イエス・キリストの福音をご紹介します。

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主よ,兄弟がわたしに対して罪を犯した場合,幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。

2021-06-27 05:16:10 | 日記
七たびを七十倍するまで
リン・G・ロビンズ長老
七十人会長会
つまずきの石や不完全なところが至る所にある人生でやり直す機会があることに,わたしたちは皆感謝しています

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電球の発明について,トーマス・エジソンはこう言っています。「わたしは1,000回失敗したのではない。1,000のステップを経て電球は発明されたのだ。

チャールズ・F・ケタリングは失敗を「成功への道を指し示す道しるべ」と呼んでいます。失敗する度にそこから知恵ある教訓を得て,つまずきの石を踏み台に変えることができるよう願っています。

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1970年,ブリガム・ヤング大学の1年生のころ,わたしは,傑出した教授であるジェイ・バリフが教える物理学の入門コースを取りました。コースの単元が一つ終わる度に,テストがありました。Cを取った学生がもっと良い評点が欲しいと言ってくると,バリフ教授は,同じ内容を扱った別のテストを受けさせてくれました。その学生が2度目のテストでBを取り,それでも満足しない場合には,3度でも4度でも,それ以上でも,テストを受けることができたのです。何度もやり直す機会を与えることによって,この教授はわたしが物理学で良い成績を取り,ついにはAが取れるようにしてくれました。




努力し続けるよう生徒たちを鼓舞してくれる,類いまれな知恵のある教授でした。失敗を悲劇ではなく学びと考え,失敗を恐れずにそこから学ぶようにと生徒に教えたのです。

先日わたしは,この偉大な人物に電話をかけました。物理のコースを取って以来47年ぶりです。評点を上げるために無制限にテストを受けられるようにしたのはなぜかと尋ねると,こんな答えが返ってきました。「生徒の側に立ちたかったのです。」

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しかし,一体主は何度まで赦してくださるのでしょうか。どこまで寛容深くいてくださるのでしょうか。あるとき,ペテロは救い主に尋ねました。「主よ,兄弟がわたしに対して罪を犯した場合,幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。」




思うに,ペテロは,十分に多い回数だと考えて七度と言ったのでしょう。何度も赦すことの愚かさを強調して,善行にも限度があるべきだと考えたのです。それに答えて,救い主はペテロに,基本的に回数を述べなかったばかりか,赦す回数に限度を設けることもされませんでした。

イエスは彼に言われた,『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。』

救い主が490回という上限を設けようとしておられたわけではないのは明らかです。それは,聖餐を取る回数に490回までという限度があると言っているようなものです。491回目には天の監査役が執り成してこう言うでしょう。「申し訳ありませんが,あなたの悔い改めカードが失効しました。ここから先は自力で頑張ってください。」

主は七を七十倍するという計算式を,主の無限の贖罪,限りない愛,際限のない恵みのたとえとして使われたのです。「そしてわたしは,民が悔い改める度に,わたしに対する彼らの過ちを赦そう。


これは,聖餐が,罪を犯してもよいという許可証になるという意味ではありません。これは,主が次の言葉をモルモン書に入れられた一つの理由なのです。「しかし,悔い改めて真心​から​赦し​を​求めた​者​は,その​​度​に​​赦された。

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低速度撮影の写真や成長曲線でもないかぎり,わたしたちの肉体的な成長を肉眼で見ることはできません。同様に,霊的な成長も,普通は後で振り返ってみないかぎり分からないものです。常日頃からそのように後で振り返って自分の成長を確かめ,「​キリスト​を​確固​と​して​信じ,完全​な​​希望​の​輝き​を​持〔って〕​……力強く​​進〔もう〕」と自分を奮い立たせるのは賢明なことです。

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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会でのお話しのひとつです。

( 以前投稿していますが、今回抜粋して、再びご紹介しました。)

※自分の成長の記録を残すことは大切ですね。それによって、自分を奮い立たせることができます。

※本日もお読みいただいてありがとうざいます。良い安息日をお祈りします。

2021年6月27日(日)

