「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」で始まる夏目漱石の『草枕』は漢語の多い、韜晦趣味とも言われて敬遠される作品ですが、じつは漱石のサービス精神に溢れた、立派なエンターテイメント作品だと思います。
たとえば湯治場の娘「那美」と主人公が出会ったとき、那美の容貌について、
「昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場がきまってる」の一文からはじまって、「不仕合(ふしあわせ)な女に違ない」で終わるまで、文庫本で1頁以上が費やされています。
その長い長い容貌描写は、その後の物語に静かに繋がるような、細やかな布石を打つといったものではなく、ひたすら読者のウケを狙う不思議な情熱が注ぎ込まれています。80年代から清水義範の愛読者だった私は、氏のパスティーシュ小説や、あの時代の軽薄短小文化さえ思い出しました。
主人公が湯気のモウモウと立ち込める湯に浸かっていると、突然、那美が闖入しそのまま笑い声と共に去っていく情景などは、折り重なる漢語のモヤのなかに沈んでいます。しかしながら、それは見事な漢文調で、当時の人たちも拍手喝采を送ったと思うのです。意味がわかるかどうかは別として「何という名調子」と膝を叩いてしまいます。
さて、漱石がサービス精神のネタとした「那美」という女性には立派なモデルがいて、前田卓(つな)という人です。
父は槍術の達人で熊本藩主の護衛を務めた前田覚之介といい、維新後前田案山子と改名して自由民権運動に身を投じ、国会議員にまでなった人物でした。その次女卓(つな)は父に武芸を教えられ、女性民権家とも繋がりを持つようになります。一度結婚に失敗し、温泉付き別邸となっていた実家に戻っていた頃に、第五高等学校の教師だった漱石に会っています。そして この経験が『草枕』を生み出しました。
卓は父の死後、上京し妹の夫で革命運動家の宮崎滔天の紹介で、孫文ら中国の革命家たちが結成した中国同盟会の機関紙『民報』に関わるようになります。中国人革命家の密航を助けたこともあったというので、まさに八面六臂の活躍です。
漱石はこれに驚き、「草枕も書き直さねば」と言ったというほどでした。
漱石が『草枕』を書いていた時の、気持ちの赴くままに筆を走らせた浮き立つような感覚と、その後のモデルの現実とのギャップの大きさは、漱石をして絶句せしめました。漢文の名調子は掌で操ることはできても、那美じしんは掌を易々と通り抜けてしまうのです。しかし、そうしてみるとあの湯気の中で哄笑していた那美像は、彼女の将来を暗示しているようにも思えます。
(前田卓の経歴については葉室麟著『読書の森で寝転んで』に拠っています)