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ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

お盆参り

2010年08月13日 | 父の事全般
何か最近、日にち操作でブログ更新しております

どうも散歩という名の猫の餌やりが、早朝と夕方一日2回というのがしんどくなってきているようで、肝心のやらなきゃいけない事も出来なくなっているのが困っているところ

足を動かす事しか出来てないし・・・。
しかも、折角家に閉じこもっていて素晴らしく蚊に刺されなかったのに、逆に今は1回行く毎に一ヶ所は刺されてるって感じで、それもストレスだし

時間が時間だけに、睡眠時間が3~4時間ぐらいでブツブツに寝ている状態なのも、しんどい要因かなあ。
せめて6時間ぐらいは寝たいのに、早朝と夕方の時間に合わせようとすると、そんな感じになっちゃう。

物凄く痩せている猫が一匹いるので、その子が気になって2回行くようになっちゃってるんですが
足を怪我していて、3本足でひょこひょこしているのに殆ど骨と皮に近い状態に痩せてて、涙が出ちゃって

何とか太らせようと暫く行ってる訳ですが、体力のない私の事、この程度でダメージが

病院に連れて行ってあげたいのに、こんな時に無職で治療費が捻出出来ない・・・
家に連れ帰れば、雄猫で虚勢もしてないので、絶対銀河と喧嘩になってヤバイ
銀河は、雌猫と人間にはとても優しいですが、雄猫には厳しいです

で、その痩せてる子も気の強い性格で、そんななのに他の子にも強気で喧嘩しそうになるんで、間に入って
「喧嘩はダメよ!」
とかばう事も多々あり。

鍵のかかるドアでもあれば私の部屋にでも閉じ込めておけるでしょうが、残念ながら銀河が簡単に開けちゃうふすまだし、エアコン入れてるので締め切る訳にもいかず
地道に外に通うしか、今のところ手立てがないです

その子がいなければ、もうちょっとのんびり一日一回散歩でいいんだけど。
雨が降ったら行けなくて気になるし、たまに餌が置いてあるので、他に誰か来てるようではあるけど・・・。
一日食べられなかったら死んでしまわないか?と思うような状態なので。


そんな生活になってしまい、ブログの方もロクに写真とか用意出来なくて、結構疲れております
で、後から日にち操作更新に


今日は、こないだちょっとだけ早いお盆参りに行って来た話を書こうかなと。

と言っても混む時期を避けて行ったので、のほほんとして楽は楽でしたが別に話題はこれと言ってなく

気になったのは一宮に向かう電車の中で、席に座っておかんと話しながら窓の方を何となく見てる時に、眼鏡の隙間の視界の端に、黒いTシャツ着た人が立ってるのが見えた気がしたんですよ。

私は通路側に座ってて、通路に誰か立ったのかなという感じだったので、でも振り向くと誰もいない。
男の人っぽい感じがしたんだけど。

お参りを終えて、一宮に戻ってホントはモーニング食べたかったんだけど、時間が昼過ぎちゃったので普通にランチを食べたら、その時も注文待ってる間に電車の時と同じ感じで視界の端に黒いTシャツの人が見えた気が。

振り向いたらやっぱり誰も通ってない。
ウェイトレスさんもいなかったし。

父は黒いTシャツは持ってなかったんで、「??」って感じだったけど、単にシルエットっぽく見えたのかも。
今も家に帰ってきてる感じは、一切ありませんが

頑張って、初めてなすときゅうりで牛と馬作ったのになー。
出来る前に帰ってきたのかな?

銀河に
「じいじ帰ってきたら教えてね。ママは全然見えないから。銀ちゃんが1番見えるでしょ?」
って言ったものの、別に不思議そうに部屋の角を見つめるとかは全くなく
いつも通り、暑いと
「エアコン入れてくれよ~!
と文句言います(笑)

たまにエアコン切ってて自分の望みが叶えられないと、ヒンヤリシートを自ら使っているのでいいのだ
多分硬いのが好きではないけど、暑いのには耐えられないって感じで、最近頻繁に使ってくれてます。

これも、父に熱田のイオンまで車で連れてってもらって、買ってきたんだよなあ。
ちょっと大き目の猫用品は、車じゃないと持って帰れないしね。


ま、そんな感じで父はいるのかいないのかわかりませんが、またお寺ではリリーちゃんの写真撮って戯れてきたので、編集出来たらアップしますね

お寺が混んでるとリリーちゃんとも会えないかもしれないので、やっぱり空いてる時がいいです。
来月また会えるのがちょっと楽しみ


今度は早めの時間に行って、モーニング食べたいと思いますよー。
駅から近いからいいかなと思って入ったお店が良くって、おかんが大分気に入ってたので、またそこに行こうと思います。

お店は「I.C.Cグルメ」
日替りランチもボリューム満点で、750円でこの量か!っていう。
私は普通のセットメニューでおかんが日替りランチにしたけど、どっちにしても量が多い!

