本朝徒然噺

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お正月随談(1)初詣

2007年01月08日 | よもやまばなし
大みそかの夜から正月5日まで実家にいて、6日の朝の新幹線で郷里を発ち、Uターンの途中で大阪・京都へ寄って、七草の日の夜に東京に戻ってまいりました。
曜日の配列から、有給休暇を利用して10連休(!)にすることができたので、おかげさまでゆっくりと年末年始を過ごすことができました。はっきり言って、休みボケしています……(笑)。

実家でのお正月の様子や、大阪・京都の旅道中の様子などを、順次アップしてまいります。
まずは、初詣のことから。

元日は、家族そろって初詣に行きました。
実家では初詣は必ず、小倉の総鎮守・八坂神社に行きます。

この八坂神社は、京都にある八坂神社と同様、祇園神をお祀りした神社です。
小倉では、9世紀ごろから祇園神をお祀りした小さな祠(ほこら)があったそうなのですが、江戸時代初めに丹後国から小倉の地に移ってきた細川忠興公によって社殿が創建され、「祇園社」となりました。
明治時代になり、祇園社から八坂神社と名前が変わりました(これも京都の八坂神社と同様です)。

小倉でも毎年夏、祇園さんのお祭りが行われます。
細川忠興公によって始められたこのお祭りは、もともと、祇園社のご神幸に飾り山車とお囃子が随行するというものだったそうですが、明治時代になってから形態が変わり、山車の上で太鼓を打ち鉦(かね)を鳴らす形式になり、祭りの名称も「小倉祇園太鼓」となりました。
小倉祇園太鼓は「無法松の一生」で有名になったので、ご存じの方も多いと思います。

小倉の総鎮守・八坂神社の社殿(冒頭写真)に向かって手をあわせるとき……私にとってそれは、細川忠興公によって城下町が整備されてから現在に至るまでの小倉の歴史に思いを馳せ、今の自分がいることに感謝するとともに、自分や家族の無事と健康、故郷の町の安泰と発展を祈る、貴重なひとときです。


<初詣のキモノ>

女性陣は全員キモノで出かけました。

初詣のキモノ

妹(写真右)は、初めは「洋服でいいよ」と言っていたのですが、私と母の説得により(笑)着物を着ました。母が若いころに着ていた辻が花の訪問着に、最近私が買った鱗柄の織り名古屋帯です。
「厄よけの柄だし、歌舞伎や能の道成寺を観に行く時にも演目にちなんで使える」と思って買った鱗柄の帯。まだ私は一度も締めていません。でも、今年後厄の妹のために仕立ておろしました。
昔の私だったら、「自分が着る前に妹に貸すなんてありえない!」という感じだったと思いますが、年とともに丸くなってきました(笑)。「汚さないでね!」と念押しはしましたけど(笑)。

母(写真中央)は、袖口や裾に東海道五十三次の風景を控えめに描いた訪問着に、プラチナ箔の袋帯です。
私(写真左)は、黒地の総絞り着物に松竹梅の塩瀬帯です。

母娘3人で着物で歩いていると(しかもそのうち一人は日本髪……)、結構注目を浴びました(笑)。
ちなみに男性陣(父、妹の夫)は洋服でしたので、写真は割愛します(笑)。


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