イエス・キリストの福音をご紹介します。

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人生にとって霊的に重要な記憶

2021-08-30 04:52:20 | 日記
人生にとって霊的に重要な記憶
ニール・L・アンダーセン長老
十二使徒定員会
個人的な困難やどうすることもできない世の中の状況が人生の道を暗くするとき,命の書に記された霊的に重要な記憶は,まるで光る石のように道のりを照らします。
最初の示現の18年後,預言者ジョセフ・スミスは自身の経験を詳細に書き記しました。ジョセフは反対や迫害,嫌がらせ,脅迫,そして残酷な仕打ちを受けました。それでもなお,ジョセフは最初の示現について雄々しく証し続けました。「わたしは実際に光を見た。その光の中に二人の御方を見た。そして,その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ,迫害されたとしても,それは真実であった。……わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを,わたしは知っていた。 わたしはそれを否定でき……なかった。」

困難の中にあったとき,ジョセフは20年近く前の記憶をたどり,自身に対する神の愛が確かなものであることや,昔から預言されていた回復のために備えられていた出来事に思いをはせました。ジョセフは自身の霊的な旅を振り返りながらこう述べています。「だれかがわたしがしてきた経験を信じなかったとしても,責めることはしません。自分が実際に経験していなければ,わたし自身も信じなかったことでしょう。」

しかし,その経験は現実のものであり,ジョセフはそれを決して忘れたり否定したりせず,カーセージに向かう中,自分の証を静かに確認しました。「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし,わたしは夏の朝のように心穏やかである。わたしの良心は,神に対してもすべての人に対しても,責められることがない。」
あなたにとっての霊的に重要な経験
預言者ジョセフ・スミスの経験にはわたしたちのための教訓が含まれています。聖霊から受ける平安な導きに加え,神は,わたしたちを御存じで愛しておられ,わたしたちを具体的かつ公に祝福してくださるということを,時折,わたしたちに力強く,非常に個人的に確信させてくださいます。そして,わたしたちが困難の中にあるとき,救い主はこれらの経験を思い出させてくださるのです。

自分の人生について考えてみてください。長年の間,わたしは世界中の末日聖徒から何千もの非常に霊的な経験を聞いてきました。それらによって,神がわたしたち一人一人を御存じで愛しておられ,わたしたちに御自身を現されることを切に望んでおられるのを,疑いようもなく確信しました。これらの経験は人生の重要な時期,あるいは一見平凡な出来事の中に訪れるかもしれませんが,それらは神の愛に関するきわめて強い霊的な確認を必ず伴います。

人生にとって霊的に重要な経験を思い出すことによって,わたしたちはひざまずき,預言者ジョセフのようにこう宣言することでしょう。「わたしが受けたものは天からのものだった。わたしはそれを知っている。そして,わたしがそれを知っていることを神が御存じであるのを,わたしは知っている。」
4つの例
皆さん自身の人生にとって霊的に重要な記憶を振り返ってみてください。その間,ほかの人の例を幾つか紹介したいと思います。



何年も前に,心臓の二つの弁に障がいのある年配のステーク祝福師が,当時医師だったラッセル・M・ネルソン先生に手術を行ってほしいと懇願しました。しかし,当時,障がいのある二つ目の弁を外科的に治療する方法はありませんでした。ネルソン先生は最終的に手術を行うことに同意しました。ネルソン大管長の言葉は次のとおりです。

「一つ目の弁の狭窄を取り除いてから,二つ目の弁を調べました。弁膜自体に傷はありませんが,拡張して正常に機能していませんでした。よく調べているうちに,一つのメッセージが心にはっきりと聞こえてきました。『リングを縮小しなさい。』わたしはそのメッセージを助手に伝えました。『もしリングをうまく縮小して正常な大きさにできれば,弁膜組織は十分残ります。』

でも,どうすればいいのでしょう。……鮮明なイメージが心に浮かび上がってきて,どのように縫い合わせればよいのか,プリーツやタックをどこにつければよいのか……が分かったのです。そのとき心に浮かんだイメージを今でも思い出すことができます。どこを縫い合わせるべきかを示す点線まで完全に覚えています。手術は心に描いたとおりに終了しました。弁の調子を試してみましたが,血液の漏れは驚くほど減少していました。助手は言いました。『奇跡です。』」その祝福師は何年も生き長らえました。

ネルソン先生は導かれました。そして,自分が導かれていると知っていることを神が御存じであると,知っていたのです。



キャシーとわたしがフランスでベアトリス・マグレに会ったのは30年前のことでした。ベアトリスは最近,10代でバプテスマを受けて間もないころに自分の霊的な生活に影響を与えた経験について話してくれました。彼女はこう話しました。

「わたしのワードの青少年は指導者とともに,ボルドーから1時間半のラカノー海岸に行きました。

家に帰る前,指導者の一人が最後にもう1回泳ごうと,眼鏡をかけたまま波の中へ飛び込みました。浮き上がって来たとき,眼鏡がなくなっていました。海の中に落としてしまったのです。

眼鏡がなければ彼は運転することができませんでした。家から遠く離れた場所に取り残されてしまいます。

信仰にあふれる姉妹が祈ることを提案しました。

わたしは祈っても何の役にも立たないとつぶやき,気は進みませんでしたが,グループに加わり,濁った海水に腰までつかりながら公共の場で祈りました。

祈り終えたとき,わたしは皆に水をかけようと腕を伸ばしました。水面上で手を走らせていたとき,眼鏡が手の中に収まりました。神が実際に祈りを聞き,こたえてくださるのだという力強い思いが心を貫きました。」

45年たった後も,彼女はそれを昨日のことのように思い出しました。ベアトリスは祝福されました。そして,自分が祝福されたと知っていることを神が御存じであると知ったのです。

ネルソン大管長とマグレ姉妹の経験はまったく異なるものですが,二人とも神の愛に関する,人生にとって霊的に重要な忘れ難い記憶が胸に刻まれたのです。

人生にとって重要なこれらの出来事は,回復された福音を学んだり,福音をほかの人と分かち合ったりするときに起こります。



この写真は2004年にブラジルのサンパウロで撮られたものです。ブラジル・イパチンガステークのフロリぺス・ルチア・ダマシオは114歳でした。ダマシオ姉妹は自らの改宗について話す中で,自分の村にいた宣教師が重病の子供に神権の祝福を授け,奇跡的に快復したという話をしてくれました。彼女はもっと知りたいと思いました。宣教師のメッセージについて祈り,御霊による否定しようのない証によって,ジョセフ・スミスが神の預言者であることを確信しました。彼女は103歳のときにバプテスマを受け,104歳のときにエンダウメントを受けました。