味もとても良く、量からするとファミレスより安いのではって感じで、驚きです
単品メニューがあるともっといいかな
私はセットメニューはちとツライ・・・>多くて
モーニングで丁度いいかも(笑)


因みに今日の写真は、雨を気にしながらお参りに行ったけど、今年ってそういえば夕立とか雷とか殆どないよねえ?って思っての写真。
ちょろっと稲妻です。

折角家にいるのに雷写真撮る機会が全然なくて、凄い詰まんない&勿体ない
でも猫のとこ行く時間には降らないで欲しいし、複雑な心境でした

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銀河との別れ

2010年08月08日 | 父の事全般
今日で父がこの家に戻らなくなって、一年になります。


いつも帰ってくる週末、いつも通り金曜日の夕方に家に帰り、日曜日の夕方に病院に戻るはずでした。





それまで何度か日を置いて熱が出る事が続き、間隔が少しずつ縮まって遂に週に一回ぐらいは熱が出るようになりました。

熱は大体2~3日で下がるんですが、おかげで最後の化学療法がなかなか出来なくなっていました。





水曜日に次の化学療法の話をして、来週具合が良かったら始めましょうと言っていたところでした。

土曜日の昼過ぎ辺りから具合が悪くなり始めていたのに、病院に戻りたくない父は黙って我慢していたのです。





私は父が家にいた事もあり、色々と疲れていたので少し昼寝しようとしていたところ、何かウダウダやっているので熱があると気付きました。

保冷剤などで冷やしていたものの、段々辛くなってきたようで、やっと病院に戻ると・・・。

風邪の熱とかではないので、市販の解熱薬など怖くて飲ませられないのです。





もう父は自分で着替える事も、ズボンを穿く為に立つ事も出来なくなっていました。

熱で体全体が震えていました。


母と2人で父の体を支えながら何とか着替えさせ、病院は近くなのでタクシーを呼んですぐ迎い、殆ど歩けない父の体を支えながら、何とか病室へ。

病院に入ってすぐ借りられる車椅子を持ってくれば良かったのに、全然気付かず・・・。
病室のあるフロアまで上がってから、母が慌てて車椅子を持ってきました。





それ以降、父は自分の足で立つ事はありませんでした。

翌日少し熱が引いたので自分でトイレに行こうとして、ベッドの横で転んだと、向いのベッドのフランス人の方が教えてくれたそうです。


その方は程なくして無事、退院されました。
とても元気だったけど、結構危険な状態になったそうです。

ジュースありがとうございました。
色々親切にして頂いて。
カッコイイ、若いお父さんでした。

お子さんの「パパ、早く元気になって」という可愛らしい絵が飾ってありました。


お互いもう、この病院で会う事はないでしょう。

どうかご家族の為に、出来るだけ元気でいて下さい。
私の父の分も、長生きして下さい。

お父さんがいないのは、とても寂しいです。





本当は日曜日に戻るはずだった病院、あと一日でも家にいたかったでしょう。

銀河ともきちんとお別れをせず、悔いが残ったと思います。


でもこの時は翌日少し回復した感じもあり、また次の週末も戻ってこられると思っていました。

化学療法も出来ると思っていました。

銀河にも会えると思っていたでしょう。

母が病室に行く度に、「猫は?」と聞いていたのですから・・・。



しかし父がその体で、戻ってくる事はありませんでした。


帰りたいと何度も言っていたのに。


一ヶ月以上経って、魂か、小さな骨の欠片しか戻れませんでした。




最後の願いを叶えてあげられずに、ごめんなさい。




きっと私も、最後の願いは叶えてもらえず、苦しみながら死ぬのでしょう。




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二度と来ない誕生日

2010年08月05日 | 父の事全般
今日は亡き父の誕生日でした。





去年の誕生日、たまたま水曜日でまた病院に家族で話を聞きに行き、今週末調子良かったら来週からまた、新しい化学療法をしましょうという話でした。





いつもの感じで話が終わって、私が主治医の先生に
「今日は父の誕生日なんですよ」
って言うと、
「まあ、おめでとうございます
って、和やかな雰囲気になったものでした。





