風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

呼吸法と発声法

2016年03月16日 | 体を整える
整体で指導を受けたその日、もう一つ大事なことがわかりました。
井本整体で言う「深息法」で、丹田を意識するということは、決して、力を入れることではなく、そこに意識を集中することだったということがわかったのです。

新米さんに教える時、体のある部分に意識を集中することはいきなりはできないので、ちょっと力を入れたり、そこに、手を当てたりの補助動作をして、まず、その場所を知るのが第一歩です。

慣れてくるにつれて、サメ[トなしに必要な場所に意識を当てることができるようになるはず。

深息法でも、丹田あたりに力を込めるのではなく、丹田に意識を当てて集中することができたら、力はいらないのです。

私は、力を入れると理解していました。
確かに、最近では、大きな力を入れなくても、おなかに力を入れるのではなく、壁を作るというような感覚で、胸や肩を動かすような呼吸ではなく、深息法に近い呼吸を続けることができているような気がしています。
それでも、力を入れねばと思いこんでいたので、無駄にエネルギーを使い、力を入れることで、他のところにも、負荷がかかっていたことに気づくのでした。

はて、では、次の教室では、どのように説明したらよいだろうか。

この考え方で行くと、女性と男性とでは、筋肉や構造が違っているから、男性にたやすくできることも、女性には難しい。だから、女性の発声について体の使い方はおのずと違ってくると考えていたことは、考え直さねばなりません。

筋肉や体の使い方を遠回りして、身につけるよりも、本当の深息法を身につけるのが先だったのだろうか。

さて、本当の正しい深息法が身についているかどうか、次回の施術で山田先生に確かめなくては。


その上で、呼吸法と発声法を、見直さねばなりません。
確かに、とあるボイストレーニングでは、如なるところにも、力を入れてはいけませんという方式もあるのですから、今気が付いたことを、どう生かしていけばよいのだろうか。

おおきな難題に気づいてしまって、どうしよう。

意識を当てることを覚えるために、力を入れて良いのか、力を入れることを覚える前に意識を集中することを、長い道のりでも覚えさせるのか。

呼吸法と、発声法は、同じものではないのだが、楽器としての体が、機能するためには、切り離して考えることはできないよねぇ。

さて、どうしたものだろう。




ある程度、物事を感じられるようになったときに、本を読み返すと、まるで深息法で、息が体中に行き渡るように、それぞれの言葉が意味を持って、体の中の血流と一緒に、おおきな意味を持って動き、踊り始める。

そんな時は、大きな学びがあるはずです。

論語や、菜根譚で学ぶ言葉も、物事が身の回りで起きた時、具体的に照らし合わせながら、もう一度読み返したり、聞きなおしたりすると、とても実感を持って機能し始めるものなのだと、つい先日感じたばかりです。

心と体と行動は、すべて連動している。

勉強した証の記憶として覚えた言葉が、自分の体温をもち、私の言葉として体をめぐっている。

この感覚は、何物にも代えがたい。     

いつもの先生との会話の終わりに「整体(人体力学)の習熟の道のりは、詩吟の習熟の道のりと、同じ。物事は、すべて繋がっていますねぇ!」と言い合うことが多いのです。

そして、体が整うと、

声を出すのも、伸びやかに楽に出せるようになる。

鍵はどこだ。

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気になること

2016年03月15日 | 詩吟
とても気になることがあれやこれや。
ずっともちつづけていたけど、具体的に口に出すには、なかなかデリケートな問題なので、自分だけで、ああでもないこうでもないと考え続けていました。

もう、そろそろ、外に出してやらないと、腹ふくるる技を通り越してしまった。
伝え方を間違えると、すのっぷになったり、更に腹ふくるる技を呼び込んだりしては、逆効果だから、なるべく、相手は、一人が良い。
いつもの集団の中で、話題にすると、それぞれのとらえ方が微妙に違うはずだし、こんな考えをしているとは、何をもくろんでいるのだと、誤解されたりすると、いけないし。。。


