ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

グリーンアポフィライト

2010年09月30日 | ミネラル(鉱石)
今日は、まだ起動してくれるMacちゃんにて編集した、グリーンアポフィライト(緑魚眼石)をアップします




小さめであまり綺麗に撮れてないんですが

しかも不規則な形で写真に撮りにくい



倒して、横向きって感じで撮ってみました。

大きさは測りにくいけど、大体2cmx1cmx1.5cmってところ。
名駅のハンズにて、確か2700円ぐらいだったと思う・・・



上から見るとこんなん。



ひっくり返してみた、裏側。
引っ剥がした感じでしょうかね?



三方向に伸びた形なので、色々な向きから撮ってみようと思ったんだけど・・・。
撮ってると、どこ撮ったんだかわからなくなるという

写真は一応、微妙にちょっとずつ違ってたんだけどね
微妙すぎて編集時に困るよ


お金があったらミネラルショーとかで、一万円近くのもっとグリーンが綺麗なのが欲しかったけど、この石にはそんなに出せないなあっていうのが

あ、そういえば産地カードが見当たらなかったけど、多分他の多くと同じでインドのプーナ産だと思います。
ぶっちゃけ、他の産地のグリーンアポフィって見た事ないし。

四角い結晶のタイプだと安いけど、グリーンがどっちかっていうと黄緑色に近いのと、透明感がないのがねえ
タイプ的には、この尖ってる結晶の方が絶対いい感じ。

一万円ぐらいのはもう採れないそうで、買おうかどうしようか2年ぐらい散々迷ってたけど、やっぱり買えなかったなー
グリーンが濃くて凄く綺麗なんだけど
ブルーの石だったら払ってたかも。

緑は3番目だから、仕方ない>レインボー、ブルー、グリーンの順。


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光の塔

2010年09月28日 | デジカメ・写真
何か色々ありまして、現在具合がちょっと悪いです

もうちょっと早く更新するはずが・・・

どうも、日曜日にいつもの買い物に行って、風邪のウィルスをもらってきたらしい
おかんも私と同じ、翌朝に「何か変」って言ってたので。

月曜はおかんの用事に付き合う予定だったけど、治ってからという事に。
そして現在悪化して、喉の奥がザラザラして炎症起こしてるし、ちょっとだけど熱っぽいし、胃が気持ち悪い

何かここんとこ夜になるとちょっとの頭痛と熱っぽさがあったけど、そもそも弱ってたのかしらん
涼しくなったのは結構なんだけど、やっと色々やれると思った途端にコレとは・・・

父の事で暫く泣いたりしていて免疫力が落ちたかなあって感じですよ。
笑いは免疫力を上げるけど、泣くのは多分下げるよね。

涙にストレス物質が混ざってて、流すとスッキリするとはいえ、泣いて解決する事態ではないんで、疲れていくだけみたいな感じ
こればっかりは、もっと時間が経たないとどうしようもないしなあ。


で、自分がそんな状態であるのに、日曜の夜にMacちゃんが起動しなくなりまして

晩ご飯前にちょっとだけ使ってすぐ終了して、その後写真編集しようとしたら、何かMacちゃんアイコンがずーーーっと出てるだけで、ウィーーンって音はしてるのに画面がちっとも変わらなくなりまして

「何か、エラい事になってしまった」
と感じながら、リセットしたら起動するかもと思ってやってみても、起動せず

側面を開けてエアダスターで掃除して、暫く時間をおいてみても起動せず

当然ながら諸々のデータのバックアップ取ってなかっただけに、
「これで終りか・・・
とチラッとは思ったものの、
「明日になったら動くかも」
とも思い、それに託すしかありませんで


そもそもバックアップは前々から取らなきゃーとは常々思っていたんですよ。
パソコン使ってる人は、そう思ってるでしょう。

でも、なかなかしない(笑)

時間が出来たからしなくちゃーと、Mac用にPICTファイルとかで保存してた写真を全部BMPにして、整理していらん物は捨てるとかしてたんだけど、まさか先にくるとは


で、月曜日の用事がやめといて後日にしようってなったんで、Macちゃん起動してみるも、やっぱり起動せず
どこが悪いのかわからんから怖くて触れないし、もう一回ムダかもと思いつつリセットしてみたら、何と、起動したーーー!!!

これはバックアップ取るチャンス!
今度終了したら次に起動するかわかんないんで、今のうちCDに書き込みだ!(DVDに対応してないドライブなんで、今更でもCDに書き込むしかねえべよ)

で、始めたものの・・・。
予想以上に多く&動きが遅く・・・
書き込むのはディスクにポイッといれればいいんだけど、取り出すのがフィニッシュな訳で、なるべく700MB一杯一杯に入れてるから、すんげーーー時間かかるの

一応風邪薬飲んでずーーっと作業してたものの、夜になっても終わらないし、段々しんどくなってきて
でも、全部持ち出さないと後が怖いし

容量大きめのUSBメモリとかいくつかあるんだけど、そうだ、それに入れといてもいいじゃーん!と思って、まだ増える予定のある猫とか夕焼けとかまとめて入れようとするんだけど、一度にやると多すぎるからなのか、途中で固まるーー!!

ええそりゃもう、USB2.0じゃないですから、遅い遅い
遅いだけならまだしも(4GBで3時間とか・・・)、結局途中で固まるのでどーしよーもない

じゃあフォルダ毎で・・・と思っても固まってしまい、400MBも移動出来ないありさま
USB差込口変えてもダメだし、USBメモリ変えてもダメだし

そんなこって、
フリーズ→リセット再起動
を頻繁に繰り返し、すっっっごい時間をムダにしましてん

リセットして、いつ起動しなくなるかとハラハラしたものの、起動だけはしてくれたのが救い。
でも、ちっとも前に進まない

明け方になってきてどんどん気分は悪くなるし、シェイク飲んで風邪薬飲んで眠気にも必死に耐えながら、これはもうUSBはダメだと判断。
結局CD-RWに残りの途中ものを書き込み、それでも5枚分程あったんで、時間がすっげーかかっちゃって

この歳で・・・というか、徹夜はもう10年前ぐらいから気持ち悪くなって出来ないというのに、ここにきて具合が悪いのに完徹、ちょっとの時間も横たわって休み休み作業になっちゃいました