例え次の化学療法が多少効いたとしても、来年の誕生日を迎えられるかどうかはわからない。

多分、父本人が1番感じていたと思います。

7月の三連休ぐらいから咳き込みが始まって、物が飲み込みにくくなったばかりか、好きだった煮物とかも鼻をつくようで食べられなくなっていたから。





父はもう、永遠に69歳になれません。



母はよく、
「生きていたら○○歳だったね」
という話をします。

特に自分の父が亡くなった時。
本当に突然の知らせで、私も凄い心臓がドクドク音を立てていたのを覚えています。

全く病気がなかった訳ではないけど、大体のお年寄りと同じで何種類かの薬は飲んでいました。
心臓の薬を飲んでいたなんて、母も全く知らされていませんでした。
特にひどい病気という事ではなかったようで。


「お休み」
と眠っている間に心臓が止まり、朝になっても起きてこないので、祖母が起こしに行って気付いたのです。

布団が全く乱れていなく、苦しんだ様子もない事から、とても良い死に方だったと思います。

誰にも迷惑かけず、介護も看病もされずに、眠ったまま逝けるなんて。


そんな祖父でも、母はことある毎に「今日でお父さんは生きていたら91歳だったわ~」という感じの話をします。

正直、もう歳をとらない人間にいつまでも「生きていたら」なんて言うのは、私は好きではありません。
いつまで死を受け入れられないでいるのか、という感じがするからです。


