犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

地球照のこと

2024-02-21 19:28:54 | 日記

このところ続く雨で夕方の散歩はしばらくお休みです。先週の散歩で眺めた夜空はとくに綺麗だったので残念な気分です。
先週15日には南西の空に舳先の鋭いゴンドラような三日月が浮いており、そのすぐ上には木星が輝いていました。ゴンドラの上の部分、つまり月の影の部分はうっすら青みがかった光を帯びていて、これを「地球照」と言うのだそうです。太陽光が地球に反射したものが、月の影の部分に当たって照らす現象で、レオナルド・ダ・ビンチが発見したことから、西洋では「ダ・ビンチの輝き」と呼ぶこともあるとのこと。地球照が青みがかっているのは、青く輝く地球を反射するからだというのも、わくわくするような話です。

宮沢賢治が農学校の教師だったときに書いた詩「東岩手火山」に、地球照に触れた一節があるのだそうです。

月の半分は赤銅 地球照(アースシャイン)

天文学者の渡部潤一さんが著書『賢治と星を見る』(NHK出版)で紹介していて、赤銅色に見えることのない地球照を赤銅と書いているのは、おそらく水銀のような三日月の明るさを引き立てるためではないか、という渡部さんの解説です。
妹の急病もあって故郷に戻ってきた賢治は、東京から天文学の書籍を持ち帰り、地球照を知っていたようです。

宮沢賢治は賛成してくれないかもしれませんが、私はこう思いました。
太陽からの直接の光に飽き足らず、地球を経由した光にも身をまかせて、その影を浮かび上がらせる。それは厳かなようでいて、そのじつお喋りで移り気な、月のもつ一面ではないか、と。
そして、地球が反射した太陽光が、たまたま月面を照らすタイミングで地球照は起こるので、普段の三日月の影の部分は普段は闇に溶け込んでいます。くっきりと夜空を切り裂く三日月は、太陽の光以外あなたの光など受け付けませんと、こちらを睨みつける様子にも見えてこないでしょうか。
もっと想像を逞しくしてこんなことも考えました。満月のときには、その光を地球が反射して月に送り返すので、月から見れば、地球は青白い影を宿しているのかもしれません。満月に見惚れる地球は、そのとき移り気な表情に見えるのだろうと。

光は直進し反射して相手に届くものなので、それはひとの会話にも、なぞらえることができるかもしれません。会話は反射し屈折しつつ、時には合わせ鏡のような複雑さでもって、ひとの心に届くのではないでしょうか。


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