(2016年11月14日公表記事再編集)
確かに、大川小での避難行動は失敗だった。児童の遺族の悔しさ哀しさは痛いほどわかる。
一方で、命を落とした教員たちにも家族がいる。
教員たちも、生きるか死ぬかの避難で、子供を守らねばという思いだったはず。
一人生き残った教員が、どれほどの生き地獄にいるだろうかと、頭をよぎる。
なぜ、校庭にとどまったまま動けなかったのか、それを思うと歯がゆく口惜しい。
報道が遺族の側に立った時、思いは複雑だった。
誰が教員の思いを汲み取るのだろう、そんな思いもあったからだ。
だって、本当に犠牲者を思うと胸が苦しいのだ。
こんな辛いことは、二度と起きてほしくない。
当事者のほとんどが亡くなっている以上、当時の行動を知るには推測するしかない。
証言をどう捉え、当事者の思いをどう推し量るかで、見えるものが違ってくる。
だからこそ、第三者は、すれ違いを修正するよう、心を砕く必要があるのではなかろうか。
もしも、「守ろうとして失敗」したのが、「守らなかった」に見てしまったら、それは正しくないと思うのだ。
正しく見ようと努力をしてこそ、犠牲者の思いに応えることになるのではないか。
避難の失敗は事実だ。
守れなかった要因は?どうしたら守れたろう?
大切なのはその部分。
これは推量だが、様々な公表資料を読んで心理学の面から考えた時、こう見える。
教諭は、助けたい思いと不安の狭間で、周囲にも自分にも「落ち着こう」と言い聞かせつつ、当惑して動けなかったと思われる。
次の行動を起こすことに、教諭たちは自信がなかったのだろう。
「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」に陥ったのではないか。
「大川小学校は指定避難所だから安全」「余震で裏山は危険」という考えに傾いたのだろう。
津波経験がなく、慎重さが足かせとなったか、「それでも裏山へ」と決断できなかった。
長く迷った挙句、迷い歩いて結局、対岸に行こうとしたかのように大橋前に出たのは、向こうに他校があり、協力者が多いと思ったからではないか。
しかし、決断が遅すぎた。
次にどうするか決断する勇気がもっとあれば、
平時にもっと避難の段階を決めていたならば、
この犠牲は避けられたのに・・・
本当に歯がゆく口惜しい。
様々な記事や報告書などから、生き残った教諭は、避難先で情動麻痺のような様子が見られ、聞き取り時には泣いて話がまとまらないという様子が見受けられた。
その情報からも、すでにPTSDと察せられる。
だが、誤解を解くには、ただ証人から外すのではなく、その状態を知ってもらうことも必要かもしれない。
児童の遺族は、我が子のいた学校であの日何が起きたのか、あの日の出来事を知りたいと願っていた。
しかし、当初、市教委の対応は適切とは言えなかった。
切なる思いが置き去りにされるのは、本当に辛いものである。
きちんと向き合うために、児童の遺族は行動したのだった。
第三者が、その思いに寄り添うのは、正しいこと。
だが、肩入れし過ぎると、見えているものを正しく捉えられないこともしばしばある。
すると、理解しあって前に進むのが望みなのに、かえって溝を深めてしまいかねない。
互いの傷に塩を塗りあうのではなく、互いの傷の痛みを共有することが必要なのに・・・
だから、第三者は、すれ違いを助長しないよう、立場の違う側の言動に偏見を持っていないか、時々考え直さなくてはいけないと思う。
もう一つ、災害時の報道で気になることがある。
被害状況にばかり目が行きがちなことだ。
もっと頻繁に、注意喚起や避難の成功例について知らせる方が、被害を最小限にする助けになると思う。
例えば、毎年発生する台風などでは、その都度、何をどう注意すべきか報じる方が良いだろう。