ずっと一緒に暮らしてきた訳でもなし、辛い思い出が蘇る訳でもなし、苦しまずに死ねたのに10年経っても、未練がましいような口ぶりで。


性格の違いもあるし、母は祖母より祖父の方が好きだったから良い思い出も多いからでしょう。

でももう自分の家庭もあるし、兄妹もいて独りぼっちではないのに、そんなに寂しいのかなと。

私はその時自分の父が生きていたから、わからなかったのかもしれません。





私も母と同じになりました。

父を亡くして、誕生日だった日が来ました。

「生きていたら69歳だった」と思います。

でも話はしませんでした。

辛くなるし、いつまでもそんな思いにすがっていてはいけないと思えたので。





今年はどうしても、去年を思い出します。

だから今年だけ、そういう思いに囚われてもいいと思います。


去年は毎日、いちいち父がどうだったって書くのもどうかと思って敢えて書かない事もあったので、今年は思い出しながら、去年と同じ日に綴っていこうと思います。


どうしてもテンションは上がらないので、半分義務的な感じがあるのですが、それが出来るのも今年だけなので。


暫くはつまらない話題が間に挟まってきますが、無理に我慢したくないので自分的にはそれでいいと思っています。




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後悔

2010年07月15日 | 父の事全般
昨日用事から帰ってふっと母が
「お父さんがいなくなって10ヶ月だね」
と言ったので、その夜また悲しくなって泣いた。

忘れていた訳じゃないけど、今自分の事でバタバタしているから、丁度思い出しにくい状況で却っていいかもしれないとは思ってた。



一年と2~3日前、車に乗って父と最後の買い物に行った。

その少し前から、毎回
「これが最後かもしれない」
とは思いながら乗った。
突然悲しくならないように。

何気なく父にそれを言ってもよかった。
話題の1つとして。
もう父と話せる話題はあまりなかったから。



でも言ってしまうと、
「もう自分は死ぬんだ」
と思わせてしまうかもしれない。

それではいけないと思い、何も言わなかった。
「また次も買い物連れてってよ」
という風にして、あまり「死」を悟らせないように努めた。

だから、もうあまり話せる事もなかった。
病気の事も話せない、空々しい無関係の話題も全く意味がない。



この日の父の運転は、突然路上でキーを抜くなど、後から考えたらおかしな行動をしていた。

その時は笑い話としてブログに書いたけど。
帰りは問題なく帰れた。

でも、父にとって最後の運転となった。



これから辛い季節になる。

一日一日と、「去年は生きていた」事を思い出す。

まだ最後の化学療法をする予定だったから、ギリギリでも間に合うかもしれない。
まだ助かる見込みはあると思っていた、去年の愚かな私。

この先に希望は何もないのに。


それでもまだ、父が長い散歩に出ているだけで、帰ってくるのではないかと思っている私。

「帰ってきて」
と、心で叫んでいる私。

「死んだなんて嘘だ」
と思っている私。

それを大きな声で叫びたい私。

まだ諦めきれない私。

きっと去年より、愚かな私。



今頃になって、もっと沢山話しておけばよかったとか、生きているうちに伝えたい事があったのにと思う。

冷たくなって、硬くなってから言っても仕方ないのに。

あまり後悔はないと思っていたのに、後から出てきてしまう。

「もっと一緒にいたかった」
という最大の後悔がある限り、後からいくらでも出てきてしまう。

こんな短期間で吹っ切れない。

だって「家族」なのに。
だって「父親」なのに。



お父さん、帰ってきて。

帰ってきて。

帰ってきて。


仲違いした訳じゃないのに、家族が一緒に暮らせないなんて、悲しすぎます。






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戒壇巡り

2010年03月27日 | 父の事全般
何か色々やってたらすっかり遅くなっちゃったんで、また日にち操作で更新です(笑)

色々な事も今日書こうかなって思ったんだけど、時間がないので明日にでも。
明日はパポんとこ行くんですけどね

という事で、葬儀屋の話は終わったので、今日は永代供養してもらってるお寺の話を。

こちらです

善光寺系のお寺で、稲沢市といってももう岐阜県に近い場所にあるんで家からは結構遠いんだけど、どんな宗派の人も受け入れてくれるし、うちみたいに全く何の宗派に属してない人でもOKなんで。

父が亡くなって少ししてから見学に行った時の写真をアップしますね。



長野の善光寺にもある、本堂地下の戒壇がここにもありまして、地下に降りると真っ暗なんです。
ちょっと行くとこんな壁が。
これはひょっとして博石館のと同じですかね~

暗くて三脚もなかったんで(あったとしても狭すぎる)、ちょいブレてますが



またちょっと先に行くと、こんな感じです。
音楽が流れてて、極楽浄土を再現しています。

うっかりフラッシュ焚いちゃったんで、やけに明るいですが



焚かないとこんな感じ。
目で見た感じに近いです。
ブレずに撮るのがちょっと難しく、何枚か撮りました



アップにしてみるとこんな感じ。
別段広くないんだけど、結構奥の方にあるかなー。

戒壇といってもこれだけで、長野の善光寺に比べたらちょっとしたものです。
因みに戒壇巡りは300円。
私達は納骨の手続きの時に入ったんだけど、無料で入れて頂けました

最初見学に行った時は戒壇巡りの事は知らなかったというか、全然気にかけてなかったんだけど、その後たまたまネットで珍スポット巡ってる人のサイトを見つけ、その中にここのお寺の戒壇巡りの事が載ってて。

で、そのレポートに「戒壇巡りの後の土産物屋に、猫がいる」とあったので、猫に会いたくて(笑)

実際は戒壇巡りと猫は繋がっていなくて、戒壇は入った所に出てくるようになってるので
「あれ~?
って思ったんだけど、本堂の外に無料休憩所があって、実はそこにいたのです。

これまたたまたま(?)無料休憩所のお茶券を頂いたので、そこに入ってわかったんですが

っちゅー訳で、明日猫を紹介します~

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続 葬儀屋の話

2010年03月25日 | 父の事全般
あ、そういえば目医者の方は、てっきり三年以上も行ってなかったんで、いつもの角膜に細かい傷ありだろうと思ってたんだけど、
「何ともないですね」
って言われた

三年も行ってなかった間に先生が変わってたんで、前こんなんで~っていう話はしたんだけど、別に傷はないと。
レンズの方も確認してもらって、左の方に目に見えない細かい傷が少し増えてるものの、問題っぽかった右目の方は何ともなく、
「三年以上いらしてないのに、綺麗に使われてますね」
ってむしろ褒められた?(笑)

