須藤先生の菜根譚の講義に続いて、今年度最後の初めの一歩でした。
来月からは、新越谷に場所を変えて、また新しいシリーズが始まるのは、菜根譚と同じ。
東京芦孝会からの参加以外は、須藤先生のほか三名。
この内二名は、スムーズに会場変更になっても続けられます。
お一人は、帰宅時間の都合で、菜根譚の講義を受けたら帰らねばならないそうです。
その代わり、松戸の夢松風に水曜日の練習日に限り、参加可能とのことで、前回の夢松風に見学に来ていただきました。
半分出席で楽勝と考えましょうね。
今日は、松樗~のおさらいの後、それぞれが独吟、あるいは、リクエストに応えての吟詠発表の場となりました。
「偶成」「春暁」「静夜思」「絶句」「松樗~」は1年半になる方たちの、習った漢詩。
全員合吟。ののちに、先輩方の「松樗~」「川中島」「寒梅」「春日山懐古」の模範吟。
川中島以下の三題は、新人さんたちと先生からのリクエスト。
最後に、お二人の新人さんたちの独吟。
毎回驚くのですが、月に1回1時間の練習で、とても、情のある吟詠をしてくださるのに、驚いてしまいます。
細かい吟法にこだわってしまうと、この「何とも言えない情や情緒」が失われます。
この教室は、このままで、ゆるく途切れないで永らえる方針で、続けていきましょう。
「もう少し上を目指す」が一瞬頭をよぎるけれど、置いておきます。
めでたく、継続の方ばかりですが、今日で、終了の方がいらっしゃいました。
吟詠の発表の時に尺八の伴奏でお世話になっているメンバーが、今日の第三木曜日は、卒業して、第4月曜にのみ、いらっしゃることになりました。
論語の学びにいらっしゃって須藤先生の生徒となられたKさんですが、尺八伴奏の練習をしたいとおっしゃって、はじめの一歩にも参加なさいました。
はじめの一歩の練習では、まさか練習のコンダクターの代わりを務めていただくわけにはいかないし、1時間の練習の中で、お稽古に気が乗っているときは、模範吟詠の時間も取れない時もあり、たまにある模範吟詠の時だけの出番ですから、退屈なさっている様子が、見えていました。このことは、ずっと、気になっていました。
ご自身で、はじめの一歩は来ないという結論を出されて、その獅A須藤先生に直接伝えられたそうです。
伴奏に関しては、須藤先生が依頼したわけではなく、生徒間で勝手に始めたことなので、須藤先生には、申し訳なく思いました。
はじめの一歩が始まって、吟詠をしてほしいとの先生からのリクエストが増えるにしたがって、芦孝会仲間の出番が増え、論語の生徒仲間として心から応援をしてくれました。
あくまでも論語仲間としてのK さんの出番も増えるという自然の流れが起こりました。
吟詠と尺八の構図が当たり前のように受け止められていますが、先生の思いに応えて、盛り立てるためのものでした。
長らくお疲れ様でした。ご自身で所望された関吟流の吟詠の伴奏の練習になったことでしょう。決して無駄な時間では無かったと信じます。
いろいろとお忙しいことと思います。益々のご活躍を、なさいますように。
そうそう、縁が切れたわけではなく、まだ、第4月曜日が、残っていましたね。
この日は、これから、思想家についてのテーマで、須藤先生の講座が4月から新たなスタートを切ります。
学びの傍ら、得意の尺八を、東京芦孝会メンバーの吟詠と共に、お聞きいただくこととなります。
須藤先生の教えを受ける仲間として、それぞれの技を出し合い協力し合えるということは、なんて、素敵なことでしょうか。
自然な気持ちで行っていたことが、ちょっと考えの変化したメンバーの存在に気づくことによって、先生の教え、洪自誠の言いたかったことが、実感されるものなのですね。
実学、実践派の私には、此の処の出来事は、学びの目をさらに見開く機会を頂きました。
学びと言うものは、奥深い。
