年の春、蔵王に行って、雪の無いゲレンデを見ながら、
当時のことを懐かしく思い出していた・・・のだ。

はじめての木曽路

2008年01月21日 | 旅行
私が、小学校3年生の夏休み、初めて、木曽へ行った。

この時、母は、私に泊まる宿だけ教えてくれて、
ガイドブックと、地図を渡してくれた。

漢字が多いガイドブックは、私にはまだ難しかったが、
自分なりに読んで、行きたいところをピックアップした。
で、地図を見ながら、どの道路を使うか考えさせたかったようだ。
こういったことに、適正があったのか(笑)、母と話をしながら
旅程を決めた。

まだ、夜中に出発して、また、高速もそんなに発達していなかったので、木曽へは中津川から、北上した。

初めての木曽への第一歩は、「寝覚めの床」で刻印された。
不思議な光景と、浦島伝説、大きな岩を弟と走り回って遊んだりした。

次の日は、御嶽山に行ったのだが、生憎の雨で、夏なのにとても寒かった。
なのに、車で入れる場所から山へ登っていく人の多さを見て、びっくりした。
私たち家族は、へたれなので、ドライブインで暖をとっていただけだが・・・・。
この日は、王滝村の近くの民宿に泊まったが、翌朝散歩をしていて、
生のとうもろこしが落ちていた。
これは、すぐに拾って、家に帰ってきて、蒸してそのまま食べたら、
今まで食べたことがないほど美味しくて、またまた吃驚。

今から、思えば旅行が好きなのも、食べるのが好きなのも、こんな経験の
積み重ねかも知れない・・・。