その後,彼女は毎年バスで14時間かけて移動し,神殿で1週間を過ごしました。ダマシオ姉妹は天からの確認を受けました。そして,その証が真実であることを自分が知っているということを神が御存じであると,知っていました。

48年前にわたしがフランスで初めて伝道に出たときの霊的な記憶を紹介したいと思います。

戸別訪問をしていたとき,ある年配の女性にモルモン書を渡しました。約1週間後に女性のアパートを再び訪れたとき,彼女はドアを開けました。彼女が口を開く前から,はっきりとした霊的な力を感じました。アリス・オデュベール夫人がわたしたちを迎え入れ,モルモン書を読んでそれが真実だと分かったと言ったときにも,その非常に強い気持ちは続いていました。その日,彼女のアパートを出たとき,わたしはこう祈りました。「天のお父様,わたしが先程感じた気持ちを忘れることのないように助けてください。」それを忘れることはありませんでした。



一見平凡な場面で,ほかの何百ものドアと同じようなドアの前でわたしは天の力を感じました。そして,天の窓が開いたことを自分が知っているということを神が御存じであると知っていました。
一人一人異なる,否定しがたい経験
人生にとって霊的に重要な瞬間は,わたしたち一人一人に合わせて様々な時に様々な方法で訪れます。

聖文の中で自分が好きな例について考えてみてください。使徒ペテロの話を聞いていた人々は「強く心を刺され」ました。レーマン人の女性エービシは「父の驚くべき示現」を信じました。エノスの思いに語りかける声がありました。

わたしの友人であるクレイトン・クリステンセンは,よく祈りながらモルモン書を読んでいたときの経験についてこう記しています。「麗しく,温かく,愛にあふれた御霊が……わたしを取り囲み,心を貫き,想像もしなかったような愛の気持ちで包んでくださいました。〔そして,そのような気持ちを毎晩感じました。〕」

時に,霊的な気持ちは火のように心の中にともり,思いを照らします。ジョセフ・スミスは,わたしたちに時々「突然様々な考えがわいてくる」ことや,時折「純粋な英知が流れ込んで」くることがあると説明しています。

ダリン・H・オークス管長は,今までそのような経験をしたことがないと主張する誠実な男性に答えて次のように勧告しました。「恐らくあなたの祈りは何度もこたえられていますが,偉大なしるしや大きな声を期待しているがために,答えが得られていないと思っているのです。」救い主は,「火と聖霊に〔よって祝福されたが,〕……それを知らなかった」,大いなる信仰を持つ人々について自ら語られました。
あなたは主の声をどのように聞くことができますか
ラッセル・M・ネルソン大管長は最近,このように述べました。「次の重要な質問を深くまた頻繁に考えてください。あなたは主の声をどのように聞くことができますか?また,より鮮明で頻繁に主の声を聞くために行動してください。」大管長は今朝,その招きを繰り返しました。

わたしたちは,祈りや家庭,聖文,賛美歌の中で,また,ふさわしい状態で聖餐を受けるときや自分の信仰を宣言するとき,周りの人に仕えるとき,信者の仲間とともに神殿に参入するときに主の声を聞きます。人生にとって霊的に重要な瞬間は,よく祈りながら総大会の話を聞くとき,また,戒めをよりよく守るときに訪れます。そして子供の皆さん,このような経験は皆さんのためのものでもあります。イエスが「子供たちを……教え導き,……子供たちは大いなる驚くべきことを……語った」ことを思い出してください。主は言われました。

「〔この知識〕は,わたしの御霊によってあなたがたに与えられている……。わたしの力によらなければ,あなたがたは〔これ〕を得ることはできない。
そのために,あなたがたは,わたしの声を聞いたこと,そしてわたしの言葉を知っていることを証できるのである。」

救い主の比類のない贖いの祝福のおかげで,わたしたちは「主の声を聞く」ことができるのです。

人生にとって重要な瞬間が訪れる時期を自分で選ぶことはできませんが,それに備えることについてヘンリー・B・アイリング管長は次のように助言しています。「今晩と明日の晩,皆さんは祈り,深く考えながら,次の質問を自分に問いかけるかもしれません。『神はわたし個人に向けてメッセージを送られただろうか。自分自身や〔家族〕の生活に神の御手を見ただろうか。』」信仰,従順,謙遜,誠意によって天の窓は開かれます。
思い描く










自分の霊的な記憶について次のように考えるといいでしょう。常に祈ることや聖約を守る決意をすること,そして聖霊の賜物によって,わたしたちは人生という旅路を歩みます。個人的な困難や疑い,落胆がその道を暗くするとき,あるいは自分ではどうすることもできない世の中の状況によって将来に不安を抱くようになったとき,命の書に記された人生にとって霊的に重要な記憶は,まるで光る石のように道のりを照らし,神がわたしたちを御存じで愛しておられ,みもとに戻ることができるように御子イエス・キリストを遣わされたことを確信させてくれます。また,だれかが人生にとって重要な記憶を顧みず,道に迷い,混乱しているとき,わたしたちは自分の信仰と記憶を分かち合うことによって彼らの心を救い主に向け,かつて大切にしていた貴重な霊的な瞬間を思い出すのを助けます。

経験の中には,とても神聖なためにそれらを霊的な記憶の中にしまい,分かち合うことをしないものもあります。

「天使は聖霊の力で語る。 したがって,天使はキリストの言葉を語る。」

「また天使たちも人の子らに働きかけることをやめてはいない。
見よ,天使はキリストに従っており,深い信仰と確固とした心をもって,あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し,キリストの命じられる……とおりに教え導いている。」

そして,「助け主,すなわち,……聖霊は,あなたがたにすべてのことを教え,……ことごとく思い起させるであろう。」

神聖な記憶を大切にしてください。それらを信じ,書き留め,家族と分かち合ってください。それらが天の御父とその愛する御子によってもたらされると信じてください。疑いの中に忍耐が,困難の中に理解がもたらされるようにしてください。人生において霊的に重要な出来事を大事に心にとどめておくならば,そのような出来事がさらにもたらされることを約束します。天の御父は皆さんを御存じで愛しておられます。