うまい具合に、話し相手、相談相手として飛び切りの人と、お茶をするチャンスを得て、洗いざらい口に出してみた。

おかげで、腹が膨れすぎて、イソップのカエルの腹のようにぱちんとはじけなくて済んだ。

わいわいと、意見を言い合うのも、良いが、たまには、ゆっくり、私のペースで、考えを伝えることができたのは、ありがたかった。

一つは、女性の発声について。
お互いの意見を出しあって、結論が出た。良かった。


そしたら、今日になって、音程で悩む女性から、悩み相談が来た。
チャンスを図ったようなタイミングに、驚きながら、メールじゃなくて、電話か会ってというと、さっそく電話が来た。

それで、その解決には、どうしたらよいか、二人で、相談して、一応の方向性を見つけた。

なんて、タイミングの良いこと。
日曜日に相談していなかったら、こうも、素早く対応ができなかっただろうし、彼女を迷いの中に、しばらくの間浸かっていてもらわねばならなかっただろう。

日曜日に、いつもよりも早く終わって、貴重な時間を名乗りを上げて、使わせていただいて、大いにありがとうございました。


詩吟と吟詠に関しては、躊躇しないのは、いつものことで、わたしの別の人格があるが如く素早く動くことができる。一瞬の判断で、このチャンスをものにしたぞ。
自分で、お見事と勝手に褒める。

たまには、少人数で、じっくり、バトルをしないお話をするのは、大事だなぁ。
じっくりと話して、考えがきちんと伝わったかどうか確かめながら、伝わってなかったら、すぐさま伝えなおし、軌道修正をする。

大人数だと、細かい修正が難しいからね。




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初吟交流会その2

2016年03月13日 | 詩吟
初吟会の出吟吟題は、「佳賓好主」佐藤一斎作
初吟会に月と梅が好主として佳賓として、好一対。この贅沢な春の夕暮れ。


素敵な漢詩と思う。月と梅と好一対。今日の交流会の一対の詩吟の会「鉄皚会松戸支部」と「東京芦孝会」は、好一対となるのだろうか。


漢詩の作り方の約束事から外れているのは、漢詩を見ただけでもわかる。
そして、ある先生によると、押韻と同じ文字は、使ってはいけないという余り知られてない約束事を会の終わった後に教えていただきました。

佐藤一斎が漢詩を作るときは、何と何を考えて、それでもこの漢詩を完成と決めたのだろう。
平仄を合わせると、中国語で読むだけで、美しいのだそうだ。
それを日本語に読みかえた時、どんな印象に変わるのかなぁ。
そして、その詩を吟じたら、今日のようになるのよねぇ。


さて、漢詩の作り方の約束事は、それとして、今日の吟詠は、CDの伴奏曲で、できる限り練習をしました。

伴奏の終わりに、3秒ほどの無音状態があり、吟詠の終わりが早すぎると伴奏が終わったのに、吟がまだ続いていることになる。
ほんの少しのタイミングで、それより遅く吟詠を終わることができると、最後の言葉の「春」を言い終わったと同時に琴の音が始まり、伴奏はまだ終わってなかったとわかり、ちょうど良かったとわかる。
そして、「春」のことばを、無音の状態で、吟じるから、「春」の言葉をことさら優しく吟じなくては、悪目立ちをしてしまう。
それを、面白がって練習したのだけれど。

伴奏を吟剣の6番に決めたのは、始まりが気に入ったからで、最後まで良く聞いたわけではなかった。
練習するうちに、しまったと思った。
練習するうちに、ゲーム感覚で、吟詠の終わりのタイミングを面白がって練習することができた。

