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光の柱と一筋の光 

2024-09-23 07:30:46 | 日記
光の柱と一筋の光 アレクサンダー・デュシュク長老 七十人

わたしたちも一度に一筋ずつ光を受け,自分自身の「光の柱」を経験できるようになります。

圧倒されるような霊的経験がないために自分の証に不安を抱いている方々へ,このお話を通して平安と確信をお届けできれば幸いです。

イエス・キリストの福音の回復は,あふれんばかりの光と真理から始まりました。ニューヨーク州北部に住む,ジョセフ・スミスというごく平凡な名前を持つ10代の少年が,森に入って祈ったのです。神の御前における自分の状態と立場に不安を感じていたジョセフは,罪の赦しを得たいと望んでいました。また,どの教会に加わるべきか分からず,明確な答えと平安,すなわち光と知識を求めていたのです。

ひざまずいて祈り,「心の願いを神に告げ始め」ると,ジョセフは深い闇に取り巻かれました。邪悪で,抑圧的で,実在する何者かに妨害され,舌がしびれて話せなくなりました。闇の力が激しくなり,ジョセフは死ぬかと思うほどでした。しかし,ジョセフは「自分を捕らえたこの敵の力から救い出してくださるようにと,あらんかぎりの力を尽くして神に呼び求め〔まし〕た。」すると,「今にも絶望し,破滅に身を任せようとしたその瞬間」,これ以上耐えられるかどうか分からなくなったとき,あふれんばかりの光が木々の間に輝きわたり,魂の敵と暗闇を追い払ったのです。

そして,太陽よりも明るい「光の柱」が次第に降りてきました。一人の御方が現れ,次に,別の御方が現れます。「筆紙に尽くし難い輝きと栄光」を持つ方々でした。最初に天の御父がジョセフの名を呼び,「別の御方を指して,『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』」と言われます。

あふれんばかりの圧倒的な光と真理により,回復が始まりました。神からの啓示と祝福が,まさに洪水のように押し寄せました。新しい聖文,神権の鍵の回復,使徒と預言者,儀式と聖約が回復され,主のまことの生ける教会が再び確立されたのです。その教会は,イエス・キリストの光と証,回復された主の福音をもって,地を満たすことになります。

そのすべて,そしてそれ以上のものが,一人の少年の命がけの祈りと,光の柱から始まりました。

わたしたちにも,切実に欲しているものがあり,霊的な混乱や世の闇からの解放を求めています。 わたしたちも,自分で知る必要があります。ラッセル・M・ネルソン大管長が「回復の栄光あふれる光に浸」るようにとわたしたちを招いているのはそのためです。

回復の偉大な真理の一つは,天が開かれていること,すなわち,わたしたちも高き所から光と知識を受けられるということです。それが真実であることを証します。

しかし,わたしたちはある種の霊的な罠に注意しなければなりません。時々,忠実な教会員が,あふれんばかりの霊的経験,すなわち自分自身の「光の柱」を経験していないために落胆し,教会から離れてしまうことがあります。スペンサー・W・キンボール大管長は,「目を見張るようなことを期待していると,絶えず与えられている啓示を感知することができなくなります」と警告しています。

ジョセフ・F・スミス大管長は,次のように回想しています。「〔わたしが若いとき〕主はわたしに特別なことは示されませんでした。むしろ,ここにも少し,そこにも少しと,教訓に教訓,規則に規則を加える方法で,真理を示してくださいました。」

兄弟姉妹の皆さん,これが主の典型的なパターンです。主はわたしたちに,「光の柱」ではなく,一筋の光を一つ,また一つと送ってくださいます。

こうした光は,絶えずわたしたちに注がれています。聖文の教えによれば,イエス・キリストは「世の光であり命であられ」,主の「御霊は世に来るすべての人に光を与え」,主の光は「広大な空間を満た」し,「万物に命を与え」るものです。キリストの光はまさに,わたしたちを取り囲んでいます。

わたしたちは,聖霊の賜物を受け,信仰を行使し,悔い改め,聖約を尊ぶ人は,そのような神聖な光を絶えず受ける資格があります。デビッド・A・ベドナー長老の印象的な言葉にあるように,「わたしたちは『啓示のうちに生きている』のです。」

それでも,人は皆異なります。神の光と真理をまったく同じ方法で経験する人はいません。少し時間を取って,これまで自分が主の光と御霊をどのように経験してきたか,考えてみてください。