レンズ購入からは5年以上経つのに、まだまだ問題ないと言われたのはありがたかったけど、じゃあここ数ヶ月の引っかかり具合は一体・・・

その場でレンズ入れてみたりしたけど、大体病院に行くと症状が出ないってヤツで、特に右目が凄い調子良かった
視力1.2になってるし
ってゆーか、左目が調子悪くて0.8・・・。
元々0.9~1.0ぐらいの設定なので、右目の調子が良すぎると思う(笑)

結局1時間ぐらい待たされて何もなく、薬もないので380円で済んだのはありがたいというのかどうか・・・。
病院出て地下街に入った途端、目に引っ掛かりが出て
「いてててて!
ってなる辺りが

仕事中とか、建物内に入った途端なるので、多分乾燥だとは思うけど・・・。
外にいる時は別に何もないしね。

まあ、最悪の場合レンズの傷がひどくて買い替えかもって考えてたんで、それがなかったのが助かるわ~。
前のレンズも長い事使えてたんで、レンズの使い方はいいのかな


それで、昨日の続きですが。

その相談した人のお爺さんが、冠婚葬祭のH社の重役だったそうで、今でも繋がりがあって顔が利くとの事で、たまたまバッタリ会ったというのに何という偶然か!
っていう感じで

その話を聞いてもらって、問題があるというので早速H社に伺って色々相談にのって頂きました

プランとかシステムとかは各社色々あるんでしょうけど、問題というのは例の引っかかってた「火葬費用」。
名古屋市は5000円って聞いたんですが、家で調べても、H社で確認してもやっぱり5000円!!

10万円というのは明らかに嘘だという事ですよ
これって詐欺じゃね!?
残りの95000円は、懐に入れるつもりとしか思えないし!

という事で、A社の方は解約金もかかるけど全て解約し、H社の方で全てお願いしました。
だってさ、解約金差し引いてもH社の方が安いお値段で1人分やってくれるんだよ!
しかも、学区内のホールを使うとホール使用料無料だよ!

システムからサービスから、全部こっちの方がいいもん!!

で、聞いてみると近年A社はそういった苦情やトラブルが多いそうで、解約される人が年に何人もおられるそうですよ。
そういう人がH社の方にも来るらしい。

まあ、互助会にお互い提携してる訳なので、問題がある会社の話は自然に入ってくるんでしょうけどね。

もし何も知らなくてそのままA社を使っていたら、明らかに騙されるとこでした。
流石に火葬費用はネットでも調べられるからわかるとしても、システムのとこまでは及ばないんで、早期使用料がかかってしまったけど、それでもH社の方がトータルで安かったです。

多分東海地方でしか展開してないと思うけど、もし現在A社で積み立てされてる方は、ちょっと気を付けた方がいいですよ。
愛知県でA社(イニシャル)といえば、すぐどこだかわかると思います。

別にH社は伏せなくていいんだけどね
安いし、親切で丁寧だし、事前の相談や見積もりも推奨されてるんで。
A社は一切推奨していません。
多分気が動転してるところに付け込みたい可能性があるかもね~。

別に安いから安いなりの葬儀しかしてくれないという事もないです。
たった2人なのに普通に人が入る用のホールを使わせてくれたし、何か広すぎて却って申し訳ない

調理用のキッチンとかお風呂とかも付いてるんで、
「家よりいいじゃん!(笑)」
とか言ってたり
勿論タオルとかもあるので、別に何もなくてもお風呂に入れるし、最近の葬儀会館は凄いですね~!

私は折角なんで、お風呂入りました
ドライヤーもあったし。
一応徹夜せずに一旦帰るつもりだったけど、帰ってからだと疲れてすぐ寝てしまいそうだったんで、気力のあるうちにと思って。

たった2人でもきちんと丁寧に送り出して頂き、本当にありがたかったです。
おかんの分も払ったので、おかん自身が
「こんな風にやってもらえるってわかってると、安心するね~
って言ってたので、良かったなあと。
父も希望通りで喜んでくれてると思います

何かサイト調べたら色々出てきたんだけど
とりあえずここ見たらわかりますかね~。


おかんはA社に騙されたのが大分頭にきたみたいで、講義してやろうかと言ってたんだけど、うちはその時そんな事に使える体力も時間もなかったんで、私がブログに書いて不特定多数に見てもらうよ、という事で落ち着きました(笑)