イエスはキリストであり,主の福音は回復され,忠実であるならば,わたしたちは永遠に主のものとなると証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

(このお話しは、2021年4月末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会から、ご紹介しています。)




日曜学校 教義と聖約 94:1-9

2021-08-29 09:04:54 | 日記
末日​聖徒​イエス・​キリスト​教会​の
教義と聖約​
THE
DOCTRINE AND COVENANTS
OF THE CHURCH OF JESUS CHRIST OF LATTER-DAY SAINTS
94章
CHAPTER 94

千八百三十三​ねん​五がつむい、オハイオ​しゅう​カートランド​に​おいて、げんしゃ​ジョセフ・​スミス​を​とおして​あたえられた​けい(『きょうかいれき』​だい一​かん、三百四十六―三百四十七​ページ)。ハイラム・​スミス、レイノルズ・​カフーン、および​ジェレド・​カーター​が、きょうかい建築けんちくいんかい​として​にんめい​される。
Revelation given through Joseph Smith the Prophet, at Kirtland, Ohio, May 6, 1833. HC 1: 346–347. Hyrum Smith, Reynolds Cahoon, and Jared Carter are appointed as a Church building committee.

1​-​9​だいかんちょうかい​の​つとめ​の​ため​に​いえ​を​てる​こと​に​ついて​の​いましめ​が​あたえられる。10​-​12​いんさつじょ​を​て​なければ​ならない。13​-​17​いくつ​か​の​ぎ​が​てられる。
1–9, A commandment relative to the erection of a house for the work of the Presidency; 10–12, A printing house is to be built; 13–17, Certain inheritances are assigned.

1 さらにまた、まことに、わたしはともであるあなたがたにう。わたしは一つのいましめをあなたがたにあたえる。あなたがたはこのカートランドので、わたしのいえからはじめて、シオンのステークのまちはじまりともといえてじゅんするごとかいしなければならない。
1 And again, verily I say unto you, my friends, a commandment I give unto you, that ye shall commence a work of laying out and preparing a beginning and foundation of the city of the stake of Zion, here in the land of Kirtland, beginning at my house.

2 よ、それは、わたしがあなたがたにあたえたかたしたがっておこなわなければならない。
2 And behold, it must be done according to the pattern which I have given unto you.

3 みなみがわだい一のしきをわたしにほうけんして、だいかんちょうかいのために、またけいけるというだいかんちょうかいつとめのために、またきょうかいおうこくかんするすべてのことにおけるだいかんちょうかいほうわざのために、一つのいえてるようにしなさい。
3 And let the first lot on the south be consecrated unto me for the building of a house for the presidency, for the work of the presidency, in obtaining revelations; and for the work of the ministry of the presidency, in all things pertaining to the church and kingdom.

4 まことに、わたしはあなたがたにう。それは、ないはば五十五フィート、おくゆき六十五フィートとなるようにてなければならない。
4 Verily I say unto you, that it shall be built fifty-five by sixty-five feet in the width thereof and in the length thereof, in the inner court.

5 また、こののちあなたがたにあたえられるかたしたがって、したうえもうけなければならない。
5 And there shall be a lower court and a higher court, according to the pattern which shall be given unto you hereafter.

6 また、こののちあなたがたにあたえられるかたしたがい、しんけん方式ほうしきにのっとって、それをそのだいからしゅほうけんしなければならない。
6 And it shall be dedicated unto the Lord from the foundation thereof, according to the order of the priesthood, according to the pattern which shall be given unto you hereafter.

7 だいかんちょうかいつとめのために、それをことごとくしゅほうけんしなければならない。
7 And it shall be wholly dedicated unto the Lord for the work of the presidency.

8 また、あなたがたは、なんであろうときよくないものがそこにはいるのをゆるしてはならない。そうすれば、わたしのえいこうはそこにあり、わたしはそこにいる。
8 And ye shall not suffer any unclean thing to come in unto it; and my glory shall be there, and my presence shall be there.

9 しかし、もしもなんであろうときよくないものがそこにはいるならば、わたしのえいこうはそこになく、わたしはそこにることはない。
9 But if there shall come into it any unclean thing, my glory shall not be there; and my presence shall not come into it.

適切な服装を

2021-08-28 05:05:50 | 日記
信仰をもって歳を重ねる

適切な服装を
ローリー・カーター
筆者はアメリカ合衆国カリフォルニア州在住です。
今度は,わたしたちが母に適切な服装をさせる務めを果たす時でした。



ごく幼いころから,母はありとあらゆる場面で,わたしたちが適切な服装をするよう心を配っていました。

5人の娘がいましたから,これはなかなか大変なことでした。

スカートでなければならないときにズボンをはいていれば,母に着替えるよう言われました。

姉妹の一人が,どんなに寒くてもコートで隠してしまいたくないと思うような,かわいらしい新しい服を着ていたときにも,母は全員コートを着るようにと言って譲りませんでした。

