自殺をする前に。
少し耳を傾けてください。
①江原啓之氏「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」より抜粋
江原氏の主護霊の昌清霊は、
「寿命は現世(うつしょ)のものには定められぬ。」
「ゆえ、自殺は誤りじゃ。寿命のなかに自殺はない。」
「自殺する者は、死んだら死ねると思うから自殺するわけじゃ。
しかし、たましいは永遠。みずからの手でみずからを終えることはできぬ。」
「そしてまた、幽世(かくりょ)を信じて自殺する者もいる。」
「いずれにしても、みずからの定めた学びを放棄すること、その罪は重い。」
と、伝えてきています。
では、それでも自殺した場合どうなるのか。
「死して人は死なず」
「死してから、生きる以上の苦しみがある。」
「死んだところで呪縛が解けぬからじゃ。死でも続行するだけじゃ。」
「いわば、肉体をもって続行するのと、肉体をもたず続行することの違い。」
「しかし、肉体をもたずして続行することのほうが、よほど苦難じゃ。」
「なぜならば、現世に生きられる限りは、訂正も山ほどできる。」
「しかし、自殺すれば、自殺した時点で、いつまでも呪縛される。いわば、
進歩が遅れるのじゃ。」
それでは、どうしたらよいのか・・・。
「苦難より逃れたければ、生きぬくことじゃ。」
「自殺するほどならば、路上で生き長らえたほうがずっと立派じゃ。」
「なぜならば、『生きる』ことに意義があるわけであるから。」
もっと詳細に、「自殺した」後の死後はどうなるのか、なぜ自殺はいけないのか、
を知りたい方は、
「いのちが危ない! スピリチュアル・カウンセラーからの提言」 江原啓之
集英社を一読ください。
②百年前のイギリスで大反響だった「誰も書けなかった死後世界地図」より
フランチェッツォが出会った自殺した霊人ベネデットの話
「昔は土葬でしたので、肉体が朽ち果てるまで、魂と肉体の連結リンクがしぼんで
消え果るまで、その死者はずっと腐敗する肉体につきまとわれてしまう。」
「もしも肉体がバラバラになる死に方を選んだり、誰にも発見されない場所で
死んだりすると、霊魂を包む肉体の分子がすべて崩壊するまで、その痛みに
さらされなければならない。」
「ようやく肉体から解放された後、彼を悩ましたのはやはり生前の悩みだった。」
ベネデットの場合、
「ベネデットの魂には、自分を裏切った女性に復讐したいという激しい思いが
たぎり実行してしまい、そしてそのことの恐ろしさに打ちのめされ、みずから
地獄(霊界のはるか下層部)に堕ちていった。」
それでは、どうしたらよいのか・・・。
たとえ、「自殺することによって地上人生から逃れられても、置き去りにした
悩みや苦しみが解決するわけではありません。」
「むしろそれを適切な形で解決できるのは、地上で生きているうちなのでは
ないでしょうか。ベネデットの経験した苦しみは、そのことを私たちに教えて
くれているように思います。」
③宜保愛子氏「生まれ変わりの秘密」P179-181より抜粋
「こんなに次々と、苦しみや悲しみが私を襲ったのでは、もう耐えることができ
ない。いっそ自殺してしまったほうが、生きるよりもずっと楽になるだろう。」
こうお思いなる方は、この世に大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
かくいう私も、この世の中から消えてしまおう、と思ったこともありました。
それは、死んでしまえば、すべての悩み苦しみから解放されるのではないか、
と思えるからでしょう。
そして、こんな辛さはこの世だけにある、と考えるからなのです。
ところが、あにはらんや、自殺者はひとしくその死後、自ら命を絶ってしまった
ことを深く後悔するのです。
というのも、人、そしてすべての生物は、必ずその天寿をまっとうする責任だけ
は、生をうけたときから負わされているからです。
私の体験から申し上げると、自殺者の場合、この世に生存していたときの心の
もち方と、死んでから自分の生きてきた生きざまを振り返ったときの考え方は、
大いに異なります。
すてばちになって、自分の命を粗末に扱い、この世から消えていった人たちは、
呼吸を絶えたその瞬間から、100%といっていいくらい、自殺したことに対す