絶妙のタイミングで、吟の終わりが来るワクワク感をスリルと共に味わい、わくわく感いっぱいで吟詠をすることを久し振りに楽しんだ。


あぁ、それなのに。
伴奏の始まりの音量が、小さすぎて、始まったのがわかっただけで、聞き取りにくかった。
もう一度、かけなおしてくれることを期待したのだけれど、その様子がないので、仕方なく、作者 吟題を言って、その流れのままで吟詠を始めるしかなかった。かなり始まりが遅かったと思う。

だから、もう、流れで、吟をするしかなくて、最後のタイミングなどと言っている場合ではないことを察した。
それでも何とか慌てなくて済んだのは、事前に、2回ほど声出しができていたからだろう。

つい最近まで、CDを流すけれど、コンダクター代わりと考えていたことを、思うと、進歩したものだねぇ。

CDで伴奏を入れると、確かに楽なのだね。
これは困ったなぁ。だって、私は、吟詠に乗り乗りになればなるほど、吟詠時間が長くなるのだから、CDの終了時間に合わせる様な吟じ方は、今までしたことがなかったけど...

尺をあわせる。ゲーム感覚では、楽しめた。
「自由に楽しく」の楽しいは、クリア。








でもね、やっぱり、アカペラが好きだ。
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初吟交流会

2016年03月13日 | 詩吟
毎年2月に行われている関吟関東連合の東京芦孝会と哲皚会小金原支部との初吟交流会が、今日、行われました。

公共施設が年々借りにくくなり、やっと、3月に会場を確保できての、今日の初吟交流会です。

小金原支部が松戸支部として本部登録をされたことは、関吟ニュース3月号「きらり!教場トピックス」にて、すでに周知されていたことです。

鈴木恭皚先生の更なるご活躍と松戸支部の発展を心から、お祝い申し上げます。

かつては、鈴木先生は、芦孝会となるまえの平井教室には、練習参加なさって、私と机を並べ、同じ年代の同じ女性ということで、切磋琢磨しておりました。

やがて私は、介護と転勤とで、休止状態が続いていましたが、鈴木先生は、お仕事で忙しくなる中、着々と詩吟の教室運営にも、力を発揮なさっていらっしゃいました。
今日は、生徒さんの昇段昇格の賞状授与の時に、ご自身にも、「総師範」を任命される賞状がありました。

哲皚会からどなたもいらっしゃっていないので、この賞状を鈴木先生に授与する立場の方がいらっしゃいません。
ご自分で読み、ご自分で受け取るということが起こりました。

関東には、この二つの会しかありませんから、協力し合っていきたいものです。

公式の場においての、私たちの取るお作法のようなものがあるはずですが、勉強不足で、失礼があったかもしれません、野田 芦孝先生に対しても、当たり前の、礼儀とかお作法とか、あるのではないかと、こんな時に、慌てて思うのですが、野田 芦孝先生と同じあるいは格上の方で、助言いただける方がいないので、失礼なことをしているのだろうなぁと、おぼろげにわかるのです。

野田 芦孝先生がもう少し、権威主義でいてくださったら、そういう情報の窓が開いているはずなのだけれど。

そう言えば、鈴木先生もどちらかと言うと、そうだなぁ。

年に一度か二度お目にかかる松戸支部の会員さんたちは、鈴木先生のことをどのように思っているのでしょうか。

鈴木先生が代表者吟詠で、吟じられたあと、おそらく入会なさったばかりと思える方たちが、先生の吟って素敵!と言った表情をして、お互いがうなずきあっているのが遠めに見えました。

なるほど、先生の吟詠にこれほどの思い入れができる方たちは、幸せだねぇ。
格で教えるものではないけれど、あなたたちの先生は、関吟の中でも、上級の指導者なのよ。


このようにひそかに私は、他の会の先生に対しては、思っているのだけれど、野田 芦孝先生に対しては、このような思いをはたして持っているだろうか。

あまりに親しみすぎて、敬意を表す機会を失って居はしないかなぁ。。。


会の終わりには、先生のエールが、松戸支部、芦孝会、関吟に向けて送られました。
先生のエール健在なり。



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夢青葉3月1回目

2016年03月11日 | 詩吟
清瀬市松山市民センターへむかう。
小雨のなか、やっと、駅からの道筋に慣れてきて、なじみになりつつあります。
心地よい環境で、気づかいのいらない会場は、心安らかである。