母は自分自身も常に適切な服装をし,わたしたちにもそうさせていました。

母はその生涯をかけて,わたしたち一人一人に服の選び方だけでなく,生き方も教えてくれました。

母は福音の喜びについての考えや,神殿の大切さについての証を分かち合ってくれました。

自分の望みは,神殿の儀式が永遠の幸福に及ぼす影響をわたしたち一人一人が理解することだと,母ははっきりと言っていました。

やがて,わたしたちが集まって埋葬のために母に衣服を着せなければならない日が来ました。

母は,時間が許すかぎりすべてのことをわたしたちに教えた後,この世を離れて次の世へ行きました。

これはわたしたちにとって,母への深い愛,母がわたしたちの心に植え付けてくれた原則への感謝の気持ちを示す機会でした。

今度は,わたしたちが母に適切な服装をさせる務めを果たす時でした。


埋葬のための衣服を着せる部屋に入ったとき,母の遺体はそこに形だけがあるように見えました。

母の霊のぬくもりは消え去り,死の冷たさに取って代わられていました。

娘たちと孫娘の何人かで母を囲みながら,わたしたちはこの偉大な女性の人生に敬意を表しました。

そして最後にもう一度,母がわたしたちの人生における祝福であったことへの感謝を伝えたいと思いました。

母の娘は今では6人になっていました。

リア,ヘザー,ゲイリーン,ローリー,メリンダ,そして義理の娘のエイドリアンです。

わたしたち6人が,母を囲んで小さな輪を作りました。

次に,わたしたちの娘たちが,その周りに二つ目の輪を作りました。

この二つの輪は,母の人生が生み出した愛の波紋を思わせました。

母の影響力と母の子孫たちの義にかなった選択により,神殿の聖約の祝福は世代を超えて波及し,神権の聖約の祝福はどこまでも広がっていくでしょう。


娘たちの手によって埋葬の準備が行われました。

わたしたちは母の冷え切った体を,暖かな神殿のローブで丁寧に覆いました。

一つ一つのリボンを注意深く結び,上履きを履かせ,衣服がすべて正しく着せられた状態になるよう努力を払いました。

仕上げは,最後のリボンを結ぶことでした。

できるかぎりきれいに結ぶよう気をつけながら,わたしたち一人一人の心の中に,ある思い出がよみがえってきました。

わたしたちがそれぞれ初めて神殿に入ったとき,母もわたしたちのために,仕上げのリボンを結んでくれました。

もうこれで最後となる母のリボンを結びながら,わたしたちはいわばこのとき,永遠の感謝の気持ちとともに,神殿の祝福という贈り物を母にお返ししていたのです。

母を見ているわたしたちそれぞれの心が,温かい気持ちで満たされました。

もはや母は死の冷たさに包まれてはいませんでした。

母はとても美しく見えました。

天にいる母の姿が容易に想像できました。

母はそこで,天の御父のもとに帰りたいと強く願いながら,愛する人たちに囲まれていました。


部屋を出るとき,わたしの心にふと,自分はもう母の世話をすることができる人生の時期を生き切ったのだという思いが浮かびました。

母は最後まで堪え忍びました。

母は忠実に年齢を重ね,自らの模範によって子孫に祝福をもたらしてきました。

わたしは,自分も母に倣い,いつか娘や孫娘たちに同じような受け継ぎを残せることを願い,祈りました。

(2021年7月号リアホナ 末日聖徒イエス・キリスト教会機関誌から)



子供たちを光と真理の中で育てる

2021-08-26 10:15:24 | 日記
第16章
子供たちを光と真理の中で育てる
「教会の子供たちを教えること関して,第一の責任は家庭にあります。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は父親のジョセフ・F・スミス大管長について,「わたしがこの世で知っているほかのだれよりも信頼してきた人」だと述べている。そして次のように回想している。「〔父はよく家族を集めて〕子供たちに福音の原則を教えてくれました。子供たちは皆,父と一緒にいられることを喜び,……父から助言と教えを受けられることに感謝しました。……教わったことは決して忘れることなく,心に刻まれたことはずっと残っていて,これからも永遠に消えることはないでしょう。」また次のように述べている。「父ほど心の優しい人をわたしは知りません。……わたしの最も大切な思い出は,父の傍らで福音の原則について語り合い,父にしかできない教え方で教えてもらいながら過ごした時間です。こうしてわたし自身の知識の土台が真理のうちに据えられました。そのおかげで,わたしもあがな い主が生きておられて,ジョセフ・スミスが現在も,過去にも,そしてこれからも常に,生ける神の預言者であると知っていると言うことができるのです。」
ジョセフ・フィールディング・スミスはまた,母親のジュリナ・L・スミスとその教えについても愛情を込めて語っている。スミス大管長は次のように述べている。「わたしは母のひざの上で,預言者ジョセフ・スミスを愛し,贖い主を愛するように教えられました。……わたしは自分が受けた教育に感謝していますし,父から受けた助言に従おうと努力してきました。しかし,すべて父のおかげだとするべきではありません。母のおかげである部分が非常に大きいと思います。幼いころ,わたしは母のひざの傍らに座って,母が開拓者の物語を話してくれるのを聞きました。……母はわたしに理解できる事柄を教えてくれ,字が読める年齢になってからは,本を与えてくれました。祈るように,〔また〕聖約と義務に心から忠実であるように,執事としての,教師としての,……そして後に祭司としての義務を果たすように教えてくれました。……母はわたしが本を読むように,読書が好きになるように配慮してくれました。」
父親になったとき,ジョセフ・フィールディング・スミスは自分の両親の模範にならった。娘のアメリアは次のように述べている。

「父は実にすばらしい研究家であり,教師でした。自分の持つ膨大な知識の中からわたしたちに教えてくれただけでなく,自力で学ぶように促してくれました。……

子供たちについて,父は教義と聖約第93章40節にある勧告に従いました。『しかし,わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じた。