世界中の何万という数えきれないほどの人の心を強め,治すことに献身

2021-06-26 04:58:37 | 日記




ネルソン大管長は,まさに卓越した人物です。わたしは十二使徒定員会において,2年余りの間,定員会会長としてのネルソン大管長と奉仕する特権に恵まれました。ともに旅行し,その活力に驚嘆しました。ネルソン大管長のスピードについて行くには,素早く動かなければならないからです。ネルソン大管長はこれまでの人生で合計133の国を訪問しました。

ネルソン大管長は若者や年配の人皆に手を差し伸べています。すべての人を知っているようで,名前を覚えることに特別な賜物を持っています。ネルソン大管長を知る人は皆愛されていると感じます。それはわたしたち一人一人にもそうです。それはネルソン大管長がすべての人に誠実な愛と関心を持っているからなのです。


わたしとネルソン大管長とのおもなつながりは教会の役職においてでしたが,大管長が中央幹部として召される前に送っていた職業人生についてもわたしはよく理解するようになりました。御存じのように,ネルソン大管長は世界にその名を知られた心臓外科医であり,医療経歴の早い段階で,人工心肺開発の草分けとなりました。1951年,人工心肺を使った最初の心臓切開手術を支援する研究チームに所属していました。またスペンサー・W・キンボール大管長が預言者になる少し前に,キンボール大管長の心臓手術を行いました。



興味深いことに,ネルソン大管長が十二使徒に召された34年前,心臓を治療し強化するという心臓外科医としての仕事は終わりましたが,その後,世界中の何万という数えきれないほどの人の心を強め,治すことに献身する,使徒としての務めが始まったのです。人々は,ネルソン大管長の知恵と奉仕と愛の言動によって高められ,癒されてきました。

キリストのような心
日々の行いにおけるキリストのような心を思い描くとき,ネルソン大管長が目に浮かびます。ネルソン大管長よりも高いレベルでこの特性を体現する人に会ったことがありません。ネルソン大管長のキリストのような心が示されるのをじかに観察する立場にいることは,わたしにとってこの上ない教育となっています。


わたしが2015年10月に十二使徒に召されて何週間もしないうちに,ネルソン大管長の過去の職業人生を垣間見る機会がありました。大管長が心臓外科手術の先駆者として表彰されるイベントに招かれたのです。会場に入ったとき,ネルソン大管長が医師としてまた執刀医として何年も前に収めた成果を認めてたたえる数多くの専門家がそこにいるのを見て,わたしは大変驚きました。

その夜,大勢の専門家が立ち上がり,ネルソン大管長の医療分野に対する顕著な貢献に尊敬と称賛の意を表しました。各発表者がネルソン大管長の様々な功績を説明したのが印象的でしたが,それ以上に,わたしは隣に座った男性と交わした会話に魅了されました。彼はわたしがだれかは知りませんでしたが,ネルソン大管長を,ネルソン博士として知っていました。大管長は1955年当時,医学校の胸部外科手術研修プログラムのディレクターだったのです。


この男性はネルソン大管長の教え子で,多くの思い出を語ってくれました。最も興味深かったのはネルソン大管長の教え方の説明で,彼が言うには,大管長はその教え方で有名だったとのことでした。彼は,心臓外科手術研修医の教育の多くは手術室で行われたと説明してくれました。そこで研修医は,実験室のように,教授陣の監視の下で外科手術を観察し,執刀しました。ある教授陣の執刀医が使っていた手術室の環境は,雑然としていて,競争的で,圧迫感に満ち,利己的でさえあったと言います。それは難しい環境で,時には自信を喪失するようなものだったそうです。結果として,研修医は自分の職業人生がしばしば危機に瀕しているとさえ感じました。


