バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

筋をとおすということ…

2011-10-30 00:18:47 | やっぱりミニバス!
平成23年10月30日 日曜日
 
「筋をとおすということ…」


「無理をとおせば道理が引っ込む」と言います。

これは、
「道理に外れたことが世の中に行われれば、
正しいことがなされなくなる。」
ということです。


「無理」とは、

①道理のないこと。
理由の立たないこと。

②強いて行うこと。
行うのが困難なこと。

…を言います。

「道理」とは、

①物事のそうあるべき筋道。ことわり。

②人の行うべき正しい道。道義。

…を言います。


言いたいのは、
「筋」や「筋道」のとおらない事や話しは、

第三者を説得できないということです。


自然界においてみた場合…

樹木には毎年、創られていく「年輪」という
「筋」があります。


石や岩にも、気の遠くなるような年月を経て
形成された「筋」があります。


この「筋」にそって、
打撃を加えれば、

苔むす岩も、
その「筋」のとおりに
裂けるのです。


「筋」を読まなければ
、「筋」を見つけられません。


「筋」以外のところを打撃しても、さっくりと見事に割れないでしょう。


多分、石や樹木は無惨な形でバラバラになるだけでしょう。

それは、
「無理」という
「圧力」を強引にかけたがゆえの結果です。

ある物事…
例えばバスケットの練習について考えてみたとき、

その練習を行う「筋」
が明確でなければ、

選手達はその練習の意味が理解できなくて、

練習させられても、
身につくことは無理ですから…

その練習は意味がないのです。


コーチ自身が第三者の立場で、

その「筋」を明確に理解できていなければ、

選手に対してその練習
をやらせることはできないのです。

コーチ自身が単なる受け売りで…

強引に選手に圧力をかけても、

選手は、やる気を無くすだけです。


さらに言います。

コーチが子供達を叱るときは、

コーチ自身と子供達が
理解できる「筋」がなくてはならないのです。

もっと言えば、

「普段、子供達を指導していない、コーチがいきなりキレたように
子供達を直接、叱ることは筋が違うのでは?」

子供達も、
「いつものコーチは叱らないのに、

なんで別のコーチから僕達は叱られるの?」
と納得できないでしょう。

その時の「筋」は、
子供達を直接叱らずに、注意するにとどめ、

普段から指導を担当しているコーチに、

その事情を話し、意見交換することだと思います。

「あの応援は、こういう理由でよろしくないと思うけれど、いかに?」

と聞き話し合うことで
「筋」はとおるのです。

「筋」をとおさない人
を「傲慢この上ない」
と私は言っています。

もしくは、
「天上天下唯我独尊」
(この世の中に自分より尊い者は存在しない。)

つまり自分が、すべての「筋」であると思っている人を言います。

と言いつつ、
自分もそうならないように戒めなければと思う今日この頃です。