平成24年7月1日 日曜日
「五十五にして相歩む…2012」
『我十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に順(したが)い、七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を越えず。』
これは、有名な孔子の「論語」の一節です。
実際に孔子がこの言葉を述べたときは、晩年にあったとのことです。
この意訳は…、
『わたくし(孔子)は、十五歳のときに学問を志し(志学)、三十歳にして独り立ちし(而立)、四十歳にしてくだらぬことに惑わなくなった(不惑)、五十歳にして、社会での自分の役割を認識し(知命)、実社会に貢献すべく行動してきた。
その行動で、人の世の吉凶禍福は避けがたいことを悟り、天命として「この世を救う使命」を自覚し、実践するように努めてきた。
さらに、六十歳になって、修養を重ねたお陰で、耳にするところのことがらが、道理にかなっていれば、何の抵抗も障害もなく理解できるようになった(耳順)
七十歳になっては、出過ぎることなく、己の心のままに(従心)いきた。』
さて、現代は人生80年時代といわれますから、この孔子の言う歳月とは、人生の年代のスパンは少し異なると思います。
この言葉からみたとき、あなたは現在、何歳なのでしょうか?
当然、孔子が歩んだ人生の歳月のようにはいかないことは明白です。
その上で自分に問うたとき、あなたは現在、何歳なのでしょうか?
『歳を重ねると、経験という年輪の層によって、人生について、よく見えてきて、これからの生き方を、こうしたい…と見えてくるのだと思います。』
我が子達が巣立ち、それを見届けた夫婦が互いを、敬い、慕い、癒しながら相歩む人生…、
もしくは、そこから…それぞれに自立して歩む人生。
様々な生き方が、人生五十五歳を迎えてくると見えてきます。
「自分は、自分だ!」…という生き方は、私には考えられません。
私の父母は、八十三歳と八十歳と健在に、相歩む人生を送っています。
私は、妻と手を携えながら、相歩む人生を行きたいと思っています。
(妻の想いを尊重すべきは言うまでもありませんが…。)
さて、そんなことを考えつつ、
はたして…あなたは現在、何歳なのでしょうか?
そして自分は…五十五を迎えるにあたり、どんな人生を歩んでいこうと思いますか?…と問い掛けながら歩んで行こうと思います。
「五十五にして相歩む…2012」
『我十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に順(したが)い、七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を越えず。』
これは、有名な孔子の「論語」の一節です。
実際に孔子がこの言葉を述べたときは、晩年にあったとのことです。
この意訳は…、
『わたくし(孔子)は、十五歳のときに学問を志し(志学)、三十歳にして独り立ちし(而立)、四十歳にしてくだらぬことに惑わなくなった(不惑)、五十歳にして、社会での自分の役割を認識し(知命)、実社会に貢献すべく行動してきた。
その行動で、人の世の吉凶禍福は避けがたいことを悟り、天命として「この世を救う使命」を自覚し、実践するように努めてきた。
さらに、六十歳になって、修養を重ねたお陰で、耳にするところのことがらが、道理にかなっていれば、何の抵抗も障害もなく理解できるようになった(耳順)
七十歳になっては、出過ぎることなく、己の心のままに(従心)いきた。』
さて、現代は人生80年時代といわれますから、この孔子の言う歳月とは、人生の年代のスパンは少し異なると思います。
この言葉からみたとき、あなたは現在、何歳なのでしょうか?
当然、孔子が歩んだ人生の歳月のようにはいかないことは明白です。
その上で自分に問うたとき、あなたは現在、何歳なのでしょうか?
『歳を重ねると、経験という年輪の層によって、人生について、よく見えてきて、これからの生き方を、こうしたい…と見えてくるのだと思います。』
我が子達が巣立ち、それを見届けた夫婦が互いを、敬い、慕い、癒しながら相歩む人生…、
もしくは、そこから…それぞれに自立して歩む人生。
様々な生き方が、人生五十五歳を迎えてくると見えてきます。
「自分は、自分だ!」…という生き方は、私には考えられません。
私の父母は、八十三歳と八十歳と健在に、相歩む人生を送っています。
私は、妻と手を携えながら、相歩む人生を行きたいと思っています。
(妻の想いを尊重すべきは言うまでもありませんが…。)
さて、そんなことを考えつつ、
はたして…あなたは現在、何歳なのでしょうか?
そして自分は…五十五を迎えるにあたり、どんな人生を歩んでいこうと思いますか?…と問い掛けながら歩んで行こうと思います。