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犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

桂籠の花入

2025-06-26 22:07:46 | 日記

先日、妻が裏千家準教授の免状をいただきに、師匠を訪ねて行きました。私よりずっと茶歴が長いにもかかわらず、前の師匠のご病気もあって免状までの道のりが遠かった妻は、7年前に私の師匠のもとに入門しました。それ以来、順調に奥伝引継、お茶名拝受、準教授の免状取得と進むことができました。
これで茶道教室を開くこともできるのですが、妻としてはこのまま自分自身の趣味として続けていきたいのだそうです。

師匠からのお祝いとして「桂籠」の花入を頂戴して帰ってきました。
桂川の漁夫の腰に付けられている籠に利休が目を止め、掛け花入としたことから、この形の籠を桂籠と呼んでいます。

話は脱線しますが、利休から孫の宗旦へと伝わった桂籠の元祖「桂川」は、宗旦に師事した山田宗徧へと受け継がれます。この人は吉良上野介の屋敷の茶事に関わっていて「桂川」は数奇な運命を辿るのです。
赤穂浪士が本懐を遂げたのち、吉良の首が奪還されるのを恐れて、本物の首は舟路で泉岳寺に送られました。桂川は吉良の首の代用として、風呂敷に包まれ槍の先に刺されて、浪士の道中に用いられたという話です。

妻のお祝いを兼ねた家族団欒の食事時に、こんな話を得々としていると、娘のリアクションがありません。どうやら「赤穂浪士」も「吉良上野介」も娘のボキャブラリーには無いらしく、そもそも「忠臣蔵」とは、というところから話を始めなければならなくなりました。

あとで知ったことですが、これはうちの娘が特別に物知らずだというのではなく、今の二十代、三十代で忠臣蔵を知っている人は皆無なのだそうです。アナウンサーの安住紳一郎さんがラジオで語っているのを文字起こししたものがネットに上がっていて、安住さんはこの事実に驚愕したと語っています。この「知っている、知らないを隔てる世代の川」は意外に高いところに流れていて、45歳ぐらいから下は、まず忠臣蔵を知らないと考えていた方がよいようです。

そういうわけで、妻の準教授免許のお祝いはそっちのけで、親子で「忠臣蔵」にかかわる、もどかしい話を続ける一夜になりました。

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