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家庭でもっと勤勉に 家庭のことに携わる

2021-08-23 04:43:38 | 日記
家庭でもっと勤勉に
家庭のことに携わる


十二使徒定員会
デビッド・A・ベドナー長老


1833年に預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の中で,指導的な立場にある兄弟たちは家族を整えるように強く叱しっせきされました(教義と聖約93:40-50参照)。

「家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わる」(50節)というその啓示の言葉が,わたしの話のテーマです。

わたしたちが家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わるために,3つの提案をします。

聞く耳と感じる心をもって聞いてください。

主の御みたまがわたしたちとともにあるよう祈ります。

提案1:愛を表現し,行動で示す

愛する人に愛を伝えることで,家庭で
もっと勤勉に家庭のことに携われるようになります。飾り立てた言葉や長々しい言葉は必要ありません。真心を込めて,頻繁に愛を表現するだけでよいのです。

兄弟姉妹の皆さん,永遠の伴はんりょ
の手を握り「愛しているよ」と言ったのはいつのことでしたか。親の皆さん,子供たちに真心から愛を伝えたのはいつのことでしたか。子供の皆さん,親に愛を伝えたのはいつのことでしたか。

愛する人たちに愛を伝えるべきことは,
だれもが知っています。しかし,知っていれば必ずできるというわけではありません。不安,ぎこちなさ,気恥ずかしさを感じるかもしれません。

救い主の弟子であるわたしたちは,知
識を深めるだけでは不十分です。正しい
と知っていることを一貫して行い,より善い人間になる必要があります。

「愛しているよ」と言うことは始まりにすぎないことを肝に銘じましょう。言葉に出して,そのとおり行う必要があります。何にも増して,常に愛を示す必要があります。

愛を伝えると同時に行いで示すのです。
トーマス・S・モンソン大管長は最近次
のように勧めました。「わたしたちは,『自分が相手をどれほど愛しているかを,〔周りの人は〕十分知っているはずだ』と思いがちですが,当然そうだと決めてかかってはいけません。知らせなければならないのです。……優しい言葉をかけ,愛を示したことで後悔することは決してありません。そのような行為が,最も大切な人との関係から除外されるなら,いつか後悔する日が訪れます。」(「人生の旅路に喜びを見いだす」『リアホナ』2008年11月号,86)






せいさん会の話や証あかしの中で,時々次のような言葉を耳にします。「わたしは妻に,愛していると頻繁に伝えていません。今日きょうは,妻と子供と皆さんに,わたしが妻を愛していることを知ってもらいたいと思います。」

この愛の言葉自体は適切かもしれませ
んが,このような言葉を聞くと居心地が悪くなります。このように非常に個人的なことは教会という公の場で伴侶や子供に伝えるべきではないと静かに叫びたくなります。

子供にとっては,日常生活のありふれた場面で,両親が愛を表すのを見聞きする方がよいのです。しかし,教会で公に愛を表現されて,伴侶や子供が少々意外に感じるとすれば,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わる必要があるということになります。

愛と適切な行為の関係については,聖
典の中で繰り返し述べられ,救い主も使
徒たちに教えられました。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」(ヨハネ14:15)

主への愛は,主の道を歩むことによって証明されます(申命19:9参照)。同様に,伴侶や親や子供への愛は,わたしたちの思いや言葉や行いに,何よりもはっきりと表れます(モーサヤ4:30照)。
伴侶や親や子供から確かな愛を常に感
じられることは,豊かな祝福です。そのような愛は神への信仰をはぐくみ支え,力の源となり,恐れを払いのけます(1ヨハネ4:18参照)。そのような愛は万人が望むものです。

愛を伝え,常に行動で示すなら,家庭
でもっと勤勉に家庭のことに携われるようになります。

提案2:証を述べ,証に生きる

家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わる
もう一つの方法は,聖霊の証を通して真実であると知っている事柄について,愛する人に証することです。証するには,言葉数を多くし巧みな表現を使う必要はありません。