皆さんはそのようなあふれんばかりの光と証を,悩んでいた「〔事柄に対する心の〕平安」として経験したことがあるかもしれません。

あるいは,「あなたの思いとあなたの心に」とどまり,人を助けるなどの善を行うように促す「静かな細い声」として経験したことがあるかもしれません。

恐らく皆さんは,教会のクラスや青少年のイベントに参加する中で,イエス・キリストに従い,忠実でいたいと強く感じたことがあるかと思います。もしかしたら,立ち上がって,真実であってほしいと願う事柄を証したら,それがほんとうに真実だと感じたことがあるかもしれません。 あるいは,祈りの中で,自分は神から愛されているという喜びに満ちた確信を得たことがあるかもしれません。

イエス・キリストについての証を聞いて,心を動かされ,希望に満たされたことがあるかもしれません。

モルモン書を読んでいるときに,神が自分のために用意してくださったかのように,聖句が心に迫ってきたことがあるかもしれません。

人に仕えるとき,その人に対する神の愛を感じたことがあるかもしれません。

悩みや不安を抱えていて御霊を感じるのが難しくても,これまでに受けてきた「主の深い憐れみ」を思い出す賜物があるかもしれません。

天から証の光を受ける方法はたくさんあり,これらはほんの数例にすぎません。いずれも劇的ではないかもしれませんが,わたしたちの証を築いているのです。

兄弟姉妹の皆さん,わたしは「光の柱」を見たことはありませんが,皆さんのように,多くの聖なる光を目にしています。何年もの間,わたしはそのような経験を大切にするよう努めてきました。そうするうちに,さらに多くのことを認識し,心に留めるようになりました。目覚ましいとは言えないかもしれませんが,わたしにとっては貴重な例を幾つか挙げたいと思います。

10代のころ,わたしはあるバプテスマ会で騒がしくしていました。集会が始まる直前に,わたしは,座って敬虔にしなさいという御霊の促しを感じ,集会の残りの時間,その促しに従いました。

伝道前は,自分の証に不安がありました。家族で伝道に出たことのある人はなく,わたしにできるか分かりませんでした。イエス・キリストについて,より確かな証を得ようと必死に学び,祈ったのを覚えています。そしてある日,天の御父に心から祈っていると,光と温かい気持ちを強く感じました。そして,自分自身で知ることができたのです。

それから何年もたったある晩,「純粋な知性」である聖霊を感じて目覚め,自分が長老定員会で奉仕する召しを受けると告げられると,2週間後にはそれが現実になりました。

ある総大会で,尊敬する十二使徒の一人が,わたしが聞きたいと思って友人に話していた証を,まさに語ったことがありました。

ある友人が遠くの小さな病院で,心臓が止まり,意識を失い,人工呼吸器をつけて横たわっていたときに,彼のために大勢の兄弟たちとひざまずいて祈ったのを覚えています。わたしたちが心を合わせて,助かるように嘆願したとき,彼は目を覚まし,人工呼吸器の管を自分ののどから引き抜きました。彼は現在,ステーク会長として奉仕しています。

大切な先輩が若くして亡くなり,わたしの心に大きな穴が開いていました。愛する友人であり,良き相談相手だった彼が夢に現れて,とても霊的な気持ちで目覚めたことがあります。笑顔で喜びにあふれる彼の姿を見て,彼は心配ないことが分かりました。

わたしの受けた光を幾つかご紹介しました。皆さんにも,光に満ちた証を経験したことがあるでしょう。こうした光を認識し,心に留め,集めて「一つに帰せしめ」るなら,すばらしく,力強いことが起こり始めます。「光は光に結びつき」,「真理は真理を迎え入れ」ます。一筋の証の光と力は,一つ,また一つと,他の証とつながり,強められていきます。教えに教え,訓戒に訓戒,ここにも一筋の光,そこにも一筋の光と,一度に一つの小さな,価値ある霊的瞬間を積み重ねていくことで,光に満ちた霊的経験の核がわたしたちの中に育っていきます。一筋の光は,完全な証を構成するほど力強く明るいものではないかもしれませんが,それが幾つも集まることによって,疑いの闇にも負けない光となります。