そういや変な腹痛があって、そもそもそれが凄いしんどかったんだよねー
凄く下の方がキューッと締まるみたいな感じで、女の人はわかると思うような痛みと場所だったんで、別の病気かもって疑っちゃいました

夜に風邪薬飲んでから徐々に明け方にかけて痛みが消えたんで、多分風邪の腹痛だったと思うけど、初めての症状だったからさ。
そんなんで徹夜っすよ・・・。
そりゃ悪化するよ


という訳で写真の編集も出来ず、当然ブログ更新どころではなく、今頃更新なのでした。



この写真撮って、何だろうって検索かけるも見つからず(24日におかんが見つけた直後だった為)、ようやくこれではないかというのがわかったものの、更新どころではなく



しかしこれ、他の人も書いてたけど名古屋城からにはとても見えない位置だよね?
名駅の裏だと思ってずーっと検索してたから、一向に引っかからないはずだ

だって、ツインタワーの裏にしか見えないよ



雲があっのたで、ハッキリと雲に光が当ってました。

愛知トリエンナーレっていうのも検索に引っかかってきたんだけど、公式ページ見ても写真が小さく一枚載ってるだけで、下の説明も英語でちょっと書いてあってわからないし、名古屋城でやってますって書いてなかったからわかんなかったよ

音もほわんほわん聞こえてたけど、ホントにこの位置じゃ名古屋城とは思えない。
多分角度によっては名古屋城に見えるんだろうけど。


私のカメラだと最大ズームでもこの程度なんで、土日とかやってるだろうからまた撮ろうと思ったら、たったの2日で終わったのね。
電気代が半端なくかかるんだろうか(笑)

という訳でこの写真は、何とか起きたら起動してくれたMacちゃんにて、無事編集出来ました

私の苦労は一体・・・

何かちょっとHDDにガリガリ音が混ざってる感じがするんで、そのせいなのかも。
HDD変えたら直るかなーと思いつつ、確実な原因でないと買う金がありませんので

ノートの方でも編集出来るようにしないと、いつかダメになるなーと思いつつ、そうなるとMacちゃんの存在理由はなくなるんですが
前の職場だったら色々相談出来たんだけどなー
メールででも聞いてみようか・・・。
でもMac使いはいないんですよ、私しか

また更新されなくなったら、遂にMacちゃんが壊れたんだと思ってくらはい
写真ないと意味ないの、このブログ

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竜泉寺のにゃんこ

2010年09月25日 | 
やっと日よけもエアコンも要らなくなり、秋らしくなってきましたねー。

っていうのに、何!?こないだの雷&豪雨!!

音がうるさくて眠れなかったんで、これだけの雷は久し振りだ!
と、はりきって写真を撮ろうとしたものの、ベランダに出たら目も開けてられない程の降りこみ!!

写真を撮るどころではありませんでした
折角のチャンスだったのに・・・
カメラ、防水機能ないし>それぐらいないと、壊れそうな勢いの降りっぷり

何とか部屋の中から撮れないかと、窓を拭いてシャッターだけは押していたものの、全然タイミングが合わず

降りこみが弱くなったのでベランダに出てみても、時折稲妻はハッキリ見えるんだけど(っていうか、落ちてる?)、全然撮れなかったです

という事で、仕方なく前に撮った稲妻写真を一枚。

今回はガンガン落雷してたんで外のにゃんこが心配だったけど、翌朝行ったら皆無事で元気でした。
良かった~


うちの住宅の避雷針にも落雷しまして、物凄い音がしてビビッたけど、その時はうちだってわからなかったのね。
何しろあちこちに落ちてたみたいだったから。

で、ようやく治まった頃におかんがテレビつけたら、
「あれ、テレビが壊れちゃった!
とか言うんで見てみると、画像が確かにブレブレ

私の方のテレビも同じようになってたんで、これはさっきの落雷で、アンテナがズレたかもねって言ってましてん。

映るには映るし、テレビ愛知は殆ど問題ないぐらいの映りだったんで、落雷の衝撃でどっか緩んだかズレたんだろうと。
東海テレビとNHK総合が特にひどかったし。

祝日に業者来るんかいなとか言ってたけど、誰かが連絡したらしく、昼過ぎに業者の人が話してる声が聞こえたんでテレビつけてみたら、ちゃんと直ってました。

長年住んでる住宅だけど、ダイレクトに「落雷した」っていう事は殆どないです。
ましてやアンテナに支障が出るっていうのも、多分私が小さい頃にはあったかも、ぐらいです>記憶はないけど、ひょっとしたらあったかも。

って考えると、結構凄い落雷だったのねと
他所の住宅にも、公園にもガンガン落ちてたのが見えたしねー。

夏に全然夕立とか来なかった分をまとめて、みたいな感じでありました。
写真撮れれば楽しかったけど、外のにゃんこが心配だから、あんまり来ないで




龍泉寺に行こうとして、
「こっちの道の方が近いかな」
と坂を上っていった、住宅の前にいたにゃんこ。



実際は気持ち良さそうに昼寝してたんだけど、知らない人間が近付いてきたので逃げようとしちゃって

慌てて「ごめんね~、ごめんね~、写真撮らせてね~」と少し離れてしゃがんだら、また座ったところ。

大分ズームして拡大してあります。



上のにゃんこを撮っていたらおかんに
「犬がいるよ」
と言われて、何言ってんねん、猫やんけ、と言いながら撮ったにゃんこ(笑)

隣のお家の前に寝てたんで、それぞれの家かどっちかの家の飼い猫かも。
大きかったのです、この子。



この、ふわふわ洋猫ミックスちゃんも近付きすぎると逃げそうだったんで、
「写真撮らせてね~」
と声をかけつつ瞬きをパチパチして、何とかズームして撮れました。

多分おかんにはトイプーに見えたのかも(笑)
むしろ大きいぐらいだし。
しかし、トイプーみたいな犬はこんなとこに置かないでしょう、普通(笑)


結局上ったのに龍泉寺に行くには道が繋がってなく、また下りるハメに
まあ収穫は、ちょっとの道なのににゃんこが二匹もいた事ですかな(笑)