真実について証を述べるために,第1日
曜日まで待つ必要もありません。御父と
御子の神性や実在について,偉大な幸福
の計画について,また回復について純粋
な証を,自分の家庭という囲いの中で述
べることができますし,そうすべきです。

兄弟姉妹の皆さん,永遠の伴侶に証を
したのはいつのことでしたか。親の皆さ
ん,真実であると知っている事柄につい
て子供に証を述べたのはいつのことでし
たか。子供の皆さん,親や家族に証を伝
えたのはいつのことでしたか。

最愛の人たちに証をすべきことは,だ
れもが知っています。しかし,知っていれば必ずできるというわけではありません。不安,ぎこちなさ,気恥ずかしさを感じるかもしれません。

救い主の弟子であるわたしたちは,知
識を深めるだけでは不十分です。正しい
と知っていることを一貫して行い,より善い人間になる必要があります。

心から証を述べることは始まりにすぎ
ないことを肝に銘じましょう。証を述べ,そのとおりに行う必要があります。何にも増して,常に証に生きる必要があります。

証を述べると同時に証に生きる必要があ
るのです。

証と適切な行為の関係については,救
い主もカートランドの聖徒に教えられました。

御霊があなたがたに証する事柄を行う
ようにと,わたしは望んでいる。」(教義と聖約46:7)福音の真理に対する証は,言葉と行いの両方に反映されるはずです。

夫婦も親も子供も,ためらいや,渋る気持ち,気恥ずかしさを克服して,証しようと努力しなければなりません。福音の真理について証する機会を作ると同時に,そのような機会を探し求め,証に生きる必要があるのです。

証とは聖霊の証を通じて,頭や心の中
で真実であると知っている事柄です(教義と聖約8:2参照)。勧告や,奨励や,単に興味深い経験談ではなく,真理を公言するときに,その言葉が真実であることを確認なさる聖霊を招くことができます。純粋な証には力がありますが(アルマ4:19参照),それは洗練された言葉や効果的な話し方によるのではなく,神会の第三の御方である聖霊が下される啓示によるのです。

伴侶や親や子供の証から,力,教化,一
貫性を感じられることは,豊かな祝福で
す。そのような証は信仰を堅固にし,行くべき道を示し,ますます暗くなる世界に光を生み出します。そのような証は永遠の観点と永続する平安の源です。

証し,常に証に生きるなら,家庭でもっ
と勤勉に家庭のことに携われるようにな
ります。

提案3:一貫性を持つ

息子たちが小さかったころ,我が家で
も皆さんが行ってきたこと,そして現在
行っていることをしていました。家族の祈りや聖文学習,家庭の夕べを行ったのです。さて,これから話すことは,皆さんの家庭では絶対に起こらないと確信していますが,我が家では起こりました。
妻とわたしは,これらの霊的に不可欠
な事柄を行いながらも,はたして意味が
あるのだろうかと思うことがありました。

聖文を読んでも,突然息子たちが「ねえ,お兄ちゃんが触ってくる」「じろじろ見ないように言ってよ」「ママ,弟がぼくの空気を吸ってる」などと叫びます。心からの祈りが,くすくす笑いやつつき合いで中断することもありました。活発で始末に負えない息子たちと一緒では,家庭の夕べのレッスンから高度な教化が得られるわけではありません。義にかなった習慣を築こうと必死になって取り組んでも,期待している霊的な実がなかなか刈り取れないように思い,妻もわたしも,腹を立ててしまうことがありました。

家族の祈り,聖文学習,家庭の夕べに
ついて何を覚えているか聞いたら,成人
した息子たちからどのような答えが返っ
てくるか予想できます。息子たちは,あのときの祈りが,あのときの聖文学習が,あるいは特に意義深かったあの家庭の夕べのレッスンが,その後の自分の霊的成長を変えたとは答えないでしょう。しかし息子たちは,家族がいつも一貫していたことは覚えていると答えるでしょう。