「おお,それならば,このことはほんとうではないだろうか」と,アルマは尋ねています。「わたしはあなたがたに言う。確かにほんとうである,と。」

主は「神から出ているものは光である。光を受け,神のうちにいつもいる者は,ますます輝きを増してついには真昼となる」と説いておられます。

兄弟姉妹の皆さん,やがて「非常な熱意」を通して,わたしたちも一度に一筋ずつ光を受け,自分自身の「光の柱」を経験できるようになります。そして,その「光の柱」の中で,愛する天の御父がわたしたちの名を呼び,救い主イエス・キリストを指して,「彼に聞きなさい」と招かれていることが分かるでしょう。

イエス・キリストが世の光,命であり,あなたとわたしにとっての光,命であられることを証します。

イエスが神の御子であり,主の生ける預言者と使徒によって導かれているまことの生ける教会の頭であられることを証します。

わたしたちがいつまでも主の輝かしい光を認識し,受け入れ,世の闇よりも主を選ぶことができますように。 イエス・キリストの御名により,アーメン。

(2024年4月末日聖徒イエス・キリスト教会総大会からご紹介しました。

確かに、私たちは、神の子どもであり、愛の神さまは、私たちに啓示を与えて、助けてくださいます。これは、技術です。この技術は、私たちが人生で身につけなければならない最も大切な技術です。
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Pillars and Rays By Elder Alexander Dushku Of the Seventy
We too can have our own pillar of light—one ray at a time.

My message is for those who worry about their testimony because they haven’t had overwhelming spiritual experiences. I pray that I can provide some peace and assurance.

The Restoration of the gospel of Jesus Christ began with an explosion of light and truth! A teenage boy in upstate New York, with the very ordinary name of Joseph Smith, enters a grove of trees to pray. He’s worried about his soul and his standing before God. He seeks forgiveness for his sins. And he’s confused about which church to join. He needs clarity and peace—he needs light and knowledge.

As Joseph kneels to pray and “offer up the desires of [his] heart to God,” a thick darkness envelops him. Something evil, oppressive, and very real tries to stop him—to bind his tongue so he cannot speak. The forces of darkness get so intense that Joseph thinks he’s going to die. But he “exert[s] all [his] powers to call upon God to deliver [him] out of the power of this enemy which [has] seized upon [him].” And then, “at the very moment when [he’s] ready to sink into despair and abandon [him]self to destruction,” when he doesn’t know if he can hang on any longer, a glorious brilliance fills the grove, scattering the darkness and the enemy of his soul.

A “pillar of light” brighter than the sun gradually descends upon him. One personage appears, and then another. Their “brightness and glory defy all description.” The first, our Heavenly Father, speaks his name, “pointing to the other—[Joseph!] This is My Beloved Son. Hear Him!”

And with that overwhelming burst of light and truth, the Restoration has begun. A veritable flood of divine revelation and blessings will follow: new scripture, restored priesthood keys, apostles and prophets, ordinances and covenants, and the reestablishment of the Lord’s true and living Church, which will someday fill the earth with the light and witness of Jesus Christ and His restored gospel.

All that, and much more, began with a boy’s desperate prayer and a pillar of light.

We too have our own desperate needs. We too need freedom from spiritual confusion and worldly darkness. We too need to know for ourselves. That is one reason President Russell M. Nelson has invited us to “immerse [ourselves] in the glorious light of the Restoration.”

One of the great truths of the Restoration is that the heavens are open—that we too can receive light and knowledge from on high. I testify that is true.

But we must be wary of a spiritual trap. Sometimes faithful Church members become discouraged and even drift away because they haven’t had overwhelming spiritual experiences—because they haven’t experienced their own pillar of light. President Spencer W. Kimball warned, “Always expecting the spectacular, many will miss entirely the constant flow of revealed communication.”

President Joseph F. Smith likewise recalled, “The Lord withheld marvels from me [when I was young], and showed me the truth, line upon line, precept upon precept, here a little and there a little.”

That is the Lord’s typical pattern, brothers and sisters. Rather than sending us a pillar of light, the Lord sends us a ray of light, and then another, and another.

Those rays of light are continuously being poured down upon us. The scriptures teach that Jesus Christ “is the light and … life of the world,” that His “Spirit giveth light to every man [and woman] that cometh into the world,” and that His light “fill[s] the immensity of space,” giving “life to all things.” The Light of Christ is literally all around us.