それから彼は,ネルソン大管長の手術室で見られたユニークな環境について説明してくれました。そこは平和で,静かで,威厳がありました。研修医は深い尊敬をもって扱われました。しかしネルソン博士は,手順を実際に示した後に,研修医一人一人が最も高い水準の手術を行うことを期待しました。この男性はさらに,ネルソン博士の手術室からどのようにして最高の治療結果と最高の外科医が生まれたかを説明しました。


わたしはまったく驚きませんでした。これは,わたしが十二使徒定員会においてじかに観察し,ほんとうに祝福されてきたことなのです。ある意味において,わたしは「訓練を受けている研修医」であるかのように感じています。

ネルソン大管長には,人を教える並外れた方法があって,建設的で,敬意を表し,気持ちを高める方法で誤りを正してくれます。ネルソン大管長はキリストのような心を持っていて,わたしたちすべての模範です。どのような状況にあっても,行いと心をイエス・キリストの福音の原則に調和できることを,わたしたちはネルソン大管長から学んでいます。

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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会での、お話しのひとつです。

『 預言者の心
ゲーリー・E・スティーブンソン長老
十二使徒定員会
わたしたちは,主の預言者が正しく召され,神聖な力によって主が指示された方法で主の業が行われていることを喜びます。 』

このお話しから、抜粋して引用しています。赤字は追加しています。

※本日もお読みいただいてありがとうざいます。

本日は、現代の預言者ラッセル・M・ネルソン大管長について、ご紹介しました。

土曜日です。疲れがたまっているかもしれません。注意深い1日を過ごされますように。

2021年6月26日(土)



墓は空です。キリストは生きておられます。

2021-06-25 05:01:21 | 日記
主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい
ラリー・J・エコー・ホーク長老
七十人
自分に過ちを犯した人を惜しみなく赦すことができるようになると,だれでも,言葉に尽くせない平安を得,救い主のパートナーとなることができます。
週の初めの日,夜明け前に,女たちは用意しておいた香料を携えて,墓に行った。

ところが,石が墓からころがしてあるので,

中にはいってみると,主イエスのからだが見当らなかった。

そのため途方にくれていると,見よ,輝いた衣を着たふたりの者が,彼らに現れた。

女たちは驚き恐れて,顔を地に伏せていると,このふたりの者が言った,『あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。

そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。』

明日,復活祭の安息日に,わたしたちは特別な方法で,イエス・キリストがわたしたちにしてくださったことを思い出します。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」永遠に生きるため,最終的にわたしたちは主と同じように復活するのです。

また,悔い改めの機会と責任を受け入れるならば,イエス・キリストの聖なる贖いの奇跡を通して,わたしたちも罪と悪い行いに対する赦しの賜物を頂くことができます。そして,必要な儀式を受けて聖約を守り,戒めに従うことによって永遠の命と昇栄を得ることができるのです。

今日わたしは特に,救い主,贖い主であるイエス・キリストが与えてくださった,とても大切で貴重な賜物である赦しについて話したいと思います。

1982年12月のある晩,妻のテリーとわたしは,アイダホ州ポカテロの自宅にかかってきた電話で目が覚めました。電話に出ましたが,姉のすすり泣く声が聞こえるだけでした。やっとのことで,姉は苦しそうに言いました。「トミーが死んだの。」

コロラド州デンバーの郊外で,酒を飲んだ20歳の男性が運転する車が,時速85マイル(136キロメートル)以上のスピードで無謀にも赤信号を無視し,わたしの末の弟トミーが運転する車に激突したのです。弟と妻のジョーンは即死でした。二人はクリスマスパーティーの後,幼い娘が待つ家に帰る途中でした。

妻とわたしはすぐにデンバーに飛び,遺体安置所へと向かいました。両親やきょうだいとともに,愛するトミーとジョーンの死を悲しみました。愚かな犯罪行為によって,わたしたちは二人を失ったのです。わたしたちの胸は張り裂け,事故を起こした若者に対する怒りが湧き上がってきました。

