平成24年12月26日 水曜日
「勇気について…2012」
いつもミニバスを指導していて、子供達の気持ちの弱さに悩んでいますが…、
そのこともあって、今日は『勇気』ということについて考えてみました。
勇気(ゆうき)とは、『普通の人が、 恐怖、不 安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事 を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。勇ましい強い心をいう。』とあります。
また相手を励まし、勇気を与える事を勇気づけるという(勇気をもらうは誤用)。又、勇を鼓(こ)すというと、勇気を奮い起こす意になる。…とも言います。
本来、勇気とは…そういう、生死を賭けた状況の中で、仕事をしていくために、恐れや不安を抑えて行動するための、心の持ち様なのでしょう
ですから、そういう場面でも、整斉とやるべきことを為していく、精神力が基盤になくてはならないのです。
その精神力で…特に、重要なのが「勇気」です。
ところが、「勇気」を身に付けるにしても、その「勇気」とは何か?…ということです。
大体、常識的にはわかりますよね。
「身体的、精神的困難…、もしかしたら、自分の生命を落としかねないという状況に立ち向かっていくための精神力」といってよいのでしょう。
しかし、いざとなったときに、そのような行動ができるかどうかは、普段からはわかりません。
「勇気」を出せる性格とは、日常においてどのような特色を持っている人なのでしょうか?
かつて、アメリカ軍も同じような問題にぶつかりました。
朝鮮戦争で、勇敢な兵士のグループと臆病な兵士のグループが、明確に分かれたそうです。
そこで、アンケート形式で調査をしたら、
勇敢な兵士のグループの特色は、次の通りであったとのことです。
●健康である
●温厚で社交的な会話が出来る
●社会活動に積極的に参加している
●生活の計画がしっかりしている
●前向きな明るさがある
●素直で礼儀正しく信念がある
…などです。
つまりいろいろな要素が、均衡よくとれていて、生活態度の真面目な人が、いざとなった場面では勇敢に行動したというこです。
このことから、「勇気」という資質は、「個人として充実」していることから生まれるとしています。
要は、社会人として真面目であることが、「勇気」を生む基本だということです…が、
本当かな? と思いますよね。
ところが、このことを奇しくも…戦国時代の有名な武将が言っているのです。
これは、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に書かれていたものです。
日清戦争で、秋山好古(よしふる)が率いる騎兵大隊の初陣を背景にして…
「戦(いくさ)における勇猛さ、大胆さというのはどういうことなのか?」ということについて、次のような記述がされています。
まず戦国時代末期…、豊臣秀吉の家臣である加藤嘉明は、
「どういう家来が、戦(いくさ)に強いか?」の問に対して、一般的な豪傑を否定し、
「戦場で、本当に必要なのは…、真面目なものである。たとえ非力であっても、
責任感が強く、退くな! と言われれば、骨になっても退かぬ者が多ければ、多いほど、その家は心強い。
合戦を勝ちに導くのは、そういう者達である。」
また、秋山好古(よしふる)も同様に、次のように言っています。
「戦(いくさ)は、誰にとっても怖い。
生まれつき勇敢な者というのは、一種の蛮人にすぎず、
その点、自分は平凡な者であるから、やはり戦場に立てば恐怖がおこる。
そういう自然のおびえを抑えて悠々と仕事をさせていくものは、義務感だけであり、
この義務感こそが、人間が動物と異なる高貴な点だ。」
そして、この義務感が精神力として昇華したものが、
自ら求めてそれを為そうとする…、使命感だと思います。
勇気…、それは:きわめて冷静であって、かつ熱い心の鉄の意志がもたらす、結果を怖れぬ行動力です。
最後は一歩を踏みだす思い切りだと思います。
言うは易く行うは難い…想いと行動なのです。
こういう場面は、生死にかかわらない、日常においてもあり得ることだと思います。
スポーツにおける『勇気』とは、特にチーム競技では、ゴールに冷静に、熱い気持ちで向かって行く心…
試合は、練習のごとく行えて、そのために、練習は試合のごとく行える姿勢で臨める心だと思います。
そして、仲間のひとりひとりが、自分のやるべきことを理解し、臆することなくやり切る真摯さでしょう。
勇気を持って…逃げることなく、自分のやるべき行動ができる人でありたいと思います。
