『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞社出版)石平・有本香両氏の対談本が、まだまだ面白いので、再び違う場所の抜粋をしてみたいと思います。この本は1200円+税ですから、安価に求められます。
どんなに安価でも私は40ページまでは読みますが。そこで判断をして捨てるか読み続けるかを判断しています。しかしこの本は何回読んでも面白い個所を発見します。懲りずにまた書きます。
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「オオカミの国」が「パンダの国」に
(172頁)
♥有本…これまで述べてきたように、日中関係は新しいフェーズに入っています。ここで改めて、これまでの日中関係を振り返ってみたいのですが。
日本と中国が国交正常化したのは1972(昭和47)年。石さんと私は同い年で、62年生まれですから、ともに10歳の時ですね。私は日本人側、石さんは中国人だった方として、当時の事から少し振り返ってみましょう。
国交正常化の時のリアルな感覚として記憶に残っているのは、やはりパンダですね。カンカンとランランがやってきて、上野動物園ではパンダを見ようと行列が何重にもなった。
♠石・・・パンダブームと言うのは田中角栄訪中の年だったのか。
♥有本・・・そう。ものすごいブームでした。田中角栄訪中、国交正常化によって、一気にパンダブームが起きたのです。旗振り役の中心はもちろん朝日をはじめとしたメディアですね。現職の総理として田中角栄が初めて訪中し、
72年9月29日の日中共同声明の調印直後に「中国からパンダがひとつがい贈られる」と発表されて、翌10月28日にもうパンダはやってきた。
♠石・・・すごく早いですね。
♥有本・・・当時の新聞紙面には、「パンダ“夫婦”をどうぞ 中国が心温まる贈り物」とか、「友情のしるし」などと言う、今見ると気持ち悪いような見出しがおどっていたのです。
まさに、中国のプロパガンダの推進役を日本の大メディアは張り切って務めていたものだから、私たちはすっかり、「新しいお友達になった隣の国から、すごくかわいい動物が来る」と素直に受け止めたわけ。
♠石・・・パンダパワーはすごいね。
♥有本・・・上野動物園へ見に行くと言っても、実物を見られる人はかなりラッキーで、当時の女の子はパンダを見たことがなくてもぬいぐるみを買ってもらっていましたよ。私に家にも、いくつかあった。
♠石・・・つまり、パンダひとつで、日本人の大人から子供に至る対中国イメージが出来上がったということ。
♥有本・・・私自身、やはり「パンダの国」のイメージが原点に有ったので、大人になってからチベット問題など知るに至ってもなお、それを打ち消すのは大変でした。
♠石・・・本来は、「パンダの国」ではなく「オオカミの国」ですよ。「オオカミの国」が「パンダの国」になったと言うのは、すごい。
♥有本・・・あれほどピタリとはまったプロパガンダも珍しいでしょうね。ところで中国の人にとって、パンダはどういう存在だったんですか。
♠石・・・別にどうでもよかったですね、あのころ、中国人はもう食べることに精一杯で、パンダよりも豚肉がほしかった時代です。当時、僕たちは年に一度くらいしか、豚肉を食べられなかった。
当時の中国がどういう状態だったかと言えば、何千万人という政治犯がまだ抑留されていて、国全体が超貧国であり、大学は閉鎖されて、もう滅茶苦茶な世界でした。暗黒時代です。よくパンダ一つで・・・日本人はすごいですね。
♥有本・・・すごい無邪気さ、ですよね。しかし、後に私は自著『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社+α新書)でも書きましたが、チベット人に言わせるとパンダは中国のものではないと。
周恩来の本性を見抜けない日本
♠石・・・もう一つ、対日工作に成功した要因は、田中角栄首相とともに、日中共同声明に調印した当時の首相である周恩来でしょう。あの周恩来のイメージづくりのおかげで、今でも日本人が書いたものでは彼を、
「人民宰相」と呼んでいることがあります。いかに周恩来が素晴らしい人物で、いかに日本人に対して理解が深いか、というイメージが日本にはいまだにあるでしょう。
しかしあとで分かったところによれば、日中国交回復の少し前、1971年にヘンリー・キッシンジャー(当時米大統領特別補佐官)が中国を訪問した時、周恩来は次のように言ったという。
≪日本はモノの見方が偏狭で、全く奇妙だ。島国の国民だ≫≪日本は米国のコントロールなくしては野蛮な国家だ。拡大する経済発展を制御できないのか≫【「産経新聞」2002年8月6日、キッシンジャー・周恩来極秘会談録詳報】。
周恩来の吐いたこれらの言葉ほど、冷徹、冷酷なものはないですよ。完全に日本を上から見下ろして、軽蔑していたわけです。ところがこの同じ周恩来が、日本の政治家、知識人の前では、いかにも君子、中国の儒教的な長者の顔を演じた。
そもそも、周恩来がどうやって政治家になったか。今では中国国内でもそれについて書いた本が出ています。彼は中国共産党のスパイと秘密警察を牛耳るボスで、最初に上海で組織したのは暗殺隊でした。
暗殺を仕切っている親分です。だからこそ、あの毛沢東支配下の共産党で60年も失脚せず生き抜く事が出来た。にもかかわらず、日本ではいまだに君子のイメージで語られているから。
♥有本・・・周恩来がそういう二枚舌の冷血漢などと、日本人は誰も、おそらく田中角栄ですら思っても、いなかったでしょうね。心温かい人物だと言うイメージが先行しています。・・・・
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全体の四ページ半ぐらい抜粋しました。全242頁こんな調子です。二人とも博識以上に、使命感みたいなものを持っています。さわやかな人物像が二人からにじみ出ています。
この二人から現在のチャイナがなぜ生まれてしまったのかを聞いてみたいと思っていましたが、小平の登場が、共産党政府でありながら資本主義もどきの変な国が出来上がったいびつな状態が分かりました。次はその辺を抜粋します。
今のようなチャイナになったのに大きな貢献と言うか、独裁国ですから命令して作ったのが小平です。チャイナは中々役者が多くて、コリアとは大違いですが、怖いのは子のチャイナに入れあげている人たちが多い事です。
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