昨日のお茶の稽古は「流し点(ながしだて)」でした。
ふだん客から遠いところにある水指を炉の横、客前に置いて、棗と茶碗を炉から斜めに「流して」置きます。「流し点」の名前はここから来ています。この道具の配置は、亭主が客の正面を向くためのもので、少人数の親しい客と和やかに話をしながらお茶を点てるときに、選ばれる点前です。
柄杓はふつう、扱いやすいように亭主に向かって斜めに置くことが多いのですが、流し点では水指から真っ直ぐ後ろに引いて、水指、蓋置、柄杓が一直線に並んだ見た目が、とてもすっきりしています。
斎藤茂吉の歌集『あらたま』に、
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
という歌が収められています。
師である伊藤左千夫が亡くなったあと、秋の代々木の原を歩いていると、夕陽に照らされている一本道があり、自分はこの道を歩んでいこうと思ったという、茂吉の覚悟の歌です。「命」の枕詞「たまきはる」は、ものごとが完了した充実した様子を表すともされているので、茂吉の悩みが吹っ切れた様子も伝わってきます。
客座に真っ直ぐに向かうように柄杓を置き、正面を向いてお茶を点てていると、茂吉のこの潔い歌を思い出しました。
釜を挟んで常に正客の姿が見えるので、正客に向かう「あかあかと一本の道」が、浮かんでくるようにも思います。
お茶をやっていて強く感じるのは、お茶を一服点てるごとに、気持ちを切り替えることができるということです。正客との会話が加わることで、正客によって気付かされる自分自身が姿を見せることもあります。柳宗悦が『茶道論集』で語ったように、その場に余韻や暗示を感じ取って、自らを開いてゆくことが茶道の醍醐味ならば、この新たに生まれ変わる気持ちこそが、自らを開くことの最大のご褒美なのだと、改めて思いました。
別の曜日の稽古でお世話になっている妻が、暫くお休みしなければならない理由を師匠にお伝えしていて、気持ちが晴れるようにと、流し点の稽古を準備してくださったのでした。これも、しみじみと有り難い心遣いだと感じました。