トミーはアメリカ合衆国司法省の弁護士を務めており,それからの数年間,アメリカ先住民の土地と天然資源の保護を強力に推し進めようとしていた矢先でした。

しばらくして,危険運転致死罪に問われた若者の判決公判が開かれました。嘆きと悲しみの中で両親と姉のケイティーが公判に出席しました。同じく公判に出席していた飲酒運転者の両親は,公判が終了すると,ベンチに座り込み泣いていました。その二人のそばに座っていたわたしの両親と姉は,なんとか気持ちを立て直そうとしていましたが,しばらくして立ち上がり,運転手の両親のもとへ歩み寄ると,慰めと赦しの言葉をかけました。男性たちは握手し,女性たちは手を握り合いました。そこには全員の深い悲しみと涙がありました。そして,どちらの家族もひどい苦しみに遭っていることを知りました。母と父,そしてケイティーは,内に秘めた力と勇気の模範を示し,赦しとはどのようなものかを家族に見せてくれました。

こうした場面で赦しの手が差し伸べられたことで,わたし自身の心は和らぎ,癒しの道が開かれました。長い時間をかけて,わたしは赦しの心を持つにはどうしたらよいのかを学びました。苦しい重荷が取り除かれたのは,唯一,平和の君の助けがあったからです。これからもずっと,トミーとジョーンがいなくなったことを寂しく思うでしょう。しかし今は,赦しによって無上の喜びとともに二人のことを思い出すことができます。そして,わたしたちが再び家族として一緒になれることをわたしは知っています。

わたしは,違法な行為を見逃してよいと言っているのではありません。人は自分が犯した犯罪行為や市民としての不正行為に対する責任に問われることは,皆が十分に承知していることです。しかし同時に,わたしたちは神の息子,娘としてイエス・キリストの教えに従い,赦しに値しないように思える人をも,赦さなければならないことを知っています。

救い主はこう教えておられます。

もしも,あなたがたが,人々のあやまちをゆるすならば,あなたがたの天の父も,あなたがたをゆるして下さるであろう。

もし人をゆるさないならば,あなたがたの父も,あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

自分に過ちを犯した人を惜しみなく赦すことができるようになると,だれでも,言葉に尽くせない平安を得,救い主のパートナーとなることができます。主のパートナーになることで,はっきりと,決して忘れることのできない方法で,救い主の力がわたしたちの生活にもたらされます。

使徒パウロはこう勧告しました。

だから,あなたがたは,神に選ばれた者……であるから,あわれみの心,慈愛,謙そん,柔和,寛容を身に着けなさい。

互いに忍びあい,……ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい。

主はこう述べておられます

それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。

救い主,贖い主であられるイエス・キリストの教えは明白です。つまり,罪人が赦しを得たいのであれば,まず自分が進んでほかの人を赦さなければなりません。

兄弟姉妹,皆さんの人生であなたを傷つけた人はいませんか。恨みや怒りを覚えて当然だと思えることをいつまでも引きずってはいませんか。高慢な気持ちがあるために,赦し,忘れることができないでいませんか。皆さんにお勧めします。完全に赦し,心からの癒しを得られるようにしましょう。そして今日,赦すことができなくても,赦したいと望んで努力するなら,わたしが弟の死後,最終的にそうなったように,必ず赦せるようになることを知ってください。

そしてもう一つ,赦しの大切な要素に,自分自身を赦すことが含まれていることも忘れないでください。

主は言われました。「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。

今日,皆さんにお願いします。イエス・キリストの模範を思い出し,それに従ってください。ゴルゴタの十字架の上で,主は,激しい苦しみの中でこう言われました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。

赦しの心を持ち,その心に従って行動するなら,わたしの両親や姉のように,救い主の次の約束を実現することができます。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな,またおじけるな。

人を赦すことで,イエス・キリストの教えに心を留め,模範に従うなら,わたしたちにこの平安がもたらされることを証します。わたしたちが赦すとき,救い主はわたしたちを強めてくださることを約束します。そうすれば主の力と喜びがわたしたちの生活に流れ込んでくることでしょう。

