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母の愛、阿弥陀の愛

2023年03月22日 | 宗教、哲学


花が咲き乱れる季節になりましたね。
散歩が楽しくなってしまいます!!

浄土教では阿弥陀様への一方的帰依(全てを委ねる)が全て、もちろん阿弥陀様は見返りを求めることなど微塵も考えていないし、当然「してあげたのに」もあり得ない。だから阿弥陀様へのお返しは必要ない(大きすぎてお返しなんてできるわけがない)。とにかく大船に乗ったつもりで全てを阿弥陀様に任せれば良いだけだ。

「行い」(1)が全ての浄土教、とにかくどんな境遇でもその場その場で真摯に生き抜く。これこそが浄土への導きに至るものである。そして「必ず助ける我に任せよ」と仰ってくれているのだから、念仏とともにただ死ぬまで生き抜けば良いだけなのだ。

「何があっても私はあなたの味方」
この母と重なる存在が阿弥陀様で、いつも傍に寄り添ってくれる。だから生き続ける事ができる。そう、念仏とともにいつも伴走してくれるのだから、阿弥陀様のためにも道を踏み外すことなんてできないし、その安心感が今を生き抜く力にもなる。

浄土教や阿弥陀様を学べば、母の子に対する愛情と通じるものを感じる。母の愛はただただ与えるだけの「あなたが好き」。ただそれだけだ。その前では刻石流水(2)という言葉が霞むほどだ。

母の愛。本当にありがたい。子ども達はただ与えるだけの母親の愛に包まれて大きく育ってくれた。本当に心根の優しい子に育ってくれた。勉強云々運動云々、そんな瑣末な事なんてどうでもいい、素直で心根が豊かであれば、それだけで生きていける。そして母に似た素敵な伴侶が必ず見つかる。だってそういう育ち方をすればそういう育ち方の人以外と付き合うのは難しいのだから。

浄土真宗は祈祷や日にち、方位で運命が決まるのではなく「行い」で決まると言っている。自らの「行い」が全てなので、占い等への「他力」は全否定される(他力はあくまでも阿弥陀様だけのものである)。


刻石流水」という言葉がある。

意味は「受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せ」という。

「懸情流水 受恩刻石」と言う仏教経典からきているそうだ。



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