風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風7月第2回

2014年07月23日 | 詩吟
奇しくも、夢松風も新人さん到来。
ゲストさんの、お知り合いを松風が住まいに近いというのでご案内してくださいました。

まだ、声を出してお試しをする前から、練成会への参加をお勧めするなど、順番が逆なのに。
今日の練習で、練成会のもろもろが締め切りになるのでね。


教室合吟の吟題は、金州城と青葉で決まりました。
新人さんをお誘いするとしたら教室合吟ということなのですが、奇しくも今日の松風の講習吟は、「金州城」。
あまりに、ぴったりの偶然に、じたばたと締め切りだからとの焦りが止まる。


新入会員をお迎えするとわかる前は、練成会の出席者は、夢組で、私のほかは女性三人でした。それで、連合吟の出場を、教室を超えて三人で、夢組としてエントリーすることにしました。
連合吟は、東と西の端に位置する二つの青葉と松風を夢組としてより結束を深めるとの期待が込められています。

青葉と松風と二つの教室ですが、便宜上それぞれが近い場所で練習を続けられるためと考えて二つの教室になっています。私としては、いつも一つの夢組としてとらえています。
今日は、青葉から連合吟の仲間が二人のうち一人練習に参加してくださいました。
寄せ書きをその方にお任せしたので、受け取るのも兼ねてのご来場です。

会場に私が到着したときは、合吟をするその二人が、仲良く会話中でした。
コピー取りで焦りながら、汗を拭きながら、会場に入ったので、その様子を見てほっと一息。




金州城の講習を終えて、連合吟と昇段試験の吟題のおさらいが、順調に進みます。


さて、新人さんは、声を出すのがお好きのようでした。
ご自身では、声が低いと思っているので、今日の5本の練習は、安心したとおっしゃいました。

夢組の、練習は、紙に書かれたものに頼らず、聞いて聞いて覚えていただく、それで、ご自分の楽器をよりよく研ぎ澄ませ、自分の感性を高めるやり方が理想です。

副読本や譜名表は、使いたくないのですが、副読本は、麻薬のようなもの。
私自身、しどうしゃになってから出現したときは、ありがたいと思い、それを使うのをやめられない。
会員さんに、本当は、テキストで詩吟をしてほしいといいながら、自らが副読本にかじりついている様子は、もう、みっともないのだ。
テキストにこだわることをやめて、副読本へのこだわりを捨てたらと、思う。

でも、ひらがなで吟じてほしくない。譜名の音階にたよってはいけない。
指導者や関吟のCDで、上級者の吟を聞いて、耳と体で詩吟をしてほしいという看板は下ろしたくない。

でもね、譜名表に頼りたくなる気持ちはわかるのだ。

新しい吟法が出たら、板書して、それを自らテキストに書き込んで、自分の手と目と頭の作業で、自分の物にしてほしい。

二度目に出た来たとき、すんなりと吟じられる時とそうでない時がある。
自分のノートの過去の書き込みと今の書き込みを見て、どう、勘違いしたのか、わかっているけどできないだけのかを、自分で理解してほしい。

簡単に譜名表を出してきて、わかった気になってほしくない。

夢組さんは、その所をしっかりわかってくださっているのだが、ゲストさんは、最初に自分の所属教室で教えられたことを、正しいとして、こちらに持ってくる。

以前、やんわりと言ったときは、理解してもらえず、今日は、はっきりと、新人には、譜名表はまだ早いから、出さないでと少々きつくお願いする。

もっと違う言い方はあったかもしれないが、、、傷ついていたらごめんなさい。


こんな時、文章や、書いたものでは表せない、とても大事にしていることが、伝わっていないことを、理解することになる。

こんなことが、おきると、振り返り、また、新たに言葉を考える。

こういうことが起きるのは、開かれた芦孝会の永遠の、課題だなぁ。
いや、開かれていなくても、起こることだなぁ。
紙に書かないことは、繰り返し繰り返し伝えていかねばねぇ。


でもね、こんなことよりも大事なことで、うれしいことがある。

可能な限りゲスト参加している人が、食いついてきて、あきらめない人がいる。
そして、その、やり取りを見て聞いて、夢組さんは、大いに勉強をさせてもらっている。

あまり間違いを犯さない、優秀なメンバーは、却って、なおす部分がないので、ついでにあれやこれやを習うチャンスを失いがち。

それを、ちょっと先を行くゲストさんへの、私の言葉が、今ではすっかり理解できるようになってきたので、ちょっと先の学びをすることができている。
だから、余計に、感の良い人がおさらいの独吟をした時、間違いない吟詠をし終えてしまう。
そして、結構でしたと言われて、おしまいになってしまうのである。

それぞれが、それぞれに、学びがあることを十分に理解してくださっているので、お一人にだけ、時間をかけても、不満は起きようはずがない。

人様の吟を聞き、その吟へのコメントを聞いて、理解し、考え、振り返ってみることが、どれだけ上達につながるかを、よくご存じの方たちが、夢組メンバーである。


人様の、吟詠のときこそ、よく感性を研ぎ澄ませて、耳に体に反応させるのが、良い。
今吟じ終えたばかりでも、自分自身の吟は、所詮は過去のもの。
今、心を動かしてたものを、上手に取り入れることが、最上のものと思う。
その吟詠が、練達のものでも、自分より後輩のものあっても、心を動かすはず。

たまには、自分の吟を録音して、聞いてみなさいと言うことがあるけれど、私の言っていることは、矛盾していることが結構あるのかもしれないねぇ。

だって、私の吟を聞いて覚えなさいといいつつ、私は偉そうに聞かせて、真似してよい吟をしているのかな。

それなら、副読本をしっかり握りしめて、音程正しく吟じた方が、良いのかもしれないよねぇ。
つまり、読み方だけを教えていけばよいのかもしれないと、自嘲的におもうこともある。

そんな風に自嘲的になるのは、すごくうれしいことがあったときのほうが、起きるのだ。
もうすこし、有頂天を続けたらよいのに、私って貧乏性にできているのか。

それとも、誰かに、そんなことないよと言ってほしい心の叫びなのかも。

指導者とは、孤独に陥りがちだよね。
早く、同じ立場で同じ感性で話せる人が、育ってきてよね。


               ☆待ってるよ☆




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