墓は空です。キリストは生きておられます。わたしは主を知っています。わたしは主を愛しています。主の恵みに感謝しています。その恵みは強める力であり,すべてのものを癒す十分な力です。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会でのお話しのひとつです。青字赤字は追加しています。

※今日もお読みいただいてありがとうざいます。

人は復活して、主イエス・キリストの前に立ち、現世でどのようなふるまいをしてきたか、報告する時がきます。

少しでも、良いことを努めたと報告できますように、今日も頑張りましょう。

2021年6月25日(金)



神は決してわたしたちをお見捨てにはなりません

2021-06-24 04:55:38 | 日記
わたしは神の子供でしょうか
ブライアン・K・テーラー長老
七十人
自分が神の子であることを理解する力を,どうすれば経験することができるでしょうか。それは,父なる神を知ろうとする努力から始まります。
先日,大好きな母と一緒に,かつて通っていた古い石造りの教会堂へ行きました。数十年前に出席していた同じ初等協会の部屋から聞こえてくるかわいい声に引き寄せられ,部屋の後ろから入り,面倒見のいい指導者たちが今年のテーマ「わたしは神の子です」を教えている様子を見学しました。忍耐と愛のある教師たちのことを思い出すと笑みがこぼれました。教師たちは当時,歌の時間に長椅子の端にいるやんちゃな男の子だったわたしに,「神の子ですか。ほんとうに神から送られてきたのですか」とでも言うかのようによく目を向けたものです。


「わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」聖霊に心を開くよう,すべての皆さんにお勧めします。


ボイ ド・K・パッカー会長の語った言葉は,分かりやすくて貴重です。「皆さんは,神の子です。神は皆さんの霊の父です。霊について言えば,皆さんは天の王の子孫であり,高貴な生まれなのです。この真理を心に刻み込んで,決して忘れないようにしましょう。皆さんの肉親の先祖が,何代先までさかのぼろうと,皆さんがどのような人種や民族に属そうと,皆さんの霊の系図はたった1本しかありません。皆さんは,神の子なのです。」

ブリガム・ヤングはこう言い表しています。「皆さんは……御父にまみえるとき,昔から存じ上げていた御方にまみえるのです。御父は皆さんを御手に受け入れられます。皆さんは御父の御腕の中にすっぽりと抱かれ,御父に接吻するのです。」
人が神の子であることを巡る大きな戦い
モーセは顔と顔を合わせて主と語ったときに,自分が神の子であることを知りました。その後に,神の子であるというモーセの自己像を巧妙にゆがめようとたくらむ「サタン​が​来て,……​誘惑​して​言〔いました〕。『人​の​子​モーセ​よ,わたし​を​拝み​なさい。』そこで,モーセ​は​サタン​を​見て​言った。『おまえ​は​だれ​だ。見よ,わたしは……神の子だ。』」

サタンは武器を増殖して,わたしたちの神との関係に対する信念と知識を破壊しようとしています。有難いことに,わたしたちは時の初めから自分が神の子であることをはっきりと理解してきました。それは,「『われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造〔ろうと〕』」「神〔が〕言われ」,生ける預言者が「人は皆,天の両親から愛されている霊の息子,娘です。したがって,〔人類〕は皆,神の属性と神聖な行く末とを受け継いでいます」と宣言しているからです。


この真理を「確実に」知るようになると,わたしたちはあらゆる試練や問題や苦難を乗り越えることができるようになります。主の使徒の一人は,「〔個人的な悩みで〕苦しんでいる人をどうやって助ければよいのでしょうか」と聞かれて,「彼らが神の子であることと,彼らが地上にいる目的を教えてください」とアドバイスしました。
「わたしの持つ知識の中で最も力ある知識」
この力ある真理は,わたしの友達のジェンの人生を変えました。ジェンは10代のころ,大きな交通事故を起こしました。自分の身体的外傷もひどかったのですが,どうしようもなくつらかったのは,相手の車の運転手が亡くなったことでした。「あの子たちから母親を奪ったのは,わたしなのです」とジェンは言います。「わたしたちは天父の娘です。天父はわたしたちを愛し……て〔おられ〕ます。」ほんの数日前まで起立してこの言葉を暗誦していたジェンは,疑問を持つようになりました。「御父がわたしを愛してくださるわけがないわ。」