龍泉寺に入るとこにも黒猫ちゃんがいたんだけど、
「クロちゃ~ん、クロちゃ~ん」
と声をかけてそーっと近寄っても離れてしまうので、精一杯ズームで撮ったけど、とてもアップ出来るような画質に撮れなかったんで、諦めて破棄しました

バス停1つ分も動いてないのに猫三匹に会えるとは、なかなかいいとこです

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竜泉寺の湯 2

2010年09月23日 | 旅行・お出かけ
竜泉寺の湯の帰りに、ついでに来たから寄っていこうと龍泉寺に寄りました。

まあ同じ日だし面倒なので、タイトルは続きで

で、最初の写真が山門。



山門の中の立派な仁王像、阿形。



吽形。

「吽」って、「阿吽」て出すと「うん」って入れるのに単体だと「いん・おん」っていう読みなのね。
なのに、いん・おんって入れても常用漢字じゃないからか、変換しないけどな!



本堂。



開運・厄除けだそうです。

地図で見たら大きそうなお寺かと思ったんだけど、人が殆どいなくてひっそりしてました。
お彼岸でお墓参りに来てた人もいたけど・・・。

ここら辺では有名なお寺じゃないんですかね?
地名にもなってるし。



帰り道の白沢渓谷。

青っぽいのは、行きのバスよりガラスが汚かったせいです



どこだったか忘れたけど、飛行機が飛んできたので「でもこれは写すの無理だな」と思いながら、何とか撮った一枚。

一番後ろに乗ってて、横から後ろに飛行機が回りこむように飛んだので、体を捻ってギリギリ近付いたところを何とか

プロペラが多いけど、何の飛行機ですかね?



矢田川。

ガラスのせいで、ファンタジックな効果がかかっているように見えるだけ(笑)



最後に、ドーム前のイオンで買い物して帰りました。

疲れを取りに行ったのに、ウロウロ歩き回って疲れて帰ってきた
ストマとアナヒータしか行った事ないんで、売り場の場所がわからなくて

ゆっくり半日ゴロゴロしてくるのならいいけど、電車賃が勿体ないからどうしても「ついでに」他のとこ行っちゃうな

そう何回も行くつもりもないからねー。
用事が2つぐらいないと、出かけないんですよ、私

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竜泉寺の湯 1

2010年09月22日 | 旅行・お出かけ
夏バテとか父の事とかで色々と体が疲れているのもあり、温泉(というかお風呂も含む)好きな母が
「どっか温泉行きたいな~」
と言っていたので色々調べておりまして。

本格的な温泉はそんな近場にないけど、温泉もどきみたいなの(笑)は市内にちょこちょこあるみたいなので、まず試しにという事で、守山の竜泉寺の湯に行ってきましたよ。


初めて乗るのでゆとりーとラインの写真も撮りつつ・・・と思ってたら、時間的にもう出るところだったんで、慌てて乗り込んだ為乗り場とか撮れませんでした

で、最初の写真は乗ってから撮ったナゴヤドーム。
走行中でガラス越しなんで、こんなもんです。
ちょっと高い場所なんで、眺めが良いですね



矢田川。



気付かなかったので電源を入れてシャッターを押すのが遅くなってしまった、陸上自衛隊守山駐屯地。

丁度駅で隠れた直後に見えるんですよね~



白沢渓谷っていう土地だけど、殆ど町というか・・・。

庄内川にかかる橋が見えたので、撮ってみた。



高架を降りる辺りです。
この向こうが竜泉寺方面。

「ゆとりーとライン」って書いてある建物の奥のビルはマンションで、現在分譲中。
モニター募集って書いてましたよ(笑)



竜泉寺下車徒歩3~4分で着きます。
平日の昼間なのにそこそこ車が停まってます。



玄関の写真のみです。
やっぱ内部は撮れないので

他人がわんさか写るし、当然湯船は写せないしねえ


評価に関しては検索すると色々出てくるけど、どんな時期の休日に行ったか平日に行ったか、何時かでも状態がかなり変わってくるので、何とも言えない感じです。
フツーと見るのが1番良いかも?

私は連休の合間とはいえ、平日の昼ちょっと前に入ったので、多分そんな混んでない状態だったと思います。
他に行った人のレビューとか見てると、2007年冬にリニューアルオープンしてからは休日は芋洗いのようにごった返してたらしいんで。

平日もそこそこ混んでたようで、丁度今はそんなに混んでない状態のようです。
もう少し涼しくなって、出かけやすくなると混むかも。

結構若い人も来てるみたいです。
流石に平日はお年寄りの方が多いみたいだけど。


私はそもそも熱アレルギーがあるので、お風呂に入ったり温まったりすると鼻炎が出るから温泉もお風呂もあまり好きじゃないんだけど、母に付き合うからまあ、たまにはって感じで。

温泉っていうと「熱い」っていうイメージしかなかったんだけど(40℃以上)、ジェットバスとか対流してるし、泡で空気が含まれる為か熱くなく、楽しく入れました

あんまり体を動かしてないせいか背中とか腰とか肩とか、ジェットを当てると結構気持ちいいですね
ただ湯船に浸かって「ふー」とかいうのは、短時間しかもたないけども。

露天風呂の岩風呂が天然のかけ流し温泉っていう事らしいけど、温泉好きの人からすると「温泉」とは言えないらしいです
まあ私はあまりこだわらないし、どんなにいいお湯でも熱けりゃ入れませんから。

でもやっぱ加温してるせいか、ちょっと熱いですね。
39℃で私はギリギリだなー。
この時期は38℃が丁度いい。
40℃になると、もうかなり辛い。
それ以上だと皮膚が痛くなるし

でもここは温度が高い湯がなかったので、サウナ以外は問題なく入れました。
薬草ミストサウナにちょっと試しに入ってみたら、熱いのもさる事ながら、呼吸が出来ないので命の危機を感じるわ
サウナは絶対無理です

炭酸を入れてるとかいうシルク風呂は調整中で入れず、残念でした。
岩風呂は景色が見えないので、座湯に座ったらちょっとは見えたけど、木が茂ってて邪魔だったなー。
ずっと座ってるとこの時期日焼けするし。

