風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

初吟交流会その2

2016年03月13日 | 詩吟
初吟会の出吟吟題は、「佳賓好主」佐藤一斎作
初吟会に月と梅が好主として佳賓として、好一対。この贅沢な春の夕暮れ。


素敵な漢詩と思う。月と梅と好一対。今日の交流会の一対の詩吟の会「鉄皚会松戸支部」と「東京芦孝会」は、好一対となるのだろうか。


漢詩の作り方の約束事から外れているのは、漢詩を見ただけでもわかる。
そして、ある先生によると、押韻と同じ文字は、使ってはいけないという余り知られてない約束事を会の終わった後に教えていただきました。

佐藤一斎が漢詩を作るときは、何と何を考えて、それでもこの漢詩を完成と決めたのだろう。
平仄を合わせると、中国語で読むだけで、美しいのだそうだ。
それを日本語に読みかえた時、どんな印象に変わるのかなぁ。
そして、その詩を吟じたら、今日のようになるのよねぇ。


さて、漢詩の作り方の約束事は、それとして、今日の吟詠は、CDの伴奏曲で、できる限り練習をしました。

伴奏の終わりに、3秒ほどの無音状態があり、吟詠の終わりが早すぎると伴奏が終わったのに、吟がまだ続いていることになる。
ほんの少しのタイミングで、それより遅く吟詠を終わることができると、最後の言葉の「春」を言い終わったと同時に琴の音が始まり、伴奏はまだ終わってなかったとわかり、ちょうど良かったとわかる。
そして、「春」のことばを、無音の状態で、吟じるから、「春」の言葉をことさら優しく吟じなくては、悪目立ちをしてしまう。
それを、面白がって練習したのだけれど。

伴奏を吟剣の6番に決めたのは、始まりが気に入ったからで、最後まで良く聞いたわけではなかった。
練習するうちに、しまったと思った。
練習するうちに、ゲーム感覚で、吟詠の終わりのタイミングを面白がって練習することができた。

絶妙のタイミングで、吟の終わりが来るワクワク感をスリルと共に味わい、わくわく感いっぱいで吟詠をすることを久し振りに楽しんだ。


あぁ、それなのに。
伴奏の始まりの音量が、小さすぎて、始まったのがわかっただけで、聞き取りにくかった。
もう一度、かけなおしてくれることを期待したのだけれど、その様子がないので、仕方なく、作者 吟題を言って、その流れのままで吟詠を始めるしかなかった。かなり始まりが遅かったと思う。

だから、もう、流れで、吟をするしかなくて、最後のタイミングなどと言っている場合ではないことを察した。
それでも何とか慌てなくて済んだのは、事前に、2回ほど声出しができていたからだろう。

つい最近まで、CDを流すけれど、コンダクター代わりと考えていたことを、思うと、進歩したものだねぇ。

CDで伴奏を入れると、確かに楽なのだね。
これは困ったなぁ。だって、私は、吟詠に乗り乗りになればなるほど、吟詠時間が長くなるのだから、CDの終了時間に合わせる様な吟じ方は、今までしたことがなかったけど...

尺をあわせる。ゲーム感覚では、楽しめた。
「自由に楽しく」の楽しいは、クリア。








でもね、やっぱり、アカペラが好きだ。
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初吟交流会

2016年03月13日 | 詩吟
毎年2月に行われている関吟関東連合の東京芦孝会と哲皚会小金原支部との初吟交流会が、今日、行われました。

公共施設が年々借りにくくなり、やっと、3月に会場を確保できての、今日の初吟交流会です。

小金原支部が松戸支部として本部登録をされたことは、関吟ニュース3月号「きらり!教場トピックス」にて、すでに周知されていたことです。

鈴木恭皚先生の更なるご活躍と松戸支部の発展を心から、お祝い申し上げます。

かつては、鈴木先生は、芦孝会となるまえの平井教室には、練習参加なさって、私と机を並べ、同じ年代の同じ女性ということで、切磋琢磨しておりました。

やがて私は、介護と転勤とで、休止状態が続いていましたが、鈴木先生は、お仕事で忙しくなる中、着々と詩吟の教室運営にも、力を発揮なさっていらっしゃいました。

今日は、生徒さんの昇段昇格の賞状授与の時に、ご自身にも、「総師範」を任命される賞状がありました。

哲皚会からどなたもいらっしゃっていないので、この賞状を鈴木先生に授与する立場の方がいらっしゃいません。
ご自分で読み、ご自分で受け取るということが起こりました。

関東には、この二つの会しかありませんから、協力し合っていきたいものです。

公式の場においての、私たちの取るお作法のようなものがあるはずですが、勉強不足で、失礼があったかもしれません、野田 芦孝先生に対しても、当たり前の、礼儀とかお作法とか、あるのではないかと、こんな時に、慌てて思うのですが、野田 芦孝先生と同じあるいは格上の方で、助言いただける方がいないので、失礼なことをしているのだろうなぁと、おぼろげにわかるのです。

野田 芦孝先生がもう少し、権威主義でいてくださったら、そういう情報の窓が開いているはずなのだけれど。

そう言えば、鈴木先生もどちらかと言うと、そうだなぁ。

年に一度か二度お目にかかる松戸支部の会員さんたちは、鈴木先生のことをどのように思っているのでしょうか。

鈴木先生が代表者吟詠で、吟じられたあと、おそらく入会なさったばかりと思える方たちが、先生の吟って素敵!と言った表情をして、お互いがうなずきあっているのが遠めに見えました。

なるほど、先生の吟詠にこれほどの思い入れができる方たちは、幸せだねぇ。
格で教えるものではないけれど、あなたたちの先生は、関吟の中でも、上級の指導者なのよ。


このようにひそかに私は、他の会の先生に対しては、思っているのだけれど、野田 芦孝先生に対しては、このような思いをはたして持っているだろうか。

あまりに親しみすぎて、敬意を表す機会を失って居はしないかなぁ。。。


会の終わりには、先生のエールが、松戸支部、芦孝会、関吟に向けて送られました。
先生のエール健在なり。



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