もう1つの感性の本棚

書くことを仕事にしている者として、日常をどのような感性で掬い取るか。

街の縁取り40~青山通り

2006-11-08 22:19:33 | 街の縁取り
 東京と新潟を行ったり来たりしているが、この前は、必要があって日本橋から渋谷まで車で移動した。
 内堀通り、R246を走り、終点である渋谷のシティホテル駐車場に入れるまで45分程掛かった。
 まだ11月明けだったが、クリスマスのデコレーションが次第に街角で見かけられるようになっている。写真は青山の国連大学。クリスマスではなく、ピースマーク(鳩の足跡を模しているらしい)が壁一面に映し出されていた。たまたま点灯された日に通りがかったのだが、少しびっくりした。
 何だろうコレ、という大掛かりの街の演出に不意に遭遇するのは、東京故か。

 東京は曲線的な街で、電車でも車でも直線的に動きことはまずない。これは、博多、神戸、大阪、名古屋、仙台、札幌、新潟にはない動線だ。横浜は、複雑な海岸線に山の手が迫り、曲線的ではあるが、自然の地形によるもので東京とは性質が異なる。
 
 東京の中心に円を形成する皇居があることは、思っている以上に街並みの特質を醸成しているようだ。
 その曲線が重なり合いながら個々のブロックを包み込む。どういう切り口でも、知らない面が必ず表れる。

 少し離れてみて、「東京」というものがかなり特異的に大きく、複雑で、奥深い街であることを改めて感じる。

 東京との往還を楽しんでいる。




   

街の縁取り39~面影という感覚

2006-11-08 02:32:48 | 街の縁取り
 東京に戻った週末、鎌倉に出かけた。小町通り、若宮大路などは相変わらず観光客でごった返していた。

 早く来た湘南ラインに乗って、新宿経由で帰ることにした。電車はほぼ満席だった。横浜で、ある程度人が入れ替わったが、空席は少なかった。

 自分の横には女性が座った。
 電車が横浜を出て、しばらくして、本当に不意に、横に座った女性のいでたちというか、伝わってくる気配が、昔付き合ったことのある人とよく似ている感覚に囚われた。
 彼女はシートに座るなり、うつむき加減に目を閉じ、うとうとし始めた。
 背格好、着ているもの、手の甲、髪の長さといった視界の隅に入ってくる情報が、自分が知っている人と合致するような思い込みが強く働いた。

 付き合っていた頃、彼女は妹のいる横浜によく出かけ、妹の家に泊まることを、親に対して自分との外泊をごまかす方便として使うこともあった。

 急に動悸が激しくなった。

 互いの居場所が不安定で、行き止まりが見えながら傷を舐め合い、不安をごまかすような関係だった。愛しいとの思いは募らせたが、恋人のような気分は長く続かなかった。正直、会わなければ楽に思えることもあった。
 しかし、それだけに尚更、自分が過ごしてきた時間に、はっきりと刻印を残した相手でもあった。

 当時の愛憎が入り混じりながら求め合った苦しさ、その感覚が瞬間にして蘇ってきた。あてもなく、よく電車に乗っていたことも思い出された。色んな街角に思いを刻んだ。

 さらに動悸は激しくなった。

 男の方が未練がましいという話は世間によくあるが、彼女がすぐ横にいるような感覚が、そんな偶然はないと思いながらもしばらく続いた。
 
 東京は、自ら余程追い求めるようなことでもしない限り、滴(しずく)のような関係にあった相手とすれ違える程、狭くはない。
 結局、新宿を過ぎたあたりから、そして池袋ではっきり別人と分かったのだが、久々にその面影に浸った。

 仮に、当の本人だったとして、自分はどうしただろう。声を掛け、お茶にでも誘っただろうか。

 だが、想像する。

 互いの近況を通り一遍に報告は出来るが、その後、何を話せるだろうか。
 共有しているはずの思い出話に花が咲くだろうか。共有していると言うこと自体が錯覚かも知れない。

 それでも、激しくなった動悸は真実であり、自分の感性が、それを糧にしているのは否定出来ない。いつの間にか、苦しさを美化しているような気もするが。

 そこで終わりにしておきたい一方で、こういう思い出は当人同士しか語り合えない。そして、再会でもない限り、その機会すらない。

 空気のように霧散していく、確かにあった時間。かなり切ない。切ないが、触らない方がいい。

きょうの写真棚~爆弾低気圧って初めて聞いた

2006-11-07 18:20:52 | Weblog
 きょう11月7日、天気は大荒れ。前日の夕刻から振り出した雨が強まった後、風が暴れ続けた。

 県内を上越新幹線で移動したが、午後3時過ぎの新潟行きで帰ろうとしたら、1時間以上遅れていて、JRがしつこくアナウンスしている案内によれば、14時40分発の列車に1時間10分遅れで乗った。

 夕刻には晴れ間も覗いたが、風の勢いは衰えず。新潟県内の在来線は、越後線をはじめ運休が続発、戻ってきた新潟駅は混乱していた。
 夕刻のニュースによると、今回に低気圧は、24hp以上気圧差が生じる「爆弾低気圧」という現象だったらしい。北海道では竜巻(らしい)で死人が多数出た。新潟では東港でクレーンが倒れた。

 これが新潟の冬の予兆というには、程度が大き過ぎる低気圧だったようだが、タクシーの運転手などは、「これが新潟の冬の風?」とのこちらの問いを格別否定しなかった。

きょうの写真棚~もこみち君は地方で黙々と働いている。

2006-11-01 23:02:03 | Weblog
 ナンバーポータビリティがらみで、何かと話題の多いケータイ業界。
 もこみち君も連日テレビCMに登場、auを売り込んでいる。

 写真は、先日、新潟市の朱鷺メッセで開催されたイベントのブースに展示されていた「もこみち君」人形。
 等身大らしく、背が高く細身でよく似ている。

 もこみち君と言えば、自分は、日テレ「さんま御殿」でブレークしたという印象が強い。確かに男前だが嫌味がなく、とても好感を持った初見での記憶がある。

 だが、なぜauは彼の人形を作ったのか。
 一体何体作ったの?あれはキャンペーンが終わったら焼却処分されるの?

 ガソリンやドコモの織田裕二君、ちょっと前のユンケルのタモリさんと、街角で目に付く等身大の宣伝媒体は少なくない。
 だけど、等身大のリアルフィギュアは、旗やポスターとは違って、その存在感が違う。人形には魂があるって話とつながった感覚かも知れない。

 フィギュア市場で、プレミアムが付くのだろうか。それでも棚に飾っておくわけにはいかない。いくらファンでも扱いに困るだろう。
 無数のもこみち君人形が、処分される光景が目に浮かぶ。ちょっと怖い。

 もこみち君人気に乗るのはともかく、なぜ等身大人形か、理由が想像できない。
 
 たまたま会場で、原稿をPCで打っているテーブルの近くにAuのブースがあったので、何気なく見ていたのだが、もこみち君人形を面白がっている人は、子供や女性も含めて余りいなかったようだ。

 それでも表情を変えずに、もこみち君はすっと屹立して、通り過ぎていく人を見つめていた。

 もこみち君人形供養は必要に思える。彼自身も参列するだろうか。彼に、この抵抗感はなかったのだろうか。

 余計なお世話だけど。