妻とわたしは,特定のレッスンの内容や
聖句を理解させなければいけないと考え
ていました。しかし,そのような目標は,一緒に勉強し,祈り,学ぶ度に達成できるわけではありません。目標と努力が一貫していることこそ,恐らく最高のレッスンだったのです。そのことを当時のわたしたちは十分理解していませんでした。

わたしのオフィスには麦畑の絵がありま
す。一本一本描かれた無数の線が集まっ
て1枚の絵になっています。どの線も1本ずつでは,おもしろくも心を打つわけでもありません。実際,キャンバスに近づくと,目に入るのは,何の関係も何の魅力もないような無数の線が,黄色や,金色や,茶色の絵の具で描かれているだけです。けれども,少しずつキャンバスから離れると,先ほどの線一本一本がすべて合わさって,麦畑の壮大な風景が現れるのです。一本一本の目立たない線が重なり合って,目を見張るような美しい絵を作り上げるのです。

一回一回の家族の祈り,一回一回の家
族の聖文学習,一回一回の家庭の夕べが,心のキャンバスに描かれた1本の線なのです。心を打ち記憶に残る出来事などないように思えるかもしれませんが,黄色や,金色や,茶色の絵の具で描いた一本一本が補い合って印象的な傑作を生み出すように,一見取るに足りないことを一貫して行うことで,意義深い霊的な実が得られるのです。「それゆえ,善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして,小さなことから大いなることが生じるのである。」(教義と聖約64:33)一貫性とは,個人の生活の中に大いなる業の基を据え,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わるために重要な原則なのです。

家庭で一貫性を持つことが大切な理由が
(リアホナ 2 0 0 9 年 1 1 月 号 19)



もう一つあります。救い主は度々偽善
者を厳しく叱責されました。イエスは律法学者やパリサイ人について弟子たちに「らのすることには,ならうな。彼らは言うだけで,実行しないから」と警告されました(マタイ23:3)。この力強い警告は,「愛を表現し,行動で示す」「証を述べ,証に生きる」「一貫性を持つ」ということを考えると,いっそう強く心に響きます。

偽善は生活の中で容易に認識できるも
のであると同時に,家庭をひどく損なうものでもあります。また,偽善に気づくという点では子供が最も敏感であることが多いものです。

人前で愛を口にしながら家の中で愛を
行動で示さなければ,それは偽善であり,大いなる業の基を崩します。人前で証をしながら,家の中で忠実でも従順でもないなら,それは偽善であり,大いなる業の基を揺るがします。「あなたは隣人について,偽証してはならない」という戒めは(出エジプト20:16),わたしたち一人一人の中にある偽善に最もよく当てはまります。わたしたちは一貫性を持つ必要があります。「むしろ,言葉にも,行状にも,愛にも,信仰にも,純潔にも,信者の模範になりなさい。」(1テモテ4:12)

主の助けを求め,主の力の内にあるな
らば,言葉と行いのギャップ,愛を表現することと常に行動で愛を示すことのギャップ,証を述べることと確固として証に生きることとのギャップを,少しずつ埋められます。わたしたちは,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携われるようになります。そのために,さらに忠実にイエス・キリストの回復された福音を学び,福音に生き,福音を愛するのです。


男女の間の結婚は神によって定められ
たものであり,家族は神の子供たちの永
遠の行く末に対する創造主の計画の中心
を成すもの」です(「家族――世界への宣
言」『リアホナ』2004年10月号,49;またはEnsign,1995年11月号102)。

これらの,また,そのほかの永遠に重要な理由のために,わたしたちは家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わるべきです。

すべての夫婦,子供,親が,主の恵みに
よって,愛を伝え,愛を受け,力強い証を述べ,証に教化されますよう,また取るに足りないようでありながら真に大切なものをさらに一貫して守り抜くことができますように。