広い部屋を存分に使って、体操とウオーキングをします。
下半身をしっかり使って、血のめぐりを良くすると、声も出しやすい気がしますが、張り切りすぎて、咳が出てしまって、出し忘れていたお茶を出したりで、吟詠を止めて、みなさんの会歌の合吟を、耳にする機会を得ました。

会歌の吟詠は、しっかりと時間をかけた練習をしていないので、今までは、私が先導する形で、引っ張っていたのです。会員さんだけの合吟を聞くのは、会歌に関しては初めてです。
なかなか、揃って、ャCントもはずさず吟じられていました。



それぞれの課題について、前回の指摘をみなさんきっちりと、収めて、快感でした。
なかなか声を出しての練習は難しいことでしょうが、こんなに、ピシッと課題がクリアされて、自信をもって吟じられるのは、珍しいことです。

頼もしい限り。

今日は、13日の小金原初吟会の私の吟題の練習をするつもりでした。
ひょんなことから、会議(ガールズトーク)が始まったので、気が付いたら、終了時間でした。

今日のこの時間は、踏み込みすぎた話題でしたが、青葉の先行きにかかわることだったので、ディープな話になりました。

それぞれが、気になっていることをそれぞれの表現方法で、相手に伝えあいました。

詩吟の練習で、このようになるのは、メンバーの成り立ちなどのもろもろの訳があるのですが、メンバーの気さくさと、あっけらかんとして、輪をかけてさばさばしていることで、突っ込んだ話が盛り上がりました。


おかげ様で、良い学びになりました。

このような踏み込んだ話題をしらふでやってのけるのは、女性少人数気心知れた間柄だからだと、一歩間違えば、危なかったのかもねぇと、反省しつつ、終わり良ければ総て良しなのでした。

ということで、私の吟詠の練習を忘れるほどの、ガールズトークでした。


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いかなごの釘煮

2016年03月10日 | こたろう語録
神戸から、いかなごが届く。
伯母さんが、毎年、いかなごを港まで、何度か無駄足覚悟で見繕いに行って、新鮮ないかなごを家に持ち帰って、ことことと煮るのである。

僕は、刺身といかなごは、僕の大好物。
母さんは、ご飯を炊き始めた。炊き立てごはんじゃなくちゃね。と言ってね。

食卓においたいかなごは、僕を誘惑するのさ。

まだ、テーブルに乗っからないところが、かしこいだろう?
僕は本当は、テーブルに乗っかって豪快に食したいところなんだけどね。

小さいときから、厳しく言われてるから、飛び乗りたい衝動を抑えることができるんだよ。
えっへん!!!









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夢松風3月1回目

2016年03月09日 | 詩吟
見学の方が、いらっしゃいました。
今日は、あくまで、見学ですからといいつつ、自己紹介をして(強要したかも)下さいました。

お忙しい理由は、相手任せのことなので、ご自身でも、確約はできないようです。

休みながらでも、来られると良いのですが。


今日は、前回の練習で、もう少し丁寧にやりたいと思った点に注目して行いました。

伴奏のおしまいの音は、「三」の中音で終わること、そして、自信が吟じる詩の最初の音の高さを、何かしっかり認識して、出しましょう。

譜名32番は、「五」の高さまで降りましょう。そして安定させたら、その後の≪六 七 六 五≫の音階が、たやすくできます。
「七」の高さを出す前から、音が降りていくことをうかがわせるような吟じ方をしない。
七の高さは、伸びやかに失速しないで、そして、五の後のつらなりは、軽やかに。