その後ろの壺湯は、浸かるとやっぱり景色が見えないので縁に座ると見えるけど、不安定だしやっぱり日焼けします
顔のメイクを落とすつもりがなかったので、寝湯には寝転ばなかったけど、割とぬるくていい感じです。

でも多分体が完全に浸からないので、お腹が冷えそうな気がする。
顔に使う以外のタオル必須ですね。

あと枕が石なので、痛くて短時間しかいられないだろうなっていう気が。
ジッと同じ体勢でいるのが体が痛い原因の私としては、癒されそうもない感じがするなあ
下が硬すぎるし・・・。

これだけ入ったので結構疲れてしまい、岩盤浴は入らなかったけど、今度豊田の方に行く時は入ってみようかなあと考え中。

でも下が硬い&熱いっていうのは、私にとっては逆にダメージな気がするけど
健康食品食べてて体内の老廃物は流せてるので(そもそも老廃物が溜ってしんどかった訳ではなくて、生まれつきの体力のなさでしんどかっただけだし)、デトックスとかは求めてないし・・・。

でも経験してみたくはあるよね。
やらないで文句言うのも悪いしね。

ここは入浴料は500円で安いし、岩盤浴も+200円なので料金的にはいいかなと。
ただし外からの飲料水の持込みにはかなり厳しいらしく、職員の態度を不愉快に感じる人も多いようです。

お風呂で汗を流して水分補給しなきゃならないのに、持ち込み禁止だと結局中で飲料水を結構買わなければならず、値段も外と変わらないので安く済ませる事は不可能。
そう考えるとあんまり割安感はないかなともいえます。

他の施設が全面的に持込み禁止かどうかわからないので、何ともいえないところもあるけど。
大浴場の出入り口付近にウォータークーラーがあるので、それをガブガブ飲むしかないか(笑)

休憩所は貸しタオルセットとかを借りた場合でないとゆったり休めない場所が多く、お金払ったもん勝ちかなという感じ。
岩盤浴代200円でいいんだもんね、そこは安いかな。

でも人が多いので、風呂上りに静かにゆったりとはいかないです。
私もソフトクリーム買って寛いでみたけど、人の出入りとか音とかで寝る事は出来ない。
お風呂入るとくたびれるし、ご飯食べて余計に眠いというかぐったりだったけど。

ご飯はえび塩ラーメン(720円)を食べました
くたびれてて写真撮るの忘れた
さっぱり系でなかなか美味しかったです



テラスから眺めた風景。
春日井市です。
左端の工場は、王子製紙。



テラスからその2。
見えている川は庄内川。

夜景は綺麗そうですね。
車で来ないとこの時間帯は交通手段がなくなるけど。

テラスは寝椅子があって、寝転べたらいいなあと思ったけど、3つしかなくて2人で使ってる人がいたので、テーブルより寝椅子を増やした方がいいのに・・・。

夫婦とかカップルで来てる人もままいるようですが、男女の入浴時間はまず違うし、メインのお風呂の中にいる時間に別行動になってしまうので、同性で来る方が楽しめるかなー。
岩盤浴は男女関係ないのなら、ずっといられるけどね。



龍泉寺に向う途中で、見かけた芙蓉。


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変猫再び!(笑)

2010年09月20日 | 
緊急速報!

あの、人気の宇宙猫が再び戻って参りましたよ!(笑)




まあまあ、よくお越し下さいました。
座布団にでもお座り下さい。

「うむうむ、邪魔するぞ」



上から見ると、こんな感じなんですね。
白黒のヒゲが、ちょぴっと出てます(笑)



「何しているのかね。茶でも淹れ給え」
ギョロリ☆



は、お茶どうぞ
首のところ、レースみたいでオシャレですね。

「うむうむ」
ギョロリ☆ キラーン



この後ゆっくり寛がれ、宇宙猫銀河さんは帰っていきました。

またりんごの季節にやってくるという、言葉を残して・・・(笑)


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一周忌

2010年09月18日 | 父の事全般
ちょっと遅れたけど、父の一周忌でお寺に行ってきましたよ。

天気が微妙だったので、日傘を持っていきまして(雨傘兼用)。
晴れたら晴れたで日傘として使えるし。

地下鉄も名鉄も車両は濡れていて、多分向こうにいる間に降るかなーっていう予報だったんで、心配なのはリリーちゃん。

休憩所の中にいてくれて、写真撮れればいいんだけど・・・。




そんなリリーちゃん、タクシーを降りた所にたまたまいてくれて、「お出迎え」と喜ぶ私
朝のパトロール中だったようです。



写真はまだ編集出来ていないので、お盆の時の続きだけど

私らが「リリーちゃ~ん
と寄ると、コロンコロン転がって、愛想のいい事



その時に写真撮れば良かったなあ

法要の時間は予約してあるので、おかんに「行くよ」って言われたから、とりあえずバイバイして「後でね~」と。

他のお参りの人に構われつつ、休憩所に入っていきました。


法要が始まるなというところで、土砂降りの雨!

帰るまでに止めばいいと思っていたけど、この日一日降ったり止んだりでしたな。
問題は降りっぷりが半端ないってとこでしょうか


法要はほぼ30分でつつがなく終り、椅子に座っていたので足がしびれる事もなかったです(笑)

途中やっばり涙が出て、知らん間にマスカラが剥げ落ちてたようですが
ウォータープルーフなのに・・・と思ってたら、固まった塊が、目頭を何度も押さえてるうちにポロポロ剥げていたらしい。>溶けた訳ではない。

そんなにポロポロ取れてたら、ウォータープルーフの意味ないやん!
そんなにわんわん泣いてないのに

やっぱ、マスカラ苦手やわ~。
つけ睫毛だと、派手になりすぎるかと思ってさー。
お寺だし・・・。


法要が終わったら、お楽しみのリリーちゃんタイムです(笑)

休憩所の中に姿が見えたので、
「リリーちゃ~ん
と言いつつ近付いていったら、ちゃんと来るんですよ!