わたしたちはこの大切な務めを独りで
行うのではありません。天の御父とその
あいは生きておられ,わたしたちを愛し,わたしたちの状況を御存じで,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携われるように助けてくださいます。これらの真理を救い主イエス・キリストの聖なる御みにより証します,アーメン。


信仰をもって歳を重ねる

2021-08-21 05:19:48 | 日記
信仰をもって歳を重ねる

心は青少年であるわたしの目標
クリスティ・モンソン
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
新しい「子供と青少年」プログラムについて知ったとき,わたしは自分も参加したいと思いました。



教会が新しい「子供と青少年」プログラムを開始したとき,わたしは子供や孫たちが,自分の目標やレッスンの計画について話し合っているのを耳にしました。

わたしはじきに80歳になりますが,証を築くこのすばらしい機会に参加したいと思いました。

わたしの子供たちや孫たちは全国各地に住んでいるため,全員が直接会うことはできません。

その代わりに,わたしたちは月に1度,オンライン集会を開くことにしました。

孫の一人がレッスンを行い,福音についての話し合いをリードします。

その後,全員がそれぞれの目標と,達成状況を分かち合います。

もちろん,中には個人的な目標もありますから,個人のプライバシーは尊重します。

孫たちと目標について話をしているうちに,わたしは自分自身の目標について考えるようになりました。

わたしが成し遂げたいと思っていることは何だろうか,と。


以下は,「子供と青少年」プログラムで使われているテーマやパターンに沿って,わたしが思いついた目標のリストです。

これをわたしは,心は青少年であるわたしの目標と呼びたいと思います。


知的。

わたしたちのステーク扶助協会会長会は姉妹たちに「生けるキリスト」を暗記するように言っています。

長い文章ですが,これくらいの内容を暗記することはまだできますし,価値のある目標だと思いました。

霊的。神殿で奉仕をしていると,時には1時間以上も階段の吹き抜けに立って参入者を更衣室に案内することがあります。

わたしは頭を忙しく働かせているのが好きなので,昔のセミナリーのマスター聖句から,モルモン書の聖句を覚えることにしました。

新型コロナウイルスの流行のために神殿が閉鎖されている間も,この目標に取り組み続けました。

覚えるという作業により,意識的に行う事柄が与えられ,わたしを御霊で満たしてくれます。


身体的。

孫たちの身体的な目標は,基本的にダンスやバレーボールやサーフィンなどでした。

そうしたものはわたし向きではないので,わたしは1日に数キロ歩くことにしました。

運動をすると頭も冴えるようです。心にも体にも良いことです。

社会的。

わたしは子供や孫と連絡を取るのが好きです。

以前は電話で話をしましたが(今もします),今ではメールが新しいコミュニケーション手段になっています。

小さな子供たちが,絵文字や短い動画について教えてくれました。


孫の幾人かは,料理を習うことを目標にしていました。

彼らが町に来たときには,一緒に料理をしました。

もっと遠くに住んでいる子たちとは,ビデオ電話をつないでレシピについて話したり,「リアルタイム」で料理をしたりします。

わたしはまた,自分がミニスタリングをしている姉妹たちに電話をかけるのも好きです。

パンデミックの影響でソーシャルディスタンスを保たなければならなくなった間は,電話でのおしゃべりが,連絡を取り合うのにもってこいの手段となりました。

時には相手の家へ行き,お菓子の詰め合わせにわたしからの愛を伝えるメモを添えて,玄関の前に置いておくこともあります。
福音の中で成長する
パンデミックの間,「子供と青少年」プログラムは,わたしと家族にとって大きな祝福となってきました。