朝の食卓で,父は聖典の物語を話しながらわたしたちを教えてくれました。以前に何度も聞いた物語であるにもかかわらず,父が話すと,どれも初めて聞くかのような興奮を覚えるのでした。パロの兵士たちはベニヤミンの食糧の袋の中に金の杯さかずきを見つけるのだろうかとはらはらしたあの緊張感は,今も当時のままよみがえってきます。わたしたちはジョセフ・スミスが金の版を見つけたことや,御父と御子の訪れを受けたことについて学びました。父にわたしたちと一緒に学校まで歩いて行く時間があれば,物語は続きました。学校に行く途中,〔ソルトレーク〕神殿の前を通ったとき,父は天使モロナイについて話してくれました。神殿は非常に特別な場所であって,神殿に入るためには善い人でなければならず,神殿で結婚するときにその結婚は永遠であると教えてくれました。朝食の前に,そして再び夕食の時間に,いすの横にひざまずいて家族の祈りをささげるとき,父は自分が祈り求める事柄を通してわたしたちを教えてくれました。……今日こんにち ,父の教えはその子孫だけでなく,無数の忠実な教会員を高め,支えています。父の娘であることは,何とすばらしい特権および祝福となってきたことでしょう。」
ジョセフ・フィールディング・スミスの教え
1
サタンの影響力に立ち向かうために,両親は子供たちを光と真理の中で育てなければならない
家族が一つになることの大切さ,家族の中で互いに愛し合い,思いやりを持つことの大切さは,いくら強調しても強調しすぎることはありません。家族関係における霊的な結束は堅固な土台であり,その上に教会と社会そのものが繁栄していくのです。サタンはこの事実をよく知り,認識していて,この永遠の制度を弱体化し,破壊しようと,自分に操れるあらゆる巧妙な策略や影響力や力をかつてなかったほどに用いています。家族関係においてイエス・キリストの福音を実践することによってのみ,この邪悪な破壊力を阻止することができるでしょう。
実際に迫っている対処すべき大きな危険はたくさんありますが,わたしたちがほかの何よりも心配している危険は,子供たちに関係するものです。そして唯一,実際の守りと十分な防御を提供できるのは,家庭とその影響力だけなのです。
子供たちに善悪を見分けることを教えなければなりません。そうでないと,いろいろな点でなぜ隣人のしていることをしてはいけないのか理解することができないでしょう。教会の教義を教えないと,仲間が何の制約も受けずむしろ勧められて,主の聖日に主から禁じられたことをするのを見て,なぜ日曜日の音楽会,演劇,映画,球技,そのほかのものを楽しんではいけないのか恐らく理解できないでしょう。両親は子供を正しく教える責任を負っています。子供が主イエス・キリストの福音の原則に添わないで成長するようなことがあれば,主はその両親を罪ありとされるでしょう。
子供たちを光と真理の中で育てるようにと,主はわたしたち全員に命じておられます。この精神が存在する所では,不調和や不従順が見られることも,神聖な義務がなおざりにされることもないでしょうし,そうしたことは起こり得ません。
2
子供たちを教える主要な責任は両親にある
御父はこの世に生まれた子供たちに対する御自分の権利を決して放棄しておられません。彼らは依然として御父の子供たちです。御父は御自分の子供たちを,光と真理の中で育てるようにという勧告とともにこの世の両親の手にゆだねておられます。子供たちを光と真理の中で教える主要かつ基本的な責任は両親にあるのです。
教会の子供たちを教えることに関して,第一の責任は家庭にあります。子供たちを光と真理の中で育てるのは両親の責任であり,その務めを怠るとき,両親は裁きの座の前に立って弁明することになると主は宣言しておられます。
1831年に教会の人々に与えられた啓示の中で,主は次のように述べておられます。
さらにまた,シオンにおいて,または組織されているそのいずれかのステークにおいて,子供を持つ両親がいて,八歳のときに,悔い改め,生ける神の子キリストを信じる信仰,およびバプテスマと按手あんしゅによる聖霊の賜物たまもの の教義を理解するように彼らを教えなければ,罪はその両親の頭にある。

これが,シオン,または組織されているそのいずれかのステークに住む者への律法である。」〔教義と聖約68:25-26〕

……主はこのことをわたしたちに求めておられます。
もし模範と訓戒によって子供たちを教えていなければ,両親は子供たちの行いに対して責任を負うことになるでしょう。

もし模範と訓戒によって子供たちを正しく教えようと自分の力の及ぶかぎりを尽くし,それでも子供たちが道からそれてしまうならば,両親は責任を問われることがなく,罪は子供たちの上にあるでしょう。
3
教会は子供たちを教える両親の取り組みを支援する
救いにつながる事柄を行う第一の責任は各個人にあります。わたしたちは皆,現世での試しを経験するために地上に置かれています。わたしたちがここにいるのは,戒めを守り,世に打ち勝つかどうかを見るためであり,自分の行えることをすべて自力で行わなければなりません。

わたしたちの救いに対して次に責任があるのは家族です。両親は子供たちの光となり,導き手となるように定められており,福音を教え,正しい模範を示しながら,子供たちを光と真理の中で育てるように命じられています。子供たちは両親に従い,両親を敬い,尊ぶように求められています。

教会とその諸機関は,実質的に,家族と個人を支援する奉仕の組織です。



愛する兄弟姉妹,夫と妻の皆さん,父親と母親の皆さんにお願いします。教会が提供するあらゆる機会を利用して皆さんの子供に教えを受けさせてください。主の啓示によって子供たちのために用意されている様々な組織,すなわち初等協会や日曜学校,相互発達協会〔若い男性と若い女性〕,ビショップリックの指示の下にある小神権の定員会で,子供たちに学ばせてください。……

……わたしたちは教会全体で,この機会を持つことが可能なあらゆる場所において,セミナリーとインスティテュートを開催しています。……兄弟姉妹,皆さんの子供たちをこれらのセミナリーに行かせてください。大学に行く人たちは,青少年のときに適切な教育を受けるならば,教会のインスティテュートに出席できる年齢になります。
4
子供たちがイエス・キリストの福音を理解して実践するように,両親は行えることをすべて行って助けなければならない
各自の持つ個人的なあかし が末日聖徒イエス・キリスト教会の強さであり,それは今後も常に変わらないでしょう。証をはぐくむ最良の環境は家庭です。……証を得て,保つように家族で取り組む必要があります。どのようなことでも,家族のだれかの証を強めるのに役立つであろうことを怠ってはなりません。
〔子供たちを〕この世の罪と悪からできるかぎり保護し,彼らが惑わされて真理と義の道からそれることのないようにしなければなりません。
子供たちがイエス・キリストの福音についての知識を身に付けて成長するように,皆さんにできるあらゆる方法で助けてください。祈るように教えてください。知恵の言葉を守るように,主の前に忠実にへりくだって歩むように教えてください。そうすることで,子供たちが大人になるときに,皆さんの行ったことに対して彼らが感謝できるようにしてください。イエス・キリストの福音の中で自分を世話し,教育してくれた両親に対する感謝の心と愛をもって,人生を振り返ることができるようにしてください。
義にかなった模範を示す
両親は自身の生活において義人としての模範を示し,子供たちを集めて家庭の夕べやその他の機会に福音を教えてください。
両親は子供たちにこうなってほしいと望むような人物であるように努めなければならず,少なくともそうなるように最善を尽くす必要があります。自分がそうでないことについて,模範となることはできません。
訓戒によって教えることはもちろん,模範によっても教えなければなりません。子供とともにひざまずいて祈り,低くへりくだって救い主イエス・キリストの使命を教えるべきです。子供たちに道を示さなければなりません。息子に道を示す父親は,「さあ日曜学校に行きなさい」「ミューチャルに行きなさい」あるいは「神権会に行きなさい」とは言わず,「さあ,お父さんと一緒に行こう」と言って,模範によって教えるでしょう。
幼いときから子供を教え始める
だれであっても主に仕え始めるのに早すぎることはありません。……若い人々は両親の教えに従います。生まれたときから義のうちに教えを受ける子供は,きっと義を追い求めることでしょう。良い習慣を容易に身に付け,容易に行うことができます。
家庭には,神に対する祈りと信仰,愛,従順がなければなりません。子供にイエス・キリストの福音の救いの原則を教えることは,親の義務です。親がその義務を果たすとき,子供はバプテスマを受ける理由を学び,バプテスマを受けた後も神の戒めを守り続けようという望みを胸に抱き,やがては神のみもとへ帰ることができるのです。兄弟姉妹の皆さん,家族と,子供たちとともに住みたいと思いませんか。先祖に結び固められたいと思いませんか。もし許されて,神の日の栄えの王国に入るとき,この家族が一人も欠けずにいてほしいと思いませんか。もしそう思うなら,ゆりかごの傍らから教えることを始めなければなりません。
子供に祈るように教える
祈りの精神のない家庭とは何でしょうか。それは末日聖徒の家庭ではありません。わたしたちは祈らなければなりません。家族で輪になってひざまずき,主の祝福に感謝しない朝があってはなりません。主の祝福に感謝し,主の導きを求めるのです。そして夜にも必ず,床に就く前に再び家族で集まって,主の守りに感謝し,日々の生活において主の導きを求めなければなりません。
皆さんが家庭で子供たちに祈るように教えていますように。朝晩,家族の祈りを行っていますように。とても貴く,神聖で,神の王国におけるわたしたちの救いにとって非常に大きな意味を持つ戒めに従うよう,皆さんの子供たちが模範と訓戒によって教えを受けていますように。
子供に聖文に触れさせる
世界中のどの家庭にも聖書があるべきです。どの家庭にもモルモン書があるべきです。わたしは末日聖徒の家庭について申し上げています。どの家庭にも,教義と聖約と高価な真珠があるべきです。これらの書物を本棚や戸棚にしまっておかないでください。すぐに手の届く所に開いておき,家族の人たちが手に取って,腰を下ろして読み,福音の原則を自分で研究できるようにしてください。
家庭の夕べを行う
愛と一体感にあふれた家庭で育ち,家庭の夕べに参加してきた子供は,善良な市民となり,教会に活発に参加するための堅固な土台を築きます。両親が子供たちに残せる遺産として,幸福で一致した愛にあふれる家庭の思い出と祝福以上に大いなるものはありません。