詳しく書いてると長くなるんで(笑)、また写真を編集してアップする時に


帰りは物凄い雨の降り方で、あと5分待ってたらちょっと弱くなったのに、すんげー降ってる時に出ちゃって

去年も雨だったし、今年も涙雨か・・・と話してましたが、多分おかんが日本一の雨女だからでしょう

最近の雨の降りっぷりだと電車が止まっちゃう事があるんで、それが心配だったけど(知多線は止まってたよ)、何とか大丈夫だったので良かった。



こないだ入った「I.C.Cグルメ」でモーニング食べてきましたよ



終了時間ギリギリに入ったにも関わらず、無理言ってすみませんでした

ドリンク代だけの350円で、これだけ食べられます
私はホットレモンティーで

とても美味しかったですが、これだけだと軽めですな。
ここのモーニングはお上品な感じ。
プレートも可愛い花柄だし

また、駅に近い場所があったらモーニング食べに行きたいです。
2人食べても1人分の料金だしね

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そして父の帰宅

2010年09月16日 | 父の事全般
八事斎場をとても遠くに感じながら、やっと辿り着くと、運転手の方が手続きをしてくれました。

平日の午前中だというのに、結構な混み具合。

休日はもっと凄いんでしょうね。


既に平安会館の担当の人が待っており、火葬するのに順番を結構待つのかと思っていたら、すぐ案内されました。

母方の祖父の時は手続きとかで結構待ち、更に火葬し終わるまでも1時間以上待っていた記憶があります。

全然混んでなくて、他に2~3組しかいなかったのにあの待ちようが納得いかなかったものですが、今回はこんなに人がいるのにすぐっていうのに、逆にビックリしました。


今から炉に入れますよっていう時まで、色々考えて心を整理して落ち着こうと思っていたのに、そんな暇は全くなしです。


祖父の時と違って普通に屋根のある平屋の建物の中で、炉と炉の間隔が随分狭く、狭小住宅のようでした。

祖父の時はちょっと広めのマンションという感じでしたので、市によって随分違うものだと思ったものです。





すぐ隣もその向こうも人がいて、同じように説明を聞いたり炉が開くところだったり。

場所も狭いので手短な説明を聞き、あまり感慨深いという状態でもなく、お別れしてしまいました。


ここで本当に父の姿は失われてしまうのですが、顔を見られないのなら同じ事です。

棺越しに父の姿を想像しても、それだけです。

もうここまで来たら見られないのは同じですから。


そうは思いつつも、本当に体がなくなってしまうというのは、とても苦しいです。


苦しいというか、悲しいというか、色々入り混じった感情が・・・。


その時たまたま後ろの方で突然泣き声が上がり、他の方が別れを受け入れがたい様子だったので、逆に私は泣かずに済みました。


他の方が取り乱していると、逆に冷静になりますね。





それから1時間程待ち、お昼も過ぎたので、食欲はありませんでしたが売店でサンドイッチを購入し、2人で食べました。


待っている間、色々思い出すかなとか考えていましたが、疲れていたせいかあまり思考は回りませんでした。


母も同じだったようで、何もする事がなくボーッと待っているのもしんどかったようです。


他の方々は親戚一同大勢で来ている様子で、葬式だからと悲嘆に暮れている様子も疲れきった様子もなく、ワイワイとお喋りしている姿がよく伺えました。


でも私はその間、1つだけ覚悟しなくてはならない事があり、ショックを受けないように自分の頭の中で何度もシミュレーションを重ねていました。


それは、父の遺骨を見る時です。





私はそれまで葬式で火葬場まで行くというと、母方の祖父の時ぐらいしかなく、眠ったようだった祖父が全く違った形になって炉から出て来た時、物凄くショックを受けたのを覚えています。


祖父の姿がすっかりなくなってしまい、その時1番ハッキリ

「お爺ちゃんがいなくなった!」

と感じ、叫びそうな程ショックでした。

それまではまだ祖父の姿があったから、式の最中は泣いていたものの、従兄弟と喋っている時は結構ケロッとしていたものです。

でも、骨を見た時に誰だかわからない状態になってしまった訳ですから、その時初めて
「いなくなった」
と感じたのです。


祖父でさえあれ程のショックを受けたのです、父ならばどれ程になってしまうでしょう?