毎日家で一人で過ごしてはいても,わたしには自分の目標があります。

孫たちはそれぞれの才能を伸ばし,福音の中で成長し続けており,わたしは彼らを支えることができます。

わたしたちはオンラインの家族集会と分かち合いの時間を心待ちにしています。

そして,孫たちが目標に取り組むのを手伝っているときに受けた霊感のおかげで,わたしの意識は今,より明確に,短期的な目標と永遠の目標の両方に向いています。

わたしは自分の生活,そして家族それぞれの生活の中で「神に勝利を得ていただく」ことができるよう,日々努力し,祈っています。
学び,進歩する
「天の御父はあらゆる地に住むわたしたちに,御自分の愛を感じるよう,また教育や立派な仕事,自立した奉仕,回復された教会にある善と幸福の規範を通して学び進歩するよう,招いておられます。」
十二使徒定員会 ゲレット・W・ゴング長老「すべての国民,部族,国語の民」『リアホナ』2020年11月号,40

(2021年8月号リアホナから、ご紹介しました。)



日曜学校 教義と聖約 93:38-53

2021-08-21 05:04:53 | 日記
38 ひとれいみなはじめにつみがなかった。そして、かみひとらくからあがなったので、人々ひとびとは、ようじょうたいで、ふたたかみまえつみのないものとなった。
39 そして、あのじゃあくものて、ひとらから、従順じゅうじゅんによって、またせんつたえによって、ひかりしんる。
40 しかし、わたしはあなたがたに、あなたがたのどもたちをひかりしんなかそだてるようにとめいじた。
41 しかし、まことに、わたしはあなた、すなわちわたしのしもべフレデリック・G・ウィリアムズにう。あなたはつづきこのつみせんこくもとにある。
42 あなたは、いましめにしたがってあなたのどもたちにひかりしんおしえてこなかった。そのために、あのじゃあくものいまなおあなたをはいするちからっている。あなたがなんけてきた原因げんいんはこれである。
43 さて、わたしはいましめをあなたにあたえる。すなわち、あなたはすくされたいとのぞむならば、ぶんしんいえととのえなければならない。あなたのいえには、ただしくないことがたくさんあるからである。
44 まことに、わたしのしもべシドニー・リグドンにう。どもたちにかんするいくつかのことがらについていましめをまもっていないことがある。それゆえ、まずあなたのいえととのえなさい。
45 まことに、わたしのしもべジョセフ・スミス・ジュニアにう。えれば、あなたがたをともぼう。あなたがたはわたしのともであり、わたしとともにぎをるからである。
46 わたしはのためにあなたがたをしもべんだ。そして、あなたがたはわたしのためにかれらのしもべとなる。
47 さて、まことに、わたしはジョセフ・スミス・ジュニアにう。あなたはいましめをまもらなかったので、しゅまえかならめをけなければならない。
48 あなたのぞくかならあらためて、あることがらて、あなたのうことにもっとしんけんちゅうはらわなければならない。そうしなければ、かれらのしょから退しりぞけられることになる。
49 わたしはひとうことをすべてのものう。あのじゃあくものがあなたがたのなかちからち、あなたがたのしょからあなたがたを退しりぞけることのないように、つねいのりなさい。
50 わたしのきょうかいのビショップである、わたしのしもべニューエル・K・ホイットニーも、らしめをけるひつようがあり、またぞくととのえるひつようがある。また、ぞくものに、ていでもっと勤勉きんべんていのことにたずさわり、つねいのるようにさせるひつようがある。そうしなければ、かれらはそのしょから退しりぞけられるであろう。
51 さて、わたしはともであるあなたがたにう。わたしのしもべシドニー・リグドンはたびなさい。いそぎなさい。そして、わたしがかれかたちからあたえるままに、しゅめぐみのとしすくいのふくいんらせなさい。こころを一つにしたあなたがたのしんこういのりによって、わたしはかれささえよう。
52 また、わたしのしもべたち、ジョセフ・スミス・ジュニアとフレデリック・G・ウィリアムズもいそぎなさい。そうすれば、まことにしんこういのりにおうじてあたえられるであろう。あなたがたはわたしのうことをまもるならば、このでもきたるべきでも、はずかしめられることはない。
53 また、まことに、わたしはあなたがたにう。わたしのおもいは、あなたがたがわたしの聖文せいぶんいそいでほんやくして、れきしきと、くにぐにしきと、もろもろのおうこくしきと、かみひとほうしきはやることである。これはすべてシオンのすくいのためである。アーメン。

