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インド旅行の思い出(11)インドの日常と神様との喧嘩

2023年08月28日 | インドの思い出
首を振った牛の頭が体に当たり、肋骨を折った人とバラナシーで出会った。このページの下にリンクしたブログ「インド旅行の思い出(4)ジャンム駅で牛にからまれる」にも少し書いたが、長く旅をする日本人のバックパッカーだった。細い路地を歩いていたら向こうから牛がやってきて、立ち止まって待っていたら、目の前で急に首を振り、それに当たって折れたとの事。病院に行ったのかそれとも自然に治したのかは記憶にないが、とにかくそれを聞いて牛が近寄ると身構えるようになった。

当時インドのあちこちに野良牛がいたが、ニューデリーには牛がほとんどいなかった。バラナシーで一緒になった人にその話をしたら、なんでも1982年ニューデリーで開催されたアジア競技大会のために、牛と浮浪者をどこだかに移送したからとのこと。だからニューデリーには牛がいないのだと言っていた。まあ本当かどうかはわからないが、その言葉を妙に納得したのは覚えている。

そういえばカルカッタの八百屋でえらい剣幕で店主が野良牛を棒で叩きまくって追っ払っていたのを見た事がある。恐るべしインド人、商売の神様ガネーシャに楯突くとは。神様である猿も然り、結構な激しさで追い払う光景を何度見た事か。インドの日常は神様との喧嘩、その、なんだか生身の人間がそこに生きているという実感が妙に心地よかったのを思い出した。

当たり前だがインド人は、牛とは喧嘩をするが食べる事はない。そこは神様として扱っているのだろう。だからあれだけの野良牛がいたのだろう。それにしてもあの野良牛は何を食べて生きていたのだろう。街を見渡しても、草がそれほど生えていたようには思えなかったし、牛に食べ物を与える人を見かけた覚えもない。たしかにそこここで何かを食み食みしている感じではあるのだが、何を食べて生きていたのか、これを書きながら疑問に思い初めている自分がいる。

今思えば、野良牛に野良犬、それが当たり前の世界がそこにはあった。インドはいまだに狂犬病の患者数が世界で最も多い国だとの事なので、旅行中動物関係で何事もなかったのは不幸中の幸いかもしれないが、とにかく種々雑多なのは人間だけでなく、都市に暮らす動物も一緒に混沌とした世界を作り上げていた。その混沌は生と死の身近さにもつながる。その頃の自分が何を求めていたのか知る由もないが、そんな世界にある種の憧れを抱いたのもあるのだろう、だからインドに出かけたのかもしれない。

※ バラナシーでの事、色々思い出してきた。今度はガンジャラッシーの話もしたいなぁ、、


 旅の初期はガンジャを敬遠していたが、バラナシーでのガンジャラッシー体験がなかなか強烈で、少しばかり嗜むようになった。

後で出会ったバックパッカーが細い路地で牛が何気なく振った顔が脇腹にあたり肋骨が折れたと言っていた。その話を最初に聞いていたらビビっていたかもしれないが、とにかく毎日インドに晒されて少しずつ逞しくなっていった。


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