譜名15番は、とんとんと上がっていって、揺らない、音を戻さない。

中音から高音に音が変化する時、無駄に喉に力が入ってしまうところは、これからの課題です。

「二’ 三’」と「二 三」をキチンと音程を違えていますか。
音程のしっかりした人ほど、この違いを吟じ分けていないことを、感じます。
大まかに二と三を捕えて、「’」の付いているのを見逃しがちであること。





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詩吟ワークショップ

2016年03月04日 | 詩吟
公益社団法人関西吟詩文化協会 公認東京芦孝会会 京浜スクール主催

                ☆  詩吟ワークショップ  ☆

         お酒に因んだ漢詩を鑑賞して詠ってみましょう
  
場所  神奈川区役所本館 5階 区民活動支援センター交流室

日時  3月4日(金) 14:00~16:00


ご案内を頂いて、参加してきました。

酒を飲まない私は、酒に因んだ漢詩をどのように鑑賞して、見せてくださるかが、興味でした。

お酒に因んだ漢詩は、14。そのうち、関吟のテキストにない漢詩も選ばれていて、2時間にわたる熱弁でした。
講師は、京浜スクールの指導者のK先生。

詩吟をなさらない方へ向けての、ワークショップですから、これだけの詩を選んで、鑑賞する意味があったのでしょう。大変な労作と、感じいりました。
 
私としては、そのうちの一つでも二つでも、もう少し時間を割いて、深く掘り下げて、自分だったらこう解釈して、こう吟じるという独断と偏見もあってよいのになぁと、勝手に、思ったことでした。
主宰者側でもなく、受講生側でもなく、私的興味で参加した私は、何でもいえるのです。
すみません。

そう言えば、終了後の茶話会では、江南の春の『酒旗』の色が取りざたされていました。
それぞれの思いで、赤とか白とか言っておりましたね。

私は、おぼろげな記憶で、その時は白と答えました。
そして、今、なぜ、白かと考えたら、江南の春の次のプログラムで解説され、吟詠も聞かせていただいた「清明」の漢詩に答えがありました。

佐藤鷺照先生の愛吟集にも選ばれていて、私には、なじみの深い漢詩です。

《清明の季節なのに、雨は降りしきるものだから、酒でも飲んで、滅入る気持ちを晴らそうと、ちょうど通りかかった牛飼いの少年に、「近くに酒屋はないかい?」と尋ねると、はるかかなたに、杏の白い花が咲く村を指さした。》

という、漢詩から、牧童は、ただ、その方向を差しただけだったかもしれないが、のんべぇの旅人は、酒屋の白い旗を思い浮かべたのだろうと、私はイメージして、そのまま記憶に留めてしまったのです。

確かに、ネット検索で、『酒旗』を調べると、赤いのも、青いのも、白いのもあって、彩よく飾ってある写真がありました。

清明に登場する「路上の行人」も、江南の春の「広大に広がる江南地方の山間の村」も、目印がなければ、酒にはたどり着かないだろうし、きっと、貧しい村に違いない。
細々とたまさかに通りがかる旅人のために出す酒を扱う店も、そんなに繁盛しているわけもなく、目印の旗にとりどりの色の付いた立派な旗を作ることもできないだろう。
だから、その店の酒旗は、ありあわせの白で、おそらく、近くで見たら、薄汚れているだろう。
それでも、酒好きには、「あっ、あそこに酒店があるんだ!」とわかったときは、その白い色は、目にも鮮やかに飛び込んでくるのだろう。

さて、この解釈は、正解不正解はないのだろうと思う。

酒に喜びを感じる人の色は、たぶん「赤」だろう。
華やかなことが好きな人は、極彩色かもしれない。
それぞれの感性で、決めたら良い。
私のイメージは、杏の花の白から、ごく現実的な方向へと判断の舵が切られたけど。
本当の酒好きは、どうなの?
さしずめ甘党の私には、夏の青空にはためく「氷」の旗が一番好きだ。