どうしてもその時が不安でした。


全く影も形もない状態になってしまうんだと、何度も繰り返し祖父の時の事を思い出していました。





その時が来て、とても怖かったですが行かない訳にもいきません。

恐る恐るですが炉に向かい、覚悟を決めました。

母の方がもっと他の人の遺骨を見ているとはいえ、ショックじゃない訳はないでしょうし、私がしっかりしなくてはいけないと思いました。


他の方の炉も順次開いていったので、結構な熱さです。


その時たまたま見ていた方向の隣の人の炉が開いて、遺骨が出てくるところが見えたのです。


「ああ、あんな風になるんだ」


と思った時、父のいた炉が開いて、隣の人と全く同じような骨が出てきました。



「同じだ。
 隣の人と同じ。
 死んだら皆、同じなんだ」



そう思ったら、ショックではありませんでした。






父の姿は跡形もなく、面影も遺品も何もなく、そこそこの骨と熱気が残っただけでした。


でも考えていたようなショックはありませんでした。


母は私がショックを受けないかと気にしていたようでしたが、遺骨を拾う手も震える事なく、頭蓋骨も自ら砕き、転んだ時に欠けていた前歯が目に付いたので、拾いました。


骨になってしまったら、父を殺したがん細胞もすっかり焼けてなくなってしまったし、左目がないのも関係ありません。


他の人と同じです。


老衰で亡くなった人、

事故による怪我で亡くなった人、

癌ではない病気で亡くなった人、


誰とも同じです。

区別はつきません。


そう思えば、ここにいる人は皆同じ思いをしている、私だけではないんだと感じられ、怖くありませんでした。





やっと、1番怖かった儀式を終え、家に帰れる時がきました。


父が「帰りたい」と言っていた家。


父が40年近く暮らしてきた、私達家族の家。


うちには仏壇もないので、予め用意した簡易の棚みたいなものですが、そこに小さくなった父の欠片を置いて、やっと


「おかえり。
 やっと帰って来れたね」


と言う事が出来ました。


本当はそんな風に帰ってきたかった訳ではなかったと思います。

生きている間に、意識のある間に家に帰りたかったはずです。

それはわかっていたのに、叶えてあげられなかった事を一生後悔しながら生きていくんだなと思いました。





その日から、毎日お線香をあげています。

たまにお寺に行った時に嗅ぐ臭いが、住み慣れた自宅でするというのに、どうしても違和感があります。


それは、一年経った今でもそうです。

こんな臭いがしているのが、おかしいんだと感じます。




一年経ったのに、一年も経ったのに、つい昨日の出来事のように感じます。


まだ私は、いつも通り玄関から父が帰ってくる気がしています。


それを望んでいます。


寝ていると、隣の部屋から父のいびきが聞こえてくる気がします。


でも不思議と、病院にいる気はしません。



家から近い事もあり、病院の近くをよく通る事があります。


仕事帰り、父のいた病室を見上げるのが癖になっていました。



もう父はその病室にいないのに。



でも不思議と、上に上がろうとか、病室の前まで行って確かめようという気には、一度もなりませんでした。



病室にいると思ったところで、いずれ死んでしまうのだから、心が嫌がっているのかもしれません。




父にいて欲しい場所は、この家なんです。


生きている時は例え病室にいても、生きてさえいてくれたらいいと思いました。


でも、違うんです。


病室にいれば、いずれはいなくなってしまうんです。




でも、家にいれば違う。


父は病気にならずに、今まで通り平穏に過ごしているはずだ。


だから、家にいて欲しいのです。




でも、どこにもいません。


病室にもいません。


車にもいません。


家にも帰ってきてくれません。




一年経てば、流石に私も少しは現実を受け入れて、一年前とは違う考えになっていると思っていました。


現実は、殆ど変わっていません。


そもそも一年経った気がしてないし、ついさっき起こった悲しみのような気がしています。



こんなにも、一年で変わらないとは思っていませんでした。


時間が必要だとしても、変わらなさ過ぎる気がしました。


こうやって書いていれば少しは現実を受け入れると共に、悲しみも和らぐかと思いましたが、効果の程はまだわかりません。





ここまでは何とか書こうと頑張りましたが、正直気持ちは落ち込むし、泣きながらしか書けないしで、とても精神的に辛かったです。


でもこれで、来年はその時の気持ちだけを書けばいいので、少しは「やり終えた」気がします。


私にとってとても辛かった9月15日と16日が、去年と今年だけである事を、心から願っています。



こんな面白くもなく、個人的に悲しいだけの話を長々と、読んでくれた方々に感謝します。


人生は悲しいだけではないんだと自分に言い聞かせ、これからは泣いているだけではなく、少しずつでも自分の事をやっていこうと思います。




 
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葬儀場にて

2010年09月16日 | 父の事全般
翌日の葬儀の為の荷物を準備して、葬儀会館に戻ろうとすると私達の担当の葬儀屋さんが来てくれました。

自宅から会館は近かったので、雨だった事もあり歩いて行くつもりでしたが、ご自分の車で送ってくれました。


会館に着くと父は2階のホールに既に移され、お通夜の準備が整っていました。

お通夜といっても他に誰も来ません。

父がそうして欲しいと望んだからです。


生前のマラソン仲間がいなかった訳ではありませんが、仕事が忙しくてマラソンが遠のいていた事もあり、仕事をやめてまた走ろうとした途端に何度も転んで今回のキッカケを作ってしまった事もあり、プライドだけは高い父が、こんな弱った姿を他人に見せたくないのだろうという事もあります。


おでこはすっかり綺麗になって、手術の痕など全然わかりませんが、失った左目は戻りません。


ずっとガーゼを大きく当てていましたが、ある時病院のお風呂でペロッと剥れた事があったそうです。

その時他の患者さんが1人いて、たまたまそれを目撃してしまい、
「うわッ!」
と言って空洞になっている左目を見て凄くビックリしていたと、面白そうに話していた事がありました。


私は色々な意味で怖くて、その無くなった左目を見る事は、最後まで出来ませんでした。


義眼を入れたがっていた父。


もし回復してきて義眼を入れる事があったのなら、見ても構わなかったと思います。

でももう治らないのに痛々しい姿をわざわざ見るなんて、可哀想で恐ろしくて、出来なかったのです。





2人だけだし、無宗教だし、父も葬式なんてどうでもいいと言っていたし、治療費も色々とかかってしまったので、1番シンプルで安い葬式です。

それなのに、30人程は入れる綺麗で立派なホールを使わせてもらい、何だか勿体ないような感じです。

多分少人数用のホールはないんでしょうね。


ホールが広くて綺麗なだけに、余計にガランとした感じが際立ってしまって、凄く寂しげです。


弔問客用の控え室も立派で、普通に調理出来る台所と食器棚もあるし、お風呂もあるし、うちよりいいんじゃない、と母と話して笑っていました。

ただジッとしているのも手持ち無沙汰ですし、私だけですが折角なのでお風呂を使わせてもらいました。


集合住宅の集会所を借りるという場合だと、こうはいきません。

私が小さい頃は大抵集会所でお通夜をしていましたが、大人になって暫くしてからは使われていないと思います。


以前契約していたA社に問題があって、急遽平安会館に切り替えましたが、早期使用料がかかってもA社を解約した金額より安く出来、大変助かりました。

学区内の人はホール使用料無料というのも、大変ありがたかったです。





翌日の準備をしながら会社にも連絡を入れ、その間何度か父の顔も見てお参りしましたが、冷やしているのでどうしても顔色は悪くなり、よく言われる

「眠っているようだ」

という感じでもなかったです。

やはり作り物の人形のように見えます。


父が名古屋に出てきてからお世話になっていたおじさんの遺体や、母方の祖父の遺体を見た事もあるのですが、特に母方の祖父は本当に眠っているように見えました。

特に病気でもなく、苦しまずに眠ったままだったからでしょう。

すい臓がんで亡くなったおじさんの遺体はとても顔色が悪かったのですが、人形のようには見えませんでした。

ちゃんと、おじさんの遺体に見えました。


何故父だけ本人に見えないのか・・・


やはり長年共に暮らした家族であり、その気持ちを受け入れがたいという部分も、含まれているのかもしれません。





本来ならばそのまま起きているか、泊り込むかというところなのですが、2人とも疲れ果てていたのもあり、銀河の事も気になったので、夜は家で寝る事にしました。


眠れるかどうかという心配はあったのですが、興奮しているというよりはもう気落ちしていたので、一応眠る事は出来たと思います。



翌朝、10時に出棺でしたので早めに家を出て、天気が良くて良かったねと母と話しました。

本当は前日の夕焼け写真を撮りたかったんですが、残念な事に雨で・・・

涙雨かもしれません。



葬式は2人だけ、係の人も2人と、寂しく手早く終わりました。


他の葬式と同じ、父のランニングウェアを入れ、いつも着ていた上着を入れ、本当はめがねとランニングシューズも入れたかったのですが、ゴムやプラスチック製品は火葬の際に問題があり、入れられなかったのが残念です。