「勇気について…2012」
いつもミニバスを指導していて、子供達の気持ちの弱さに悩んでいますが…、
そのこともあって、今日は『勇気』ということについて考えてみました。
勇気(ゆうき)とは、『普通の人が、 恐怖、不 安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事 を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。勇ましい強い心をいう。』とあります。
また相手を励まし、勇気を与える事を勇気づけるという(勇気をもらうは誤用)。又、勇を鼓(こ)すというと、勇気を奮い起こす意になる。…とも言います。
本来、勇気とは…そういう、生死を賭けた状況の中で、仕事をしていくために、恐れや不安を抑えて行動するための、心の持ち様なのでしょう
ですから、そういう場面でも、整斉とやるべきことを為していく、精神力が基盤になくてはならないのです。
その精神力で…特に、重要なのが「勇気」です。
ところが、「勇気」を身に付けるにしても、その「勇気」とは何か?…ということです。
大体、常識的にはわかりますよね。
「身体的、精神的困難…、もしかしたら、自分の生命を落としかねないという状況に立ち向かっていくための精神力」といってよいのでしょう。
しかし、いざとなったときに、そのような行動ができるかどうかは、普段からはわかりません。
「勇気」を出せる性格とは、日常においてどのような特色を持っている人なのでしょうか?
かつて、アメリカ軍も同じような問題にぶつかりました。
朝鮮戦争で、勇敢な兵士のグループと臆病な兵士のグループが、明確に分かれたそうです。
そこで、アンケート形式で調査をしたら、
勇敢な兵士のグループの特色は、次の通りであったとのことです。
●健康である
●温厚で社交的な会話が出来る
●社会活動に積極的に参加している
●生活の計画がしっかりしている
●前向きな明るさがある
●素直で礼儀正しく信念がある
…などです。
つまりいろいろな要素が、均衡よくとれていて、生活態度の真面目な人が、いざとなった場面では勇敢に行動したというこです。
このことから、「勇気」という資質は、「個人として充実」していることから生まれるとしています。
要は、社会人として真面目であることが、「勇気」を生む基本だということです…が、
本当かな? と思いますよね。
ところが、このことを奇しくも…戦国時代の有名な武将が言っているのです。
これは、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に書かれていたものです。
日清戦争で、秋山好古(よしふる)が率いる騎兵大隊の初陣を背景にして…
「戦(いくさ)における勇猛さ、大胆さというのはどういうことなのか?」ということについて、次のような記述がされています。
まず戦国時代末期…、豊臣秀吉の家臣である加藤嘉明は、
「どういう家来が、戦(いくさ)に強いか?」の問に対して、一般的な豪傑を否定し、
「戦場で、本当に必要なのは…、真面目なものである。たとえ非力であっても、
責任感が強く、退くな! と言われれば、骨になっても退かぬ者が多ければ、多いほど、その家は心強い。
合戦を勝ちに導くのは、そういう者達である。」
また、秋山好古(よしふる)も同様に、次のように言っています。
「戦(いくさ)は、誰にとっても怖い。
生まれつき勇敢な者というのは、一種の蛮人にすぎず、
その点、自分は平凡な者であるから、やはり戦場に立てば恐怖がおこる。
そういう自然のおびえを抑えて悠々と仕事をさせていくものは、義務感だけであり、
この義務感こそが、人間が動物と異なる高貴な点だ。」
そして、この義務感が精神力として昇華したものが、
自ら求めてそれを為そうとする…、使命感だと思います。
勇気…、それは:きわめて冷静であって、かつ熱い心の鉄の意志がもたらす、結果を怖れぬ行動力です。
最後は一歩を踏みだす思い切りだと思います。
言うは易く行うは難い…想いと行動なのです。
こういう場面は、生死にかかわらない、日常においてもあり得ることだと思います。
スポーツにおける『勇気』とは、特にチーム競技では、ゴールに冷静に、熱い気持ちで向かって行く心…
試合は、練習のごとく行えて、そのために、練習は試合のごとく行える姿勢で臨める心だと思います。
そして、仲間のひとりひとりが、自分のやるべきことを理解し、臆することなくやり切る真摯さでしょう。
勇気を持って…逃げることなく、自分のやるべき行動ができる人でありたいと思います。