ジェンは言います。「けがの痛みは収まりましたが,情緒的・霊的な傷が癒えることは決してないだろうと思いました。」

ジェンはどうにか生きていくために,そんな気持ちを心の奥底にしまい込み,それに触れないようにして,平静を装っていました。1年後,やっと事故のことを話せるようになると,霊感を受けたカウンセラーは,「わたしは神の子です」という言葉を書いて,毎日10回ずつそれを言うようにとアドバイスしたのです。


「書くことは簡単でしたが,この言葉を言うことはできませんでした」と,当時を振り返ってジェンは言います。「……言おうとすると現実に引き戻され,神がわたしに御自分の子供でいてほしいと望んでおられるとは思えませんでした。わたしはひざを抱えて泣きました。」


数か月後,ジェンはやっと,そのノルマを毎日果たすことができるようになりました。彼女はこう言っています。「心を全部注ぎ出して神に嘆願しました。……すると,その言葉が信じられるようになってきたのです。」これが信じられるようになると,主はジェンの傷ついた心を癒してくださるようになりました。モルモン書を読むと,主の贖いに安らぎと勇気が感じられるようになったのです。


ジェンはこんな結論にたどり着きました。「キリストはわたしの苦しみや悲しみ,罪の意識を感じておられました。わたしは神の純粋な愛を感じたのです。これほどの力を感じたことはそれまでありませんでした。自分が神の子であると知っていることは,わたしの持つ知識の中で最も力ある知識です。」
父なる神を知ろうとする努力
兄弟姉妹の皆さん,自分が神の子であることを理解する力を,どうすれば経験することができるでしょうか。それは,父なる神を知ろうとする努力から始まります。ラッセル・M・ネルソン大管長はこう証しています。「神の子が,神とその愛する御子についてさらに知ろうと努めるとき,大いなることが起こります。」


救い主について学び,救い主に従うと,御父のことが分かるようになります。「御子は……〔御父の〕本質の真の姿であって,」「子は父のなさることを見てする以外に,自分からは何事もすることができない」とイエスは教えておられます。イエスのあらゆる言葉と行いは,神の本質と,また,神と人はどのような関係にあるのかを示しています。ジェフリー・R ・ホランド長老はこう教えています。「主の体のすべての毛穴から血が流れ出,苦悩に満ちた叫びが主の口から発せられ,キリストはそれまでいつも頼っていた御自分の御父により頼み,『アバ』と叫びました。今の言葉では,『お父さん』……でしょう。」


イエスがゲツセマネで熱烈に御父をお求めになったように,少年ジョセフ・スミスも,1820年に聖なる森で神を祈り求めました。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は……神に,願い求めるがよい」 という言葉を読んで,ジョセフは祈りに行きました。


後にこう書いています。「わたしは……ひざまずいて,心の願いを神に告げ始めた。……
……わたし​は​自分​の​真上​に,……​光​の​柱​を​見た。……
……わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると,そのうちの御一方がわたしに語りかけ,わたしの名を呼び,別の御方を指して,『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。」


救い主と預言者ジョセフ・スミスの模範に従って熱烈に神を求めるならば,御父が自分を名前で御存じで自分が御父の子供であることが,ジェンのように自分の経験を通して分かるようになります。