数百年も前のその状況は、史実を曲げてはいけない部分と、漢詩を読んで、自分なりに、感じて表現すればよい。

あれ?この言葉、どこかで、聞いたなぁ。

あっ、須藤明実先生だ。 

漢詩について、こんな風に身に引き寄せて、語ることができるようになった。
おかげ様。 




14題選ばれた漢詩の内、五つの詩をCDの伴奏付きで、会のメンバーが吟詠されました。
参加のみなさんは、とても熱心に、受講され、模範吟詠の時には、口ずさんでいる方もいて、全く、初めてではない方も混じってらっしゃいました。

2時間の鑑賞の後、入会に興味をもって質問される方もいて、良かったなぁと、安堵。
その方が、どうか入会されますように。

これだけの、講座を開くにあたっては、準備が大変だったことでしょう。
そして、その労作を、流れるように、2時間しゃべりつくされた先生、ご苦労様でした。

またの機会に、参加させてください。

さて、夢組も、いずれは、それぞれの会に、一人ずつくらいは、会員を増やしたいと思いはじめました。
特に清瀬市松山市民センターは、とても環境の良いところですし、明けて、6年目に入るわけですから、一段落したら、3年計画くらいで、行動に移せたらよいなぁと。
まだ、文字にする段階ではないのですが、この、ワークショップに参加させていただいて、気持ちが揺すぶられました。

最近来ていただいている新人のゲストさんから受ける刺激が、とても良い方向に向いているので、それが、きっかけにもなっているのもあると思います。


教室訪問を、此の処、忘れていたのですが、違う方向で、学ばせていただきました。
そして、今までとは、違ったかかわり方もあることを見つけて、視野が狭かったなぁと思っています。




14題の漢詩
  1、元二を送る 王維  2、涼州詞 王翰  3、江南春望 杜牧  
  4、清明 杜牧 5、秦淮に泊す 杜牧  6、懐いを遺る 杜牧  
  7、山中幽人と対酌す 李白  8、汪倫に贈る 李白  9、少年行 李白 
  10、金陵の酒肆にて留別す 李白  11、飲中八仙の歌 杜甫  
  12、曲江 その二 杜甫  13、登高 杜甫
  14、酒を把って月に問う 李白  (太字の5題を吟詠)
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お雛様の日に女子二人

2016年03月03日 | こたろう語録
かあさんは、お姉ちゃんからのお誘いで、原宿へディナーにでかけた。

予想以上に雰囲気の良いお店で、おいしい食事だったそうだ。
「私たち女子二人で、ごちそうするから行こうよ」と誘われて、至福の時を過ごしたみたいで、僕も、珍しく、母さんに「はやいねぇ」と言ってもらえるタイミングで、お出迎えをした。

まぁ、今日は、女子の日だからね。
ちょっといつもより早めのタイミングのお出迎えは、それだけで、喜んでもらえるよ。


母さんは、時間を読み違えて、表参道のホームのベンチで時間待ち、本当は、一つ先の明治神宮駅だったんだけど、携帯のおかげで、直前の連絡で、お互いに誤解があったことがわかって、お姉ちゃんも一つ前の駅で降りて、合流ということがあったんだって。

母さんや、こんな不手際で、良く、先生をしてられるよ、あきれたもんだねぇ。
携帯は、絶対忘れられないねぇ。




今日は、昼間は、論語の日。
須藤先生が、改めて漢詩を取り上げて、その際吟詠にも、深い興味を持ってくださるきっかけになった「山中問答」を吟じる日だったんだ。

うまく吟じられたかなぁ。
また、さらに、先生との距離を近くしたんじゃないかなぁ。
論語だけで、須藤先生とご縁を深めたい人もいるだろうねぇ。
その辺のところは、母さんは、どう思っているんだか...



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