イエス・キリストの福音をご紹介します。

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私たちが、神の子である証明

2023-01-29 08:41:07 | 日記
ルカ3:
23 イエスが宣教せんきょうをはじめられたのは、としおよそ三十さいときであって、人々ひとびとかんがえによれば、ヨセフのであった。ヨセフはヘリの
24 それから、さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、
26 マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、
28 メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、
31 メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、
36 カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、
37 メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、
38 エノス、セツ、アダム、そしてかみにいたる
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この箇所についての、

1885年3月8日日曜日午後ソルトレーク市タバナクルで述べられたヘンリー W. ハイスビット長老の説教
(ジョン イルバンによって記録されています。)
をご紹介します。
(簡単に訳してみます。)

私たちは、父から子へ、あるいは、子から父への系譜のひとつを辿ることにより、アダムの方へ遡ると、最終的に、アダムは神の子であると言われています。(ルカ3:38)
この論理を、同じように応用すると
アダムの全ての子孫は、生きておられる神の直接の子孫である息子と娘であると考えることができます。
それはまた、救い主についてのイザヤの預言のなかにもまた、見ることができます。
彼は、次のように称えられます。
霊妙れいみょうなる大能たいのうかみ、とこしえのちち平和へいわきみ」(イザヤ9:6)
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この説教の1885年は、明治18年に当たります。


内村鑑三が、アメリカ留学しています。
以下は、長いですが、ウィキペディアから、内村鑑三の人生です。
苦闘の物語です。
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89

マルコ1:15「 時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」

2023-01-28 04:54:53 | 日記
マルコによる福音ふくいんしょ
1章
1 かみイエス・キリストの福音ふくいんのはじめ。
2 預言者よげんしゃイザヤのしょに、「よ、わたしは使つかいをあなたのさきにつかわし、あなたのみちととのえさせるであろう。
3 荒野あらのばわるものこえがする、『しゅみちそなえよ、そのみちすじをまっすぐにせよ』」といてあるように、
4 バプテスマのヨハネが荒野あらのあらわれて、つみのゆるしをさせる悔改くいあらためのバプテスマをつたえていた。
5 そこで、ユダヤ全土ぜんどとエルサレムのぜん住民じゅうみんとが、かれのもとにぞくぞくとって、自分じぶんつみ告白こくはくし、ヨルダンがわでヨハネからバプテスマをけた。
6 このヨハネは、らくだのごろもをにまとい、こしかわおびをしめ、いなごとみつとを食物しょくもつとしていた。
7 かれつたえてった、「わたしよりもちからのあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもをうちもない。
8 わたしはみずでバプテスマをさずけたが、このかたは、聖霊せいれいによってバプテスマをおさずけになるであろう」。
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからてきて、ヨルダンがわで、ヨハネからバプテスマをおけになった。
10 そして、みずなかからがられるとすぐ、てんけて、聖霊せいれいがはとのように自分じぶんくだってるのを、ごらんになった。
11 するとてんからこえがあった、「あなたはわたしのあいする、わたしのこころにかなうものである」。
12 それからすぐに、御霊みたまがイエスを荒野あらのいやった。
13 イエスは四十にちのあいだ荒野あらのにいて、サタンのこころみにあわれた。そしてけものもそこにいたが、御使みつかいたちはイエスにつかえていた。
14 ヨハネがとらえられたのち、イエスはガリラヤにき、かみ福音ふくいんつたえてわれた、
15ときちた、かみくにちかづいた。あらためて福音ふくいんしんぜよ」。
16 さて、イエスはガリラヤのうみべをあるいてかれ、シモンとシモンの兄弟きょうだいアンデレとが、うみあみっているのをごらんになった。かれらは漁師りょうしであった。
17 イエスはかれらにわれた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間にんげんをとる漁師りょうしにしてあげよう」。
18 すると、かれらはすぐにあみてて、イエスにしたがった。
19 またすこすすんでかれると、ゼベダイのヤコブとその兄弟きょうだいヨハネとが、ふねなかあみつくろっているのをごらんになった。
20 そこで、すぐかれらをおまねきになると、ちちゼベダイを雇人やといにんたちと一緒いっしょふねにおいて、イエスのあとについてった。
21 それから、かれらはカペナウムにった。そして安息日あんそくにちにすぐ、イエスは会堂かいどうにはいっておしえられた。
22 人々ひとびとは、そのおしえおどろいた。律法りっぽう学者がくしゃたちのようにではなく、権威けんいあるもののように、おしえられたからである。
23 ちょうどそのとき、けがれたれいにつかれたもの会堂かいどうにいて、さけんでった、
24 「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんのかかわりがあるのです。わたしたちをほろぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。かみ聖者せいじゃです」。
25 イエスはこれをしかって、「だまれ、このひとからけ」とわれた。
26 すると、けがれたれいかれをひきつけさせ、大声おおごえをあげて、そのひとからった。
27 人々ひとびとはみなおどろきのあまり、たがいろんじてった、「これは、いったい何事なにごとか。権威けんいあるあたらしいおしえだ。けがれたれいにさえめいじられると、かれらはしたがうのだ」。
28 こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤのぜん地方ちほう、いたるところにひろまった。
29 それから会堂かいどうるとすぐ、ヤコブとヨハネとをれて、シモンとアンデレとのいえにはいってかれた。
30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病ねつびょうとこについていたので、人々ひとびとはさっそく、そのことをイエスにらせた。
31 イエスは近寄ちかより、そのをとっておこされると、ねつき、おんなかれらをもてなした。
32 夕暮ゆうぐれになりしずむと、人々ひとびと病人びょうにん悪霊あくれいにつかれたものをみな、イエスのところにれてきた。
33 こうして、町中まちじゅうもの戸口とぐちあつまった。
34 イエスは、さまざまのやまいをわずらっているおおくの人々ひとびとをいやし、またおおくの悪霊あくれいされた。また、悪霊あくれいどもに、物言ものいうことをおゆるしにならなかった。かれらがイエスをっていたからである。
35 あさはやく、けるよほどまえに、イエスはきてさびしいところき、そこでいのっておられた。
36 すると、シモンとその仲間なかまとが、あとをってきた。
37 そしてイエスをつけて、「みんなが、あなたをさがしています」とった。
38 イエスはかれらにわれた、「ほかの、附近ふきん町々まちまちにみんなでって、そこでもおしえつたえよう。わたしはこのためにてきたのだから」。
39 そして、ガリラヤぜんめぐりあるいて、しょ会堂かいどうおしえつたえ、また悪霊あくれいされた。
40 ひとりのらい病人びょうにんが、イエスのところにねがいにきて、ひざまずいてった、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
41 イエスはふかくあわれみ、ばしてかれにさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」とわれた。
42 すると、らいびょうただちにって、そのひとはきよくなった。
43 イエスはかれをきびしくいましめて、すぐにそこをらせ、こうかせられた、
44なにひとはなさないように、注意ちゅういしなさい。ただって、自分じぶんのからだを祭司さいしせ、それから、モーセがめいじたものをあなたのきよめのためにささげて、人々ひとびと証明しょうめいしなさい」。
45 しかし、かれって、自分じぶんおこったことをさかんにかたり、またいひろめはじめたので、イエスはもはや表立おもてだってはまちに、はいることができなくなり、そとさびしいところにとどまっておられた。しかし、人々ひとびと方々ほうぼうから、イエスのところにぞくぞくとあつまってきた。