あんまりハッキリ社名を書いて面倒な事になってもうっとうしいので、一応イニシャルで。
こちらは事実しか書いてないので、全く不備はないですけどね。

これから葬儀社を検討される方の参考になればいいかなと。
事前相談は当たり前になっているので、今すぐ使用する事にならなくても、時間があったら是非話を聞いておく事をお勧めしますよ~。

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葬儀屋の話

2010年03月24日 | 父の事全般
最近、なかなかブログを更新する気が起きないですわ~

指ヘルペスも久し振りに発症し、免疫力が低下しているって事なんで、疲れてるというのが原因なんでしょうが。

そういや、いつもの歯医者の定期健診では、ちょこっと虫食いが見つかったんで、また治療費が~

まあちょこっとなんですぐ終わるとは思うものの、この歯医者いつも混んでるから予約が結構先しか取れなくて、日数的には割と後にしか終わらない事になると思う

じゃあもっと空いてる歯医者行けばいいって問題でもないんだよねー。

空いてる=ヤブっていう可能性が凄く高いのと、どこへ通っても確実に遠くなる事。
一からデータを全て取り直す為の検査とかで費用がかかるのと、そもそもインプラントをしているので他所へは行けんっちゅー事ですな

来月から教習所へ行こうと思ってたので、思わぬ障害です
教習所の見学も、しに行かないと・・・。


やっと書こうかなと思った、葬儀屋の話をば。

うちはそもそも互助会に入ってまして、葬儀屋はおかんがその時A社(A.B.CとかのAじゃなく、イニシャルがA)にに決めて、積み立てをしてまして。
一応三人分って事で最後の1人が途中の状態だったけど、まあ1人分は使えるよねと。

しかし葬儀といっても色々なパターンがある訳で、うちは父本人の希望で他の人は一切呼ばず、私達2人だけで送るって事になっていたので、葬儀自体は1番シンプルで安いのでいいなと。

でもいくらかかるのかとか、もうその日は近いので、一応見積もりというか相談とか行っといた方がいいんじゃない?って思って、おかんと一緒に本社に連絡して行って来たんですよ。

で、高いのを勧められても断るつもりでね(笑)
何かその時テレビでもよくやっていたけど、家族が亡くなって気が動転しているところに葬儀屋任せにさせると、わざと高いプランでお金を取られるっていう話があると。

そういう詐欺まがいの行為が増えつつあり、苦情が出ているって話を聞いたりしてたので、注意して先へ先へプランを立てないといけないなと思って。

その為に相談しに行ったのに、何だか解せない話になってしまいました

まず1人分としてかけていた、満期になった金額では、最低のプランにも足りないという事。
何か説明書みたいなのには、それで足りるように書いてあったらしいのに、積み立て始めてから結構な年数が過ぎていたからか、変更になったのかなあ~?みたいな。

でも「足りません」という感じの返事だけで、変更云々の話はなし。

で、もう1人分満期になっているので、それを足して使えますよと。
しかし、2人分の金額でお金が余っても返金にはならないので、使わないと損ですよと、2人分金額のプランを勧められた訳です。

結局1人分とかいう金額も「別にこれで1人分の葬儀費用ではない」というのが向こうの言い分のようで、じゃあ何で満額がこの金額設定なのか、腑に落ちない。

向こうとしては「その金額分の金券として互助会内で使えます」という事らしいけど・・・。
別に葬儀じゃなくても、結婚式でも旅行でも買い物でも。

でもどっちにしても満額になったら、満額以下を使ってもお釣りは出ないというシステムなので、使いづらいしこちらが損をするだけだと思うのよね。

そもそも旅行も買い物も、こんな所でしない(笑)
行ける場所も買える物も決まった物しかないし、そこに欲しい物は全然ないので。

で、それじゃあ結局あと2人分の葬儀費用も、積み立て増やして続けないといけないのかねえ・・・。って話に。
1人分と思ってたのが半額という計算になるので、倍額必要って事よね。

で、ここからが明らかにおかしな話なんだけど、その葬儀費用に加えて
「名古屋市に払う火葬費用が10万円かかります」
と!

2人でハッキリ聞いたよ、「10万円」って!
「ええー!?火葬費用ってそんなにかかるんですかー!?
って、ビックリしたし!