よく計画された家庭の夕べは,いつまでも続く喜びと影響力の源となります。これらの夕べは,一緒に活動し,計画し,愛を表し,あかしを述べ,福音の原則を学び,娯楽を楽しみ,そして何よりも,家族の一致と結束を強める時間です。

忠実に家庭の夕べを行い,可能なかぎりの方法によって家族の一致を築く父親と母親は,あらゆる責任の中で最も大いなるもの,すなわち親としての務めを立派に果たしています。
家族を導いて家庭の夕べを行う父親は,神の王国において何にもまして優れた指導力を発揮していることになります。そのような経験が家庭生活の一部となるとき,一致と家族の人たちへの敬意がはぐくまれ,その影響を通して一人一人がますます義にかなった者となり,幸福になります。
このプログラム〔家庭の夕べ〕が与えてくれる大きな助けをないがしろにする両親は,子供たちの将来を危険にさらしています。
徳と純潔と道徳を教える
子供たちに徳と純潔を教えなければなりません。子供たちが幼いうちから教えてください。そしてこの世の至る所に存在している落とし穴と危険について知らせてください。
わたしたちは至る所に住むすべての若人の霊的,道徳的な幸福に大きな関心を抱いています。道徳,純潔,高潔,罪からの解放,これらは生き方の基盤です。もし,人生のあらゆる目的を達成しようとするのであれば,これらを基盤とすべきです。

わたしたちは父親と母親の皆さんが訓戒と模範によって個人の清さを教え,そうした事柄のすべてについて子供たちと話し合うようにと心から願っています。……

わたしたちは教会の若人を信頼しており,彼らが世の流行や慣習に従わず,反抗心を持たず,真理と徳の道を捨てないように心から願います。わたしたちは彼らの本質的な善良さを信じており,彼らが義の柱となって,信仰を増し加えながらますます効果的に教会の業を推し進めることを期待しています。
子供が真理の証人となり,伝道に出るように備える
わたしたちの教会の若人は,御父の子供たちの中で最も祝福され,恵まれた人々です。彼らは天の高貴な者たち,神聖な行く末を持つ特別に選ばれた世代です。彼らの霊は,福音がこの地上にある時代,すなわち主が末日の大いなる業を推し進めるために雄々しい僕しもべを必要とされるこの時代に生を受けるよう,取っておかれたのです。
この大いなる末日の業が真実であり,神の業であることの生ける証人となるように〔子供たちを〕備えなければなりません。特に息子たちについては,御父のほかの子供たちに福音をべ伝えるために伝道に行くのにふさわしい者となり,その資格を得られるようにしなければなりません。
子供が自分自身の永遠の家族を持つ備えをするのを助ける
彼ら〔皆さんの子供たち〕が結婚するとき,主の宮に行きたいという望みを持つように指導しているでしょうか。また,主が彼らのために用意しておられる大いなるエンダウメントを受けたいと思うように教えているでしょうか。彼らが夫婦として結び固められ,日の栄えの王国にかかわるすべての賜物たまものと祝福を受け〔ら〕れることを子供たちの心に刻み付けてきたでしょうか。
〔子供たち〕がふさわしい伴侶はんりょを選び,主の宮で結婚し,それによってわたしたちの話している大いなる祝福のすべてを受け継ぐ者となるように,彼らを導き,指導しなければなりません。
家族が一人も失われることがないようにへりくだって努力しましょう。家族の人たちが主の たまの影響を受けているようにし,彼らが福音の原則について教えを受けて,義と真理の中で育つようにしましょう。……わたしたちに〔子供たち〕が授けられているのは,彼らに生き方や永遠の命について教え,彼らが御父であられる神のもとに戻れるようにするためです。

(以上)


