ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

二度と来ない誕生日

2010年08月05日 | 父の事全般
今日は亡き父の誕生日でした。





去年の誕生日、たまたま水曜日でまた病院に家族で話を聞きに行き、今週末調子良かったら来週からまた、新しい化学療法をしましょうという話でした。





いつもの感じで話が終わって、私が主治医の先生に
「今日は父の誕生日なんですよ」
って言うと、
「まあ、おめでとうございます
って、和やかな雰囲気になったものでした。





例え次の化学療法が多少効いたとしても、来年の誕生日を迎えられるかどうかはわからない。

多分、父本人が1番感じていたと思います。

7月の三連休ぐらいから咳き込みが始まって、物が飲み込みにくくなったばかりか、好きだった煮物とかも鼻をつくようで食べられなくなっていたから。





父はもう、永遠に69歳になれません。



母はよく、
「生きていたら○○歳だったね」
という話をします。

特に自分の父が亡くなった時。
本当に突然の知らせで、私も凄い心臓がドクドク音を立てていたのを覚えています。

全く病気がなかった訳ではないけど、大体のお年寄りと同じで何種類かの薬は飲んでいました。
心臓の薬を飲んでいたなんて、母も全く知らされていませんでした。
特にひどい病気という事ではなかったようで。


「お休み」
と眠っている間に心臓が止まり、朝になっても起きてこないので、祖母が起こしに行って気付いたのです。

布団が全く乱れていなく、苦しんだ様子もない事から、とても良い死に方だったと思います。

誰にも迷惑かけず、介護も看病もされずに、眠ったまま逝けるなんて。


そんな祖父でも、母はことある毎に「今日でお父さんは生きていたら91歳だったわ~」という感じの話をします。

正直、もう歳をとらない人間にいつまでも「生きていたら」なんて言うのは、私は好きではありません。
いつまで死を受け入れられないでいるのか、という感じがするからです。


ずっと一緒に暮らしてきた訳でもなし、辛い思い出が蘇る訳でもなし、苦しまずに死ねたのに10年経っても、未練がましいような口ぶりで。


性格の違いもあるし、母は祖母より祖父の方が好きだったから良い思い出も多いからでしょう。

でももう自分の家庭もあるし、兄妹もいて独りぼっちではないのに、そんなに寂しいのかなと。

私はその時自分の父が生きていたから、わからなかったのかもしれません。





私も母と同じになりました。

父を亡くして、誕生日だった日が来ました。

「生きていたら69歳だった」と思います。

でも話はしませんでした。

辛くなるし、いつまでもそんな思いにすがっていてはいけないと思えたので。





今年はどうしても、去年を思い出します。

だから今年だけ、そういう思いに囚われてもいいと思います。


去年は毎日、いちいち父がどうだったって書くのもどうかと思って敢えて書かない事もあったので、今年は思い出しながら、去年と同じ日に綴っていこうと思います。


どうしてもテンションは上がらないので、半分義務的な感じがあるのですが、それが出来るのも今年だけなので。


暫くはつまらない話題が間に挟まってきますが、無理に我慢したくないので自分的にはそれでいいと思っています。




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