母親,特に若い母親の皆さん,「罪に屈しない世代」を育てようとして打ちのめされたりうまくいかないと感じたりすることがしばしばであったとしても,神の計画の中で果たす自分の重要な役割を,決して過小評価しないでください。幼い子供を追いかけ回していると焦げ臭いにおいが台所から漂ってきて,愛情を込めて作った夕食が燔祭になってしまったことに気づくことがあるかもしれません。そのようないらいらする出来事が起こったら,神があなたの最もつらい日々を聖別してくださることを思い出してください。「恐れてはならない,わたしはあなたと共にいる。」主は穏やかにそう言って安心させてくださいます。ジョイ・D・ジョーンズ姉妹は,「わたしたちの子供たちは,自分が神の子であることを理解する資格があって当然です」と言っています。その期待にこたえている皆さんをほめたたえます。


わたしたち皆が神とその御子を求めるよう勧めます。ネルソン大管長はこう言っています。「モルモン書以外にこのような真理をはっきりと力強く教えている書物はありません。」モルモン書を開いて,神が確かに「​〔わたしたちの〕​繁栄​と​幸い​の​ため​に​あらゆる​こと」​を​行われ,「慈悲と恵みに満ち,怒るに遅く,長く堪え忍び,慈しみ深〔く〕」,「すべての人が神にとって等しい存在である」ことを学んでください。人生の極限的な状況で傷ついたり,途方に暮れたり,怖くなったり,怒ったり,悲しくなったり,飢えたり,見捨てられて希望を持てなくなったりしたときには,モルモン書を開いてください。次のことが分かるようになります。「神は決してわたしたちをお見捨てにはなりません。これまでもそうでしたし,これからもそうです。そのようなことはおできにならないのです。神は〔そのようなことをする〕御方ではありません。


御父を知るようになるとすべてが変わります。特に心が変わります。自分がほんとうに神の子であって神の目から見て大きな価値があることを神の御霊が優しく教えてくれるからです。わたしたちが祈りで嘆願し,聖文を調べ,従順になる努力をして神を求めるならば,神は聖約の道をわたしたちとともに歩いてくださいます。


神の人格のすばらしさ—わたしの証
わたしは,父なる神,「全能の主なる神」を愛しています。神は,わたしたちが悲しむときにともに泣き,わたしたちの不義を根気強く懲らしめ,わたしたちが「〔神を〕知……る​〔ため〕に自分​の​罪​を​すべて​捨て」ようとするときに喜んでくださいます。わたしの礼拝する神は,常に「みなしごの父」,友のない者の友であられます。御父である神をわたしが知るようになったことを,感謝を込めて証します。そして,神の完全さと属性,「卓越した特性」について証します。


自分が神の子として持つ「貴い生得権」を,「唯一の,まことの神と,また,〔神〕がつかわされたイエス・キリスト」を知ることによって,わたしたち皆が真の意味で理解して大切にすることができるように切に祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。

(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会の中のお話しのひとつです。赤字は追加しています。)



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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。

今日は、深刻なお話しでした。罪に苦しんでいる人々に、立ち直る方法を教えられました。

イエス・キリストの贖いの力の深さをまた、学びました。

罪に苦しんでいる全ての人々に、希望を与えてくださいます。

希望の1日となりますように。

2021年6月24日(木)

主の御名によって祝福する

2021-06-23 05:09:35 | 日記
主の御名によって祝福することを、ご紹介します。

(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2021年4月の総大会の説教のひとつです。抜粋して引用します。)


『主の御名によって祝福する』
ヘンリー・B・アイリング管長
大管長会第二顧問
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わたしは小さな支部で執事に聖任されましたが,執事はわたし一人だけで,教師は兄のテッド一人だけでした。わたしたちはその支部で唯一の家族でした。支部全体が我が家に集っていました。兄とわたしの神権指導者は,最近神権を受けたばかりの新しい改宗者でした。わたしは神権者としての自分の務めは,自宅のダイニングルームで聖餐のパスを行うことだけだとその頃は信じていました。

ユタ州に家族で引っ越したとき,大勢の執事のいる大きなワードに集うことになりました。最初の聖餐会で,わたしには軍隊のように思えた執事たちがよく訓練されたチームのような正確さで聖餐のパスを行っているのを目にしました。