(3月21日加筆訂正)
来月からは、新越谷に場所を変えて、また新しいシリーズが始まるのは、菜根譚と同じ。
東京芦孝会からの参加以外は、須藤先生のほか三名。
この内二名は、スムーズに会場変更になっても続けられます。
お一人は、帰宅時間の都合で、菜根譚の講義を受けたら帰らねばならないそうです。
その代わり、松戸の夢松風に水曜日の練習日に限り、参加可能とのことで、前回の夢松風に見学に来ていただきました。
半分出席で楽勝と考えましょうね。
今日は、松樗~のおさらいの後、それぞれが独吟、あるいは、リクエストに応えての吟詠発表の場となりました。
「偶成」「春暁」「静夜思」「絶句」「松樗~」は1年半になる方たちの、習った漢詩。
全員合吟。ののちに、先輩方の「松樗~」「川中島」「寒梅」「春日山懐古」の模範吟。
川中島以下の三題は、新人さんたちと先生からのリクエスト。
最後に、お二人の新人さんたちの独吟。
毎回驚くのですが、月に1回1時間の練習で、とても、情のある吟詠をしてくださるのに、驚いてしまいます。
細かい吟法にこだわってしまうと、この「何とも言えない情や情緒」が失われます。
この教室は、このままで、ゆるく途切れないで永らえる方針で、続けていきましょう。
「もう少し上を目指す」が一瞬頭をよぎるけれど、置いておきます。
めでたく、継続の方ばかりですが、今日で、終了の方がいらっしゃいました。
吟詠の発表の時に尺八の伴奏でお世話になっているメンバーが、今日の第三木曜日は、卒業して、第4月曜にのみ、いらっしゃることになりました。
論語の学びにいらっしゃって須藤先生の生徒となられたKさんですが、尺八伴奏の練習をしたいとおっしゃって、はじめの一歩にも参加なさいました。
はじめの一歩の練習では、まさか練習のコンダクターの代わりを務めていただくわけにはいかないし、1時間の練習の中で、お稽古に気が乗っているときは、模範吟詠の時間も取れない時もあり、たまにある模範吟詠の時だけの出番ですから、退屈なさっている様子が、見えていました。このことは、ずっと、気になっていました。
ご自身で、はじめの一歩は来ないという結論を出されて、その獅A須藤先生に直接伝えられたそうです。
伴奏に関しては、須藤先生が依頼したわけではなく、生徒間で勝手に始めたことなので、須藤先生には、申し訳なく思いました。
はじめの一歩が始まって、吟詠をしてほしいとの先生からのリクエストが増えるにしたがって、芦孝会仲間の出番が増え、論語の生徒仲間として心から応援をしてくれました。
あくまでも論語仲間としてのK さんの出番も増えるという自然の流れが起こりました。
吟詠と尺八の構図が当たり前のように受け止められていますが、先生の思いに応えて、盛り立てるためのものでした。
長らくお疲れ様でした。ご自身で所望された関吟流の吟詠の伴奏の練習になったことでしょう。決して無駄な時間では無かったと信じます。
いろいろとお忙しいことと思います。益々のご活躍を、なさいますように。
そうそう、縁が切れたわけではなく、まだ、第4月曜日が、残っていましたね。
この日は、これから、思想家についてのテーマで、須藤先生の講座が4月から新たなスタートを切ります。
学びの傍ら、得意の尺八を、東京芦孝会メンバーの吟詠と共に、お聞きいただくこととなります。
須藤先生の教えを受ける仲間として、それぞれの技を出し合い協力し合えるということは、なんて、素敵なことでしょうか。
自然な気持ちで行っていたことが、ちょっと考えの変化したメンバーの存在に気づくことによって、先生の教え、洪自誠の言いたかったことが、実感されるものなのですね。
実学、実践派の私には、此の処の出来事は、学びの目をさらに見開く機会を頂きました。
学びと言うものは、奥深い。
(3月21日加筆訂正)