愛用品なので、あちらに持っていって欲しかったです。


散々花の仕事をしていて、

「花はもういい」

と言っていたのに、最後に沢山の花に囲まれて・・・



私はもうこれで本当に最後だからと、父のおでこに触れて、心の中でさよならを言いました。



冷え切って冷たかったけれど、その時は何故か、人形ではなくて父のような気がしました。






それまではまだ父の顔を見られていた事もあり、本当の別れのような気がしていなかったのかもしれません。


最後に棺桶の蓋を閉める時、

「これでもう故人様のお顔を見る事は出来なくなります」

と言われ、胸が強く締め付けられました。


そこで「嫌です」と言ったところで仕方ないし、でももう父の遺体さえ見られなくなってしまうというのが、言葉に出来ない苦しさと悲しさになって・・・



本当にお別れなのだと。






たった2人なのに大変丁寧にしてもらい、予定通り午前10時、八事の火葬場に向けて出棺しました。


生前、いつも車で買い物に行っていたダイエーの、帰り道と交差する道を通過した時、

「いつもここを通ったね、いつも買い物に連れて行ってくれてありがとう」

と、すぐ横の棺の中の父に心で語りかけました。



いつかの買い物の帰り道、別の平安会館のすぐ横を通る時に出棺する霊柩車を待っていた事があり、父が
「今から八事に行くんだよ」
と教えてくれました。


私は、八事に名古屋市の火葬場がある事も特に知らなかったので、皆八事に行くの?と父に聞いたのです。


父は自分も八事に行って、焼いてもらうんだと言っていました。


自分の行き先を知っていたのですね。





車に揺られていると、色々と父が車で連れて行ってくれた事を思い出し、もう一緒に遊びに行けない事が悲しくなります。



家族3人の最後の行き先が、火葬場なんて。



きっと他の人も、家族を失ったら最後のドライブが火葬場なのかと、悲しくなるのでしょうね。


そんな事を考えているからか、会話の1つも当然なく静まり返った車内にいるからか、とてもとても長く、苦しく感じました。



遠い、遠い場所に感じました。



息が詰まりそうでした。




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別れ 2

2010年09月15日 | 父の事全般
ひとしきり2人で泣いた後、母だけでも父の死に際に間に合ったのか、気になっていたので聞いてみました。


私は間に合わなかったけれど、それは覚悟していたつもりだったけど。

母だけでも間に合っていればいいと思って。


いつものように家の用事を一通り済ませてから病室に来て、いつもの通り意識がなく、呼びかけても反応しない父、苦しそうに時折無呼吸のような状態になる父を側で見ていたそうです。


10:30を過ぎた頃に一度帰ったそうで、

「家に帰って少ししてから病院から呼吸が急に弱くなったって連絡がきてね・・・。
さっきまで何ともなかったでしょ、前の危篤の時の事もあったし、間違いじゃないかと思って半分怪しいと思いながら行ったんだけどね・・・。
着いた時はもう・・・」


「えっ?と思ったよ。
 嘘じゃないかと思った。
 でも、側に行ったら呼吸してないの。
 手を握ったら冷たくなりかけてたの・・・」



母も、いつかはくると思っていたこの時、疲れ果てて待っていたはずのこの時でしたが、やはりショックで、1人父の傍らでわんわん泣いたそうです。





私は、少しでも早く辿り着きたかったけど、その間1人にしてごめんねと、泣きながら謝りました。

こんな事態で1人では、相当辛いでしょう。

母は

「いいの、いいのよ。
 そんなのわかってたし、しょうがないもん」

と許してくれましたが、ずっと父の側にいたのでは、ずっと泣き続けていたのでは?
という事に胸が痛み・・・。


しかし泣いて少しした後看護師さんが来て、父の体を綺麗にしてくれたりするので、病室を離れて待合室にいたそうです。

その間は色々これからの事を考えていたから、泣いてなかったし大丈夫だと。


そんな事を少し話した後、母は死亡診断書を受け取り、そのお金を払うなどの用事の為に、病室を離れました。


さんざんお金を払っているのに、まだお金を取るんですね・・・。





1人病室に残され、何となくいつもと反対の左側から父の側に行きました。

何故だか覚えていませんが、父の肩口のベッドに手をつくと、ビッショリ濡れていました。

その時はそれが何だかわかりませんでしたが、後で母が泣いた跡だと知りました。


私は大声で泣きましたが、ベッドに伏せて泣くという考えが全くなかったので、母は伏せて泣いていたんだと気付きました。


意識した事はなかったのですが、私は斜め上というか空中に向って泣き叫んでいましたね。

ベッドに伏せる方が、一般的かもしれません。





何となくそこは「母の場所」という気がして、いつもの右側に回りこみ、父に最後のお別れを言おうと思いました。


母が側にいると冷静にお別れ出来ない気がしたし、誰かが側で泣くとつられて泣いてしまって言葉が出なくなるので、1人の時がいいと思ったのです。



別段何を言うか用意していた訳ではありませんでした。

でも、今言わないともう機会がないと感じ、顔の上の布を再び取りました。


不謹慎かもしれませんがその時、小学生の頃に誰でもする悪戯を思い出していました。

寝ている家族、友達などの顔に白いハンカチを被せたりしませんでしたか?