まあ結局、また家で決めますという事で帰りながらおかんと話したんだけど、色々安くしようとしても結局は50万円ぐらいかかっちゃうんだねえ・・・って。
50万ってお金出せない人も結構いる気がするけど、その場合火葬だけするんかねーとかね。

うちだって医療費がかさんでるから、更に50万は結構キツイですよ。
よく東京での平均が250万~300万とか言われてるけど、まず東京じゃないし、人も呼ばないし、特定の宗教にも入ってないし、お墓もないし、あんまり参考にはならないんだけどね。

確かに全体的にみたら安い方だとは思うけど、にしても火葬だけで10万円っていうのが腑に落ちなくて。

で、その二日後ぐらいにたまたま、おかんが病院内で近所の人に会いまして。
父がこの住宅に入ってすぐの頃、その人がこの棟の会長をしてて、父も役員として一緒に色々やっていたので、ちょっと相談する事になったんですわ。

父よりも結構年上で、もうお爺さんの域の人だけど、中日の前身の野球チームの選手だったりしてたらしい>初耳でした

お父さんやお爺さんも会社役員だったりと、ちょっと相談出来る程のつてがあるので、こないだの葬儀の見積もりの話を思い切って聞いてみたよと、おかんが。

そもそも近所の誰にも伏せていたので、その人に相談するのもためらったらしいんだけど、やっぱり火葬費用がどうしても引っかかってたんで。


って、思ったより長くなりそうなんで、また明日に続きます~

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半年経ちました

2010年03月15日 | 父の事全般
今日で父と別れてから半年です。

この区切りで葬儀屋の話から納骨したお寺の話まで、順次書いていこうと思ってました。

とりあえず今日は平日でもあり、あまり時間も取れないので最近の様子を。


最近は先月と比べて、また夜になって母が寝た後に突然悲しくなって泣いたりする日が増えました。

困るのは、布団に入ってから思い出しては泣いてしまうと、睡眠時間が激減して翌日の仕事が寝不足でしょうがない

そんな日が増えたのも、しんどくなった一因ですかねー。


今回、以前と違って医療費控除の申請が遅れたのも、何だかヤル気が全然出なくて・・・。

金額的には私のインプラントの時より沢山戻ってくるはずなのに、全くモチベーションが上がらないというか。

実際計算してみたら、かなりな医療費がかかっているにも関わらず、還ってくる金額(おそらく)は全く大した事なかったです

勿論、保険とかで戻ってきたお金を差し引いてですよ。

それでも貧乏な家にしたら、かなりかかってます。

それに比べたらスズメの涙・・・。

収入が多い人程沢山還ってくるようになってるからですけどね。

収入が多い人はお金に困ってないのだから、逆にしなきゃいかんでしょうが


それと、どうしても領収書を色々見てると、その時の事思い出すんですよね。

どんな治療をしても、どんな薬を貰っても、わざわざ転院して頼み込んでガンマナイフを当ててもらっても、何もなってない。

全てが無駄な行動で、その証である領収書の塊を1つ1つ見ながら計算してると、正直本当に虚しくて・・・。

「これは何だろう?何だったんだろう?」って。

・・・書いてたら、また悲しくなりました

お金なんか戻らなくていいから、父に戻ってきて欲しい。

まだ家族として一緒に暮らしたい。

せめて私が、ちゃんと結婚出来るまで。


別に花嫁姿を見せたいとかじゃないんですよ。

見たいとも言わなかったし、別に私が結婚しようがしまいが無関心な人だったんで。

でも、やっぱり結婚というのは1つの区切りでもあるので、せめてその時までは、と思ってしまいますね。


今日も会社で、仕事中に倉庫の奥の方で1人で片付けながら、突然思い出して泣いてしまいました。

最近とみに、突然泣いてしまう事が多い。

情緒不安定になってるんでしょうかね。

誰かがいればそんな事はないんだけど、一人になると突然泣けてきます


そろそろお彼岸で、お寺にお参りに行く時期です。

またテンションだだ下がりな記事が増えますが、これだけは気持ちの整理として書いておきたいんで、読みたくない人は暫く来なくていいですよ

毎日とはいかなくても、ポツポツ書いていこうと思います。


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今年も花開く命

2009年12月03日 | 父の事全般
丁度一年前、去年のこの日に、父は皮膚癌の手術をしました。

初めての入院、初めての手術、しかも1ヶ月程も入院するという事で、我が家はバタバタしていました。

去年のこの日は水曜日だったので、手術前に会いに行き、歩いて手術室に一緒に行って見送り、先生によろしくお願いしますと頭を下げました。

結構時間もかかるし、私は家に戻って銀河と留守番、母は不安からか病院に残り、長い間待っていました。

手術が長引いて私も病院でやきもきしながら待ち、やっと終わって手術室前でお迎え。
先生方にありがとうございましたと頭を下げ、ベッドごと運ばれていく様子をまるでドラマと同じだとちょっと笑い。

