以前、ここに来たのは2010年の9月だった。
その時は水と緑と空が輝き、まことに長閑であった。
貞山堀を渡って宮戸島に入ると、あんなに青々と、海を覆い隠すように続いていた松林が消えていた。
工事車両が入って、道や土地を、懸命に片付けて整える様子が目に入る。
大高森近くまで来ると、かつて歩いた沼を渡る遊歩道も壊れ、その日そこに立ち寄るのはアオサギやコサギたちだけだった。
大高森を左手に見て、右手が里浦で、海辺に大高森観光ホテルという宿が見える。
その脇に、民家や田んぼの間を、森に向かって細く曲がりくねった道が続いている。
それが「薬師堂」の入り口だ。
この土地の人々は、自分たちの町や、古い祠も自然も大切にしているのが分る。
宮戸の中で、この辺りが比較的被害の小さかった場所とはいえ、地盤沈下や破損が所々に見られる。
それでも、残った場所は元のようになっていて、手をかけ過ぎることなく、程よく片付いているのだ。
震災直後は、漂流物がたくさんあったという里浦も、今は綺麗になっている。
さて、薬師堂に参る。
森の入り口には、雪が残り、タヌキだろうか草むらに入っていく足跡があった。
「ちょいとお邪魔しますよ。」
季節による違いはあれど、かつてと変わらぬ道と洞窟があり、石段の上にお堂が見えた。
さすがは、霊験あらたかな伝説の薬師堂だ。
お堂の脇の石灯籠は倒れていたが、頂に伊達藩の家紋が刻まれたお堂は、そのままじっと見守るように、里浦と集落の里浜を見下ろしている。
薬師堂から、穏やかな里浦と、向かいあう里浜の集落が見える。
お堂に手を合わせ、頭を下げ下げ石段を下り、来た道を戻った。
里浜の方へ回ると、縄文村歴史資料館がある。
津波により、今は休館しているが、3月には再開したいと準備に奮闘している。
一見、穏やかだが、敷地内には給水タンクがひっくり返っていた。
縄文村を囲むように道がある。
里浜の桜井酒店さんを左手に見て右に曲がり、湾を渡る道を通って大通りへ出ようとしたが、その道は、途中で浸水していたので引き返した。
壊れた所を見かければ、切ない。
それでも今、宮戸は動いている。
漂流物を片付けて道を直し、宮戸の良さを大切にしている人々が、再び輝かせようと進んでいることも伝わってきた。