私は、母にはした事がないのですが、父には何回かした事があるのを、思い出していました。


父は仕事の都合上夜は早く寝るので、その悪戯をする機会がいつでもあったのです。

子供の頃の誰でも一度はする悪戯なので、今更申し訳ないとか切ないとかは感じませんでしたが、寝ている人が死んだふりをするのと、本当に死んだ人とがこれだけ違うのだという事を、感じていました。





もう動かない父の顔を見て感じるのは、やはり

「これはお父さんじゃない」

でした。


上手く言葉で言い表せない感覚なのですが、物凄く精巧に出来た「人形」のように思えるのです。


おそらく形だけ作った顔色と、硬くなりすぎていない体と、全く動かない状態からそう見えるのだと思います。



本当はお別れを言いたいのに、目の前にあるのは父の抜け殻で、父の残骸で、今まで一緒に過ごしてきた、私の記憶にある「お父さん」ではないのです。



魂がないというのは、命がないというのは、こんなにも違うものなのかと・・・。



ご家族のご遺体を見て、触れた事のある方なら、この気持ちはわかってもらえると思います。






しかし違和感を感じながらも、お別れを言わない訳にはいきません。


今言わなければ後悔するに決まっています。



何と言ったらいいのかわからないまま涙が溢れるばかりで、

どうしてこんな事になってしまったのか、

どうしてあんなに元気だったし死にそうもなかった人が、今こんな抜け殻をここに置いているのか、

どうして生きているうちに、意識のあるうちに言うべき事だったのに、今更になってしまったのか・・・


色々考えながら、ただ泣く事しか出来ませんでした。



意識のあるうちに言えなかったのは、何度も書いている事ですが、死を間近に感じさせたくないという事でした。

父の方から「自分が死んだら・・・」という話をしてくれれば言い出せたかもしれませんが、最後の最後までそういった言葉も態度もありませんでした。


もうやりたい事は特にない、後悔する事もないと言いながら、死ぬ気などなかったのだと思います。


そんな人に死ぬ時の言葉を、投げかける事は出来ません。








ただただ悲しくて何も考えられない私からやっと出た言葉は



「私のお父さんでいてくれて、ありがとう」



でした。




ありきたりで他に何もないですが、もう握る事の出来ない、硬く組まれた父の手の上に手を重ねて、

泣きながらやっと搾り出せた言葉は、

今まで父親らしい事をしてくれた記憶も特にない父に、



最初で最後の感謝の言葉でした。







それからは葬儀社の人と連絡を取り、迎えを待っている間が、何ともいえない時間でした。


あまり泣くばかりでも母が心配するし、1番泣きたいのは母だろうし、1番疲れているのも母だろうし。


ここは、私がしっかりして色々やっていかないと、と思っていました。



少し遅れてお迎えの人が来ると、挨拶をしたりしてにわかにまた父の「死」を感じてしまい、涙が出ます。


この病室を離れる事がまた父との別れの道を1つ進んだようで、胸が苦しくなりました。


他の人がいない隙を見て専用エレベーターに乗せ、一緒に下まで降ります。

主治医の先生と担当だった看護師さんは、別のエレベーターで。

最後のエレベーターで降りている時、最初におでこを手術して、戻ってきた時の事を思い出しました。



あの時は生きていたのに。



そして、これで治って終わると思っていたのに。


時間はオーバーしたものの、無事手術は成功して意識もハッキリしていて。


それだけの事だと思っていたのに、全く今は動かなくなって・・・




この違いは何だろう?


あの手術に何の意味があったんだろう?


こんなに早く終わってしまうなら


左目だって摘出したのに


辛い思いだけをして


痛い思いだけをして


我慢して


我慢強いのが自慢の人だったから


ただ我慢ばっかりして



結局死んで終りなのか




いのちって何だろう?










車に遺体を収め、主治医の先生の他に担当して下さった他の科の先生も勢揃いして、最後のお別れの挨拶をしました。


そしてもう、この病院には戻りません。


自宅にも戻りません。



直接葬儀会館に行き、父の遺体を安置した隣の部屋で、色々と手続きを済ませます。

死亡届は区役所に近かったので、自ら提出してきました。

母は辛そうというか、気が動転している感じでしたが、1人部屋に残しておくのも可哀想です。

大概届けを出す人は気が動転しているので、係の人も慣れたものです。


母は、死亡届を出す=除籍されるという事で、増々父の死を感じてしまって、動悸が激しくなったと言っていました。


それはそうでしょう。

「いなかった事」にされてしまうのですから。




その日はお昼ご飯は食べなかったと思いますが、晩ご飯をどうしたとか、全く記憶にありません。

とにかく私は仕事帰りで適当過ぎる格好と無駄にいらない荷物を持っていましたし、母も何も持たずにそのままという感じで出てきたので、一通り手続きを済ませたら、一度家に戻る事にしました。

銀河も放ったらかしですし。

流石に、そのまま一夜を明かす訳にはいきません。


そもそも2人だけで見送って欲しいと言われていたので、誰にも連絡せず、自分達のいいように動けるのは助かりました。

色々と思考能力も落ちてますし。


こうなる事はわかっていたので、喪服等の準備は出来ていました。

家に戻ると銀河はベッドで寝ていたようですが、私達が帰ってきたら体を起こして様子を見ていました。

きっと父は銀河に挨拶に来たと思います。

それでなくても家に帰りたいと言っていたのですから、すぐ帰ってきていたでしょう。


銀河は気付いたかな?

と思いましたが、いつものようでしたので、ちゃんと告げました。


「銀ちゃん、じぃじ、死んじゃったよ」

と。



「じぃじ来たでしょ?銀ちゃんにお別れ言いに来たよね」

と言いましたが、当然猫です。返事はありません。

でも泣きそうな顔の私を、ジッと見ていました。

様子がおかしいのはわかったのでしょう。



私の勝手な想像ですが、父の魂が体を出た後、母が来るまでは短時間だったのでその辺で待っていて、私が来るまでは家に戻っていたのではないかなと思っています。



多分透け透けで、見えるかどうかの父を、気配だけでも銀河は感じ取ってくれたでしょうか。


銀河は大切な家族ですから、きっと父は最後に抱きしめたかったと思います。




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