If we have received the gift of the Holy Ghost and are striving to exercise faith, repent, and honor our covenants, then we are worthy to receive these divine rays constantly. In Elder David A. Bednar’s memorable phrase, “we are ‘living in revelation.’”

And yet, every one of us is different. No two people experience God’s light and truth in exactly the same way. Take some time to think about how you experience the light and Spirit of the Lord.

You may have experienced these bursts of light and testimony as “peace [spoken] to your mind concerning [a] matter” that has worried you.

Or as an impression—a still, small voice—that settled “in your mind and in your heart” and urged you to do something good, such as helping someone.

Perhaps you’ve been in a class at church—or at a youth camp—and felt a strong desire to follow Jesus Christ and stay faithful. Maybe you even stood and shared a testimony that you hoped was true and then felt it was.

Or maybe you’ve been praying and felt a joyful assurance that God loves you.

You may have heard someone bear testimony of Jesus Christ, and it touched your heart and filled you with hope.

Perhaps you were reading in the Book of Mormon and a verse spoke to your soul, as if God had put it there just for you—and then you realized that He did.

You may have felt the love of God for others as you served them.

Or maybe you struggle to feel the Spirit in the moment because of depression or anxiety but have the precious gift and the faith to look back and recognize past “tender mercies of the Lord.”

My point is that there are many ways to receive heavenly rays of testimony. These are just a few, of course. They may not be dramatic, but all of them form part of our testimonies.

Brothers and sisters, I have not seen a pillar of light, but, like you, I have experienced many divine rays. Over the years, I’ve tried to treasure such experiences. I find that as I do, I recognize and remember even more of them. Here are some examples from my own life. They may not be very impressive to some, but they are precious to me.

I remember being a rowdy teenager at a baptism. As the meeting was about to begin, I felt the Spirit urge me to sit down and be reverent. I sat down and stayed quiet the rest of the meeting.

Before my mission, I was afraid my testimony wasn’t strong enough. No one in my family had ever served a mission, and I didn’t know if I could do it. I remember studying and praying desperately to receive a more certain witness of Jesus Christ. Then one day, as I pled with Heavenly Father, I felt a powerful sense of light and warmth. And I knew. I just knew.

I remember being awakened one night years later by a feeling of “pure intelligence” telling me I would be called to serve in the elders quorum. Two weeks later I was called.

I remember a general conference where a beloved member of the Quorum of the Twelve Apostles spoke the exact words of testimony I had told a friend I hoped to hear.

I remember kneeling with hundreds of brethren to pray for a dear friend who lay unconscious on a ventilator in a small, faraway hospital after his heart had stopped. As we united our own hearts to plead for his life, he woke up and pulled the ventilator out of his own throat. He serves today as a stake president.

And I remember waking up with strong spiritual feelings after a vivid dream of a dear friend and mentor who passed away far too early, leaving an enormous hole in my life. He was smiling and joyful. I knew he was OK.

These are some of my rays. You have had your own experiences—your own light-filled bursts of testimony. As we recognize, remember, and gather these rays “together in one,” something wonderful and powerful begins to happen. “Light cleaveth unto light”—“truth embraceth truth.” The reality and power of one ray of testimony reinforces and combines with another, and then another, and another. Line upon line, precept upon precept, here a ray and there a ray—one small, treasured spiritual moment at a time—there grows up within us a core of light-filled, spiritual experiences. Perhaps no one ray is strong enough or bright enough to constitute a full testimony, but together they can become a light that the darkness of doubt cannot overcome.

“O then, is not this real?” Alma asks. “I say unto you, Yea, because it is light.”

“That which is of God is light,” the Lord teaches us, “and he that receiveth light, and continueth in God, receiveth more light; and that light groweth brighter and brighter until the perfect day.”

That means, brothers and sisters, that in time and through “great diligence,” we too can have our own pillar of light—one ray at a time. And in the midst of that pillar, we too will find a loving Heavenly Father calling us by name, pointing us to our Savior, Jesus Christ, and inviting us to “Hear Him!”

I bear witness of Jesus Christ, that He is the light and life of the whole world—and of your personal world and mine.

I testify that He is the true and living Son of the true and living God and that He stands at the head of this true and living Church, guided and directed by His true and living prophets and apostles.

May we recognize and receive His glorious light and then choose Him over the darkness of the world—always and forever. In the name of Jesus Christ, amen.

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こちらから、音声を聞くことができます。

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