る後悔が大きく膨らんでくるのです。
そして、なぜ、最後までもっと大事に、自分の人生を使わなかったのだろうか、
という後悔の重い石をずっしりと背負いつつ、ふつうの人よりもはるかに長い間、
死後の世界を歩き続けなければなりません。
自殺する人は、言ってみれば、自分の生命を軽視しているのです。
最後まで病気と闘い、最後まで人生と闘い、少しでも明るさを求めながら、
自分の息が絶えるそのときまで、生き続けなければならない義務が、私たち
にはあります。
「自分の命を自分で絶つのだから、注文をつけないでほしい」
そう考えていらっしゃる方がいるならば、自分の命を絶つことによって家族や
友人、まわりの人々がどんなに悲しむかもしれない、ということを考えてみて
ください。
仮に、自分の死を誰もがお腹の底から喜ぶとしたら、それは自分の生き方が
いかにくだらなかったか、ということをあらわしているでしょう。
生をまっとうすることを自ら拒んだ自殺者は、ふつうなら背負いきれないほど
の大荷物ともいうべき“後悔の念”を背にしょって、歩きにくい霊界をトボトボ
歩かなければなりません。
それだけ自殺霊というのは、仏になりにくいのです。
私は、家族に自殺者を出してしまったために、いまだ悲しみから抜け出すことの
できない大勢の人々とお会いしてきました。
また、霊視によって、自殺した当の本人からのせつない思いをこの耳で直接聞い
てきました。
だからこそ、私は声を大にして言いたいのです。
自殺はいけない、絶対にしては駄目だ、と。
自分が楽になろうと思って自殺するならば、それはよけいなこと、いけないのだ、
と私は強く訴えたいのです。
また、福島大学の飯田史彦教授の著書「生きがいの創造Ⅱ」は、自殺者からの
助けを求めるメッセージや自殺者との会話を、会話形式で詳細に書かれています
ので、ぜひ一読ください。
(ここに記載したいのですが、本書全文となってしまいますので、控えさせて
いただきます。)
しかし、本書でも書かれていますが、自殺した魂は、暗闇の中で後悔することに
は違いありません。
少し耳を傾けてください。
①江原啓之氏「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」より抜粋
江原氏の主護霊の昌清霊は、
「寿命は現世(うつしょ)のものには定められぬ。」
「ゆえ、自殺は誤りじゃ。寿命のなかに自殺はない。」
「自殺する者は、死んだら死ねると思うから自殺するわけじゃ。
しかし、たましいは永遠。みずからの手でみずからを終えることはできぬ。」
「そしてまた、幽世(かくりょ)を信じて自殺する者もいる。」
「いずれにしても、みずからの定めた学びを放棄すること、その罪は重い。」
と、伝えてきています。
では、それでも自殺した場合どうなるのか。
「死して人は死なず」
「死してから、生きる以上の苦しみがある。」
「死んだところで呪縛が解けぬからじゃ。死でも続行するだけじゃ。」
「いわば、肉体をもって続行するのと、肉体をもたず続行することの違い。」
「しかし、肉体をもたずして続行することのほうが、よほど苦難じゃ。」
「なぜならば、現世に生きられる限りは、訂正も山ほどできる。」
「しかし、自殺すれば、自殺した時点で、いつまでも呪縛される。いわば、
進歩が遅れるのじゃ。」
それでは、どうしたらよいのか・・・。
「苦難より逃れたければ、生きぬくことじゃ。」
「自殺するほどならば、路上で生き長らえたほうがずっと立派じゃ。」
「なぜならば、『生きる』ことに意義があるわけであるから。」
もっと詳細に、「自殺した」後の死後はどうなるのか、なぜ自殺はいけないのか、
を知りたい方は、
「いのちが危ない! スピリチュアル・カウンセラーからの提言」 江原啓之
集英社を一読ください。
②百年前のイギリスで大反響だった「誰も書けなかった死後世界地図」より
フランチェッツォが出会った自殺した霊人ベネデットの話
「昔は土葬でしたので、肉体が朽ち果てるまで、魂と肉体の連結リンクがしぼんで
消え果るまで、その死者はずっと腐敗する肉体につきまとわれてしまう。」
「もしも肉体がバラバラになる死に方を選んだり、誰にも発見されない場所で
死んだりすると、霊魂を包む肉体の分子がすべて崩壊するまで、その痛みに