父の意識は殆ど戻っていて、看護師さんの呼びかけにもハッキリ答えていました。

どうしてもおでこなので頭全体を痛々しく包帯やネットで覆って、とても可哀想に見えましたよ。

でもこれで治ると思えば・・・という思いで、後は良くなるだけという思いでいたので、悲しくも辛くもなかったです。
ちょっとホッとしたというか。

それまで長い間、何だかわからなくてひどくなる一方だったから。
もっと早く癌だと判明すれば、父はもう少しでも長く生きたかもしれないけど。


そんな去年の初めての手術の日、近所の四季桜が花を咲かせていて、写真を撮ったのを覚えています。

それを思い出して、今年も撮ってきました。



花が小さくて写しにくいのと、枝が遠いのでちゃんとした位置を確保出来ないという、適当な写真ですが



花の色がピンクが濃い目なのと真っ白なのが混ざっていて、どうしてこんな風になるのか不思議ですね。

もう少し日にちが経つとどんどん花が増えていくけど、今は中途半端な時期ですね。
来年になると見頃かな。


こうしてこの桜は今年もまた花を咲かせるけど、父はもういないんですね。

去年はまさか、写真を撮りながらそんな事になるなんて全く思っていなかった。

一度入院したり手術したりするのもいい経験になるかもしれない、治ったら入院生活の経験から、父の性格も少しは変わるかもしれない、何かがいい方向に変わる事を期待していたものです。

それは年明け早々に打ち砕かれてしまったのだけど。


当たり前のように毎年咲いている花も、いつかは咲かなくなる時がくるのでしょう。
でも短い人間の寿命から、それを目の当たりにする機会はとても少なく、人の死だけを経験する機会が増えるのでしょう。

そして私は、この桜が咲くたびに、この日を思い出すでしょう。


もう父は帰らないのだという事も。


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四十九日

2009年11月02日 | 父の事全般
今日は父の四十九日です。


特に法要とかしないんですが、何となくお別れというか区切りというか。
完全にこの世を去ってしまうんですね。

とはいえ、亡くなった当日から全く家に帰ってきた気配もサインもなく、もうとっくに上がっちゃってるんじゃないかなと思います。

特に未練を残してるようでもないようでしたし、父の性格から考えると、サッサと逝ってしまったように感じられます。


自分からどこかへ行こうと誘って出かけても、その場所をちょちょっと見たらサッサと帰ってしまうような人なので、特に何もこだわってないんじゃないかなと。

唯一、セントレアで飛行機の離着陸を見ていた時だけは、楽しそうに長居していました。
でも記憶にあるのはそれだけです。

何かもう下手すると、火葬場で体がなくなったらそのままあがっちゃったんじゃないかと思うぐらいです。


私としてはクロの時みたいに、もう一度ちゃんとお別れみたいなのがしたかったんですが。
病院に着いたのが遅かったのもあるし・・・。

それだけ未練がないのは、本当は当人にとってはいい事なのでしょう。
家族としては少し寂しいですが。


それでも、今でも慣れないお線香の香りの中、写真に手を合わせている時に玄関から
「ただいま」
って帰ってきても、全く違和感を感じないとさえ思います。

現実を受け入れてない訳ではないのに、何故か「それもおかしくない」と普通に思えるんです。

精神が病んでいるのでしょうか?


これで父の話は区切りとなりますが、まだ葬儀屋さんの事とか亡くなった当日の事とか、葬儀の事とか色々書きたいとは思うので、落ち着いて時間が取れたらまとめて書こうと思います。

今ちょっと色々忙しくて長文書いてる時間もないし、今年はずーっとバタバタしてる可能性が高いですが

私の思い出の覚え書きでもありますし、誰かの参考にでもなればいいと思います。


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