霊的および物質的な避け所を築く

2021-08-20 05:06:51 | 日記
霊的および物質的な避け所を築く
メリリー・ブラウン・ボヤック
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
パンデミックとそれに伴う物資の不足,営業停止,経済的混乱によって,多くの人がこう考えるようになりました。将来のためによりよく備えるには,どうすればよいのだろうか。



わたしたちは,家族のために物質的にも霊的にも避け所を築くよう勧告を受けています。十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老はこう教えています。「救い主の弟子として,わたしたちは次のように命じられています。『すべての必要なものを用意しなさい。』〔教義と聖約88:119;強調付加〕」ベドナー長老はさらにこう教えています。「わたしたちは,『備えていれば恐れることはない』という約束も受けています〔教義と聖約38:30〕。……数十年にわたり,教会指導者たちは繰り返し備えるようにとの勧告を発してきました。」

備えるうえで,わたしたちは主からの導きに頼ることができます。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように言っています。
「数十年にわたって主の預言者は,不測の事態のために食料と水を貯蔵し,貯金するようにと勧めてきました。……段階を踏んで物質的な備えをするようお勧めします。しかし,わたしは皆さんの霊的および情緒的な備えによりいっそう関心があります。」

終わりの時は気落ちするためのものではないことを,わたしたちは知っています。世界は今よりもさらに激動し,忠実な人たちは試されるでしょう。ネルソン大管長は次のように言っています。「もちろん,わたしたちは食糧や水を蓄え,貯金をすることができます。しかし,同じように重大なのは,個人の霊的な貯蔵庫を,信仰,真理,証で満たすことです。」

わたしたち一人一人が,来るべきものに対して,物質的および肉体的にだけでなく,霊的にも備えることがきわめて重要になるでしょう。わたしたちの備えにおいて,この二つの分野には顕著な類似点があります。
水と生ける水
物質的には,わたしたちの必要とする主要なものの一つは,新鮮な飲み水を備蓄しておくことです。多くの人にとって,干ばつや汚染された水源など,水に関する問題は深刻な懸念の原因となってきました。可能であれば,飲用可能な水が手に入るようになるまでの間,少なくとも数日分の水を確保しておくとよいでしょう(飲用と衛生のために一人が必要とする水は一日約4リットルです)。

霊的には,わたしたちは救い主イエス・キリストから生ける水を定期的に摂取する必要があります(ヨハネ4:10参照)。パンデミックが起こったときにわたしたちの預言者が伝えたおもなメッセージは,彼に聞きなさい,すなわち主の御霊と主の教えを通してイエス・キリストに聞きなさい,ということでした。ネルソン大管長は次のように言っています。

「この数週間,わたしたちのほとんどが個人の生活の中で混乱を経験しました。地震,火災,洪水,疫病,またそれらの影響が,日常の生活を混乱させ,食料品や生活必需品,預貯金の不足を引き起こしました。……
イエス・キリストの弟子となるよう努めるとき,主の声を聞くことができるように,これまで以上に意識的に努力する必要があります。日々の生活を主の言葉と教えと真理で満たすために,意識して絶えず努力することが必要です。……
改めて皆さんにお願いします。個人の啓示を受ける霊的な能力を増すために必要なことを何でも行ってください。
それを行うことは,人生で成長する方法や,危機の際になすべきこと,誘惑やサタンの欺きを識別して避ける方法を知るのに役立つでしょう。」

