バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

涙を流す…生きるために

2012-04-10 05:02:13 | やっぱりミニバス!
平成24年4月10日 火曜日

「涙を流す…生きるために」
(小さな人生論から)


昨日、カミさんと長女の墓参りに行ってきました。

花を変え、墓石を洗い浄め、線香を焚き…

祈りをささげました。

心には涙が溢れています。

なぜ逝ってしまったのか…そんな空しさが、悼みとともに溢れてきます。


『人には誰にも泣きたくなるような思い出や体験が必ずあるでしょう。

泣きたい思いに溢れているのが人生というものなのかもしれません。

涙があるから眼球は潤い、ものが見ることができるのだと言います。

だから人生もまた、涙することで次に向かう先を見定めることができて…、

長い旅路を歩んでいくことができるのでしょう。


お釈迦様の言葉に…
「常に悲感を懐(イダ)きて心ついに醒悟(セイゴ)す」

その意味は…、

「常に深い悲しみを胸の奥に秘め、その悲しみを大切にして歩み続けるとき、

人はついには悟りに目覚める。」』


さて、深い悲しみによるだけで悟りに目覚めるかどうかはわかりません。


しかし、涙を流すのは悲しみのときだけではないことも確かです。

大いなる喜びを味わうことができたとき、

誰かの言葉や行動に感動し、心が打ち震えたとき、

そして深い悲しみに心が空しくなったときに、涙するのでしょう。


その涙は、人が生きていくために心を潤してくれるものです。

色々な想いの涙で、心が潤うから、

喜びや感動や悲しみを自分のものとするとともに、

その想いを他人と共有できると思うのです。

そして同じ想いをもって涙を流すことができるのだと思います。

だから自分はひとりではないのです。

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