母の命日のお墓参りに出かけました。
父の見舞いに休日の殆どを費やしていたので、草は普段にない高さに達しています。蒲公英が砂利の間にしっかりと根付いており、うまく抜けない。茎の部分は萎れているのに、まだまだ生きたいのだろうと思います。
くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ
(小野茂樹『黄金記憶』)
草むらの草のうえに、また別の草が影を落としている。その日射しの確かさは「いま、ここ」のじぶんの感覚でありながら、別の世界へ通じる扉のようにも思います。遠くないいつか「死は全て」となる。死とは、それが「すべて」となることなのだと、今更ながらに感じさせる歌です。
思えば去年の母の十三回忌に父は出席できませんでした。お寺の法要に出掛けようかという気持ちが幾らかでもあったのが、今となっては不思議に思います。あれから父の容態は、まさに下り坂を駆け落ちるように悪化しました。
美しき死などかなはず苦しみておとろへ果てて人は死にゆく
(犬飼志げの『天涯の雪』)
父の葬儀では、幸せな生涯だったことを皆様にお伝えしたけれども、安らかな死、美しい死はお伝えできませんでした。
一週間前に見た死亡診断書の直接死因が「下肢壊疽」だったことは、それを文字にして見て改めて驚きました。もっと「それらしい重篤な」病名をいくつも抱えていたからです。亡くなる二日前、入院先の医師に呼ばれ、右脚の血流が保てず、かりに壊死した先を切断しても切断した先から腐ってゆく、抗生物質も届かないのだ、という説明を受けたときに、事態が容易でないことをようやく把握しました。
容態をみながら然るべき施設に転院し、ターミナルケアに移行するという、家族の淡い期待など拒絶する現実を、突き付けられたように感じました。
「夢」の反対物は覚醒などではない「現実」なのだと、ある人は言いました。真剣であること、目覚めていること、リアリスティックであること、それはまだ「現実」ではないのだ、と。
終末期医療で知られる病院を訪ねていって、病室を見学し、スタッフの話を聞いている自分をリアリストだと自惚れていたのが馬鹿のようです。そして、何もかもをも弾き飛ばしてしまうような「現実」がレントゲン写真に写っていました。
墓石横の墓誌空欄に父の名前を刻んでもらう打ち合わせを、墓地管理事務所で済ませて外に出ると、ロープを張った駐車場に日の光が容赦なく射していました。