預言者はわたしたちに,啓示を受ける能力を高めることを繰り返し求めています。わたしたち一人一人が,霊的な努力をしっかりと行うことで,日々生ける水を得,それによって個人の啓示を聞き,受け,それに従って行動できるようにすることが非常に重要です。
食物と霊的な養い
十分な食料を確保することも,緊急時に生き延びるためには重要です。失業,自然災害,そのほかの危機など,どのような状況であっても,食料貯蔵は試練を乗り切る助けとなります。預言者たちは,できる範囲で食料を蓄えることを勧めてきました。数週間分の食料から始めることが,もしもの時に家族を養えるだけの食料を貯蔵する重要な第一歩となります。

わたしたちはまた,霊的な養いを日々の生活の一部とすることによって備えなければなりません。ネルソン大管長は次のように教えています。「人生における究極の目的は,わたしたちの創造主にお会いする備えをすることです。わたしたちは救い主イエス・キリストに似た者になれるよう毎日努力して,この備えをします。また,毎日悔い改めて,清めと癒しと強さをもたらす主の力を受けるときにそれを行います。そうすれば,荒れ狂う時代にあっても,永続する平安と喜びを感じることができます。」

10人のおとめのたとえは,この原則を明確に教えています。大管長会第一顧問のダリン・H・オークス管長は次のように言っています。
「このたとえが示す教えには身も凍るような思いをします。10人のおとめは明らかにキリストの教会の会員を指します。なぜなら皆婚宴に招待され,花婿が来たときに部屋に入れてもらうための条件を知っていたからです。しかし,実際に備えができていたのは半分だけでした。……
……モルモン書が教えているように,『現世は人が神にお会いする用意をする時期である。』(アルマ34:32)……わたしたちは備えているでしょうか。」わたしたちは自分自身を霊的に養うのを,主がおいでになるまで待つことはできないのです。
コミュニケーションと祈り
危機においては,コミュニケーションが必要不可欠です。停電やそのほかの災害時には,携帯電話の基地局はあっという間に容量を超えてしまい,コミュニケーションの手段に深刻な影響が出ます。家族やワードの会員とのコミュニケーションに関する計画を立てておくことは重要な備えです。電話が使えない場合,あるいは物理的に会えない場合,どのような方法で家族と連絡を取ればよいでしょうか。計画を立てておけば,コミュニケーションを取るために何をすべきかを家族が知る助けとなります。

天の御父は,定期的に祈るよう促すことによって,御自分のコミュニケーションの計画を確立しておられます。望むときにいつでもどこでも天の御父に話ができるというのは,何と光栄なことでしょう!救い主は次のように言っておられます。「忠実であり,常に祈り,あなたがたのランプの芯を切りそろえて火をともし,油を備えて,花婿が来るときに用意ができているようにしなさい。」(教義と聖約33:17)

真心から祈ろうと努力することを通して,わたしたちは落ち着いて天の御父と話をし,御父から導きを受けることができるようになり,それが助けを必要とするときに自分や家族を導いてくれる重要なつながりとなるのです。
避難場所と聖なる場所に立つこと



パンデミックの間,ほとんどの人が「屋内避難」をするよう求められました。わたしたちが身をもって学んだのは,十分な物資を備えた安全な避難場所を確保することが,備えとして非常に重要であるということでした。また,自然災害やそのほかの事情で家が危険になり,そこを離れなければならなくなった場合に備えて,代わりの避難場所を探しておくことも賢明です。

同様に,わたしたちは福音において,「避難する」よう促されています。オークス管長は次のように教えています。「主の命令に従っているでしょうか。『主の日が来るまで,あなたがたは聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい。見よ,その日はすぐに来る……。』(教義と聖約87:8)この『聖なる場所』とは何を指すのでしょう。神殿とそこで交わす聖約を忠実に守ることはもちろん含まれるでしょう。また,子供を大切に育て,両親を敬う家庭もそうです。伝道の召し,あるいは……忠実に果たされる〔様々な〕召しなど,神権の権能によって与えられる召しも,聖なる場所に含まれます。」