さらされなければならない。」
「ようやく肉体から解放された後、彼を悩ましたのはやはり生前の悩みだった。」
ベネデットの場合、
「ベネデットの魂には、自分を裏切った女性に復讐したいという激しい思いが
たぎり実行してしまい、そしてそのことの恐ろしさに打ちのめされ、みずから
地獄(霊界のはるか下層部)に堕ちていった。」
それでは、どうしたらよいのか・・・。
たとえ、「自殺することによって地上人生から逃れられても、置き去りにした
悩みや苦しみが解決するわけではありません。」
「むしろそれを適切な形で解決できるのは、地上で生きているうちなのでは
ないでしょうか。ベネデットの経験した苦しみは、そのことを私たちに教えて
くれているように思います。」
③宜保愛子氏「生まれ変わりの秘密」P179-181より抜粋
「こんなに次々と、苦しみや悲しみが私を襲ったのでは、もう耐えることができ
ない。いっそ自殺してしまったほうが、生きるよりもずっと楽になるだろう。」
こうお思いなる方は、この世に大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
かくいう私も、この世の中から消えてしまおう、と思ったこともありました。
それは、死んでしまえば、すべての悩み苦しみから解放されるのではないか、
と思えるからでしょう。
そして、こんな辛さはこの世だけにある、と考えるからなのです。
ところが、あにはらんや、自殺者はひとしくその死後、自ら命を絶ってしまった
ことを深く後悔するのです。
というのも、人、そしてすべての生物は、必ずその天寿をまっとうする責任だけ
は、生をうけたときから負わされているからです。
私の体験から申し上げると、自殺者の場合、この世に生存していたときの心の
もち方と、死んでから自分の生きてきた生きざまを振り返ったときの考え方は、
大いに異なります。
すてばちになって、自分の命を粗末に扱い、この世から消えていった人たちは、
呼吸を絶えたその瞬間から、100%といっていいくらい、自殺したことに対す
る後悔が大きく膨らんでくるのです。
そして、なぜ、最後までもっと大事に、自分の人生を使わなかったのだろうか、
という後悔の重い石をずっしりと背負いつつ、ふつうの人よりもはるかに長い間、
死後の世界を歩き続けなければなりません。
自殺する人は、言ってみれば、自分の生命を軽視しているのです。
最後まで病気と闘い、最後まで人生と闘い、少しでも明るさを求めながら、
自分の息が絶えるそのときまで、生き続けなければならない義務が、私たち
にはあります。
「自分の命を自分で絶つのだから、注文をつけないでほしい」
そう考えていらっしゃる方がいるならば、自分の命を絶つことによって家族や
友人、まわりの人々がどんなに悲しむかもしれない、ということを考えてみて
ください。
仮に、自分の死を誰もがお腹の底から喜ぶとしたら、それは自分の生き方が
いかにくだらなかったか、ということをあらわしているでしょう。
生をまっとうすることを自ら拒んだ自殺者は、ふつうなら背負いきれないほど
の大荷物ともいうべき“後悔の念”を背にしょって、歩きにくい霊界をトボトボ
歩かなければなりません。
それだけ自殺霊というのは、仏になりにくいのです。
私は、家族に自殺者を出してしまったために、いまだ悲しみから抜け出すことの
できない大勢の人々とお会いしてきました。
また、霊視によって、自殺した当の本人からのせつない思いをこの耳で直接聞い
てきました。
だからこそ、私は声を大にして言いたいのです。
自殺はいけない、絶対にしては駄目だ、と。
自分が楽になろうと思って自殺するならば、それはよけいなこと、いけないのだ、
と私は強く訴えたいのです。
また、福島大学の飯田史彦教授の著書「生きがいの創造Ⅱ」は、自殺者からの
助けを求めるメッセージや自殺者との会話を、会話形式で詳細に書かれています
ので、ぜひ一読ください。
(ここに記載したいのですが、本書全文となってしまいますので、控えさせて
いただきます。)
しかし、本書でも書かれていますが、自殺した魂は、暗闇の中で後悔することに
は違いありません。
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