主の御霊がとどまる家庭

2021-08-24 05:10:16 | 日記
主の御霊がとどまる家庭
ヘンリー・B・アイリング管長
大管長会第二顧問
皆さんは家庭を主イエス・キリストへの信仰と愛に満ちあふれた場所にするように努めるとき,最も大きな喜びの幾つかを見いだすことでしょう。
愛する兄弟姉妹の皆さん,末日聖徒イエス・キリスト教会のこの第189回年次総大会で皆さんにお話しできる機会に,心から感謝しています。1830年のこの日,ジョセフ・スミスは主の指示の下で教会を組織しました。それはニューヨーク州フェイエット近郊にあるホイットマー家族の自宅で行われました。その日,そこには6人の会員と,興味を持った50人ほどの人々が集っていました。

その小さな集団の前で,ジョセフ・スミスが何を言ったのか,人々にはどのように映ったのかわたしには分かりませんが,イエス・キリストへの信仰を持つ人々が何を感じたのかは分かります。彼らは聖霊を感じ,自分たちが聖なる場所にいると感じたのです。皆が一致して一つとなっていると確かに感じたことでしょう。

その奇跡のような気持ちこそ,わたしたちが家庭に求めているものであり,パウロが述べた「霊の思い」から来るものです。

今日のわたしの目的は,家庭においてその気持ちをもっと頻繁に,より長い時間感じられるように御霊を招く方法について,わたしが知っていることをお話しすることです。皆さんもそれが容易ではないことは経験から御存じでしょう。争いや高慢,罪を避ける必要があります。家族一人一人が心にキリストの純粋な愛を受ける必要があります。

アダムとエバ,リーハイとサライア,聖典に出て来るほかの両親たちにとっても,それは難しかったことでしょう。それでも,家庭においてこの上ない幸福を保つことができた実例から励ましと勇気を得ることができます。それらの例は,わたしたち自身の家族もそうなれることを示しています。皆さんは第4ニーファイにある記録を覚えていることでしょう。

そして,民の心の中に宿っていた神の愛のために,地の面にはまったく争いがなかった。
また,ねたみや紛争,騒動,みだらな行い,偽り,殺人もなく,どのような好色もなく,神の手によって造られたすべての人の中で,彼ら以上に幸せな民は確かにあり得なかった。
強盗も人殺しもおらず,レーマン人とか何々人とか言われる者もなく,彼らは一つであり,キリストの子であり,神の王国を受け継ぐ者であった。
彼らは何と祝福されていたことか。第百十年が過ぎ去るまで,彼らは祝福されて栄えた。 そして,キリストからの最初の世代の人々が世を去ったが,全地に少しも争いがなかった。」

御存じのように,その幸福な状態は永遠には続きませんでした。第4ニーファイの記録は,善良な人々の中で霊性が下がることによって引き起こされる症状について示しています。これは過去の歴史を通して民族全体や集団の中に,また,悲しいことに,家族の中でも繰り返されてきたパターンです。そのパターンについて学ぶことで,家族内で感じられる愛を守り,増し加える方法を知ることができます。

福音がもたらす完全な平安の中で200年の間生活していた人々が衰退したパターンは次のとおりです。

高慢が入り込む。
所有物を分かち合わなくなる。
階級に分けて人を見るようになる。
イエス・キリストへの信仰が弱まる。
憎しみが芽生える。
あらゆる罪を犯すようになる。

賢明な両親は,これらの症状が自分の家族内に現れると,それに気づきます。そしてもちろん心配します。しかし,根本的な原因は,善良な人々を罪に落とし入れ,聖霊の影響を受けられなくするサタンの影響だと分かります。そして賢明な両親は,「わたしのもとに来なさい」という主の招きをより強い決意で受け入れるように,子供一人一人と自分自身を導く機会として捉えるのです。

例えば,高慢を悔い改めるよう子供に呼びかけても,成果は限られています。子供たちに,自分の物をもっと寛大に分かち合うよう説得できるかもしれません。家族のだれかよりも優れていると思うのをやめるように言うこともできます。しかしそのとき「イエス・キリストへの信仰が弱まり始める」という症状が現れてくるのです。

ここに,家族と自分自身を望ましい霊的な状態に引き上げるよう,家族を導くための鍵があります。イエス・キリストが愛深い救い主であられるという信仰を増すことができるように家族を助けるとき,彼らは悔い改めたいと感じます。そうすると,謙遜が高慢に取って代わります。主が与えてくださったものに気づき始めると,もっと寛大に分かち合いたいと思うようになります。注目や脚光を浴びるために競争する気持ちがなくなっていきます。愛によって,憎しみが消え去ります。そして最終的に,ベニヤミン王によって改心した民に起こったように,善を行おうとする望みが,罪の誘惑に対するとりでになるのです。ベニヤミン王の民は,悪を行う性癖をもう二度と持つことはなかったと証しています。

ですから,イエス・キリストへの信仰を築くことは,あなたの家族と家庭における霊性の低下を逆転させる第一歩なのです。霊性の低下がもたらす症状について説教するよりも,信仰を育む方が悔い改めにつながるのです。

最も効果的なのは,模範によって導くことです。家族やほかの人々は,イエス・キリストと主の福音に対する信仰を強める皆さんの模範を見る必要があります。皆さんには,最近すばらしい助けが与えられました。教会の親たちは,家族と個人のための霊感を受けたプログラムという祝福を受けています。それを使って,主イエス・キリストに対する皆さん自身と子供たちの信仰を築くのです。
信仰を強める
モルモン書をもう一度読むようにというラッセル・M・ネルソン大管長の提案に皆さんが従ったとき,救い主への皆さんの信仰が強まりました。救い主を表す表現や言葉に印を付けて,イエス・キリストへの信仰はいっそう深まりました。しかし,イエス・キリストに対するそのような信仰は,深く考えてよく祈ろうとする決意を継続して,より深めようとしない限り,植物と同様に枯れてしまいます。

今は家族の中に,信仰を強めようとする皆さんの模範に従わない人がいるかもしれませんが,息子アルマの経験から希望を見いだしてください。悔い改めと赦しが必要な苦しみの中で,彼は父親のイエス・キリストへの信仰を思い起こしたのです。皆さんの子供たちは,悔い改めが必要だと切に感じたときに,救い主に対する皆さんの信仰を思い起こすかもしれません。アルマはその瞬間について,こう述べています。