あまりにも怖かったので,次の日曜日,だれにも見られないように早めに教会堂に行きました。ソルトレイク・シティのイエールクレストワードで,敷地内には銅像がありました。銅像の裏に行き,聖餐のパスの役割を果たす上で,失敗することがないように,助けを求めて心から祈りました。その祈りはこたえられました。

しかし,今は神権の奉仕を行ううえで成長しようと努める際,より良い祈り方と考え方があることを知っています。それは,なぜ一人一人に神権が与えられているのか理解することによって分かるのです。神権を授かる目的は,主のために,主の御名によって人々を祝福できるようにすることです。

そのことが実際何を意味するのか,執事だったときから何年も経ってから学びました。例えば,大祭司として老人ホームでの聖餐会を訪問する割り当てを受けたときのことです。聖餐のパスを頼まれました。聖餐のパスの正確さについて考える代わりに,年配の方々一人一人の表情を見ていました。多くの方が涙を流していました。一人の女性がわたしの袖を掴んで,わたしを見上げ声を出して,「ありがとう,ありがとう」と言いました。

主は御自分の御名によって行われた,わたしの奉仕を祝福してくださったのです。その日,わたしは自分の役割をよく果たせるようにではなく,このような奇跡が起こるように,人々がわたしの愛を込めた奉仕を通して,主の愛を感じられるようにと祈りました。これこそが,主の御名によって人々に仕え,祝福をもたらす鍵だと学びました。

最近,そのような愛を思い起こさせてくれる出来事について耳にしました。新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって教会の集会が中止になったとき,あるミニスタリングブラザーは,担当の姉妹に聖餐を届けるという割り当てを長老定員会の会長から受けました。彼女に電話して聖餐を届けることを申し出たとき,しぶしぶ受け入れてくれました。彼女はこのような危険な状況で,自分のためにわざわざ来させてしまうことを申し訳なく思い,またすぐに元の状況に戻ると信じていたからです。

日曜日の朝,彼女の家を訪れるとあるお願いをされました。お隣の87歳の隣人にも聖餐を届けて欲しいというのです。ビショップの承認を得て,彼はそれに同意しました。

何週間もの間,注意深いソーシャルディスタンスをはじめとする予防措置を取りながら,この聖徒たちの小さなグループは,毎週ささやかな聖餐会のために集まりました。ほんの幾つかの裂かれたパンと水のカップだけでしたが,愛にあふれる神の憐れみに対して多くの涙が流されました。

やがて,このミニスタリングブラザーと担当先の姉妹は教会に再び集うことができるようになりました。しかし,夫を失くしたその87歳の近所の姉妹は,感染リスクを避けるために自宅を出ることはできませんでした。そのミニスタリングブラザーの割り当てはその年配の姉妹ではなく,隣人の姉妹なのですが,今でも毎週日曜日に,小さなパン切れと聖典を手に,人知れず彼女を訪問し,主の聖餐の儀式を執行しているのです。

神権者としての彼の奉仕は,介護施設でのわたしの経験のように,愛が動機となっています。事実,このミニスタリングブラザーは,ワード内にほかに訪問できる人がいないか最近ビショップに尋ねました。神権者としての奉仕を尊んで大いなるものにしようとする彼の望みは,主の御名によって,また主のみに知られるよう仕えることにより増していきました。このミニスタリングブラザーが,わたしのように,仕える人々が主の愛を感じられるように祈ったのかは分かりませんが,彼の奉仕は主の御名によって行われているため,その結果は同じです。(引用終わり)

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※イエス・キリストの愛を感じられるように、奉仕することが人々に使えるときの鍵というお話しでした。

※また、小さな子どもたちが、祈ることを知っていることも、生活する上で大切な鍵です。




『 天のお父さま

・・・を感謝します。

・・・をお願いします。

イエス・キリストのみ名のよって祈ります。』

こんなパターンです。お祈りされてみて下さい。

※本日は、ここまでです。お読みいただいてありがとうざいます。

良い1日をお祈りします。

2021年6月23日(水)