今日でもう、父が亡くなって1ヶ月経ったなんて、何だか信じられません。
亡くなった直後よりは「父の死」というものを受け入れられてる気がしますが、それでもまだひょっこり父が戻ってきてもおかしくはないと思っている自分もいます。
特に仕事から帰ってくると
「はい、銀ちゃん、ママが帰ってきたよ」
って必ず奥の部屋のベッドにいるであろう銀河に声をかけていたので、いつもそれを思い出してしまいます。
今は何故か、言って欲しいと思った訳でもないのに母が同じような事をたまにしてくれてますが
父の思い出というと、そうした割と最近の日常での繰り返しの言葉か(昔は仕事で私より先に帰ってるなんて事はなかったので)、病院でも亡くなる少し前の苦しそうな姿ばかり浮かんできます。
入院し始めた頃の方が時間的には最近なのに、家と病院の思い出が分かれているというか、入院前の家での思い出の最後の方と、入院中の思い出の最後の方ばかりですね。
あまりバリエーションがないので、同じ部分の繰り返し→再生みたいな感じです。
最近は色々な用事も終息に向かいつつあり、あと少しかなという感じですが、そのせいか疲れが出て休みの日になると体調が悪くなったりして、仕事行ってる日の方が体調はいいです
今月末の誕生日ぐらい、気分良く過ごせればいいなあと。
歳をとるのは嫌ですがね
何だか、一ヶ月前は生きていたのに・・・って思うと、どうしてせめてあと三ヶ月ぐらい生きてくれなかったのかな、と悲しくなりますね。
最後の化学療法が出来たのに。
ちょっと前に「ベストハウス」でやってた、病気と闘って散っていった人達の中に父と似たような感じで脳に腫瘍が出来た子がいましたが、余命半年と告げられた後に三ヶ月生きたと聞いて、ちょっとだけ羨ましく思ってしまいました。
うちは余命を告げられるどころか、
「突然亡くなる可能性があります」
という、全然いつどうなるかわからないように言われてたので、
「後○ヶ月しかないんだ」
という気持ちにもならず、ただ突然「来た」という感じでしたから。
父はその子のように亡くなる直前まで何かをした訳でもないし、何も残してないし、その点は全然違うなあと思ったんですけど、腫瘍の圧迫により目や口が思うように動かせなくなったりだとか、何となく症状は似ていて、余計胸が痛くなりました。
割と最期に近い時間まで会話が出来ていたのも、羨ましく思いましたよ。
うちはただただ、「終わり」が来るのを待っていただけで何も出来なくて、してあげられる事がなくて、「可哀想だ」と思いながら泣いているだけでしたから。
そうやって時々悲しくなったりもしますが、少しずつ悲しみも和らいでるかなあと思います。
私も母も。
時間が経つしかないんですね。
色々な悲しみが「過去のもの」になるには。
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亡くなった直後よりは「父の死」というものを受け入れられてる気がしますが、それでもまだひょっこり父が戻ってきてもおかしくはないと思っている自分もいます。
特に仕事から帰ってくると
「はい、銀ちゃん、ママが帰ってきたよ」
って必ず奥の部屋のベッドにいるであろう銀河に声をかけていたので、いつもそれを思い出してしまいます。
今は何故か、言って欲しいと思った訳でもないのに母が同じような事をたまにしてくれてますが

父の思い出というと、そうした割と最近の日常での繰り返しの言葉か(昔は仕事で私より先に帰ってるなんて事はなかったので)、病院でも亡くなる少し前の苦しそうな姿ばかり浮かんできます。
入院し始めた頃の方が時間的には最近なのに、家と病院の思い出が分かれているというか、入院前の家での思い出の最後の方と、入院中の思い出の最後の方ばかりですね。
あまりバリエーションがないので、同じ部分の繰り返し→再生みたいな感じです。
最近は色々な用事も終息に向かいつつあり、あと少しかなという感じですが、そのせいか疲れが出て休みの日になると体調が悪くなったりして、仕事行ってる日の方が体調はいいです

今月末の誕生日ぐらい、気分良く過ごせればいいなあと。
歳をとるのは嫌ですがね

何だか、一ヶ月前は生きていたのに・・・って思うと、どうしてせめてあと三ヶ月ぐらい生きてくれなかったのかな、と悲しくなりますね。
最後の化学療法が出来たのに。
ちょっと前に「ベストハウス」でやってた、病気と闘って散っていった人達の中に父と似たような感じで脳に腫瘍が出来た子がいましたが、余命半年と告げられた後に三ヶ月生きたと聞いて、ちょっとだけ羨ましく思ってしまいました。
うちは余命を告げられるどころか、
「突然亡くなる可能性があります」
という、全然いつどうなるかわからないように言われてたので、
「後○ヶ月しかないんだ」
という気持ちにもならず、ただ突然「来た」という感じでしたから。
父はその子のように亡くなる直前まで何かをした訳でもないし、何も残してないし、その点は全然違うなあと思ったんですけど、腫瘍の圧迫により目や口が思うように動かせなくなったりだとか、何となく症状は似ていて、余計胸が痛くなりました。
割と最期に近い時間まで会話が出来ていたのも、羨ましく思いましたよ。
うちはただただ、「終わり」が来るのを待っていただけで何も出来なくて、してあげられる事がなくて、「可哀想だ」と思いながら泣いているだけでしたから。
そうやって時々悲しくなったりもしますが、少しずつ悲しみも和らいでるかなあと思います。
私も母も。
時間が経つしかないんですね。
色々な悲しみが「過去のもの」になるには。