そして苦痛に責めさいなまれていたときに,わたしは自分の多くの罪を思い出してひどく苦しみながら,見よ,かつて父がイエス・キリストという御方の来臨について民に預言するのを聞いたことを思い出した。イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖うために来られるというのである。
心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお,神の御子イエスよ,苦汁の中におり,永遠の死の鎖に縛られているわたしを憐れんでください』と叫んだ。
さて見よ,このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。まことに,わたしは二度と罪を思い出して苦しむことがなくなった。
愛をもって祈る
皆さんの信仰を育む模範に加えて,家庭を神聖な場所とするために不可欠なのが家族の祈りです。通常,家族の一人が代表して祈ります。祈りが,そこでひざまずいて一緒に聞いている家族のために神へ向けられるときに,皆の信仰が強められます。彼らは天の御父と救い主への愛を感じることができます。祈る人が,祈りの輪の中にいる,助けを必要としている家族について述べるとき,全員が互いへの愛を感じることができます。

家族のだれかが,一緒に住んでいなくても,祈りによって愛のきずなが生まれます。家族の祈りは,世界の果てまで届くのです。遠く離れている家族が,わたしと同じことを同じ時間に祈っていたという経験が一度ならずありました。わたしにとって「ともに祈る家族はいつまでも離れない」という古いことわざは次のように拡張できると思います。「ともに祈る家族は,遠く離れていても,いつも一緒にいる。
すぐに悔い改めるように教える
わたしたちは,だれもが不完全で傷つきやすいので,すぐに心から悔い改めるのであれば,家庭は神聖な場所となります。親が模範を示すことができます。とげとげしい言葉や不親切な思いは,すぐに心から悔い改めることができます。「ごめんなさい」と言うだけで,傷を癒し,赦しと愛がもたらされるのです。

悪意のある攻撃や裏切り,家族の中での意見の相違に対する預言者ジョセフ・スミスの対応は,わたしたちの模範です。彼は,再び攻撃してくると分かっていた相手でさえ,すぐに赦しました。相手が赦しを求めれば,ジョセフは惜しみなく赦したのです。
伝道の精神を養う
モーサヤの息子たちは,福音をすべての人々に伝えると決意しました。その望みは,彼ら自身が悔い改めた経験から生まれたものです。自らも経験した罪による苦しみをだれかが受けると考えただけでも耐えられなかったのです。そして彼らは自分たちの敵である人々にイエス・キリストの福音を伝えるために,長年にわたり拒絶や苦難,そして危険にさらされました。その過程で,多くの人が悔い改めてイエス・キリストの贖いを通して赦しがもたらす喜びを経験するのを見て,喜びを見いだしました。

わたしたちの家族は,赦しの喜びを感じるとき,福音を分かち合いたいという望みが増すのです。その喜びは,彼らが聖餐を受けて聖約を新たにするときにも感じられます。子供や親たちが,聖餐会で赦しのもたらす喜びを感じるとき,彼らの家庭における伝道の精神が養われます。彼らの敬虔さの模範を通して,親も子供たちも喜びを感じるように助け合うことができます。その喜びがわたしたちの家庭を宣教師訓練センターにするのです。すべての子供が伝道に出るわけではないとしても,赦しと平安をもたらす福音を分かち合いたいという望みを全員が持つことでしょう。現在専任宣教師として奉仕しているかどうかにかかわらず,すべての人が福音を伝える喜びを感じることができるのです。
神殿に参入する
親と子供にとって,神殿は神のみもとへの愛を感じ,培う最適の場となります。子供たちが幼いときには特にそうです。子供はキリストの光を伴って生まれてきます。赤ん坊でさえ,神殿が神聖であると感じることができます。親は自分の幼い子供たちを愛しているので,神殿は彼らにとって,永遠の家族の中で子供たちを永遠に愛することができるという希望の象徴となります。

自宅に神殿の写真を飾っている人もいるでしょう。世界中で神殿が建てられている今,多くの親が家族で神殿を訪問することができるようになりました。神殿が完成したときに行われるオープンハウスに参加できる家族もいるでしょう。子供たちに神殿でどう感じたのか尋ねることもできます。

すべての親は,自分にとって神殿がどのようなものか証を述べることができます。神殿を愛するエズラ・タフト・ベンソン大管長は,母親が神殿衣に丁寧にアイロンを掛けるのを見ていたとしばしば述べています。子供のときに家族が神殿に参入するために出かけるのを見送った思い出についても話しています。

大管長だったとき,彼は毎週決まった曜日に神殿に参入し,いつも先祖のために神殿の儀式を受けていました。ベンソン大管長は両親の模範から大きな影響を受けたのです。
わたしの証
皆さんは家庭を主イエス・キリストへの信仰と,キリストの純粋な愛に満ちあふれた場所にするように努めるとき,最も大きな喜びの幾つかを見いだすことでしょう。福音の回復は,質素な家庭で素朴な疑問から始まりました。そして福音の原則を実践し確立しようと努めるとき,わたしたちの家庭に受け継がれています。これはわたしの少年時代からの希望と大きな望みです。そのような家庭を皆さんも目にしたことがあると思います。皆さんの多くも,主の助けを受けてそのような家庭を築いています。

中には,最善を尽くしても,まだその祝福を得られていない人もいることでしょう。わたしからそのような人への約束は,かつて十二使徒定員会の一人がわたしに与えてくれたものです。わたしは彼に,家族の何人かの選びのために,来世で彼らとともに住むことができないかもしれないと言ったことがあります。わたしの記憶によれば,彼はこう答えました。「あなたは間違った問題について心配しています。自らが日の栄えの王国にふさわしく生活すれば,家族の状況は,あなたの想像以上にすばらしいものになるでしょう。

彼は,自分や家族が永遠の命にふさわしくなるためにこの世で最善を尽くすすべての人々に,喜びに満ちた希望を伝えたかったのだと思います。天の御父の計画は幸福の計画です。御父の計画により,最善を尽くす一人一人が,家族と永遠に結ばれることを証します。

ジョセフ・スミスに回復された神権の鍵が,途切れることなくラッセル・M・ネルソン大管長に引き継がれていることを知っています。それらの鍵によって今日,家族の結び固めができるのです。天の御父は完全な愛で,霊の子供であるわたしたちを愛しておられることを,わたしは知っています。イエス・キリストの贖いのおかげで,わたしたちは悔い改め,清められ,天の御父と御子イエス・キリストと,愛する家族と永遠に住むのにふさわしくなれるのです。イエス・キリストの御名により証します,アーメン。

(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2019年4月の総大会で話されています。)