教会員たちは,皆で集会に集まることや,神殿で奉仕することができなくなったとき,その喪失感を味わいました。しかし,わたしたちはまた,自分の家庭を聖なる場所として確立することがいかに重要であるかを学びました。教会の集会に出席し,神殿で奉仕し,自分の家庭を信仰の聖所とすることは,再臨に備えてわたしたちと家族を強めてくれます。
応急手当てと悔い改め
応急手当てのための優れた救急用品と技術が,物質的な準備においては不可欠です。パンデミックの間,世界中が良いマスクや医療用品を探し求めました。薬や医療用品を保管しておくことは,やって来るであろう自然災害やそのほかの試練に備えるための重要な要素です。

同様に,霊的な応急手当ても不可欠です。主はわたしたちのために癒しの道を備えてくださいました。悔い改めは,わたしたちの行いを正し,イエス・キリストとその贖罪の香油によって清められる機会を与えてくれます。七十人のハンス・T・ブーム長老は次のように言っています。「傷ついている人がいれば,主の救急箱には,わたしたちのすべての傷を十分覆うことができる絆創膏があるのです。」

定期的な悔い改めは,来るべきことに備えてわたしたちを精錬する助けとなります。常に悔い改めるとき,わたしたちはより強く,より良く,より主と調和するようになっていきます。ネルソン大管長は次のように教えています。

「イエスは皆さんやわたしに『悔い改めよ』とお求めになるとき,思いと知識と霊〔を〕変えなさいと勧めておられるのです。……
日々欠かさず悔い改めに取り組むことほど,霊を自由にし,気高くするもの,言い換えればわたしたち個人の進歩に不可欠なものはありません。……信仰と相まって,悔い改めはイエス・キリストの贖いの力に手を伸ばせるようにしてくれます。」
精神的な強さと証
パンデミックの間,多くの人が心の健康を保つのに苦労しました。わたしたちの備えの一部には,良好なメンタルヘルスを育む習慣を身につけることが含まれます。時間がたつにつれて試練は長く,大きくなり,多くの人が試されました。教会指導者たちは,精神面の健康と強さを備えの一部とするよう勧めています。

霊的には,わたしたちは証を強めることに集中して,すべての忠実な人に訪れる試練に証が耐えられるようにしなければなりません。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように言っています。「救い主,贖い主イエス・キリストは,今から再びおいでになる時までの間に,最も力強い業を幾つかなされるでしょう。わたしたちは,父なる神と御子イエス・キリストが尊厳と栄光のうちにこの教会を管理されることを示す奇跡的なしるしを見るでしょう。しかし,導き,指示し,慰める,変わることのない聖霊の影響力がなければ,これから先,霊的に生き残ることはできなくなるでしょう。」



救い主が教えられたように,わたしたちはそれぞれが岩の上に自分の霊的な家を建てなければなりません。これはつまり,主の教えに従って生きることであり,そうすることによって確固とした土台を築くことができるのです(3ニーファイ14:24-25参照)。これは,この先必ず来る霊的な激震を生き残るために必要なことです。

自分自身と世をイエス・キリストの再臨に備えるよう取り組みながら,わたしたちはその時について予告されていることに対して家族を物質的に備えなければなりません。自然災害,社会的混乱,政情不安などのすべてが,預言者によって予告されているようにわたしたちを待ち受けています。こうした出来事は,わたしたち自身と家族を物理的に守るために,入念な備えを必要とします。

同様に,わたしたちは自分自身と家族を,わたしたちを滅ぼす悪から守らなければなりません。個人の啓示に頼ること,祈りや悔い改めを含む霊的な養いを得る習慣を定期的に実践すること,そして聖なる場所に立つことが,強固で揺るぎない証を築く助けとなります。

そうすれば,わたしたちは,物質的にも霊的にも備えていれば恐れることはないという主の約束によって,心を安らかに保つことができるでしょう(教義と聖約38:30)。

(2021年8月号リアホナ)