やはり、ほんの少しでも周りの環境が変化するのは、
今の私にとっては負担なんだと感じるこの頃。
病気が良くなり始めた頃の、「やりたい事をどんどんやってみてください。」
と言われた時は、今から思えば向こう見ずな行動が多かったけれど、
何度もやりたいことをやっては、動けなくなり寝込む・・・、
そういう自分が情けなくて、鬱状態に落ち込む・・・という、
繰り返しているうちに、「やりたいと思うことを本当にやっても
大丈夫か?」という不安が大きくなり、行動規制を自分でかけてしまう。
今の状態は、「行動規制をかけすぎているんじゃないか?」と自分でも思う瞬間がある
けれど、「やっぱり、怖い」のだ。
動けなくなることも怖いけれど、その時襲ってくる、敗北感のような、
何をやってもダメだ・・というような、もうこの世に存在することも
難しいんじゃないか・・・というような、ひたすらマイナスな思考に
囚われる自分が心底いやになるという、思考の過程が辛いので、
それを味わいたくない!!という思いが本当に強い。
なので、なんとかやり過ごしたい、という気持ちが前面に出ている。
でも、「やりすごす」ということ自体、その時の自分の気持ちが
すでにマイナスに入っているな~と思うようにもなっている。
「意識しすぎている。」
頭では、よく判っているけれど、実際行動するのは難しい。
最近は、凝り固まっていた体が、長年にわたりマッサージを受けたり、
自分でも意識して体を動かすようになってきて、以前に比べると
すこしほぐれてきている感じが進んでいる。
(ただし、本人比であって、周りをみればガチガチに固まってはいる。)
ほぐれてきている感じを味わうのと同時に、毎日毎日夕方近くになると、
体がこわばっていることも感じるようになった。
自然なことだけど、躁状態にはいっている時は、「疲れている」ことを
感じることが無かった分、その疲労感は今までに味わったことがないんじゃないか・・と
思うほどで、そういった体調面の不調から、気持ちが沈んでいくことを
実感している。
「心身ともに」という言葉の意味を本当にかみ締めている。
最近はまっている、銭湯通いを週の半ばくらいで、仕事帰りに入れたいと
思っている。
問題は、仕事をしだすと疲れが判りにくくなり、終業後に疲れすぎて、
すぐに席を立つことが出来ない・・・・くらいに熱中してしまうこと。(笑)
ここが、病気であるが故のことではあるけれど、そんな時だからこそ、
マッサージに行ったり、銭湯に行ったりして体をリラックスさせたい・・・・
という、大きな?野望を抱いている私です。
まあ、出来る範囲でボチボチやってみたいと思っています。